241. 引きこもり予備軍
「エリー!? エリー、どうしたの――どこに行くの?」
リディアの声を背中に、足を速める。
「ひとりになりたいの」
「ひとりにって――でも、どうするの――話し合いは!?」
「……結論はもう出ているみたい」
「えええ!? だってまだ全然――ちょっと、トリスタン? 何とか言って――」
応接室を出て廊下の祖父たちの間をすり抜ける。
外に出る扉のところでエリックに肘を掴まれた。
「エリー? どこに行くんだ」
「ひとりになりたいの――遠くへは行かないから、離して」
「それは構わないけど――ひとりでってわけにはいかないだろう? 一緒に行くよ」
「それならあなたじゃなくてレイラに来てもらいたい――いいでしょ?」
無言になったエリックが問いかけるような瞳を向けてくる。
「遠くには行かないわ――私が変身できないの、知っているでしょう?」
それでも放してくれないエリックにちょっとだけ内情を話す。目ざといこの人はきっと気付いているはずだから。
「……たとえ領地の外に出ようとしたって、お祖父様がいるもの。もう戻って来ない可能性があるってわかっている今の状態で、私をここから出すわけがない」
しぶしぶ、離してもらった腕を振ってから、両手でドレスのスカートを持ち上げる――無駄になった装いは今は邪魔なだけだ。
あんなふうに見つめてくれたのはほんの数日前のことなのに。
そのまま外に出ると黒豹のレイラが小走りで出てきて横に並んだ。
「エリー? どうだったの? トリスタン、なんだって――離婚したりしないんでしょう?」
「――一緒にいることを強要することはできないわ」
「ってことは、それを見てもトリスタンはまだ別れるって言い張ってるの!?」
「言い張ってるわけじゃない。どっちかというと落ちついているわ」
「落ちついて――? 嘘でしょ? トリスタンが落ちついた状態でエリーと別れるなんて言うわけないわ」
「後で自分で聞いてみればいいわ――私は一度でたくさんだけど」
あんなにはっきりとした拒絶をトリスタンから受けるなんて。
父のことまで思い出したせいで自分が混乱していることは確かだけれど、トリスタンの言葉と態度はそれ以上で、崩れそうになる心を叱咤して足を進める。
まだだ。まだ、ダメ。
「それに今は――私もショックが大きすぎてちゃんと考えられないから」
「それはそうだろうけど――一緒に話し合いましょ? いい考えが浮かぶかも」
答えずに歩いていたら立ち塞がれた。
ため息を吐く。
「今は無理――だから」
「だから?」
「余計なことも思い出したし――ぐちゃぐちゃなの。だから少しひとりになりたいのよ――そのくらいはいいでしょう?」
声が震えて、限界が近いのがわかる。
また立ち塞がろうとするレイラを押しのけるようにして歩いた。
「エリー――どこまで行くの?」
「そこまで――」
「『そこ』って?」
さらに歩き続けると、レイラは少しそわそわしてきた。
「ねえ、エリー? 『そこ』って?」
「そこはそこ、よ」
「でもエリー、こっちって――」
「絶対的にひとりになれる場所――どれだけ泣いたって誰にも迷惑が掛からない場所よ。じゃあ、行って来るわ――」
「ちょっと、エリー! あたしは入れないのよ――登録してないから無理――」
「知ってるわ。『ひとりになりたい』って言ったでしょう?」
「そんな――ちょっと待ってよ――」
目の前の完成したばかりの建物を見上げる。
「ことと次第によったらこのまま伯父様の仲間に入れてもらうことにするわ。引きこもりが一人増えたって絶対問題ないはずだもの」
「それってどういう意味――きゃっ」
背後のドアで弾かれたらしいレイラをそのままそこに残して、エリザベスは次の真新しい木の扉を開けた。階段を降りる。
硫黄の臭いと滝の音。
そのまま進んでまた階層を下る。
もっと進む。
目当てはあの泉だ。あそこなら行けるのはナイジェルとリディアだけだし、それだってエリザベスが水を汲んで来て欲しいと頼まない限り行かないから、泣こうがわめこうが自由だから。
まっすぐに泉まで歩いた。
木漏れ日に光る水面は今日も穏やかできれい――だけど。
水面に向かって大きく息を吐き、流れ出す静かな水をのぞき込む――よし。
もう、いい。ここでなら。
自分に泣くことを許した――はずだったけど、とっくに我慢は限界を超えていて。
いつからかわからないけれど、ただただ頬を伝って落ちる涙と一緒にさっき聞いた言葉が回る。
涙と一緒に記憶も出て行ってくれればいいのに。
冷たい流れに両手を入れて水をすくい、パシャパシャと顔を洗ってみたけれど、またすぐに涙は出てくる。
ぽつり、と呟いた。
「……なんで?」
涙と一緒に、今度は言葉もボロボロ出てきた。
「生まれ変わってまでわざわざここまできて、なんでこんな目に遭うの? お父様はなんでちゃんとお母様とお話ししなかったの? なんで私のことちゃんと――なんで、あんな目で見て――なんで――。
トリスタンまで――なんでちゃんと話してくれないの? こんなに突然、なんで、なんで突然私のこと、いらなくなったりするの? 私のこと、選んでくれたんじゃなかったの?
