6話
アシュレイは馬車の中で脱力していた。
あの後も野次馬に纏わり付かれたため、遠回りをする羽目になった。
御者は、「お嬢さん、すまないな。ああいう人には俺たちみたいな平民は何もいえねえんだ」と言い、静観していた事を謝ってくれた。アシュレイはそれについては薄情だ、などと思っていない。
たっぷりと時間をかけ、自宅付近まで戻ってくることができたのは夕暮れ前だった。
(思ったより遅くなっちゃった。母さん、もう夕食の準備を始めているかしら)
「おや、一台馬車が停まっていますね。ちょっと離れたとこに止めますわ」
アシュレイはその言葉を聞き、不安に見舞われた。
(まさか……)
不安は的中した。見慣れぬ馬車が視界に入ったのだ。
(ええっ、嘘でしょう。昨日の今日で、また来たって言うの?)
アシュレイはくらくらと目眩がした。
荷物を残し、馬車から飛び降り、玄関扉に飛びつく。
「お母さん!もしかしてまた変な人が来てるの!?」
叫びながら中に入ると、ちょうど扉の前にいた人物に思い切りぶつかった。
「ぎゃっ!!」
予期していなかった衝撃に、思わず蛙のようなうめき声をあげてしまう。
「とても年頃の令嬢とは思えぬ振る舞い。まさしくお嬢様の従姉妹、と言うべきでしょうか」
アシュレイの肩をささえながら、ぶつかられた男は無表情で言う。
昨日の来訪者、ミシェールに付き従っていた従者の男だ。
「それでは、アンドレア様。今晩、二十時頃にお伺いします。色よいお返事を期待しております」
従者は優雅に礼をし、「お元気になった様で何よりです」と言い残して去っていった。
アンドレアはこめかみを抑え、難しい顔をしている。
テーブルの上には、茶色いリボンがかけられた箱と、花束が置かれている。
「あの人、一人で来たの?」
「そうよ。あなたの様子を聞きにきたの。元気になりました、って言ったらまた
後で来るって言って聞かないのよ。主人の命令だから向こうも引かないんでしょうけど」
アンドレアはため息をつき、リボンに手をかけ、箱を開ける。
中には繊細で、美しいチョコレートが納められていた。一つ一つ形が違い、
ナッツや金箔が散りばめられている。アシュレイが繁華街に出かけた際にはいつも眺めている有名店のチョコレートだ。
「お見舞いの品ですって。食べなさいな」
見とれているアシュレイに、アンドレアは箱ごと菓子を差し出した。
濃厚な、甘い香りが漂う。
「え、後から食べたから言うことを聞け、とか言われない?」
「いくらなんでもそこまでケチな生き方はしていないと思うわ」
アシュレイは恐る恐る手を差し伸べ、真ん中のものを一つ取る。
真っ赤なハートの形をしたチョコレートだ。指に赤い粉が付着する。
裏にしたり、表にしたり、匂いをかいだりしていると呆れた声で注意される。
「溶けるわよ」
その一声を聞き、アシュレイは赤いハートを口に放り込む。
一瞬の酸味を感じた後、脳に染み渡るような甘さが来る。
舌で転がすと、あっという間にとろけてしまう。甘酸っぱいベリーの味が口の中に広がる。
「ふへへ」
アシュレイは思わず間抜けな声を出す。
チョコレートと共に、顔の筋肉もとろけていくようだ。
アンドレアはそんなアシュレイを微笑みながら見つめる。
二つ目を取ろうとして、母の方を見たアシュレイはある事を思い出した。
「あの、お母さん、これ持っていてくれない?」
アシュレイは先ほどヴィルヘルムに押し付けられたアクアマリンの指輪をポケットから出し、アンドレアに見せる。
「な・・・何よこれ?こんなのどこで拾ったの?」
アンドレアはきらきらしい指輪に対して拒否反応を見せる。
「あの、ちょっと、道端で、変な人に押し付けられて。断ったらどうなるかわからないからとりあえず受け取ったの」
アシュレイにはそれ以上の事が言えない。
アンドレアは無造作に指輪を手にとり、しげしげと眺める。
「この紋章・・・・・・ヴィルヘルム?アシュレイ、あなたヴィルヘルム・フリードリヒ・シュヴェリーンに会ったの?」
「そ、そうなのよ!その人!王弟殿下の!街中で目が合っただけなのに、突然馬車に乗り込んできたのよ!」
「あの子、30も過ぎてまだそんな事してるの!?20年前から進歩してないわね……」アンドレアが呆れたような声を出し、不穏な事を言う。
「母さん、もしかして殿下と知り合いなの?」
侯爵令嬢なら、王弟……当時の王子と知り合いでも何もおかしくはない。
「ちょっと待って。とりあえずあの子の事はいいわ。それより、今日よ。この後よ、またあの子が来るのよ。もう、見ただけでわかるわ。あの子は訳ありよ。だって、あの二人の……」
アンドレアは手のひらで顔を覆い、ブツブツと独り言を呟く。
「あの、それでね。今日、ローエンさんが晩御飯に来る事になっていて・・・・・・」
アンドレアが手でアシュレイの言葉を遮る。
「ちょっと待って。情報が多すぎるわ」
二人は時系列に沿って情報の共有をする。
「つまり、ステラがローエンさんにわがままを言って、巻き込もうとしてるのね?ステラがあの人はあなたに気があるって言ってたけど、あなたはどうなの?その人と一緒になりたい?」
「そんな事言われてもわかんないわよ!第一、何も言われたことないもの」
昨日から、同じような事を何度も繰り返し確認しているような気がする。
「ちょっと!外に馬車がいるんだけど、あれどうしたの?待ってるんですが、って言われたんだけど」
二人の会話は、帰宅者によって中断された。
グレイシーとハリスが連れ立って帰って来たのだ。
二人は職場の距離が近いので、帰りに合流することがあるそうだ。
「あっ、忘れてた。申し訳ないわ。父さん、荷物を運ぶのを手伝って」
ハリスを連れて小走りで馬車に戻ると、御者がのんびりと座っていた。
「ごめんなさい。ちょっと、立て込んでいて」
アシュレイは御者に謝ると、彼は神妙な顔で頷いた。
「うん、うん。そうだろうな。うちの娘は俺に似ちまって気の毒だな、と思ったけどよ、美人は美人の大変さがあんだな。頑張れよ」そんな事を言いながら、御者は荷おろしを手伝い、去っていった。
「ところで、何だ?この荷物。それにこんな上等なワインどうした?」
ハリスがもっともな疑問を口にする。ニールセン家は買い物に馬車を使うような立派な家系ではない。
「ローエンさんがうちに来るのよ!これはそのお土産。あと、あのミシェールって子も今晩来るんですって!」
アシュレイは簡潔に事実を述べるが、ハリスは首を傾げる。
「一体何がどうなっているの?その二人が知り合いなの?というか、この指輪は何よ。どこから来たの?ああもう、何もわからないわね」
グレイシーが腹立たしげに声を上げ、色あせた深緑のエプロンを見に着ける。当事者だって話についていけないのだ、今帰ってきたばかりのグレイシーが納得できるわけがない。
4人はぎゃあぎゃあ言いながら、夕食の準備を始める。約束の時間は刻一刻と迫って来ていた。
週末になんとか話を進めたいです。




