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世界の終りまで君と  作者: 佑
第一部 第一章 理不尽な転生
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1. 転生したのはいいけれど

 じっと鏡を見た。

 見返してくるのは、まだあどけない七歳の少女の顔。

 部屋の鏡台の前でおとなしく椅子に座り、プラチナブロンドの髪を侍女に結われている。

 将来を約束された整った顔つき。淡い水色の瞳、白い肌と血色のいい唇――。


 一年前に母親が亡くなって以来、ぽつりぽつりと『前世の記憶』としか思えないものを思い出すようになった。そのころから自分というものがなんだか覚束なくなって、毎日目が覚めるたびに確認する。これが自分の顔。何度朝が来ても、未来の美人間違いなしって感じの、見慣れたはずの自分の顔。

 そうやって鏡を見ると思う。

 どうしてこの子なんだろう――と。


 だって前世の記憶が本物で、自分が本当に魔法や身分制度、不思議な生き物たちの存在するファンタジー乙女ゲーの世界に転生したのだとしら、やっぱりそこはヒロインにじゃないの? ……いや、ヒロインになりたかったわけではない。だって記憶のゲーム通りならこれってハーレム可のヌルゲーだし、実際の世界でそれをやったら男にだらしないろくでなしだし。


 だけど。だけどさ、これはないよ。


 そう、どうせ転生するなら本編には関わらずに過ごせるモブとして生まれ変わって、イケメンを観察しつつ穏やかで楽しい人生を全うしたかった。


 っていうか、転生って楽しむためのものじゃないの?


 これまでに思い出した前世の自分のことを思う――あまり楽しい人生じゃなかったみたい。

 このゲームをやり込むことになったのは中学校と呼ばれている灰色で大きな学校でのいじめがきっかけだった。その後も人生で理不尽なことが起きるたびに、気分を上げてスッキリさせるために何度も活用させてもらったみたい。まさしくヌルゲーならではの活用法だ。


 いじめの始まりは、いじめられて落ち込んでいたクラスメイト――友達っていうほど仲のいい子でもなかったようだ――を見ていられなくなって、つい声をかけたことだった。それだって、たった二言だけ。


 「気にしない方がいいよ。どうせ誰でもいいんだから」


 その二言目で、翌日からいじめの対象者が増えた。――というより自分に移った。

 本当に誰でもよかったから。

 一言余計――それが真実ならなおさら余計。語らぬが花とはよく言ったもの。ひどく苦い教訓だった。


 記憶によるといじめは半年くらい続いて――その後なぜか他の子に移ったけれど、いじめられていた期間はやっぱり辛かった。ひそひそ囁く声や、視線、三歩以内に近づくと離れる子たち、物がなくなったり、汚されたり。

 はっきりとしたいじめがなくなった後も、中学校にいる間はずっと居心地が悪かった。

 下剋上ザマア要素バッチリでありながらも甘々な乙女ゲーはわかりやすい癒しで、はまるのが当然だったみたい。

 そして思うのは、あの時の現実であの子に声をかけたことに後悔はないけど――せっかく生まれ変わったこの世界でまで、またいじめられる側になりたいとは思えないってこと。

 つまり後の幸せが待っていてもヒロイン役は嫌だ。たとえ後でザマアができるとしても、そういうのはたくさん。

 当然だけど、いじめる側にもなりたくなかった。

 だから、部外者としてイケメン観察という美味しいところだけをじっくり楽しめるポジションがよかった。

 なのに――この容姿にこの名前。


 どうしてこの子なんだろう。


 とまた思う。

 だって残念ながら――転生したのは思いっきり本編関係者の、しかもヒロインに敵対する悪役令嬢のポジション。


 エリザベス・ローレン・ウィルベリー


 ため息が出そうになって鏡の中の自分の顔から視線をそらした。名前からして偉そう。

 両親の名前はジークフリート・レンドール・ウィルベリーとメアリーアン・ロザリア・ウィルベリー。

 この国に五つある限定公爵家の一つ、国際政策を預かるウィルベリー公爵家の長女だ。そしてそんな高位貴族の令嬢であるエリザベスは、見た目はいいが性格はものすごく悪かった。まあ、悪役令嬢なのだから当然だけれど――少なくともゲームをやったヒロイン目線の記憶では、絶対に好きになれないと断言できた。


 ゲームの舞台は主に学院――十二歳から十六歳、場合によっては十八歳までの子女が通う学校で、そこでは一、二年目は一般教養、三年目からは適性のある専門分野を中心に学ぶことになる。

