17. 少年、恋に落ちる
こんなにかわいい子――しかも白魔法を使えるなんて――絶対に自分の手が届く相手じゃない。
なにやら急に悲しくなって、胸が痛みだした。
見た目だけのことなら、それに裕福な平民の子どもだってことなら、自分にもチャンスがあったかもしれないのに。だけど白魔法を使える子が貴族じゃないなんてことは、まずありえないし、たとえあったとしても、将来は絶対にどこかの裕福な高位の貴族のお嫁さんだ。
自分の立場に心からガックリしたのは初めてだった。
それに関してため息を吐くのも。
せめて今だけでも、二人がずっと一緒にいられるような友達だって想像して、傷ついた心を慰め――。
さっきの言葉がひっかかった。
『やった! 名前がないのね? じゃあ私がつけてあげる』
『私の使い魔になってくれるといいんだけど』
眠っている女の子をじっと見つめた。
『あなた夜みたいにまっ黒』『艶々しててキレイ』
さっきのトリスタンは、いや、今の自分だって――人間のはずだ。
自分の体を見下ろすまでもない。女の子を抱えるのは猫サイズじゃ無理なんだから。
でも、この子は黒豹だと思っていた――?
だって、『名前をつける』、『使い魔に』って言葉はそうとしか思えない。
やり方は全然あってないけど――しかもトリスタンは人間だし、名前もちゃんとあるから使い魔にはなれないし――。
でもこの女の子は自分のことを使い魔にしたがっていたんだ。
そう脳が結論付けるまで三十秒。
使い魔になればこの子と一緒にいられるんだ。
沈んだ心が上向き、頬が緩むまでに十秒。
人間として自分の家に戻ることの危険性を考慮すること三秒。
合計四十三秒と、その後、うん、と頷いた間の後でトリスタンはもう一度黒豹に戻り、女の子の傍らで丸くなった。
「……まだ痛い?」
静かな声とゆっくり撫でる手。驚いて跳ね起きたトリスタンを見て、隣に座っていた女の子は手を引っ込めた。
どうやらうとうとしていたらしい。
「……おいで。怖くないよ。もう平気?」
ゆっくり近づくと、女の子はニコ、と小さく微笑んだ。
「治った、よね? お山に帰れる? それとも私と来るかな――」
「ピギ」
女の子が笑い出す。
「あなた、猫、よね? なんでそんな変わった鳴き声――あれ? 猫じゃないの? ずいぶん足が大きいし――トラ……じゃなくて、ライオン……じゃなくて、何だっけ。猛獣よね……まさかあなた、大きくなったら私を食べる? っていうか、まさかあなたのお父さんやお母さん、このあたりにいるの?」
さーっと女の子の顔から血の気が引いた。当たりを見回す様子は明らかに怯えている。
実際のところ、この国に野生の豹はいないはずだけれど、それをどうやって伝えよう。
とにかく座っている女の子の腰のあたりに急いで頭をすり寄せた。安心して欲しくて。
「……大丈夫、ってことよね? そうでしょ!?」
うんうん、と頷いて見せると、女の子は笑顔になった。
「あなた、ちゃんと私の言ってること、わかるのね?」
また頷く。
「やった! 使い魔、ゲットだぜ! ……じゃなくて、え~と? 今のなんだろう?」
なにやら拳を突き出す不審な動きをみせたあと、女の子はぶつぶつ呟きだした。
顔に似合わず、変わった子らしい。
とりあえず一緒に歩きだした。
「あなた、名前はナイトでよかった? 気に入らなかったら変えるわ――思いついたまま付けちゃったけど、男の子よね?」
どちらの質問にも頷いた。
「私はエリザベス。七歳よ。妹のアリアンヌには「リジー」って呼ばれてる。今は、だけど。
私が小さい頃、母がよくそう呼んでいたの。
父親ともう一人の妹のキャサリンとオリヴィア様――彼女は父の再婚相手で、今は新婚なのよ――あの三人は「ベス」って呼ぶわ。父親はたまに「エリー」って呼ぶ日もあるけど……みんな、一つにまとめればいいのにね。
妹のことも、前は「アリー」って呼んでいたんだけど、今は「アンナ」なのよ。
