黒の王子の部
あるところに双子の王子がおりました。漆黒の髪に赤い眼。身長も何もかも揃いで大変仲の良い兄弟でありましたが、兄弟の命を狙う者が兄王子に向け毒を放ち。それに気付いた弟王子が兄を突き飛ばし庇おうとして己の顔に毒を受けてしまいました。
毒は弟王子の顔を半分焼き溶かし醜く変え、兄弟らはその後に駆けつけた兵らによって命こそは無事に済みましたが、誰もが彼の顔を見ると顔を引き攣らせ化け物と心無い言葉をかけるので次第に心を閉ざしていき臆病な男へと成長した弟王子は灰の王子と呼ばれるようになっていきました。
兄は弟への罪悪感と周囲が弟へと見せた反応を間近で眺め続け、猜疑心と敵意、更には憎悪を募らせ心を歪めた傲慢な男と育ちやがて黒の王子と畏怖されるようにとなりました。
そんな彼らも年頃となり、伴侶を探すに相応しい年齢を迎え様々な国の王女や自国の貴族の令嬢等と顔を会せる運びに。
そして二つ程山を挟んだ国の銀の姫君の下へも文を携えた使者が訪れました。王子達の国より北に位置するその国には黒と灰の王子と同じ年程で、王子と王女がおり、両親を早くに亡くしていましたが助け合い国を回しておりました。
兄は騎士団団長と剣を交え互いに良い競合相手として立てる程に勇ましく、妹も兄ほどには及ばずとも弓の名手として名を馳せた逞しくも麗しい姫君で求婚は数多くなされていました。
国の領土は大きくとも特段と言った名産となる品も無く又鉱石もさほど出ず、しかしその大きな土地に隣接する他国の土地、それは軍事力を持つ双子の王子の国から見れば魅力的にも映ったことでしょう。
そんな理由から銀の姫君へと届いた文に苦い顔をするのは兄のジルクハードでした。二つ年下の妹はか弱い乙女とは言い難い女騎士のような凛々しくも強気な性格をしている女性ですが、それでも彼にとっては唯一の家族であり妹です。両親の代わりにここまで育て上げてきたという思いも一入です。
そんな妹を、よりにもよって黒の王子に差し出す事は気が引けました。黒の王子の悪行はこの国にまで轟くほど。自分の気に食わない者には容赦なく権力や暴力を奮い、又、弟王子の事を話題に乗せられれば手が付けられない程に暴虐の限りを尽くした刑を執行させる。王族を名乗るのも相応しくない、血も涙もない悪漢そのものだと。
大金を積まれても断りを入れたい案件です。さて、どうやってこの見合いを回避したものかと頭を悩ませては鏡に映る自分の姿に目が留まりました。二歳違うとは言え、長く伸ばしてきた髪やすらりとした立ち姿は妹姫と瓜二つと幼い頃はよく言われておりました。成人し男性らしく声が変わり、筋肉の付き方や背丈など目に見えて差が出始めもしていましたが……。
文が届いてから数週間後。
双子の王子の国へと豪奢な馬車がやってきました。例え本意でなくとも国の大切な姫を送り出す馬車は立派で美しいものでなければ他国や民などに侮られてしまいます。その馬車の中、物憂げな表情で頭からベールを被った姫は、少しずつ近づいてきた大きな大きな白亜の王城に眉間に皺を寄せ大きく息を吐き出しました。
やがて大きな城門を潜り抜け馬車が止められ扉が開かれればゆっくりと従者の手を取り久方ぶりの地に足を付け。出迎えの者らに恥じらうよう視線を落とし注意を払い何とか踏みだせば高いヒールに足元がぐらぐらと不安定になるのを堪え案内された部屋に進んでいき。
こちらで長旅の疲れを癒してくれと茶菓子と茶を出され、少数の護衛とのみ残されて注意深くそれらを毒味させ漸く一服とつけました。
ここまで何とか声を出さずして正体をも隠し続けてきましたが、ベールの下にあるその険しい表情は正にジルクハードのもの。姫をこちらへと向かわせて万が一にでも黒の王子の手付きや何かしらの怒りや間違い、不幸に遭ったらとんでもないとジルクハードは自分自身で黒の王子と差しで顔を会せ、断わろうとの行動に出たのでした。
