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初恋は妖精の悪戯

作者: 綿雪


 わたしの初恋は、七歳。相手は妖精だった。



 見上げれば、突き抜けるような青空が広がっていた。雲一つない。

 王宮で開催されるお茶会に参加したはいいけれど、大人たちが話してばかりで暇だなぁと庭園の片隅に腰掛けていた。同じ年頃の子供たちは皆王子様のもとへ行っていて、話し相手もいなかった。

 馬鹿みたいに空を見あげて暇を潰していると。


「!」


 王宮の窓から外を見ていた男の子と目が合った。

 目を覆い隠すような長い黒髪。その隙間から覗くのは、神秘的な赤い瞳。

 彼はものすごく驚いたようで、ずるっと窓枠にかけていたその手を滑らせた。


「――うわっ、」


 かなり身を乗り出していたその子の身体が窓から投げ出される。

 助けなくちゃと立ち上がり、手を広げたところで――わたしの記憶は途切れている。



 *



「ラジェスト辺境伯の娘は、悪魔に取り憑かれている」


 家族皆が揃った晩餐の席で、父が唐突にそんなことを言った。

 羊の肉を調理したスープをおいしく味わっていたわたしは、危うく匙を落としそうになる。慌てて落としかけた匙を掴み直した拍子に、肘をテーブルの角にぶつけて派手な音がした。

 哀れなものを見るような視線がわたしに集まる。


「何をやってるんだ……ジェシカ」

「……馬鹿な子。誰に似たのかしら」

「っ、もう少し可愛い娘を心配してくださっても罰は当たらないと思うんですが!? 父様母様!!」


 じんじんと痛む肘をさすりながら、冷たい両親に反論する。


「その程度で心配していたら、今頃私は心配のしすぎで過労死している」

「可愛い娘? そんなのどこにいるのかしら。お転婆でどうしようもない娘ならいるけれど」


 冷たい。けど、事実だ。


「んぐぐぅ……もういいです。それより先程の父様のお話。どういうことですか? わたしが悪魔に取り憑かれているって」


 ラジェスト辺境伯とはわたしの父のこと。その娘となればわたししかいない。わたしは一人娘だから。

 父は大きなため息を吐いた。


「社交界でのお前の評判だ」

「え!?」

「あ……駄目よ、旦那様。この子やっぱり喜んだわ」


 母も額に手を置いて大きなため息を吐いた。


「わたし悪魔に取り憑かれてるんですか!?」


 肘の痛みも忘れて身を乗り出せば、両親二人は揃ってため息を吐いた。昔からつくづく思うけれど、本当に仲良しな二人だ。


「……ジェシカ。お前は何のために王都に来ているか忘れているんじゃないだろうな」

「もちろんです! コレクションを充実させるためです!」

「お前の怪しげなコレクションをこれ以上充実させてたまるか! ……結婚相手を探すためだ」

「忘れるどころか、把握していなかったみたいね……何度も言ったはずなのだけど?」


 母が背筋が凍るような微笑を浮かべた。

 まずい。わたしは慌ててへらりと笑みを取り繕った。有力な貴族にごまをする下級貴族のように。


「あ、嘘嘘。きちんと覚えてます。結婚相手……そう、結婚相手を探すためでしたね! やだなぁ、昨日もちゃんとどっかの貴族のパーティーに参加したじゃないですか。何人かには声をかけられたし、()()()お話ししてきましたよ? ちゃんと探してますって。ええ、ええ、呪具屋巡りはそのついでですよね!」

「ついででも許した覚えはないんだがな……」

「そうそう聞いてください! 今日のこの羊のお肉は、商店街で仲良くなった精肉屋さんが頭蓋骨と一緒に売ってくれたんですよ! どうしても羊を捌いたあとの頭蓋骨が欲しいって言い続けた甲斐がありました!」

「当然のように城下に馴染んでいるわね……どこで教育を間違えたのかしら」


 両親が再び揃ってため息を吐く。

 いつものことなのでわたしはかまわず話を続ける。好きな話題というものは話し出したら止まらない。


「名前もつけたんですよ! プシー。可愛いでしょう? 今日は一緒に寝るんです! 一昨日買った呪い人形のサリーと一緒に枕元に置いて……ああっ、良い夢が見られそう!」


「お前はどうしてそう……はあ」

「パーティーでもこの調子で話してたなら変な噂が立つのも当然ね……はあ」


 なんだか諦めたような視線を向けられ、その日の晩餐は終わった。



 *



 ぎょろりと飛び出た赤い目と、真っ黒でもじゃもじゃな毛。猫によく似た見た目をしていて、その首もとにはわたしがつけた可愛らしい黄色のリボンがついている。にたりと牙を見せた口からは赤いものが滴っていて、とても可愛い。

 一番のお気に入りのぬいぐるみ・ルルだ。


「決して、本当に誓って、忘れていたわけじゃないのよ。結婚相手を探すってこと。でもね、ルル。わたしはどんな男の人を見ても魅力的に思えないのよ」


 夜。わたしは枕元に置いたルルに向かって話しかける。

 さすがのわたしもこの状況が人に見られたら恥ずかしいことは理解している。だから誰にも聞かれないよう小声で話す。


「母様は人と感性がずれてるって言うのよ。でも、そうじゃないの。知ってるでしょう、ルル。わたしはね、ずっと恋をしているの。初恋を忘れられないでいるの」


 ルルに頬ずりをすれば、ごわごわとした感触が肌を撫でた。

 慣れ親しんだその感触にわたしは目を閉じて、幼い頃の記憶を思い出す。


 わたしの初恋は、七歳。相手は妖精だった。

 王宮のお茶会で出会った、ルルのように黒い髪と赤い瞳を持つ男の子。

 彼は王宮の一室から落ちてきた。わたしは彼を受け止めようとしたけれど、それが上手くいったのかはよく分からない。気がついたらわたしは眠っていたのだ。暇を潰していた王宮の庭の片隅で。とっくにお茶会は終わっていて、両親に起こされて目が覚めた。

