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世界の終りまで君と  作者: 佑
第一部 第一章 理不尽な転生
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15. 生きようとする

 涙があふれた。

 だけどどうにもできない。


 この鷹に攻撃できなければ、巣に連れて行かれて、生きたままつつかれる。

 そんな死に方は嫌だ。だったら母と一緒に切り殺された方がよかった。


 血の代わりに落ちる涙で視界がぼやける。

 その滲んだ視界の左側がぼんやりと明るくなってきた。


 ああ、朝が来てしまう。


 トリスタンは動かすことができる左手で顔をこすった。ナイトイーグルが向かう先、朝日の方向に険しい崖のある山が見えた。


 まだ遠いけれど、きっとそこに巣がある。


 刻一刻と明るんでくる空。光の届いた地上に巨大な鷹に驚いて巣穴や物陰に飛び込む小動物たちの姿が見え始めた。


「お前たちじゃ、この鷹のご飯には小さ過ぎるよ。それに今日のご飯はどうやら僕だ」


 トリスタンは諦めとともにそう呟いて――はっとした。


 教わったばかりの魔法。


 母がいない時はやってはいけないと言われたけれど、あれなら――。


 ググっとナイトイーグルが羽に力を込めた。上昇するつもりなのだ。


 これ以上高度を上げられたら、落下の衝撃だってちょっとじゃすまないぞ――咄嗟に思いついたのは鳥だった。


 でもダメだ。

 空を飛んでもすぐにまた捕まえられてしまう。どちらにせよ肩を怪我しているからろくに飛べないし、そのまま地上に落ちたら格好の的だ。


 だとしたら少しでも着地のうまい生き物で、三本足でもそれなりに走れるやつ――次にトリスタンの頭に浮かんだのは猫だった。二階の窓の高さにある木の枝から、くるりと背を反して足から着地していた。

 お腹と額に集中すると、ほんのり熱くなる感覚がある。

 頭に猫の姿を思い浮かべた。


 ナイトイーグルの巨大な鉤爪から抜けられる大きさなら、実際の猫そのままで大丈夫そうだ。そう思う。


 だけど、もう少し足のしっかりしたやつがいいかもしれない。


 図鑑で見た豹が頭に浮かんだ。


 うん。あれならかっこいいし、ぴったりだ。

 自分と同じ真っ黒い毛と金色の瞳だった、あの豹。


 トリスタンが本当の豹を見たことがなく、図鑑は子ども向けで、具体的な動物の大きさの記述がなかったことが幸いした。

 ぐるりと自分の中身がひっくり返るような感覚の後で、ナイトイーグルの爪が肩からすっぽりと抜けたのがわかった。

 そしてトリスタンは一気に落下した。

 縮んだ獲物を落としたナイトイーグルが空中で羽ばたき、急カーブで戻ってこようとしているのが目の端に移った。

 トリスタンは自分が見たあの猫を思い浮かべながら体を回し、葉もまばらな木々の間にわずかに見えた茶色い草地に足から着地した。途端に右肩に重い痛みが走ったけれど、ほんの一瞬たじろいだだけで近くの藪の下に飛び込む。

 地面に伏せて息を殺す。

 今の自分が猫並みの大きさでナイトイーグルが獲物にするには小さすぎるのはわかっていたけれど、下手に動いて万一でもまたあの鷹につかまるのはごめんだった。

 逃げられた獲物を探して、頭上を大きな影が何度も横切る。

 何度目かの影の後で、少し離れた方向から蹄の音が響いた。恐怖に耐えきれずに走り出した鹿か、野生の牛がいたらしい。


 これでナイトイーグルの気は自分から完全にそれたはずだ。


 ホッと息を吐いた直後、新しい獲物が鋭い鉤爪に捕らえられ、けたたましい鳴き声が響いた。

 力強い羽ばたきの音とともにその声も遠ざかる。

 それでもトリスタンはそのまま藪の下で五百数えるまでじっとしていて、それからそろりと藪の下から這い出した。

 どんどん明るくなる空に励まされ、右肩を庇いながら歩きだす。

 あの鉤爪から放り出された時、トリスタンの目に移ったのは山に川、それから森と林とその先に広がる草地だけだった。けれど飛んでいる最中には、ぼんやりと月の光を跳ね返して光るスレート葺きの屋根のようなものも見えた。

 つまり、かなり遠いものの、人が住んでいるところがあるのだ。一日歩き続けてもたどり着けそうにない距離かもしれない。


 ――だけど、どうにかしてそこまで行かないと。


 小さな黒豹の姿の方が人間の子どもよりも動きやすそうだったので、そのまま歩いた。

 肩が痛むせいで下り坂を降りるのは辛かったけれど、できるだけ坂を下るように進んだ。水は重要だから。

 やがてたどり着いた小さな流れは澄んで光っていた。

 乾いた喉に冷たい水は美味しかったけれど、その冷たい流れを自在に縫い泳ぐ魚たちを捕まえることはできなかった。

 怪我をした肩が痛い。猫のように傷口を舐めてみても、痛みが減ることはなかった。

 口に入れられる物は水の他にはキイチゴくらいしかなかったけれど、ないよりマシだ。

 夏でよかったと思いながら、見つけるたびに口に入れて進む。

 夜は根っこの下がうろ(・・)のようになっている木の下で丸くなって眠った。

 次の日も一日そうやって歩いた。右肩の痛みは少しも引かず、地面に右の前足が着くたびに首から頭に抜けるような痛みが走った。

 たぶん熱もある。

 それでも痛みにも熱にも気づかないふりをして歩いた。足を止めたら、もう動けなくなってしまいそうだったから。

 三日目の朝、痛みは耐えがたいほどになっていた。

 どうにか川岸にたどり着いて水を口にする。

 右肩は腫れて、傷口からは嫌なにおいのする液体が垂れていた。


 今日たどり着けなかったら死ぬ――いや、たどり着けても死ぬのかもしれない。


 そんな考えが頭をよぎって泣きたいのを堪える。

 泣いたってどうにもならないから。

 どうせ死ぬのだから。

 それでも、草の間から自分の方を覗いている視線に気がついた時、トリスタンは戦慄した。

 今のトリスタンに何かと闘える力はない。


 よれよれでどろどろの自分は餌にするほどうまそうだとも思えないけれど、今度こそ死ぬんだな――あまり痛くないといいな。


 そう思いながら伏せて目を閉じた。


 これで、おわりか。


 けれど、ガサガサと草をかき分ける音の後、痛みがやってくることはなかった。

 目を開けると、ぼんやりと見えたのは白っぽい金色の髪の毛――人だ。


「私を呼んだのはあなた?」


 その高い声で、相手が自分とさほど変わらない年齢の女の子だということに気がついた。


 誰だろう。


 とりあえず返事をしよう。そう思って声を出そうとして、豹の泣き声がわからないことに気がついた。……鳴き声は考えていなかった。


 猫でいいかな。でも、流石に「にゃ~お」ってわけにもいかないような。

 前に聞いたとこがある子猫の泣き声は「ピキー」とか「プキャー」って感じだった……。


「……ピギ」


 できるだけそっと立てた音に、女の子が小さく身体を震わせた。


「……豚?」


 呟いて、三秒おいて笑い出す。

 空気を震わせてあたりに響くような軽い笑い声に、さっきまでの緊張が解けていった。

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