もう一人の、義母の連れ子のキャサリン――この子も父の子なんだけど、そっちの呼び方は今は「キャシー」なの。
私にはよくわからないけれど、その方が田舎の気分を味わえるんですって。キャサリンって本当に天真爛漫を絵にかいたような子――楽しいみたいだからいいんだけど。
そうそう、妹たちはどっちも六歳。黒髪の方がアンナ。金髪の方がキャシー……キャサリンよ。
父親はジークフリート。ジークフリート・レンドール・ウィルベリー。偉そうな名前でしょう? 私も本当はエリザベス・ローレン・ウィルベリーっていうの。この名前、ほんっと偉そうで嫌。この顔も」
聞き覚えのある名前にトリスタンは驚いて顔を上げた。
ウィルベリー公爵家。
噂の国際政策部のトップだ。
ウィルベリー公爵家は前の戦争で失策をやらかして当主夫妻と長男を亡くしている。そこをなんとか被害無く収めたのはトリスタンの祖父の手柄だ。
その後次男が王族の血を引く妻を娶ることで家を盛り立てようとしたものの――しかもその妻とはトリスタンの父方の叔母だ――結局男子の跡継ぎに恵まれないまま先立たれた。
その男が妻の喪が明けた直後に迎えた後妻は平民で、下の娘と変わらない歳の子どもまでいたのだと――。帰りがけに襲われた先日の夜会はその噂で持ちきりだった。
トリスタンの父親、現パートリッジ公爵家当主ローランドは、そんな妹の夫の醜聞に夜会の間中ずっと笑顔の面を顔に貼り付けたような顔をしていた。その面の下が般若なのは……珍しく隠せていなかった。
噂の当人たちは、亡くなったレディ・ウィルベリーの喪が明けた直後に一度だけ馬車で公園にやってきたらしい。が、そこで姿を見せた後は外出をせず、式も家族だけで挙げて領地に引っ込んだためにその人となりを詳しく知る人は少ない。
「なんとか引っ込めたが……やつらが己の恥を曝すのは構わんが、これ以上嫁入り前の大事な孫娘たちの評判に傷がついてはかなわんわい……」
夜会の噂だけではなく、祖父が以前そうぼやいていたところからも、ウィルベリー公爵はあまりよろしくない人物のようだった。
自分の名前と容姿に文句を言う女の子、エリザベスを見つめる。
名前のことはよくわからないけれど、顔はとても――ものすごくかわいいと思う。
それに、つまりこの子はトリスタンの従妹で……ウィルベリー公爵家の長女で……使い魔のフリをしてついて来るなんて、選択を早まったかもしれない。貴族社会に近すぎる。
眉を寄せたトリスタンは、つい先日父親と祖父が話していた言葉を思い出した。
「……ウィルベリーの長女だ。あの子だけは守らねばいかん。うちか、王家に入れるか――とにかくよそには出せん」
あの時は自分には関係のない話だと思ってろくに聞き耳も立てていなかったけれど、『うち』に入れる、それはつまり、五人兄弟の誰かのお嫁さんにもらいたい、ということに違いない。自分に当たる確立は五分の一ではないし、限りなく低いこともわかっている。けれど、ゼロではない。
このかわいくて優しい子が兄たちのうちの誰かのお嫁さんに――そんなの嫌だ。
本能的な不快感から鼻の上にしわが寄ったのがわかる。
うーん。だけど、よく考えてみればこれは未来のお嫁さんの趣味とか、好みとか、性格とかを知るチャンスかも? それにもともと望み薄なんだし、どうせダメなら今だけでも一緒にいられる方がいいって可能性も――。
え? 抜け駆け? なんのこと?
それに、ほら、実家は危険そうだし? ちゃんと大丈夫だってわかったら、実家に帰って五分の一に戻ればいい。
そこでここで知り得た情報を活かして自分をアピールすれば、兄たちの一歩先に出られるかも。
え? だから抜け駆け? そこはほら、末っ子だし。ハンデが必要だよね。うん。
五男の地位で十分満足していたことは忘れ、男の子特有の能天気さというか単純さを発揮して目先の幸せに釣られ、トリスタンは初めての恋心を抱えてエリザベスの隣を歩き続けた。