 出会ったはずの男の子はどこにもいなくて、上を見上げてみれば男の子が顔を出していたはずの窓はカーテンまでしっかり閉められていた。両親に訊ねても、そんな男の子は知らないと言われ、これは妖精に悪戯をされたのだとわたしは結論づけた。


 その後も王宮のお茶会にだけは意欲的に参加して、何度も同じ場所で空を見あげてみた。するとどうだろう。何回かに一度、その存在を感じる出来事があった。


 例えば、空を眺めている内に眠ってしまったとき。目を覚ましたら肩に見覚えのない毛布が掛かっていた。

 例えば、お腹がすいたなあと呟いたとき。空からキャンディの雨が降ってきた。

 例えば、その場所に行くまでに転んでしまって泣いていたとき。綺麗なハンカチが降ってきた。

 けれど、妖精がその姿を見せたのは初めて出会ったあの一度きりだけだった。


「……一目でもいいから、もう一度会いたいなあ」


 また、悪戯されても構わないから姿を見せてくれないだろうか。

 王宮でのお茶会は結構頻繁に開かれる。わたしが参加できるのはそのうちの数回だけ。辺境の地を守る立場なので、そうそう気軽に王都に来られないのだ。

 王都に来るのは年に一度、社交シーズンのほんの一時期だけだ。今回はわたしが社交界デビューしたこともあり、長めに滞在する予定。なので、いつもよりは多めに王宮のお茶会に参加できるはずだ。


「というか明日なんだけどね! うぅ~楽しみなような、怖いような……!」


 祈るようにルルをぎゅっと抱きしめる。

 結婚相手を探さなければならないことを忘れているわけじゃない。でも、明日一日ぐらい、少しサボってもいいだろう。いや、良くないだろうけど、確実に両親に説教をされるだろうけど、それを覚悟で妖精探しに全力を傾ける所存だ。


「だってね、ルル。妖精が見えるのは、子供だけなのよ」


 あれから九年。わたしはもう十六歳だ。子供というにはギリギリの年齢。社交界デビューも終えてしまったので、周りからは大人として扱われる。……だから、本当はもう手遅れなのかもしれない。妖精を見ることは一生叶わないのかもしれない。


「でも心は子供だし! 望みはあるはずよ! 今年を逃したら、――結婚してしまったら、それこそ望みはなくなっちゃうもの。頑張るわ!」


 ぎゅっと拳を握ったわたしは、羊(頭蓋骨)のプシーと呪い人形(目が抉れている)のサリーの隣にそっと黒猫(?)のルルを置いて、眠りについた。



 *



 王宮で開かれるお茶会の一番の目玉は、何と言っても第一王子だ。目玉と言っては失礼かもしれないが、心の中だけならば許されるだろう。

 透き通るような飴色の髪に、美しいお顔。そこに浮かぶのは眩しいぐらい爽やかな笑顔だ。いつお茶会に参加してもたくさんの人に囲まれていて、明るい太陽の下がよく似合う方である。

 ……そんなお方に、わたしは捕まっていた。


「ジェシカ嬢。甘い物は好き?」

「ええと……まあ、人並みに?」

「それなら良かった。たくさんあるから遠慮しないで食べていってね」


 そう言いながら、王子様は綺麗なケーキののったお皿をわたしに押し付けてくる。食えと?

 王族からのすすめに、しがない辺境伯の娘であるわたしに拒否権はない。ありがとうございますと礼を言って楚々と口に運ぶ。


「おいしい?」

「……はい」


 おいしいよ、そりゃあね。王宮のコックが腕によりをかけてつくってるんだもん。不味かったら問題だよ。

 でもね、そうじゃない。そうじゃないんだよ。わたしはこんな甘ったるい空間に用はないんだ。今日わたしが王宮に来た目的は妖精に会うため、それだけなの!

 何がどうしてこうなっているのか。……そんなのわたしが知りたいくらいだ。

 王宮に到着して早々、この王子様に出迎えられて逃がしてもらえないんだから。周囲からの視線が痛い。どうしてあんな子が、って顔してる。わたしだってそう思う。代われるものなら代わって欲しい。


「あのぅ、殿下。わたしばかりに構っていたら駄目なのではないでしょうか」


 恐る恐る進言してみる。

 王子様は恥ずかしげな、少し困ったような表情を浮かべた。


「……そうだよね。でも、君のそばから離れるのはなんだか名残惜しいんだ。だから、もう少し一緒にいさせてくれないかな」


 え、嫌だ。

 そう断れたらどれだけ良かったか。

 辺境伯の娘という地位はそれほど低いものではないけれど、王族の言葉を無碍にして平気で居られるほど高い地位でもない。両親に迷惑をかける可能性があると分かっていて、真っ向から否を唱える勇気はわたしにはない。それを分かっててこの王子様は発言しているのだろうか。分かっているのだとしたら厄介だし、分かっていないのならもっと厄介だ。結論、どっか行って欲しい。


 なんとか王子を引きはがすことに成功したのはお茶会が終わりに近づいた頃だった。さすがに他の人たちを全く無視してお茶会を終えるわけにはいかないからね。王子って大変だ。同情はしない。