男の自分であれば気の迷いによる夜這いやちょっかいも退けられ、更に嫁入り前の妹姫の身の安全も守られましょう。国に残り文を出すだけでは突っぱねられてしまうかもしれず、臣下のなかなか言う事を聞いてはくれない貴族も挟む必要もない。この部分もまたジルクハードにとって大きな利点でした。
少々の休憩の後、ジルクハード……否、今は姫君である彼女は国王夫妻の前へと案内を受けそこで双子の王子らとも初めて顔を会せる事になりました。
黒の王子は品定めをするように姫を眺め、灰の王子は顔の半分をベールよりも確りとした生地の布で隠し更に前髪をも長くし俯きぎみでジルクハードと一切視線を合わそうとはせず、それどころか何かに怯えたようにも見える様子でした。
王位継承は黒の兄王子で決まっているとそのような話ではありましたが、灰の王子の様子を見てジルクハードは納得せざるを得ませんでした。横柄な黒の王子が継げば国は間違いなく成り立たないだろうに、何故あえて彼にするのかと旅の間考えていたのですが怯え、おどおどしたような雰囲気があれほど出てしまっていては王族らしい振る舞いは疎か、貴族らしさも無理でしょう。
そして。
黒の王子はジルクハードが灰の王子へ挨拶の為にチラリと視線をやったというだけで眉根を寄せ、その赤い眼差しに剣呑な光を宿しました。
まるでジルクハードが弟王子の事を傷付けようとする敵か害悪かと決め付け、射殺すような鋭い眼差しで国王夫妻が話す言葉も聞かずにジルクハードを睨み見据えてきます。その怒りや憎悪の程は肌が粟立ち内腑がひっくり返りそうになるような思いに駆られるくらいに圧のあるものでした。女性であったのであれば気を失っていたかもしれません。
ですが噂が事実でもあった事を確信したジルクハードはこれならば己の妹を思う気持ちが通じるのでは、同じ兄同士という立場からきちんと話す事さえ出来れば和解する事も可能なのではと愚考しました。
対面に座る客人ですら殺気だっていると感じ取れるならば隣である国王夫妻は尚の事でしょう。己の子である筈の黒の王子の行いを咎めるでもなくだらだらと汗をかきながら早々と話をまとめにかかり、後日新たに本人らだけで今回の件を詳しく決める事にしようとなり寧ろその方が願ったりかなったりであるとジルクハードは頷き、黒の王子も己の恫喝にも似た視線に晒されながらしかし倒れず一見して気圧された様子も見せない姫に意外そうな顔をしつつ了承した為に次回へと持ち越しになりました。
しかしその晩。恐れていた事が早くも現実となりました。
姫に与えられていたその一室に黒の王子がやって来たのです。もう灯りを消して寝に入ろうかという時間であり、自国から連れてきた限られた兵や侍女、こちらから借り受けた者らも何も言わず誰一人悲鳴や怒声を上げなかった為、反応が遅れてしまいましたがそれでもジルクハードはベールを手繰り寄せ顔を隠し、頭を回して室内の状況を把握しようとします。
黒の王子が姿を見せると同時に特殊な動きをする者らが複数人、室内にいた者らを封じ騒動が起きた事を外に漏らさぬようにしていました。恐らくは黒の王子自身の用意した駒で間違いはないでしょう。
そして狙いは姫の貞操か、それとも命か、このまま何もせず帰れと脅しをかける……それだけならどんなにいい事か。
「やはりお前は妙な女だな。ここに至っても声一つあげないか」
手を伸ばせば簡単に押し倒せる位置にまで迫られ、同性から見ても整った顔立ちが近付くも、じり、と退けるぎりぎりまで後ろに下がれば僅かに小首を傾げるようにして黒の王子は言いました。色事を目的にしたような素振りはなく、淡々としたその調子にそのままそのようにしていてくれと願いつつ、どういう意味だと小さく返してはハッと鼻で笑うかのような仕草をし。
「俺に媚びず、あれを醜いと言わないのは褒めてやろう。だが、目的がわからん。そんな女、怪しまぬ方がどうかしている」
「随分と自惚れた男なんだな、貴様は。世界中全ての女が見惚れるとでも思っているのか」
