19. 妄想癖、かな
「そう? アンナがそう言うならそうするわね」
エリザベスが笑って受け合うと、黒髪の妹は少しだけホッとしたように笑顔を見せた。
トリスタンにはエリザベスを害する気持ちなんてないのに。恩人だし――とりあえず寝顔は見たいし見れる立場なのは嬉しいんだけど。
まあ、来るのが祖父ちゃんなら、何があったのかを話せれば、必要なことは父に知らせてくれるに違いない。
できるならその後もエリザベスのところに置いていってもらえるように……そこは誠心誠意頼もう。
「ところでアンナ、用事があったんじゃないの? この子――ナイトのことで来たんじゃないんでしょう?」
「そう。――あのね」
急に重々しい表情になった妹はベッドの側にあった椅子に腰かけた。
「お姉さまが『さんぽ』に行ったあとで、しんぶんがとどいたの。昨日のだってお父さまが言っていたんだけど……おうとでものすごいじけんがあったんですって」
「王都でものすごい事件?」
エリザベスが身を乗り出した。
「せいかのうたげの帰りに、おじいさまの家の馬車がぞくにおそわれたんですって――みんなころされて、いとこのお兄さまがひとり、ゆくえしれずだって」
思わず息を呑んだ。
幸い同じタイミングでエリザベスも同じ行動をしたので、気づかれなかったけれど。
では、やはり母は――。
「パートリッジ公爵家の馬車が賊に襲われたの!? 信じられない……」
エリザベスの当惑はわかる。
魔法部門を統括する公爵家の馬車を襲うなんて、通常ありえない。軍部のボルドウィン家もそうだ。返り討ちにあうのはあきらかだから。
しかも皆殺し。あきらかに計画的犯行で、それができる者の仕業だ。そんな人間はものすごく数が少ない。
「お父様は……お父様はなにかおっしゃっていた?」
ベッドから立ち上がったエリザベスを妹がじっと見つめる。
「しゃくいあらそいか、むすこばかりというのもたいへんだな、って。それともいがいとうらまれていたりするのか、と」
「爵位争い? 意外と恨まれて? では、お父様は……」
エリザベスが何か考える様子でうろうろと歩きだす。
トリスタンは五人兄弟で、そこに跡目争いがあるのはおそらく確かだ――妻たちによる小さな嫌味の応酬や兄たちの順位争いは――自分には無縁でも、日常茶飯事らしいことくらいはわかる。
その証拠に兄たちがトリスタンのところに遊びに来る時は必ず別々だ。
自分は末っ子だし、他の兄たちに比べて母の身分がぐっと低い。それに公爵家は継がないことが決まっているから跡目争いには無関係。だからどの兄とだって遊べる――けれど、かち合って万一のことがあっては大変、ということだ。
「お姉さま。わたし、お父さまはなんにもわかっていないって思う」
「アンナ?」
「おじいさまは――きっと気づいていると思う。きっとおじさまも――パートリッジの人間だもの。お父さまは――、お父さまはどうしてあんなに『にぶい』のかしら」
……ふ。
妹の言葉にエリザベスの表情が緩んだ。
「あなたが鋭いのよ。まだ六歳なのに。さすがというかなんというか――やっぱり私たち、どうしてもシナリオには逆らえないみたい」
ため息だ。
「またそのおはなし? お姉さま。そのシナリオっていうの、本当にゆめじゃないの?」
「だったらいいんだけど……本当に、気が重いわ。キャサリンが学院に入って専門が別れる年までに私が王太子の婚約者になっていなかったら、夢だったってことなんだけど」
そう言うなり文字通り頭を抱えてしまった。
どういうことだろう。
「王子さまのこんやくしゃになるのがどうしてそんなにいやなの? キャシーよりずっといいおきさきさまになると思う」
「嫌よ。私は陰謀渦巻く政治社会の中で苦労するなんてごめんなの。たとえ自給自足でも田舎に引っ込んで穏やかに暮らしたい。その方がずっといいわ」
エリザベスは握り拳を作って言い切った。
え? 何それ、この子それが希望なの? 田舎暮らしの自給自足なんてものすごく似合わなそうなのに?