「はあっ、はあ……っ!」


 わたしはさりげなくお茶会の部屋を抜け出し庭に出て、ダッシュでいつもの場所に向かう。こんなに走ったのは久し振りで、息が切れて苦しい。


 脇腹を痛めつつも走りに走って辿り着いたいつもの場所。庭園の片隅。高い木に囲まれて人目につきにくいその場所には、先客がいた。


「――――」


 その人は、わたしに背を向けて立っていた。

 すらりと伸びた長い手足。服装、骨格は男性のものだ。

 そして、風に揺れるのは――長い、黒髪。傾き始めた夕日を浴びて、絹のように艶めく。

 彼がゆっくりと振り向くと、わたしの心臓はどきりと大きく跳ねた。

 ――神秘的な赤の瞳が長い前髪の隙間から覗く。


「よう、せい……」


 声は掠れて震えていた。

 昔に出会った頃よりもずっと成長しているが、間違いない。この、()()()()()()()()()()()()()()は、わたしが恋した妖精のものだ。

 ああ――心臓が壊れそうなぐらいにどきどきしている。

 妖精は初めて出会ったときと同じように、驚いた顔をしていた。その表情を見ると、また姿を消してしまうんじゃないかと思って、わたしは慌ててその腕に抱きついた。


「あのっ! 少し、少しで良いので、お話してくれませんか!? ええと、わたしっ、わたしジェシカ・ラジェストと言います! えと、あと、ええと……!」


 どうしよう、話がまとまらない。話したいことはたくさんあるのに。上手く言葉にならない。息が苦しくて――って、そうか、走ってきたから息が整ってないんだ。ちょっと落ち着こう。いろんな意味で興奮してる。深呼吸だ、深呼吸。


「……知ってる」

「え?」


 すうはあ呼吸を繰り返していたら、妖精が美しい声で呟いた。

 知ってるって、何を?

 妖精は気まずそうな顔で、彼の腕をしっかり抱きしめるわたしの手をちらりと見た。


「あの、さ。逃げないから放してくれない……?」

「あ、は、はい。すみません! ……? 顔が少し赤いですが、大丈夫ですか?」

「誰のせいだと……」


 ぷいっとそっぽを向く。

 ……え、わたしのせいなの? 抱きついたら顔を赤くするって、妖精って意外と純情なの? ていうか何、その可愛い反応は。


「……今日はもう、来ないのかと思っていた」


 顔を逸らせたまま、彼は言う。わたしに言っているというより、ひとりごとのような小さな呟きだったけれど――その言い方だと、まるでわたしが来るのを待っていたみたいだ。少し嬉しくなってしまう。


「来たいのはやまやまだったんですが、邪魔が入りまして……」


 王子のことを完全なる邪魔者扱いしてしまったけど、いいよね。誰も聞いてないし!


「わたし、ずっとずっと、あなたに会いたかったんです。ここに来るのもそれだけが目的で……ようやく会えて、感激です!」


 あまりに感極まり過ぎて、目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。人間の感情とは不思議なもので、怒っても喜んでも悲しんでも涙が出る。この場合わたしが流した涙は喜びだけど。妖精は、見るからに狼狽えた。


「!? は、ハンカチ、使って」

「え? いえ、大丈夫ですよ。そうだ、そういえば以前ハンカチやら毛布やらをくれましたよね。そのお礼も言いたいんでした! あのときはありがとうございました! とっっっても嬉しかったです!」

「別に……僕が返せるものはそれぐらいしかなかったから」


 ん? 返す? わたし何かあげたっけ。

 首を傾げるわたしに、何か気づいた様子の妖精は顔をようやくわたしの方に向ける。綺麗な赤い瞳がこちらを向いて、心臓がまたどきどき言い始めた。


「自己紹介がまだだったね。僕はシリル・クラグロフ」


 一瞬、聞き間違いかと思った。もしくは自分の耳が馬鹿になったのかと。


「――え……クラグロフ? クラグロフって、え?」


 ちょっと待って? クラグロフってこの国の名前なんだけど。それを姓に冠するのってこの国の王族にしか許されないんだけど。

 じゃあ、この人は――……この人は、人?


「妖精じゃない……の?」

「…………え、妖精?」


 妖精改めシリル王子(?)は、ぱちぱちと目を瞬いて、不思議そうに首を横に傾けた。



 *



「……妖精って、普通そんな勘違いするかな……」


 どう反応して良いのか困る。そんな表情で、わたしの話を聞き終えたシリルは言った。

 ずっと妖精だと勘違いしていたことを包み隠さず話してしまったわたしは、さすがに恥ずかしくて縮こまる。


「だって、妖精は悪戯好きって聞いてたから……それに、人を助けてくれることもあるって。あとは、変わった目の色をしてたから、人間じゃないのかなとも思って」


 言い訳のようなものをぶつぶつこぼすと、シリルは苦笑した。


「人間じゃないのかもしれないと思って妖精って発想が出て来るのが普通じゃないよ。……僕を見た人間は普通、死神を連想する」

「死神!?」


 わたしが驚きの声をあげると、彼はそっと目を伏せた。寂しそうな表情に見えたけれど――心ときめくワードにわたしは興奮した声をあげた。


「死神! いいですね、死神! 人間の白骨のようながりがりでがっしりとした身体! 生命を刈り取る畏怖の象徴たる大鎌! もう、格好良すぎですよね! ときめきが止まりません! でもさすがに人骨を部屋に置くのは不味いと理解しているので、買いません、買いませんよわたしはっ!!」