「ほざけ。実際に今まで見てきた奴らはそんな輩ばかりだった。……さぁ、いい加減吐け。何を企み、ここに来た。吐かねえならその身に尋ねるぞ。高々弱小国の女が俺に敵うと思うな」
そう口にし、黒の王子の背後に回っていた左手が闇より露になればキラリと僅かな光源で光る短剣。一瞬にして空気が緊張感を孕み。手始めに顔を見せて見ろと言う言葉と共に伸びた右手が向かうのはジルクハードの顔を隠すが視界をも朧にしてしまうベール。
戦う為には視界を不良とするものを取っ払ってもらった方が都合がいい。片手も塞げるのだから一石二鳥でしょう。しかしその代わりに交渉の席にも着かぬ内に男である事が露呈され、王子を、しいては国をも馬鹿にしているのかと大事になってしまえば終い。
否、このように怪しいからと言って態々他国からやってきた姫君に夜這いをかける王子からして問題であるのは明確ですがそれでもここは彼の国。己が如何に不利な状況にいるかを考え苦汁をなめさせられたかのような顔をしてはベールを取られまいと逃げながら舌戦で応じます。
「婚前どころか、婚約すらしていない、淑女の夜を襲い、仕度どころか顔を暴くとは、本当に!なっていないのではないか!」
「……っ!は、何が淑女だ!じゃじゃ馬が!その腕は、脚は何だ?!どれだけの田舎に住めば!そのような筋骨粒々に、なるっ!?」
「囂しい!王城で、何の苦労もなく過ごしてきた貴様には!一生わからんだろうさ!!」
「くっ、この、不敬者がっ!言わせておけば!」
最初こそ良くても目が闇になれてしまえば嫌でも姿形は露となります。それで黒の王子が愉快そうに揚げ足を取れば何とか誤魔化そうとはしますが、元が短気で直情な彼は次第に女らしくとの意識も取っ払い短剣を捨てた黒の王子との拳や足技といった肉弾戦でのやりとりを素直に返していました。
言い訳が出来るようにと着ていた薄い女性ものの柔らかな夜着が恐ろしい悲鳴をあげるのも構いません。男と男の戦いは暫く続き、やがて黒の王子が引いた事で終わりました。
「止めだ。初めて見た時から薄々感じていたが、女ではないだろう。何故銀の姫の名を語っているかは知らんが、何だ。あの国には姫はいないのか?それとも俺に嫁ぐのが恐ろしくて逃げ出しでもしたか」
「……ああ。私は姫の兄だ」
「あ゛ぁ?兄だと?ならばお前が彼の有名なジルクハードか」
「そうだ」
「剣で名が知れる次期国王が女の真似事とは、世も末だな」
「ぐっ、皆まで言うな……」
下手な談義より拳を交え、打ち解けたのでしょうか。漸く観念してベールを外したジルクハードを初対面の時と同様にしげしげと頭から爪先まで眺めた黒の王子は投げ出し床に落ちていた短剣を再び腰に戻してからソファに腰を下ろし、からかうように言葉をかけます。
同性にバレた挙げ句、同じ年頃、しかも他国の王子の前でこのような恥を晒さねばならないとあっては強気な性格のジルクハードも顔から火が出るような思いに俯き、頭を抱えるようにしてああくそと悪態を吐きました。
「声は低い、靴を抜きにしても身長が俺と同じ程、肩幅もある、そんな女がどこにいるんだ?寧ろ何故いけると思ったか謎だ。その銀髪と肌くらいだろう?」
「…………言うなと言っている!」
妹を思い長く伸ばした銀髪、そして紺碧の目。これらを見て彼は自分にしか代わりはできないと決心したのだが言われて見れば確かに何故あんなに自信が持てたのか……。と彼は羞恥に呻き、咳払いをして強引に話を変えました。
「姫は私のたった一人の妹だ。貴様が先程自分で口にした通り、悪評ばかりしか聞かぬそんな奴の元に送るのも嫁がせるのを哀れみ、断る為にこちらに赴いた。文だけでは弱小国の言い分など聞かぬだろうからな」
からかいや冗談を言い合える程打ち解けたと見て言葉を選び、注意深く黒の王子が見せる反応を窺います。薄笑いを引き真面目にジルクハードの訴えを聞いた黒の王子は目を眇め、
