21. 使い魔
祖父が向かったのはエリザベスの部屋だった。
来たことがあるのかな?
迷わず進む様子にトリスタンは首をかしげた。
中に入るとマリーが椅子を運んできて、みんなでテーブルを囲む様子。
しかもそのままマリーもドアの前に待機した。
どうやら彼女も込みで何かの仲間らしいと察する。
トリスタンはエリザベスのベッドの上に飛び乗って座った。
どう考えても祖父は気づいている。
トリスタンの正体をばらして叱るつもりなら最初にやっているだろうし、今は猫のフリが正解だよね――たぶん。
「さての、エリザベス、アリアンヌ。元気そうで何よりじゃ。特にエリザベス、無理はするなと言ったはずじゃ――今回は、助かったが」
重い息を吐きながらちらりと視線をよこしたのはトリスタンの方だ。
目を伏せる。身体も伏せた。
自分を助けるためにエリザベスが無理をしたこと。それについて言われているのはわかっている。心配させたことも。
わざとではないけれど、やっぱり申し訳ないと思った。
「ジークフリートに変わりはないのじゃろう?」
そんな内心のトリスタンには構わず、祖父は話を進めた。
「はい。おじいさま。でもわたし――」
「よいよい、アリアンヌ。大人に任せておればよい。法務部に密偵を頼んでおいたわい。ユージーンにも連絡済みじゃ」
「ユージーン……どなたですの?」
「おや、エリザベスは会ったことがないのか? 国際政策部のナンバーツーじゃよ。まだ若いが頭の回る男での、アリアンヌは知っとるか?」
「はい。たしかぎん色のめがねの……」
「うむうむ、さすが目の付け所が良い」
嬉しそうに祖父が頷くと、アリアンヌの顔が引きつった。
笑っているのになんだか怖がられているようだ。
「あの、お祖父様、襲われた従兄のことは、何かわかったのですか?」
「あ~……アレについての詳細はこれからじゃ。元気でおるようだが」
コホン、という咳払いにさらに低く伏せる。
はい。ここにいます。
「元気なのですか。よかった! 知らせを聞いて心配していたんですよ」
え、ほんと?
エリザベスの声は本当に明るくて、トリスタンは嬉しくなった。
見ず知らずの自分のことを心配してくれるなんて、ほんと優しい子――。
「パートリッジ公爵家はイケメン五人組、ってアイドル設定だったのにどうなっちゃうのかと思って……」
ん? ……エリザベスが嬉しそうだからまあ、いいか。
「それなんだがのう。当面は四人ということになりそうじゃ」
「え?」
テーブルの周りで顔を見合わせる人たち。
「襲われたのは末っ子でな。跡目争いに関わりない、としてあった子じゃったもんで、このまま身を隠した方がいいかもしれん、という話になっての」
「それならやっぱりしかえしじゃ……」
妹が割って入る。
「まあ、そういう可能性もあるが、うちもいろいろあっての、アリアンヌ。とにかくお前が関わるのはまだまだ早い。せめて学校を卒業せんとな」
「でもおじいさま、うちのお父さまってぼんくら……」
「お祖父様、お父様はここにいていいのですか?」
エリザベスが妹の言葉を急いで遮り、祖父が妹の方にゆっくりと頷いて見せた。
公爵、娘目線でもぼんくら決定か~。この家、ほんと大変そう。
「その方がええ。疑っていると思われては尻尾も出んからの」
「うちのトップなのに、お飾り……?」
「ま、そうともいうがの」
はあ、と姉妹のため息が重なった。
「そんなわけでの、国は動いておるので何も気にせんでええのでな、これまで通りそれぞれ勉学に励め、な」
祖父が笑う。
「なにも気にしない、のはムリです。おじいさま。お姉さまったら本当にけいかいしんがないのですもの!」
怒り交じりのアリアンヌの大きな声に祖父が苦笑した。
トリスタンのことを言っているのだとわかったのだ。
「あ~、そうじゃの、その『黒猫』のことは……とりあえず大丈夫なのでな……しかしなんでここにそいつがおる?」
「きのうお姉さまがひろってきたのよ。でも、それ、『猫』じゃないでしょ。なのに猫のフリをしてるの。わたし、だめだって言ったのに……お姉さまったらけっきょくいっしょにねたんでしょう?」
え、『猫』じゃないってバレてるの? それって――どこまで気づかれてるんだ?