 誰かに買えと言われたわけでもないのに力説してしまう。力説してしまってから、どこか呆然とした様子で固まっているシリルを見て、あれ? と思う。


「殿下を見て、皆さん死神を連想するんですか? 骸骨でもなく大鎌も持っていない上に、とても綺麗な黒髪と赤い目をしていてそれはそれで死神にはない格好良さを持っているのに?」

「っ、死神も格好良いんじゃなかったの?」


 若干耳を赤くしたシリルの言葉にわたしは大きく首を振った。


「いえ、いえいえいえ! 死神の格好良さと殿下の格好良さはまた違うものです! 死神は、なんというか、あの不気味さがいいと言いますか……ええと、怖いから格好良いと言いますか! というか骨ですからね! そこがそもそも違いますね、殿下は骨だけじゃなくてちゃんと肉もついていますから! あとあと、殿下は目つきが悪くて暗い感じが神秘的で妖精みたいだなあと! 殿下みたいに陰鬱で人を殺しそうな目をした人なんて、なかなかいませんよっ!」

「……君、本当に格好良いと思ってるの?」


 何故か責めるような目で見られた。心の底から思っていることを言ったというのに、どうして!


「貶しているようにしか聞こえないんだけど」


 ええっ、おかしいな。


「滅茶苦茶褒めているつもりだったんですけど……」

「目つきが悪いって言われて嬉しくなる人はいないからね?」

「え、そうなんですか!? わたしなんて目つきを悪くしたくて三日連続で徹夜したこともあるのに!?」


 その結果得られたのは猛烈な眠気と両親からの説教だけど。クマの一つぐらいできても良かったと思うのに、目が軽く充血した程度で満足のいく成果は出なかった。


「……。えっと……暗いって言われて喜ぶ人も普通いないからね?」

「そんなまさか! わたしなんて暗い思考回路を持つ人間っぽく腕を傷つけようとまでしたのに!?」

「え!?」


 大きな声をあげたシリルは、わたしの手を掴んで引き寄せた。ドレスの袖をまくって腕を見ようとする。


「! さ、さすがに止められたので、実際にはやってません……! よく考えたら痛いの無理ですし!」


 羞恥に顔を赤くしたわたしに気づいて、シリルは慌てて手を放した。


「ご、ごめん……!」

「いえ……わたしも誤解を招く言い方をしましたから。それに心配してくださったのは、素直に嬉しいです」


 恥ずかしさ半分、嬉しさ半分ではにかめば、シリルもつられたように顔を赤くした。シリルはどうやら照れ屋のようだ。


「ええと、その……何となく分かったよ。ジェシカの感性を普通に当てはめようとした僕が間違ってた」

「ジェ……」


 ジェシカ!? 名前呼び!!? いきなりの!?

 ちょっと待って、心臓がどきどきばくばくうるさいんだけど。もうこれわたし、破裂して死ぬんじゃないかしら。ここが墓場か。


「ジェシカ!? 急に座りこんでどうしたの」

「……っ、もう悔いはない……!!」

「どういうことっ? 君の思考は常人から外れすぎてて全く以て理解が追いつかないんだけど!」


 うずくまり、胸を押さえたわたしのそばにシリルもしゃがみ込む。その表情は本気でわたしを心配しているように見え、ちょっと悪ふざけが過ぎたかなと罪悪感に襲われる。まあ心臓どくどくのばきばきで破裂しそうでしゃがみ込まないと倒れそうだったのは嘘じゃないけど。


「……もう大丈夫です、落ち着きました。話の腰を折ってしまってすみません」

「それはいいけど……調子が悪いなら帰った方がいいんじゃない?」

「いえいえ、元気ですよ! さっきのあれは、元気すぎて吐く感じのあれです!」

「……それ、元気って言うのかな」


 せっかく妖精――じゃなかった、シリルともう一度会えたのだ。ここで帰ってしまったら次いつ会えるか分からない。

 と、そう考えてふと気づく。


「……ん? あれ? そういえば、妖精じゃないのならどうして殿下はわたしの前に姿を見せてくれなかったんですか? しかも、王子なのにお茶会や王家の夜会に出席しているのをわたしは見たことがありませんよ?」


 さらに言うならば、王家の男児は第一王子以外いなかったはずだ。なかなか男児が産まれないところに、念願叶ってようやく産まれたのが第一王子だったと聞いた事がある。


「それは……」

「――それは、そいつが王子じゃないからだよ、ジェシカ嬢」


 言い淀んだシリルの後を引き継ぐように言ったのは、わたしの背後から現れた第一王子だった。



 *



 ……なんで第一王子がここに。

 そう思いながら振り向くと、そこにあった冷たい表情が一瞬にして華やかな笑顔に変わった。


「ご両親が探されていたよ、ジェシカ嬢。送っていくよ」


 どうやらお茶会は終わってしまったようだ。自然に手を取られそうになって、逃げるように一歩下がった。


「シリル様が王子ではないって、どういうことですか」


 第一王子は笑みを崩さずに答える。


「今の王家に王子は俺一人。それだけの話だよ。もしかしてそいつ、王子だって名乗ったの? それなら騙されたんだね、ジェシカ嬢は。可哀想に」


 そいつって、何?

 何で第一王子はシリルのことをこんなに見下しているの?