 ゲームはヒロイン視点での学院生活三年目から開始され、ヒロインが十六歳から十八歳までのどこかでエンディングを迎えることになっていた。そのエンディング直前にエリザベスは断罪される。

 そしてそのゲーム世界でのエリザベスは、地位にものをいわせた権力と、整った容姿と、この世界では珍しい治癒魔法への適性に加えて、王太子の婚約者であるという立場に胡坐をかいて常に取り巻きを侍らせ、偉そうで高飛車な態度で周囲に接する、これぞ悪役って感じのわかりやす~い嫌な女だった。

 最終的にはもと平民のヒロイン――自分の異母妹――に追い落とされ、王太子に捨てられて追放される、まさに王道の役どころ。

 まあ、今自分が見ている鏡の中のエリザベスはまだ七歳。特に偉そうなところも何もない、ただのかわいらしい少女なのだけれど。


 自分は将来本当にあんなふうになる――のだろうか?


 この世界が本当にゲームの世界と同じだと仮定してのことだけれど、是非ともああはならずに成長したい。それに、いろいろ曖昧なところが多いとはいえ記憶付きでこの子に転生したってことは、たぶんそうしろってことなのだと思う。つまり断罪追放エンドを回避して、無事未来の王妃ポジに収まれ……と?

 鏡の中のエリザベスのかわいらしい眉が寄った。


 だけどそれってかなり大変そう。王妃とかって、昼寝をしながらなれる立場じゃなさそうだよね。


 ふう、と小さく息を吐くと、髪の毛を結ってリボンを結んでくれていた侍女兼お目付け役のマリーがニコ、と笑って「もう済みますよ、お嬢様」と言ってくれた。


「ありがとう」


 この部屋には自分たち二人の他には誰もいないけれど、相手だけに伝わるように小さな声でお礼を言った。侍女が穏やかな笑みを返す。

 身分制度のはっきりしているこの国では、通常なら家の住人が使用人にお礼の言葉をかけることはない。

 当然エリザベスも使用人のことは下の人間として見ていて、必要のない言葉はかけずに接してきた。主従の「主」なのだから、それが当たり前。

 それでも今のエリザベスが侍女にお礼を言うのは――ゲームのことを中心にぽつりぽつりと前世の記憶を思い出すようになったことを受けて、少し自分の行動を変えることにしたから。

 時折思い出す前世の記憶には本当のことかどうかわからないようないい加減なものもあったけれど、かなり鮮明なものもあった。思い出す順番はバラバラで、中には社会人として生活した時のものまで交ざっている。

 『記憶』に補強された思考は七歳の少女であるエリザベス本来の、割と単純で素直な思考を凌駕することも多い。だから今のエリザベスは七歳にして既に王子様のお妃様になることに憧れを抱いたりしない――残念だけど。

 王妃になったりしたらどんなに大変かなんてこともちゃんとわかるし、自分の未来は変えなければならない。だって『記憶』からの情報によれば、おそらく何もせずにこのまま成長すれば自分は『悪役令嬢』への道をまっしぐら――だ。


 今の自分がエリザベスなのは確かなのだし、せっかくの『記憶』なんだからそこはできるだけ活用しないと。


 活用することにした記憶――前世の社会では、「何かしてもらったらまずお礼」だった。けれど『悪役令嬢』のエリザベスは当然そんなことはしていなかった。

 だから一番身近にいる侍女のマリーを相手にそこから変えてみることにした。

 心が決まったのは母親の死から半年ほどたった朝のこと。今と同じように小さな声でお礼を言って笑ってみたら、マリーははっとしたように手を止めて、無言のまま頭を下げた。顔を上げた彼女の表情に安堵があり、瞳が潤んでいたのは、見間違いじゃない。

 思い返せば、あれはマリーにとっては冷たい人形のようだったエリザベスが初めて自分に対して心の中を表す言葉を喋った日だったのだと思う。

 あの頃のエリザベスは母親を亡くした悲しみと勝手によみがえってくる『記憶』、自分じゃない自分、娯楽のはずの『ゲーム』、その中での『悪役令嬢』という自分の将来を知ったショックで随分と混乱し、そんな中でも重要だとわかること――たった一人の保護者である厳格な父親の言いつけ――をひたすらに守っていた。大人の『記憶』を使えばそれは難しいことではなかったし、家政婦長への指示など本来は母がやっていた家政の部分では役に立つことだってできたけれど、そんなエリザベスには甘えられる相手なんていなかった。

