黒の王子の部、第二
弟の結婚相手が決まるまで自分も独り身のままでいたい、それが黒の王子であるオベラディオの願いでした。
人との関わりを拒み臆病者に成り果てたのも自分が要因の一端であるのだからと神妙に彼は受け止めていました。全てが全てそうではなくとも幼さを理由にしたり運が悪かったのだという事にしたくはありませんでした。
ですから、オベラディオは足掻く事に決めたのです。悪評や汚名を被れども己が弟に受けた恩を返すまではと。そこに銀の国の兄王子は都合が良いものでした。
容姿の良さや地位などに寄って来ては様々自分をアピールしてくる女らが疎ましい。彼の一番気に食わない、気にいらないもの。影でこそこそと弟について噂をするのも自分を比較に出して笑うのも。弟王子が臆病になったのであれば兄王子は人間不信、それも女性に対してとても強くその思いを抱いていました。
銀の王子であれば男であると分かっているために無用な心配も気配りもせずに済む。また、妹の為にとの大義名分があれば中々に使える駒となる事も分かったので、オベラディオはとても良いものを拾った気分になりました。
婚約の話を出した際、目を見開いて固まっては(ベールで子細は見えませんが)暫し動き出すまで時間を要し、再び動きだしてはそんな要求は飲めない、自分が男と知っている筈であるのに何故そのような恐ろしい事を言い出すのかと激しく狼狽し、その姿は音に聞く冷静沈着な剣士としての彼とは遠くオベラディオの笑いを誘いましたが説明をしてやれば息を吐き出し、時間をくれと返答が来ました。
オベラディオが出した報酬の旨み、更に婚約者役を少し勤めるだけでこの国の王位を継ぐ予定にあるオベラディオにも貸しができるのです。ごくりと喉が鳴り彼は色々な事を考えて考えて、そしてオベラディオの提案を仕事として受ける旨を伝えました。
まずオベラディオは直々に国王夫妻にジルクハードを婚約者として希望する意思を伝えると両親はたいそう驚きましたが、あの何もかもを跳ね返すような反抗期の延長にあった息子の手綱を引ける人物が現れたのかもしれないと嬉々として手を取り合い、この縁談を必ず成功させると言いました。
迅速且つ豪勢にオベラディオとジルクハードの偽りの婚約式は進められ、度々兄同士の相談事や報酬の内容、婚約者を伴って行かねばならない場所での振る舞い方などを内密に話すためにオベラディオはジルクハードに与えられた部屋へ夜に訪れるもので、二人をよく知らぬものはオベラディオの今までにない溺愛ぶりに驚き、あの暴君をも手懐け骨抜きにする美姫と銀の姫を囃し立て、それに嫉妬しよからぬ事を考える女性もおりました。
ですが毒などはオベラディオや王家にとって最も忌むべきものとして管理は厳重であり、毒に関しての法の重さは他国では類を見ないほど、持ち込む事はおろか食事や衣服に仕込む事も容易ではなく。呼び出しもオベラディオが徹底的に叩き返し逆に銀の姫君に害を為そうとしたと尋問する運びとなり、場合によっては拷問などの手も使い何を企み何をしようとしていたかと吐かせられました。
例えオベラディオが討ち漏らした残党のような姫君や高位のご令嬢などが来たとしても、ジルクハードも自分の国で似たように妹に着く虫を払っていましたから特に問題もなく返り討ちに出来たでしょうが、面倒事に巻き込まれないのであればその方が良い、と高みの見物と洒落こみました。
自室ではとうとう女装もしなくなりただただに王子同士で酒を飲み交わすようになって暫く。ジルクハードはオベラディオに夜にここに通うのを止めたらどうだ、と酔いに任せてずっと思っていた事を口にしました。
仲の良い二人として噂を立てる予定にはありましたが、流石に夜に通われ婚前に簡単に股を開くかのような妹姫の名誉に関わる事はあまり看過できないと今更ながらに伝えたのです。
オベラディオも今更か、と片眉を上げ面食らった顔をしながらも応じます。
「噂もいい具合に広まった。これで暫くは俺とお前の関係を疑うものもいないだろう。この後、俺は父上よりはしゃぎすぎだとでも声をかけられ軽く謹慎する運びとなり、夜に通う頻度も減らす。その代わりに手紙など贈る物が増えるだろうが、呉々も気を付けろよ。今まで以上に巧妙で姑息な罠が仕掛けられると思え」
婚前交渉については何かの機会の時に誤りだと一応は口にしておく、とだけ言うとオベラディオは立ち上がり口角を上げ部屋を後にしました。
オベラディオの来訪はその日を境に確かに減り、ジルクハードは盤上遊戯や話しの相手がいない事に僅かばかり退屈さを覚えましたが“姫君に”と称され贈られてくる品の数々からジルクハード向けにと混ぜられた興味深い戦術書や暗器を受け取るとそれらを密かに試し、自分なりに使いやすいようにと磨く事に夢中になりました。
そんな特に波風も起きずに穏やかに日々を過ごしてきた二人は、水面下で予想だにしていなかったトラブルが生じているのをこの時まだ気付いていなかったのです。