 いや、今大切なのはそこじゃない。気になることではあるけれど――もっと大事なことがある。だって、シリルが王子じゃないって言うのなら。


「……シリル様が王子じゃないって言うのなら――わたしがもらっていきますね!」

「えっ」

「は?」


 困惑する声は前と後ろ、両方から聞こえた。わたしは振り返ってシリルの手を両手で掴んだ。


「わたし、結婚相手を探しに王都まで来てるんです。でも今日まで出会った殿方の中で、シリル様以上に結婚したいと思える相手がいなくて困っていたんです。妖精でも王子様でも結婚は無理かなと諦めていたんですが、そのどちらでもないなら許されますよねっ! わたしと血にまみれたささやかで楽しい家庭を築きませんか!?」

「え……?」


 シリルは明らかに困惑した表情を浮かべていた。ああ、告白をすっ飛ばしてプロポーズしてしまうなんて、常識知らずな子と思われてしまっただろうか。嫌いにならないで欲しいな。


「……血にまみれたささやかで楽しい家庭って、一体……?」


 背後から第一王子の困惑した声が聞こえた。解説してあげてもいいけど、わたしが口を開く前に、シリルが声を発したので意識がそちらに向く。


「えっと……ジェシカ、僕のことが好きなの?」

「初恋ですっ!」


 困惑していた様子だったシリルはみるみる顔を朱に染めた。もはや照れ屋というか赤面癖でもあるのだろうか。


「……本当に?」

「はい! 本当の本当です。じゃなきゃ、九年もあなたに会うためにここに通ってません!」


 王家の茶会に参加するどころか、まず領地から出て来たか怪しい。わたしが行きたいと言うから両親は毎年王都まで連れ出してくれていたのだから。わたしの趣味は王都のこぢんまりした屋敷よりも、領地の広々とした屋敷の方が楽しめるしね。コレクションが増えて溜まってきたので、コレクションルームを近々改装する予定だったりする。


「そっか――僕に会うため、だったんだ……」


 シリルの片手を包んでいた手に、ぬくもりが触れる。シリルのもう片方の手が添えられていた。

 長くて黒い髪の奥でシリルは微笑み――くしゃりと顔を歪めた。頬に雫が伝っていく。


「えっ? シリル様?」

「僕も――……僕も、君が初恋なんだ、ジェシカ。そう言ってもらえて、とても嬉しい」


 えっ、やだ、嘘、これ夢?

 シリルも初恋ってことは、両思いじゃないか!!

 もはやシリルがどんな立場の人間であっても構わない。至急両親に紹介しに行かねば!

 けれど、浮かれ気分で歩き出そうとしたわたしを止めたのは、こぼれる涙を拭ったシリルだった。


「――でも。だからこそ、ジェシカとは一緒に行けない」

「……どういうことです?」


 シリルの深刻そうな顔色に、浮かび上がっていた気分がするするとしぼんでいく。両思いなのに、両思いだからこそ、結婚は無理だと言うシリルの話を真面目に聞かなくてはならない。


「――王家の呪い。呪われてるんだよ、そいつは」

「えっ」


 わたしの疑問に答えたのは、目の前の沈んだ顔をするシリルではなく、背後にいた第一王子だった。

 シリルの手が小さく震える。何かに怯えるように。


「――昔。この国が建国される前、この辺りは魔女に支配されていた。魔女による魔女のための支配。力のない人間は奴隷のように働かされ命を消費させていった」


 第一王子は何やらおとぎ話のようなものを語り始める。わたしも聞いた事のある話だ。たぶん、この国の国民なら何らかの形で耳にしたことのある物語。


「そんな絶望的な状況の中、立ち上がった一人の男が居た。彼は善良なる魔女の力を借りて、悪い魔女を打ち倒し、魔女の支配から人々を解放した」


 そしてその男は国を興し、それがこのクラグロフ王国なのだ――という建国の物語。あるいは英雄譚。

 しかし、第一王子の話はそこで終わらなかった。


「男は王となったその日、魔女を全て殺した。ずっと協力してきた善良なる魔女も含めて。男の裏切りに魔女たちは怒った。憎んだ。呪った。そうして、王家には呪われた子供が生まれるようになったんだ。殺された魔女と同じ、赤い目を持つ王子が」

「そんな……」


 第一王子はにこりと笑う。


「赤目の王子は、魔女の呪いを一身に受ける。王子の周りでは人が亡くなり、不幸が起きるんだ。でも一つ良いことがある。赤目の王子が不幸でいる間は、王家に不幸は降りかからないんだ、不思議なことにね。王家に男児がなかなか産まれず、産まれてもすぐに亡くなってしまっていたのが、シリル(そいつ)が産まれてからはなくなったように」

「そ、それじゃ、シリル様は……」

「そう、赤目の王子(そいつ)は不幸じゃなきゃいけないんだ。国のために。だから、ジェシカ嬢――」


 わたしの頬を涙が伝った。だって、こんなのって、酷すぎる。


「それじゃやっぱりシリル様は王子様ってことじゃないですかあああぁあぁ!」


 今回の涙は悔し涙だ。


「だ、騙されたぁ! じゃあ、わたしはシリル様と結婚できないじゃないですかあ! しかも今の話だと、生まれ順的にシリル様が第一王子ですよね!? もうどうしてくれるんですかっ!? せっかく手が届くと思ったのに、遠くに行ってしまって……! これなら妖精の方が良かったあ……」


 妖精ならば種族の壁ということでまだ諦めがつく。それに仲良くなれればきっといつでも会える可能性はあるだろう。実は大人でも妖精自身に認められればその妖精だけは見ることができるから。