 だから、誰に甘えることもしていなかった。心細くても、怖くても、さみしくても、ただひたすら耐えるだけ。

 そんな貴族然とした少女からの感謝の言葉と小さな笑顔――人間らしい行動。

 もしかしたらマリーの方も幼い少女らしからぬエリザベスへの対応に困っていたのかもしれない。


 母親が亡くなって間もなく、父親は『公爵令嬢だった母親がいなくなったのだから、必要なのは甘やかすばかりの乳母ではなく、娘たちを公爵令嬢としてきちんと躾けられる女性だ』と言ってエリザベスと妹のアリアンヌが慣れ親しんでいた乳母を首にしていた。 

 そしてエリザベス付きの侍女としてやってきたのがマリーだったのだ。

 マリーはエリザベスにつけられた教育係でもある。まだ若い女性ということもあり、彼女には母親や乳母のような温かさや甘えられる要素はなかった。

 当然そこに生じたのは、親しい人間を失って呆然とし、それと同時に身に覚えのない『記憶』に困惑する幼い少女と、経験の浅い教師兼侍女のぎこちない関係。

 マリーが屋敷に来た当初、エリザベスは、妹のアリアンヌ以外では一番近しい人間である父親の言いつけ通りに、主従としての関係のみを考えてマリーと接していた。

 ――そもそも、エリザベスは母の死以前も、父親に甘えたり簡単に要求を口にするような性格の子どもではなかった。

 いつからそうだったのかは思い出せないけれど、エリザベスは父親とは一定の距離を保ち、機嫌を損ねないように気を付ける、そんな控えめな子どもだった。

 それでもエリザベスは父親を嫌っていたわけではない。


 ただ、厳格な父親の機嫌を損ねたくなかったから。

 それに自分のことを気にかけてくれる人をこれ以上失いたくなかったから。


 母のいなくなった公爵家では当主である父親の言葉は絶対だった。

 けれど、こうしてわずかながらも心休まる時間をマリーと共有できるようになってから落ち着いて考えてみれば、最初から自分のことを気にかけてくれる人としてマリーを増やせばよかったのだとわかる。

 ――もちろん侍女の方から雇い主の令嬢に対して親しい態度を取ることなどはできないのだから、エリザベスが歩み寄ればよかっただけ。

 毎日小さなお礼の言葉を繰り返すうちに、朝の身支度の時間の空気はどんどん穏やかになり、髪の毛を梳かすブラシを持った手も、編み込む指も、日に日に優しくなっていった。

 マリーは日常での言葉使いやつづり方や計算など、勉強も教えてくれる。貴族社会の行儀作法については別に教師がつけられはしたものの、侍女として雇うにはありえないほど有能な人間で、そのせいか出会った頃のエリザベスにとっては堅苦しくて厳しい人だという印象があった。けれど、朝のお礼の言葉をきっかけに和らいだ空気は勉強時間にも影響を及ぼし、指導する声も日々柔らかくなっていき、勉強内容に融通もきかせてくれるようになった。「今日の綴り方は少なめにして詩の本を読みたい」など希望を言えば、可能な範囲で応えてくれる。

 侍女としての領分を越えてくるようなことはないけれど、微笑みも、他愛ない会話も増えて、上手にできるとたくさん褒めてくれるようにもなった。

 当然そうなれば勉強の進度も速くなる――『記憶』もかなり助けになったし。


 やっぱり人間関係においてお礼は基本ね。新しい記憶は間違っていないんだ。よし、こうやって少しずつ味方を増やして、どうにか将来の『悪役令嬢』を回避しよう。


 エリザベスはそう考えて心の中で頷いた。

 ただし、今のところお礼が言える使用人はマリーだけ。

 一度、食事の給仕をしてくれる第二従僕――彼らは執事や家主の家族に直接仕えているマリーのような使用人よりも位が低い――にもお礼を言ったら、テーブルの上座についていた父親がそれを聞きつけて、「使用人にお礼の言葉を言ってはいけない」ときつくたしなめられたのだ。

 父親のジークフリートはけして理不尽な人間ではない――とは思うけれど、特権階級のやり方に慣れていて、常識はこの世界での貴族社会にしっかり染まっている。娘にもそれを当然のものとして要求するのは当然だった。

 それからのエリザベスは慎重に――ほかの人間の目のないところ限定で、使用人には小さく微笑むことで感謝の意を表すようにした。


「さ、終わりましたよ」


 穏やかな声で言われて頷く。

 今日マリーが着せてくれたワンピースは、公爵家ならではの質もよく品のいいデザインのもの。

 もう一度鏡の中の自分を見てから、エリザベスは裾を翻したりしないように落ちついて立ち上がった。

 金の鎖で首に吊ってある母親の形見の指輪を服の上から押さえ、今日一日をうまく乗り切れますように、と祈り、大きく息を吐いた。

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