54. お茶会(リュカとトリスタン)
「おいトリスタン? なんでエリーがうちの厨房に出入りしてるんだよ? またジジイの策略か?」
盗聴防止の魔法のおかげで随分くだけた口調になった長兄に聞かれた。
「あ~、まあ、そんなとこ……そこんとこも、ちゃんと話そうと思ってるみたいなんだけど、今日は二人に頼み事があってさ……」
「エリーがだよな? さっさと言えばいいのになんで遠慮してるんだ?」
涼し気に見えるレモン味のゼリーを口に運びながらの、のんびりした口調。
久し振りにナタリアに会えたことがよっぽど嬉しいのか、長兄の視線は彼女から離れない。目が優しいし、口元が笑っている。
邸内で会うリュカはいつも深刻な顔をしていただけに、トリスタンも嬉しくなった。
エリザベスの表情も緩んでいて、嬉しそうだ。
「リュカが自分のことを『所有物』とか言ったからだろ。恩を着せてなにかを頼むつもりじゃなくて、単に本当に困ってるから助けて欲しいだけで……」
「わかってるよ。エリーはそういう策略はやらない。でも、それだって普通に言えばいいだけだろ? ものすごく難しい頼みなのか? だけど魔法に関してなら既に俺よりお前の方が上だろう?」
あっさり言ってまたゼリーを口に運ぶ。
「エリザベスが頼み事をするのが苦手だって知ってるだろ? 自己評価が低いんだよ」
「それは確かに前からそうだけど――今は王太子の婚約者なんだし、なんなら命令したっていいのに」
「ますます無理だろ。友達なんだから」
「それもエリーらしいけど――って、なんだ、トリスタンお前意外にエリーのことに詳しいな」
やっとナタリアから視線をはがして、リュカがトリスタンを見た。
「それも後で聞いて欲しくて……実は僕も相談に乗って欲しいんだけど」
「別にいいけど、なんで二人ともそんなに歯切れが悪いんだよ――」
やっとこっちを見た視線はあっという間にナタリアに戻った。トリスタンには戻ってきそうにない。
「で、まずはエリーの頼み事って? 本人が言い出せないんだ、知ってるなら言えよ」
話が早くて助かる。
「ウィリアムのことだよ――目を覚まさせて、サリーに目を向けさせて欲しいんだ」
「俺が?」
声は意外そうな語尾上がりだったけれど、顔は笑顔でナタリアに向けたまま――彼女の方は小声でアリアンヌと何か話している。どうやらむこうもエリザベス抜きで話を進めるつもりらしい。
「いや、生徒会の他のメンバーにも頼むつもりでいるんだ。だけど、まずリュカに話を聞きたいし、して欲しいって」
「聞きたい? 俺がエリーに話すってこと? 何を?」
「ウィリアムはリュカと様子が違うからだよ。僕もそこは知りたくてさ」
「?」
長兄には心当たりがないらしい、と気づいた。
「……ウィリアムはさ、エリザベスに最初に助けられた後のことだけど――リュカもナイジェルもちょっとはそうだったけど――かなりぼんやりしてた。それからのぼせあがってただろう? だけどリュカは最初から一歩引いてたっていうか、エリザベスを自分のものにしようとは思わなかった。ナイジェルはもっと引いてた感じだったし。
ウィリアムのもだんだん落ち着いてきてたけど、この前の船のやつで一気に悪化して――だからエリザベスはあれのせいでまた惚れられたんじゃないか、それならリュカとは何が違うのか、そこがわかったらウィリアムを説得できるんじゃないかって」
期待を込めて聞いてみたトリスタンだったが、リュカの答えは簡素だった。
「……俺には最初からナタリーがいたから?」
「だからエリザベスのことは好きにならなかったってこと? 好きな子がいない時にやられたら惚れたと思う? 最初はぼんやりしてただろ?」
リュカが少しだけ天井を仰ぐ。
「ああ……そういえば、そうだった。あのさ……エリーにあれをやられるとさ、すごく幸せな気持ちになるんだよ――無償で『愛されてる』って思うんだ。ただ生きていて欲しい、幸せになって欲しいってそれだけで助けてくれるんだよ。欲も、見栄も、何の思惑もない。
だけど、それって、ナタリーもそうでさ。たぶんナタリーは俺が公爵家から勘当されても俺と一緒にいてくれる。それだけじゃなくて、ナタリーは他のやつじゃなくて『俺』がいいんだよ。そう考えたら、エリーのやつは相手が他のやつでもいいわけで……俺もやっぱりナタリーがいいんだ」