 だけど、王族。王子。ああ、なんて高嶺の花か。話す機会なんてこういったお茶会の席や夜会のときぐらいしかない。年一で王都に来ることはできるけれど、短い滞在時間でどのくらいの話ができるかと言ったら……雀の涙にも満たないんじゃないだろうか。体感的に。

 結婚できるかもしれないという望みを見せた後にこの仕打ち。これが王子の呪いというやつなのだろうか。


「もう良いです。シリル様と結婚できないなら、わたし一生独身でいます……修道院に入る……ことはできないけど、養子でも取って一生田舎に引きこもってやります」

「ちょ、ジェシカ、落ち着いて」


 そう言ったシリルは何故か嬉しそうな笑顔で、わたしの神経が逆なでされる。


「なんで笑ってるんですか、シリル様! わたしのこと好きなんじゃなかったんですか!? それともあれですか、好きな子をいじめちゃうタイプなんですか!?」

「いや……だって、やっぱりジェシカは普通じゃないなって」

「それ褒め言葉じゃないですよね!」

「滅茶苦茶褒めているつもりだよ」


 ……それ、わたしが言った台詞。


「……。普通じゃないって、変わり者だって言われて嬉しい人はいないと思います」

「でも僕は、そんなジェシカが好きだから」

「超嬉しいです!」


 好き! 好きを頂きました!! やったね、変わり者万歳!

 気持ちが昂ぶりすぎて、勢い余ってシリルに飛びつこうとしたわたしの肩がぐいと引かれ邪魔される。第一王子だ。


「ジェシカ嬢。だから、そいつに近づくなと」

「へ、何でですか?」

「何でって……話聞いてなかったの? そいつは呪われて……」

「聞いていたから、疑問に思っているんです。シリル様は呪われてなんかいませんよ?」

「はあ?」


 第一王子の端正な眉が寄る。シリルも目をぱちぱちと瞬いて困惑していた。


「僕は……呪われてない?」

「はい。だって、魔女と同じ目の色の王子が生まれたんでしょう? だったら()()()()()()、それって魔女と建国王の子供が生まれただけじゃないですか?」


 わたしの常識的な言葉に、一瞬の沈黙が生まれる。え、わたしが普通のことを言ったから驚いたわけじゃないよね? 単純に「盲点だった!」って驚いてるだけだよね?


「しかし……実際王家は呪われたように不幸が起きている。そいつの周りだって例外じゃないんだよ、ジェシカ嬢。母上も姉上もそいつに関わって亡くなったんだ」


 第一王子、何やら闇を抱えている様子。きれいだった瞳が仄暗く光る。

 思い出したのか、シリルの表情も暗くなる。


「ううん……、わたしは逆だと思うんですよね」

「逆?」

「はい。赤目の王子が呪いを運ぶんじゃないです。そうじゃなくて、そもそも王家自体が呪われてるんです。赤目の王子が善良な魔女の子孫だとすると……たぶん、王家を守っているんです。魔女の呪いから」


 王家を呪っているのは善良なる魔女ではない、とわたしは思う。大昔にこの辺りを支配し打ち倒された魔女が、素直に倒されてハイおしまいとはならない気がするのだ。そういう魔女は昔から往生際が悪いと相場が決まっている。


「だったら……だったらどうして、赤目のまわりで人が亡くなる!?」


 第一王子ご乱心。爽やかさをどこかへ放り捨てたご様子だ。


「そんなの決まってるじゃないですか。『呪い』を理由に謀殺されたんです。王宮ってそういうところでしたよね?」

「――っ!」


 第一王子は何か思い当たることでもあったのか、バッと大きく後ろを振り返った。「まさか……」とかなんとか呟いて、走り去っていってしまう。爽やかそうに繕っていて、意外と中身は熱血漢なのかもしれない。

 熱血漢の背中が小さくなって見えなくなった頃、シリルがぽつりと呟く。


「僕たちはずっと……勘違いしていたっていうの?」

「う~ん、勘違いかというと微妙ですね……。伝承というものは事実から歪曲しやすいのですよ。ただの噂話だって、放置している内にとんでもない尾ひれがついていることがありますよね、あれと同じです」


 わたしの評判が「悪魔憑き令嬢」となったみたいにね!


「今でこそ悪戯っ子で茶目っ気のある印象の妖精も、古い文献に当たっていくと、畏怖の対象であったことが読み取れます。今は絵画に描かれるような美しい妖精の姿が主流ですよね。でも昔は妖精というと、もっと不気味な存在だったんですよ」

「不気味……だから、君は僕を妖精だと思ったの?」


「う……その勘違いにはあまり触れないで頂くとありがたいです……でもでも、不気味な存在は悪い存在と同義ではないんですよ? これはわたしの持論ですが、一見不気味な存在こそが守り神たりえるんです。美しいものは惑わすことはすれど守ることは滅多にしません。――死神が鎌を振るうのは、肉体から分離した魂が地上でさまよわないため。森に住む醜い姿の妖精が人々を脅かすのは、その先に危険があるから――。そして力のあるまじない具は、多くは恐ろしい見た目をしているものです。殿下もきっとそれと同じです!」


「それは、僕の見た目が恐ろしいって言ってるよね」

「客観的な話ですよ! わたしにとってはとっても好みな見た目です!」

「そっか……それならいいや」


 ざっと強い風が吹いて、シリルの長い黒髪をさらっていく。髪に隠されることなくはっきりと見えたシリルの嬉しそうな笑顔は、憑き物が落ちたように幸せそうで。

 わたしはもう一度、恋に落ちた。



 *



 それから月日はあっという間に経って――十八歳のとき、わたしはシリルと結婚した。


 いやはやそこに至るまでも大変な道のりだった。

 まず第一王子が王妃様と第二王女様を殺害した真犯人を捕まえて、シリルにかけられた呪いなどなかったことを証明した。そしてシリルこそが王家にかけられた呪いから国を守ってくれている存在なのだとわたしの仮説を国王様に披露したらしい。そのおかげで、シリルは王子と認められることになった。