トリスタンの心が一気に軽くなった。
それって僕のお嫁さんにぴったり――。
グルグルと喉が鳴る。
「それに、言ったでしょ? 私は王妃にはなれないのよ。学院でキャシーをいじめていたことがバレて王子様に婚約を破棄されて辺境に追放されるのよ。王妃になるのはキャシー」
「でも、お姉さま。お姉さまは今までだってキャシーをいじめたことなんてないじゃない」
「そうだけど、それは私がキャシーをいじめたら、まさにシナリオ通りになって断罪追放の未来が待っているって知っているからなのよ。精一杯抵抗しているの」
……妄想癖でもあるのかな、この子。かわいいのに。
「なら、本当はいじめたいってことなのでしょう? どうせシナリオ通りになるなら、いじめてしまえばいいじゃない。わたし、あの子きらいよ」
ずばり言うなあ、こっちの妹。
「ダメよ! そりゃ私も最初はイラっとしたけど、悪いのはあの子じゃないんだから! あんなふうに連れて来たのはお父様だし、それだって最初からお母様と好きあっていたのではなくて、二人とも辛い思いをしていた、ってわかったんですもの――お父様に関しては許せない部分は残っているけれど、あの子は違う。
それに……あの子は断罪イベントで『国外追放』と『死刑』はダメだ、って私を庇ってくれるのよ」
……ものすごい妄想癖があるんだな、この子。かわいいのに。
ベッドの上に伏せておとなしく様子を窺うことにした。
「でもお姉さま、けっきょくいじめないのであれば、その『だんざいイベント』とやらはおこらないのでしょう? どうやってこんやくがダメになるのですか?」
うんうん。この妹、なかなか賢いな。
それに妄想につきあってあげるなんて優しいんだね。
「そこは……わからないけれど。とにかくすべてがあのゲームのシナリオ通りに運んでいるのよ。私は特性がバレた途端に王太子の婚約者。で、アンナは公爵家の跡取りの才能バッチリで揺るぎない。交換不能。本当に、恐ろしいほど設定通りなの」
「お父さまの子どもなんだからわたしがウィルベリーのとくせいを持っているのは当たりまえだと思うし、それを家のためにつかうのもいやじゃないわ。
お姉さまにはその、なんとかいでんってやつでおばあさまがわのとくせいが出ているのでしょう? それだっていいことなのに」
「隔世遺伝、よ。でもバレたら王家に飼い殺しなのよ? のんびり穏やかライフは絶っっっ対に手に入らないの」
「だったらおじいさまが言ったようにさっさとパートリッジのお兄さまたちのだれかとこんやくしてしまえばいいじゃない――もたもたしているうちにひとりへっちゃったのよ? えらべるうちにきめちゃえばいいのに」
おお。いいこと言うな、妹。
ちなみにおすすめは僕だし、減ってないよ。っていうか、祖父ちゃんは、そんな話もしてたのか……。
「ダメよ! パートリッジは公爵家よ? 政務に忙しい上に、魔法部門。お祖父様みたいな人たちなのよ。私の夢の穏やかのんびりライフなんて無理に決まってるわ!」
「……おじいさまみたいな? ……だんなさまには……むかないのね」
妹は青ざめてぶるりと体を震わせた。
なんでだ? 祖父ちゃんは一族きっての愛妻家だぞ? 結婚して何十年だか忘れたけど、いまだに祖母ちゃんにメロメロだぞ?
それに忙しいのは当主だけだから、僕はのんびり田舎暮らしで、ぴったりだよ?
「それに、現パートリッジ公爵様って奥さんが四人もいるって聞いたわ。公爵としての働きは申し分ないのかもしれないけど、絶対女好きのろくでなしよ。そんな父親を間近で見て育った子たちなのよ? 将来何人奥さんを作るかわからないわ――いくらイケメン揃いでも、乙女ゲーの攻略対象者なんていうのは遠くから見るだけがいいのよ」
父親……のことは突っ込めない。確かに奥さん四人だし。最後の一人は押しかけだけど。
でも、僕だったらエリザベスがいてくれたら他の妻なんて考えないのに。
あと、『乙女ゲーの攻略対象者』って、ものっすごく嫌な響きなんだけどなんだろう?
まあ、この二人の話が妄想のことばかりなら、もういいか――。
起きあがってベッドの足もとの方に移動すると、トリスタンはそこでくるりと丸くなった。
尻尾も身体に沿わせて丸く収める。
「……だからね、学院ではアンナもよ~く気をつけないといけないのよ。攻略対象者の十人はキャシーを優先するようにできてるんだから。で、私の押しはね……ちょっと見つけにくいんだけど……っていうのがあって……それから隠しキャラが……ここを押さえるとストーリーが……壁ドンっていうのは……このプレゼント作戦が……この時の待ち伏せがね……」
久し振りのやわらかいベッド。
エリザベスの匂いがして、エリザベスの声もする。
ここは安全。
将来の妻、エリザベス攻略の重大ポイントが駄々洩れであるのだが……トリスタンは気持ちよく夢の国に向かった。