横顔に浮かんだ笑みが、満足していた。
「だからエリザベスには惹かれなかった?」
「……崇めろって言うなら、いくらでも崇めるよ? エリーは、そうだな、女神、とかそういう対象。誰にでも、だぞ? 普通はできない。当然手なんか出せない――ナイジェルは直接はやられてないけど、全部すっ飛ばしてそこに行ったんだと思う」
「すっとばして……崇めろって……エリザベスがそんなこと言うと思うのかよ」
「いや、思わないね。だけど、あれは俺には無理だってことだよ。ナイジェルが正しい。あいつのは直感だけど、生存本能だと思う。よくわかってるんだよ。エリーには普通の相手じゃ無理だ。魔王が欲しがるような子は、人なら国王になるようなやつじゃないと無理なんだろ」
「……身分がいるのか?」
自分にはそんな物はないけどエリザベスが好きだ――。
リュカは少し黙ってから、もう一度トリスタンを見た。
気の毒そうな顔になっている。
「あいつはさ……ウィリアムは個人である前に『王太子』だからかもな。
あいつに与えられる愛情って、損得勘定入りまくってそうだから、俺みたいに『ただいるだけでいい』って感じの愛情を感じたことは、それこそ全然なかったのかも。
それにあいつ、頭堅いし、けっこうナルシシストなとこあるから……エリーの存在も、国の為に有益だと思ったとか。
ジジイが隠してるから俺は正確には知らないけど、エリーのアレ、絶対白魔法じゃなくて聖魔法だろ? あれを見て『守らないと』って思わない王じゃマズいだろ……国王陛下だってあの場にいて見ていたらエリーを『魔王』にくれてやろうだなんて思わなかったんじゃないか?
実際俺だって、自主謹慎って名目でジジイに自宅謹慎させられていなかったら、陛下に聖魔法の話をしていたと思う。サリーなんかじゃなくて、エリーが本物なんだ、さっさとウィルの相手にしてしまえって思ったよ。
頭が冷えてからエリーがものすごく嫌がってたのを思い出してやめたけど。逃げられたらマズい。ジジイが『家出』はいいが、『国外に出るな』って言ってた理由はたぶんそれなんだろうな。
リナリア王国のこともあるし――くそ、あの王子、いつか絶対呪ってやる」
リュカが国王に聖魔法のことを話さなかったことにトリスタンはほっと胸をなでおろした。祖父は本当に何でもよくわかっている。
ついでに、あの王子をネズミに変えるのはリュカが呪いをかけ終えた後にしよう、と考え直してから会話に戻った。
「愛情の種類はともかくとして、王太子だっていうのが理由なら、国民と秤にかけたら国民を取るだろう?」
「まあ、そこは……王太子としての判断なら、な」
リュカの口調が重くなった。
「ウィリアムが国民を取ってないからエリザベスが困ってるんだよ。それに正気に返るのにリュカがナタリアに感じたような本当の愛情が必要なら、他の女の子と触れ合わないと感じられないってことだろ? なんとか妹の方に目を向けさせたいんだ」
そう言うと、リュカはトリスタンを睨んだ。
「お前、ウィルが他に目を向けないのは当然だろ」
「何で?」
長兄はますます怖い顔になった。
「相手が悪すぎだろ……エリーは恩人で友達だ。『魔王』のとこに行った後でエリーがどんな目に遭うか考えろよ。ウィルじゃなくたって、俺たちは誰だって同じ判断をする」
「……え」
「その様子ならお前も聞いてるんだろ、エリーの行先。『ダンジョン』で相手が『魔王』だぞ? そう言われて『どうぞ』って送り出せるかよ。俺だってギリまで足搔く。ナタリーを泣かせる結果になっても、俺が止められるなら止めるよ」
そう、か。確かに。
祖父がエリザベスを送り出すつもりでいるのはエリザベスを狙っている『魔王』なんて本当はいない、と知っているからで、国王たちがエリザベスを送り出すつもりでいるのは『魔王』が恐ろしいからだ。
そう考えると、エリザベスが嫁に行くつもりでいるのは……なんでだろう。
「……そこ、説明したらあの王太子を説得してくれる? 『兄ちゃん』」
「……ここでそう来るか。末っ子だけにお前はいつも詰めが甘いんだよ。相談には乗るから全部吐け。どうせジジイと親父もグルだろ。とりあえず、エリーがうちの厨房に出入りしてる理由からだ」
頼もしい長兄は、空になったゼリーの器をテーブルに置いてにやりと笑った。