 わたしが危惧した通り、シリルは手の届かない人になってしまったわけだが、そこでわたしは諦めなかった。

 ぶっちゃけもう、身分がどうとか理性的なことを言われて諦められる段階になかった。それはシリルも同じだったみたいで、なんだかいろんな話し合いの末に王位継承権を放棄した。

 でも、王家はシリルを手放さない。当然だ。呪いから守ってくれる存在が手の内にないのは不安だろう。


 そこでわたしは王家の呪いを取り除くことに決めた。


 だが、長年染みついた凶悪な魔女の呪いだ。そう簡単にはいかなかった。

 今まで集めてきた呪具コレクションをほとんど全て使い切ったし、魔女のことは魔女に聞くべきだと「黒煙の森」に住む魔女に会いにも行った。この魔女がまた気むずかし屋で認められるのに時間がかかった。最終的に羊のプシーをいたく気に入ってくれたおかげで、協力してもらえることになったけれど、王家の呪いを解こうとしたら呪いをかけた古の魔女が復活して死にかけた。命があったのは、いつか王都で手に入れた(まじな)い人形のサリーのおかげだ。


 死闘の末、魔女の呪いを取り除いたわたしは、どういうわけか聖女に認定されていた。悪魔憑きと噂になっていた人間が聖女に大出世するのだから、世の中とは分からないものである。

 ともかくまあ、この聖女という称号と王家に恩を売ったことがシリルとの結婚に大いに役立った。王様はわたしと第一王子――シリルが王族になったことで彼は第二王子にくり下がったのだが、混乱を避けるため第一王子と呼ばせてもらう――を結婚させたがったみたいだが、それを阻止してくれたのは第一王子本人だった。あの聖女はシリルじゃないと御しきれないとかなんとか言ったらしい。わたしは馬か。


 ……まあ、第一王子が意地悪でそう言ったわけじゃないことは分かっている。第一王子はシリルのせいで母親と姉が亡くなったと誤解してシリルに冷たく当たっていたらしい。わたしの指摘のおかげでその誤解が解け、シリルとも和解をしたことで、わたしとシリルのことを応援してくれるようになったのだ。

 そんな第一王子のナイスアシストもあって、わたしは念願叶ってシリルと華々しく式を挙げた。……それはもう、華々しく。何しろ聖女と王子の挙式だ。王都の広い街中をぐるぐる馬車でパレードした。皆が祝ってくれて嬉しかったけれど、その夜は疲れて早々に寝付いてしまい、シリルがちょっと拗ねてしまった。まあそれはそれで可愛かったけれど、宥めるのはちょっと大変だった。


 その後、無事に夫婦となったわたしたちは、ラジェスト辺境伯領に移動した。シリルはわたしの家に婿入りすることになっているのだ。父の仕事を引き継ぐために、シリルはこれからたくさん領地について勉強していかなくてはならない。

 わたしもそんな彼を支えていくために頑張る所存だ。


「――ねえ、ジェシカ」

「え? 何? シリル?」


 恍惚とした表情で、どろりと溶けた顔のようなものが浮かんでいる壺を眺めているわたしに、シリルが声をかけてきた。


「君の趣味は理解しているつもりだし、君の趣味に僕や王家が助けられたと言っても過言ではないことも分かっているんだけどさ」

「うん?」

「コレクション、増やしすぎじゃない?」


 ぎくりとする。

 魔女との戦いでほとんど消耗してしまった呪具コレクションだが、コツコツと蒐集(しゅうしゅう)を重ね、重ねに重ね、もともとコレクション部屋にしていた部屋に収まらず、別の部屋にまで置き始めたわたしは、冷や汗を流すしかない。


「え……そ、そう? ――だめ?」


 上目遣いでねだるように見上げれば、シリルは少し怯んだようだった。


「だ、だめってことはないけど……」

「それならいいのね! ありがとう、愛してる!」

「……はあ。君には勝てない気がするなあ……」


 込み上げる気持ちのままにわたしが抱きつくと、シリルは両親と似たようなため息をこぼしながら苦笑した。

 その首筋にさらりと短くなった黒髪が流れる。

 肩よりも長かった黒髪は、今やうなじが晒されるほどに短い。

 シリルは王子になったときに髪を切った。どうやら赤い目を隠すために伸ばしていたものらしく、呪いが自分自身にないと分かった以上、無駄なことだと思ったようだ。髪を切って赤い目をはっきりと晒した彼に、「ジェシカの顔がよく見えるようになった」と微笑まれた時には、いっそ死んだ方が楽になるんじゃないかと思うぐらい心臓が爆発した。


「あ! そうだ、そういえば。シリル、ルルを知らない?」

「ルル?」

「うん、黒い毛に赤い目の猫みたいなぬいぐるみなんだけど、こっちに戻って来てから見てないのよ。確かに荷物の中に入れたと思ったんだけど……」


 ルルは呪具ではないから、魔女との戦いに使っていない。一番のお気に入りだから家でお留守番をしてもらっていた。挙式をあげる前に荷物の整理をしていたときは確かに見かけたのに、領地に戻ってきたら忽然と消えていた。


