229. 父親
「――え?」
「お義母様がお父様を好きなように、お母様がお父様を好きだったように、私はトリスタンが好きなの――だから、ウィルベリー公爵家には戻りたくないし、他のどこにも嫁ぎ直したくないの」
「え?」
「もしお願いできるなら、一つだけ――」
「え? え? ええ――もちろんなんだって――」
まだ目をぱちぱちさせている義母にちょっと笑って見せる。
「私とトリスタンの結婚を祝福していただけないかしら。両親として――お願い」
そういえば、娘としてこの人に何かを頼むのは初めてだ――。
「お義母様?」
「え? ええ――何?」
「お父様を説得して下さらない? 私、お父様には嫌われているんだとばかり――」
目の高さは変わらないけれど、両手を組み合わせていくぶん下から見上げる――それはキャサリンのおねだりポーズだ。
趣旨を解したオリヴィアの顔がぱあっと明るくなる。
「ええ――ええ、もちろん――でもエリー、あなたはそれでいいの? 望めばどこの国の王妃にだってなれるのよ――もちろんここ意外ですけど」
慌てたように最後を付け加える。
「お義母様ったら――なりたかったらどうすればよかったか、ご存知でしょう?」
自分がウィリアムの妻になる方法を知らなかったわけがない。
軽く睨んで言うと、オリヴィアは嬉しそうに驚いてみせた。
「あら――まあ――そうよね。そうだったわ――じゃあ、いいのね?」
「ええ、もちろん。だけどお父様の説得の方は早めにお願いできるかしら。この大騒ぎが終わったら、できるだけ早く帰りたいの。二人で」
「本当なのね――あなたが幸せで、そうしたいっていうのなら、もちろん協力するわ」
「ありがとう――サリーに感謝しなきゃ。もっと早く話せたらよかった――あの子、さすがの王太子妃ね。きっと人間関係をただす天性の才能があるのよ。アリーの交渉術も本当にすごいし」
は~、と息を吐きながら言うと、オリヴィアが笑った。
「あなたこそ、でしょうに。あんなに遠くにいながらリナリアとハリオネスとモルドネシアの三国それぞれの優位に立てるようなことができるなんて――さすが国際政策部門のウィルベリー家の長女よ。どうしてジークの娘じゃないなんて疑えたのかわからないわ」
首を振りながら呆れたように笑う。
「あれはトリスタンのおかげよ。私のために領地に不審人物が入り込んでいないか毎日チェックしてるから――お祖父様もすごく過保護なの。着いた頃なんて、二人の目がないと外も歩けなかったんだから」
「あなたを守るなら当然よ――でも、それを聞いたらジークは少し安心するかもしれないわ。それでもあなたたちの結婚に賛成できるかどうかは難しいでしょうけれど。とにかく話してみるわね」
「ありがとう、お義母様。お願いします」
こんなに話しやすいなんて、お互い憑き物が落ちた感じだ。
呪いの解呪とは違うみたいだけれど、すごく楽になった。
にこやかに笑って扉を開けると、『待ちくたびれたわ』って顔をしたアリアンヌが待っていた。
いそいそと戻るオリヴィアの後からゆっくり歩く。
本当に本当かしら――そう思いながら聞いてみた。
「ねえ、アリー? ――このところのお父様は、お元気?」
「相変わらずよ――お姉様のことになるといつも怒った顔」
それは驚きだ。怒った顔が、ではないけれど。
「私のことなんて、話すことがあるの? あの人」
「あら、話すわよ? お姉様から手紙が来た時とか――『困り事か?』って必ず聞かれるわ」
『元気か?』でも『どうしてる?』でもなく『困り事か?』か――あの人らしい。
「で?」
「私が『元気そうよ』って言うと『そうか』って、それだけ――気になるなら自分で聞けばいいのに」
「私のことなんて気にならないんだと思ってたけど?」
「気になるのよ。毎回必ず(・)聞かれるもの。ものすごく不機嫌そうに」
そうなの?
「今度『死にかけてるみたい』って言ってみて」
ふと思いついてそう言ったら、途端にアリアンヌが吹き出した。
「いいの? お父様すっ飛んで行くわよ?」
「あの人はすっ飛んできたりしないわよ?」
「行くわよ。お祖父様のところに――一度やったもの」
やった?
「どういうこと?」
「あんまりしつこいから、一度『酷い風邪で寝込んでいるみたい』って言ってみたのよ。そしたらあっという間に出て行って――五分で戻って来たんだけど、ものすごく叱られたの」
どういうことかわからずに首を傾げた。
「お父様、アーノルドお祖父様のところに行ったのよ――あそこには『玉』があるから、お姉様が元気なのは一目瞭然でしょう? で、戻ってきてお説教よ。『お前もメアリーアンの娘なのに。血を分けた姉のことで嘘を吐くな』って。だからお姉様のことはものすごく気にしてる」
なるほど――。
「ねえ、お姉様? 私はサリーじゃないし、無理はしなくていいと思うけれど、一度うちに泊まりに来てお父様とゆっくり話してみたらどうかしら。あの断罪イベントの時の水色のドレスだって――お父様、お姉様が部屋に置いていったのを知って愕然としていたわ。『どうしてあの子はいつもいつも……』って言ってた」
言われて眉を寄せる。どういう意味だろう。
「だって嫁ぎ先を考えてよ。邪魔だもの――エプロンの一枚でもくれた方がよっぽど役に立つのに」
確かトリスタンにもそう言ったはずだ。馬車の中で。
「『生活に困ったら売ればいいのに』って」
「生活には困らないわ。準備したもの。それに売るような場所がないわ」
「お父様は知らないもの」
アリアンヌが呆れ顔を作る。
「……ねえ、お父様って私のこと、毛嫌いしていたわよね? いつもぞっとしたような顔をして見ていた。そうじゃないなら怒ってた。私が何をしても気に入らなくて、どんなにうまくやっても、失敗すればいいのに、ってそんな顔」
「エリー、そういうのは本人に聞いた方がいいと思うわよ」
「とりあえずそれは嫌――あんな顔をされるのは――拒絶されるのはごめんだわ。たとえ今は帰る場所が他にあっても、傷つかないわけじゃないのよ。それにあの人、トリスタンにものすごく失礼なんだもの」
嫌そう~な顔になって眉を寄せたエリザベスを見て、アリアンヌは首を振った。
「それは仕方ないわよ」
「なんでよ?」
「娘の夫よ? ――入り婿のユージーンに当たるわけにはいかないじゃない。それにウィリアム殿下にも。お義兄様しか当たり所はないわ」
「えええええ?」
「それに、お父様ってお義母様以上に思い込んでいるところがあるから――お姉様はお義兄様のことを好きなんだ、って全然わかろうとしないのよ。私、手紙が来る度に何度も言ったのよ? 『幸せそうだ』って。
お義兄様、会うたびにあれに睨まれて本当にお気の毒。今頃大変かもしれないわよ? お姉様の防波堤がない――」
それは大変――。
「アリー、私すぐ戻るわ――」
慌てて足を速めたエリザベスの背中に、アリアンヌの笑い声が響いた。