「それで?俺がお前如きの言い分を聞くと本気で考え、その上で実行したと?」
「……ああ」
「ふざけるのも大概にしておけ。その愉快な格好とイカれた思考は久しぶりに俺を笑わせてくれた礼として目を瞑ってやる。だがそれだけだ。お前の妹だ何だは知らん、興味もない。王と王妃をどうにかしろ。どうにもならなければお前の妹は俺の婚約者か側妃にでもなるだろう。その時はその時だ。割り切って妹を寄越せばいい、妹なぞ何れは嫁いで行くものだろう」
最後不敵に笑んで、黒の王子は乱闘騒ぎで破れかけたジルクハードの格好を指差し踵を返し部屋を出て行きました。己の引き連れていた者らと共に。
明くる日。ジルクハードは姫の格好を続けるか否かで悩み頭を抱えていると黒の王子の使いという小間使いが一人やってきてジルクハードの侍女へ丁寧に包みを渡しました。嫌な予感がしたジルクハードですが、王子が遣わした小間使いから荷を受け取ってしまった事実は隠しがたいものです。
添えられたメッセージカードには金の綴り文字で“跳ね馬姫へ”とあのからかいの声が蘇るような文章が短く書かれていました。息を吸い込み、目頭を揉み怒りを抑えようとしながら意を決して包みを開くと―――――……
「ん、来たか」
見合いとも言えよう二人の話し合いの席で先に部屋に来ていたのは黒の王子でした。豪奢な椅子に座り、酒を僅かばかり嗜んでいた彼はジルクハードの登場にその赤の目を細めるとニヤニヤとそれはそれは楽しそうに笑みました。
ジルクハードの格好は深い青のマーメイドドレスに、淑女らしくはない逞しい肩幅を隠す為の上質なサテンのストール。そして細かなダイヤがちりばめられ中央には見事なトパーズの着いた銀のネックレス、顔を隠すベールは緻密なまでに作り込まれたレース。控えめに控えめにとしようとしていたジルクハードを嘲笑うかのように、下品な派手さこそないもののこの席に着るにしては気合が入ったかのようにも見える出で立ちでありました。
これで来なければわかるな?とでもいいたげに見合い前に送りつけてくる黒の王子の意地の悪さや性悪さにジルクハードは怒りと呆れを覚えましたが国王、そして王妃に何か言われてもかないません。己の弱みを明かし、そして妹にはどうか何もしてくれるなと昨日言ってしまったのですから。
じろじろと見られ更に溜飲や言いたい暴言が喉元まで上がってくるのを堪え、震える声で満足かと問えば片眉をあげる仕草をした後にフンと鼻を鳴らしああ満足だと返されジルクハードも鼻を鳴らして席に着きました。
「それで、お前は妹の為にここまで出来るとわかったわけだが。あとどれだけ妹の為に動ける自信がある?」
席に着き直ぐに侍女がジルクハードにも酒をと準備するのを視界の端に収めていると黒の王子は早速とばかりに口を開きましたがあまりに唐突な発言であったため、ジルクハードは直ぐに返答する事が出来ずに、は、と聞き返してしまいました。
「だからお前は妹の為にどこまで自分を犠牲に出来るかと問いかけているんだ」
からかいの色が消え、ジルクハードの返答を待つ姿勢は真摯で施政者の様相が窺えました。そして己の返答次第で妹と己の運命が決まる事も察しました。
言葉を選ぶまでもなくジルクハードは真っ正面から黒の王子を睨むようにして見据え答えます。
「勿論、私に出来る限り、私は私の全てを賭けてでも妹を守り慈しむ。それが悪魔に魂を差し出すような事であろうともだ」
目の前にあった整った端正な顔つきが浮かべていた真面目な青年そのものといった表情が悪人のそれのように歪む。ああ、やはりこの男にはこちらの方が似合うと一瞬そう思いました。
「ならば喜べ。今日から風避けとして俺の仮初めの婚約者として据えてやる。お前が働いた分、お前の妹とやらには手を出さず、国にも潤沢な報酬もくれてやる」
斯くして、妹思いのジルクハード王子と黒の王子の仮初めの関係は始まったのです。