「猫っぽいぬいぐるみなんて見てないと思うけど、黒い毛に赤い目なんて、まるで僕とお揃い……あれ?」

「? どうかした?」

「……何か前にも似たようなことを思ったことがあった気が…………あっ、そうだ! 思い出した!」

「え、本当? どこ? どこにあったの?」

「あ、ううん、違う。君が探している子じゃないよ、たぶん。僕があれを見たのはずっと昔だから」

「なんだ……ルルみたいな子が他にも売ってたの?」


 ……って、あれ。ルルって、わたし買ったんだったっけ。そもそもいつから持ってたんだっけ。記憶のない幼い頃から一緒だったような気がするけど、わたしの趣味にいちいちため息を吐く両親が幼いわたしに買い与えるものにも思えない。


「ううん、僕がその黒猫を見たのは、君と初めて出会ったときだよ」

「……えっ?」

「その黒猫に突き飛ばされて、僕は窓から落ちたんだよ。僕と同じ色だったから、これが呪いの正体なんじゃないかって思った気がする」

「ちょ……ちょっと待って。何言ってるの? ぬいぐるみが、人を突き飛ばしたの?」

「うん……」


 考えこむように、顎に手を当ててシリルが黙り込む。

 しばらくすると、考えがまとまったのか話し出した。


「その黒猫……ルルって、いつから見当たらないの?」

「挙式をあげる前には見て……こっちに持ってくる荷物に忘れないように入れた記憶はあるわ。その後はバタバタしていて分からないけれど……こっちで荷物を開けてコレクション部屋に使用人たちに飾ってもらったときにないって気づいたの」

「そっか……あのさ、これは僕の仮説っていうか、憶測に近いことなんだけどさ、もしかしてそのルルって――妖精だったんじゃない?」

「え……」


 いやまさか。そんなはずは、と否定しようとしたけれど、言葉は出てこなかった。

 だってルルが妖精なら、妖精だというのなら。


 ――だってね、ルル。妖精が見えるのは、子供だけなのよ。


 ……子供って、そういう意味? とか思っちゃったから。


「よ、妖精は、悪戯好きで、その反面、人を助けることもある……」


 なんだか一人で恥ずかしくなってしまったわたしは、妖精について知っていることを口に出していた。

 熱くなった頬を隠した両手を、わたしの考えていることを見透かしたように悪戯な顔をしたシリルにそっと取られる。


「ジェシカ、可愛い」

「っ!?」


 無防備になった頬にキスが降ってきて、わたしの体温はますます上がった。

 初めの頃はよく顔を赤くさせていたのはシリルの方だったのに、いつから立場が入れ替わってしまったのだろう。こんな風に愛おしげに触れられることに、わたしはまだ慣れない。

 だというのに、シリルは平然と話を続ける。


「たぶん、ルルはジェシカを助けてくれていたんじゃない? あれだけ怪しい呪具を抱えていて、ジェシカに害を及ぼすようなものは一つもなかったんだから」

「で、でも……そうなると、シリルを突き落としたのもルルの可能性が高いわよね。なんでルルはあなたを突き落としなんて……」

「衝動じゃない? 妖精は、悪戯好きで自由気まま、なんでしょ?」


 ええ……。突き落とされたのにそれでいいの? 妖精の悪戯だって許しちゃうの?

 わたしが若干不満そうで微妙な顔をしていることに気づいたシリルはくすりと笑みをこぼした。


「僕は感謝してるよ。あのとき窓から飛び降りなかったら、ジェシカは九年通い詰めるほど僕に興味を持ってくれなかったかもしれないから」


 そうなったら僕は一人寂しく死んでいた、とシリルは幸せそうに笑った。

 その笑顔に見惚れている内に唇を塞がれてしまったわたしは、それ以上はもう、何も言えなかった。




 だから、妖精の悪戯は関係なく、あなたと目が合った瞬間に恋に落ちていたと伝えるのは、また今度。





*おまけ*


・いろいろ和解した後、ジェシカと第一王子


「そういえば殿下はどうしてわたしにつきまとってきたんです?」


「つきまと……? シリルがいる建物のそばにいるのを以前見かけたから、呪いに巻き込まれないよう私なりに気を遣っていたのに、酷い言い様だね……? まあ結局は誤解だったから余計なお世話だったわけだけど」



・シリルが王子になった後、ジェシカとシリル


「ごめん、ジェシカ。結局、こんなことになっちゃって……」


「いえ! たとえ王子でも、わたしはもう諦めませんよ。絶対シリル様と結婚します! だって両思いなんですから!」


「ふふ、そうだね、僕も頑張るよ。幸いアルフレッド王子は協力的だし、きっとなんとか道はあると思う」


「……? ……ああ!(アルフレッドって第一王子の名前か。そんな名前だったんだ)そうですね! 一緒に頑張りましょう!」


「……(ジェシカ、たぶん第一王子の名前把握してなかったんだろうな……。興味のないことにはとことんないから)」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 魔女の復活とか、数々の緊急事態をさらっと語るジェシカ。 シリルが好き過ぎて「他は、まぁ、どうでも…」みたいなジェシカの勢いを感じて思わず吹き出しました。
[良い点] おもしろかったです。 とにかくジェシカの趣味や価値観が突き抜けてるw この娘なら、親御さんのあの対応は十分愛に溢れてるといえますね。 シリルはまぁ、この子じゃなきゃ無理だっただろうし、破れ…
[良い点] 読ませていただきました、面白かったです! 結婚に至るまでのあれやこれやを全部書いてたら きっと短編に収まりきらなかったですねwww
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