散々期待させて、待たせて、それがこんな結末だなんて酷すぎる。
どうしてなの? なんで――私だけって言ったのに、こんなに簡単に――魔法が解けたみたいに――」
自分の口から出た言葉にどきりとした。
もう一度澄んだ泉をのぞき込む。
揺れる水面から見返して来るのは、人形みたいに整った顔。見た目と能力以外は誰からも求められない、飾り物。ほんの一時誰かを惹きつけることはできても、長続きしないまがいもの――。
手を差し込んで揺れる水面の像をさらに壊した。
本当に、最初から全部自分のせいだったら――?
だって、『触らないでくれ』って、言われた。
あんな辛そうな顔で、あんな辛そうな声で。
「そりゃ、私、会った時いきなりトリスタンに魔法を使ったけど、それはトリスタンが怪我をしていたからだし、虜にしようとかそういうつもりはなかったわ。あの時はそんなおまけがあるなんて知らなかったし――七歳だったのよ?」
でも、そういうことだったら。
『私と別れた後で誰に(・・)会ったの?』
そう聞いたのは、その出会った誰かに私と別れるようにそそのかされたんだと思ったからで――『正気に戻してくれるような誰かに会ったのか』って意味じゃない。
だけど、『自分の気持ちで選びたい』『それは、君じゃない』って言われたのは、トリスタンが本来だったら望んでいたはずの人を見つけたからで――魔法が解けたから、なの?
あの瞳の中の恐怖は、私がトリスタンのことをずっと操っていたんだと気がついたから――だとしたら。
リュカも、ナイジェルも、エリックも、自分が誰を好きなのかちゃんとわかっていた。
だからエリザベスがあれを使っても惑わされることはなかった。
でもトリスタンは違う。
「トリスタンも、誰かを、見つけたの? だから、私のこと――いらなくなったの?」
じゃあ、自分は。
「私の居場所は、ここじゃなかったの?」
身体の中に穴が開いたような感覚。大切なものはみんなそこから零れ落ちてしまって、どんどん空っぽになってしまう――。
どうして。
こんな状態でいいはずがない。だけど、そうだとしたら、とてもかなわない。
だけどあんなに幸せだったから。嬉しそうだったから。自分のことを望んでくれたから。
だけど。
だけどそれなら、筋は通る。
その場にしゃがみ込んで目を閉じるとその目じりからまた涙が落ちる――。
「一人ぼっち、なの?」
呟いて、ゆっくりと小さく首を振る。
もう一度泉で顔を洗った。
『呪いの解呪についてなら――どうしても必要な時は王都に使いを出します。その時は――ご協力いただければ、と願っております』
そう言われた。
だけどそんな関わり方――自分に、できるのだろうか。こんな気持ちを抱えたままで、自分以外の誰かを選んだトリスタンの幸せを心から願える?
とてもできそうにない。
だけど、それが自分にできる精一杯のこと――みたい。
「迷惑料……かな」
今は、やっぱりできそうにないけど。
「ここを出て行くことになるなら――せめてもう一度ルーク伯父様に会いたかった」
「ほう? 『出て行く』のは難しいだろうが、まずはその理由を教えてもらってもいいか?」