「うむ、まあ、『豹』じゃし……『猫』に見えなくもないがのう……」
ドキリとしても顔には出にくい――本当に黒豹でよかったと思う。
祖父も言い淀んだ。
「ヒョウ? おじいさま、ヒョウって?」
アリアンヌは『豹』を知らないらしい。
「そこはいいのよ。この子は私の使い魔だから」
エリザベスが言うと、祖父の目が大きくなった。
「使い魔!?」
わずかに驚きの感じられる声に精一杯身を低くする。
これ以上くっついたらベッドの上掛けと一体化しそうだ。
「そうなのよ、おじいさま。どう思う? お姉さまったら……あぶない生き物かもしれないのに」
「それは『豹』だもの、危ないだろうけどまだ小さいし……それにもう名前を付けたから、大丈夫なの。言葉も通じてるし、頼んだらちゃんと猫のフリをしてくれたもの。お利口さんなのよ」
トリスタンの方を見てにっこり笑う。
正体がバレていたのかと心配していた緊張がその顔を見た途端に解けた。
……うん。やっぱかわいい。
にやけても顔には出にくいはず――本当に黒豹でよかったと思う。
エリザベスが話を進める。
「それでなんだけど、お祖父様……お父様を説得してくださらない? 猫じゃなくてちゃんとした使い魔だってわかれば一緒のテーブルでご飯を食べても嫌がられないと思うの」
「なんと、名前を付けた……猫のフリとな?」
祖父がじーっとこっちを見る。
あきらかに……咎めるような目だ。
うう、流石にもうこれ以上は下がれない。
「ねえおじいさま。わたしとってもしんぱいなの。ぜっっったいに猫じゃないって思ったし――この猫が――いいわ、そこは猫じゃなくて『ヒョウ』なのね? この『ヒョウ』がわるいことをしないように、おじいさまに、くびわをつけてほしいのよ」
妹の方の言葉に祖父が目を白黒させているが、黒髪の少女はそのまま話し続けた。
「だってお姉さまったらこの『ヒョウ』といっしょにねてるし、ひょっとしたらおふろだって――」
わわ、その話またするの――しかも祖父ちゃんの前でとか、やめて――。
特にやましいことは――今のところないけれど、さすがに追及されたくはない。
「アリアンヌ、もうよいよい。わかった、首輪じゃの、いいのをつけてやるからもう説明せんでええ」
祖父の言葉にほっと息をついたのはトリスタンも同じだ。
「エリザベス……拾った、と聞いたが、その辺に落ちとったわけではあるまい?」
「あっちの丘の向こうの川のところで……助けたの」
ふん。と祖父が鼻を鳴らした。
「あれは丘じゃのうて山じゃ。一人で行くには遠すぎるぞ」
心配そうな顔にエリザベスはちょっとだけ笑った。
「お祖父様ったら、また見ていらしたの? ……それでこんなに早く来てくれたのね――ありがとうございます。それに心配させてごめんなさい。
呼ばれたような気がして。行ってみたらナイトがいたの」
「ナイト?」
「この子の名前。私がつけたの。夜みたいにまっ黒だから」
祖父が横目でこっちを見た。
嘘をついている身なので、居心地が悪い。
トリスタンのお尻がムズムズした。
尻尾を揺らす。
もっと小さかった頃、祖父には「嘘をついたら尻に尻尾をつけてやる」としょっちゅう言われていた。
男五人兄弟なのだから、物を壊すことも誰がやったのか嘘をつくこともしょっちゅうで、実際犬のような尻尾をつけられた兄もいた。
あれはどの兄だったろう……二番目、いや、三番目のディミトリ、それとも四番目だったか。兄が喜ぶとすぐに揺れて心を暴露する尻尾にみんなで笑った覚えがある。
「まったく……」
呟いて祖父が立ち上がる。
「エリザベス、アリアンヌ、こやつに首輪をつけるでの、お前たちは終わりじゃ。戻りなさい。マリー、お前は残れ。手伝ってもらうことがある」
「お祖父様? 首輪って――まさかナイトに手荒なことは――」
「心配せんでええ。ちゃんと使い魔になっているか確認して、どのくらいのことができるか調べておくだけじゃ。まだ子どもじゃし、手荒なことなどせんよ」
晴れやかな顔でアリアンヌが、しぶしぶ、といった様子でエリザベスが出て行くと、祖父はすぐに盗聴透視防止の魔法を発動させた。
何度も見ているからよくわかる。
祖父は大きく息を吐いてからちらりとエリザベスの侍女に目を向けた。
「さて、マリー。わかっておると思うが、ここで見聞きしたことは――」
「一言たりとも漏らしません」
「よろしい」
ふんふんと頷いてこっちを見る。
「さて、トリスタン――何でお前がここにおる?」




