20. 祖父、来たる
夜と翌日の朝の食事の時間、『ただの黒猫』であるトリスタンをテーブルの上に乗せることは当然許されなかった。エリザベスの隣の椅子に乗っておとなしくただ待ち、エリザベスの部屋で後から別に食べた。
だけどほんと、よかった。
たとえ人間でも、あそこで一緒に食事とか、したくない。
見たところエリザベスの食卓マナーは、七歳にして完璧だ。
伸ばした背筋と音を立てないカトラリーの扱い方はまるで大人。
それを当たり前のものとしている父親と、当惑気味の継母、尊敬のまなざしの妹と、マナー教師に張り付かれて自分のことで精一杯のもう一人の妹。
なんなのかな、あの消化に悪そうな食卓。
幸い昼食時にはマナー教師はおらず、金髪の妹は楽しそうにのびのびと食事をしていた。母親にも笑顔がある。もと平民って言ってたな、と思い出す。
この夏の避暑を理由にしてマナーを学んでいるのだと思い当った。
なんだ、いいとこあるんだな、この父親。
そう思ってから祖父の言葉も思い出した――『やつらが己の恥を曝すのは構わんが、これ以上嫁入り前の大事な孫娘たちの評判に傷がついてはかなわん』
って、――もしや祖父ちゃんが暗躍したかな?
実際はエリザベス本人の力が大きいのだが、今の時点でトリスタンが気づくことはもちろんなかった。
食事の後はそれぞれ部屋で勉強――エリザベスはここでもすごかった。
計算が早い。トリスタンとは違って書いた数字も読みやすいし姿勢もきれいだ。
なにこの子。未来の王妃様でいいんじゃないの?
ついそう思ってしまって首を振った。
この子の隣にいたいなら、自分も頑張らなくては。
テーブルでエリザベスが書いていく数字を追う。上下に重ねられた数字を足す、引く。エリザベスの方が速いけれどついていける。
だけど、かける、が違った。速い。全く追いつけない。何かが違う。
これは自信なくしそう……肩が落ちた。
算術の後は綴り方だった。
白い紙に丁寧な文字で書いているのは手紙のようだ。
見たらだめだろうな。そう思って視線を外したけれど、小さく呟きながら書いていたので内容はわかった。近況を伝える手紙だ。
祖母宛――つまりトリスタンの祖母だ。
ふんわりした優しい笑顔を思い出す。
……僕が元気だって伝えたい。
祖父が来てくれたら、きっとわかってくれるし伝えてくれると思う。だけど、襲撃事件の後だから忙しくてきっと当分来てくれないだろう。
きっと心配してる。
そう思ったらいてもたってもいられなくなって、ちょっと悩んで、悪戯させてもらうことにした。
エリザベスが手紙を書き終えたタイミングを見計らって、尻尾でインク壺を倒した。
「キャー! ナイトっ! ダメよ!」
あわててエリザベスが侍女件教師のマリーと拭くものを持ってくるその隙に、前足をそっとインクに付けて、手紙の最後――エリザベスのサインの横にポン、と。
なかなかいい出来栄えだった。
祖父ちゃんなら気づいてくれるかもしれない。
あの人の能力はいろいろ化け物並みだから。
「みゃ~」
精一杯すまなそうに耳を伏せて謝っているようにみせる。
「もう、仕方ない子ね。私がお勉強の間つまらなかったのね?」
少しだけ唇を突き出し、首をかしげて軽く睨んできた――。
なにそれ、めちゃかわいい。いたずらしたのにご褒美ですか?
しかも抱きあげられて石鹸水で前足を丁寧に洗ってもらった――。
またしてもいい匂い――。
なんなのこれ、昇天しそう。
勝手に喉がグルグルと……。僕、黒豹でよかったな~。
すべて片付いた後で、トリスタンの前足のサインが自分の名前の横に並んでいるのに気づいたエリザベスは、目を丸くしてトリスタンを見てから吹き出した。
「あなたのことを書いたからちょうどよかったわ。お祖母様も喜んでくれると思う」
ふふっと笑って頭を撫でてくれた。
……。
も、いっぱいいっぱい。
そして午前十時――庭のテーブルを囲んで一家団欒でのお茶の時間。
一家団欒とはいったものの、大きなテーブルの隣にもう一つ小ぶりなテーブルが準備されていて、エリザベスはそっちだ。
まるで仲間外れのような状態だしアリアンヌはあきらかに不服そうだけど、これはエリザベスから言い出したことだった。
トリスタンの「しつけ」と好みの把握のため。そして同じテーブルできちんと食事が取れるように練習するのだとか。
……そっちのテーブルに座っているキャサリンよりはまともにできるんだけどな。人でなら。
そう思いながらエリザベスの顔くらいの大きさの白い皿に丸く並んだ、一口大の小さなケーキを見つめた。
どれもすごくかわいいんだけど、正直惹かれない。
器に入れられた紅茶も熱そうだし苦そうだ。
黒豹でいる間、トリスタンの味覚と嗅覚は鋭くなるらしかった。
そのせいか冷たいものの方が食べやすい。辛みのある香辛料や熱い物は苦手だ。甘い物、苦い物も。
お茶の時間とか、飲むのも食べるのも面倒だから、僕の分はなくていいんだけど。
甘いものはもとからそんなに好きじゃないし、苦いお茶より水がいいし、僕のことは食事の時みたいに隣の椅子に座らせといてくれればそれでじゅうぶん。
どうにかそれを伝えたくて、テーブルに登らずに首を横に振って拒否を示しているんだけど、なかなか通じない。
そこに、招かれざる客がやってきた。
夏らしいとでも思っているのか、平民が被る麦藁の帽子を乗せた銀髪の頭に丸眼鏡。
見慣れた明るい偽笑顔。
「お義父様!?」(父親)
「お祖父様?」(エリザベス)
「おじいさま!」(アリアンヌ)
「ピギッ!?」(トリスタン)
とっさのことで猫のフリができなかったけど、たぶんみんな気付いてない……トリスタンを見るなり変な顔をした祖父ちゃん以外は。
トリスタンは椅子の上で縮こまり、テーブルの下に首を引っ込めた。そーっと頭を戻しながら覗く。
エリザベスとアリアンヌが祖父に駆け寄り、父親と義母親と義妹はその場に立ち上がった。
「あ~、堅苦しい挨拶はいらんよ。すぐ戻らねばならんのでな、ちょっと三に……二人に話があっただけでな。いいかの?」
エリザベスの父親にそう言ってからちらりと視線をよこしたのは間違いなくトリスタンの方だ。
「どうぞ――まさかいらっしゃるとは――一日遅れですが事件があったことは新聞で読みました。呼び出しは受けておりませんが、国際捜査が必要とお考えで?」
席を空けようとした父親に首を振る。
「そういったことは息子に任せておる。わしは隠居の身じゃ。話があるのもおぬしらではない。孫たちじゃ」
目を丸くした父親にもう一度首を振って、「ほれ、行くぞ」と歩きだす。
エリザベスとアリアンヌが祖父について邸内に入る――トリスタンも耳を伏せてその後ろに続いた。




