5話
ポイント、ブクマありがとうございます!感激です。
ステラから託された大量の紙袋と共に、アシュレイは馬車に揺られていた。
徒歩で小一時間ほどの道のりなので、すぐに家に戻れるだろう。
(好きなだけ持って行けと言われても、こんなに……一体、いくらするのかしら)
アシュレイは油紙に包まれたベーコンの塊を撫でながらため息をつく。
膝の上にはワインの瓶が二本乗っている。ステラとアシュレイが「お土産」を選んだ後、念のためローエンに内容を確認してもらった。結構な量だったために、厚かましすぎやしないかと思ったが、彼は「うん?これで足りるのか?お酒が無いじゃないか。ワインを持って行きなさい。あと菓子も。何も問題はない。私がお邪魔するのだから」と言い、あれよあれよと言う間に品物は追加されていった。
(ローエンさんって気前がいいわよね……)
彼の個人情報についてアシュレイは全く知らないし、調べようと思った事もなかった。
知っているのは「女性にものすごく人気がある」その一点のみと言える。
(まあ、見た目が良くて、仕事ができて、面倒見も気前もいいんじゃ、もててもててどうしようもないでしょうね。夢中になる人がたくさんいるのも頷けるわ。ステラも勘違いしているみたいだし)
(でも、ああいう人って、誰にでも優しいのよね……)
アシュレイは、昔から恋愛ごとに興味がなかった。別に男性が苦手な訳でもなく、理想が高いつもりもない。ただ、あまり興味がないのだ。見た目のいい男性を前にすると、素直に美男子だなぁと感心してしまうし、褒められると照れもする。しかし、その後どうこうなりたいと思う相手がいたことはない。
(うちはろくな持参金もないし、変におだてられて高望みしても自分がつらくなるだけなのよね。結婚って家同士の話でもある訳だし)
ステラの予想通りに本当にアシュレイに気があるとするならば、既に申し込みがあってもおかしくないのだ。それをしないと言うことは、すなわち「違う」という事になる。
アシュレイが「ローエンは自分に気がない、ただの非常に親切で気前のいい男性である」と結論付け、ハーブが漬け込まれた油の瓶を、まるで花束でも見るかの様にうっとりと眺めていた時、馬車がガタリと音を立てて止まった。
御者が申し訳なさそうにアシュレイに声をかける。
「お嬢さん、すみません。どうやら正面に貴族の馬車がいるみたいで。道を開けなきゃならんので、すこし遅れます」
市街地では乗合馬車も貴族の馬車も一律で同じ扱いを受ける。貴族だからといって交通上の規則を守らなくていいと言うことはない。それが通用するのは王族か、それに準ずる貴族……公爵あたりだろうか。
「脇に寄ります」
御者はそう告げると、馬車を斜めに進ませ、道端に停めた。
窓から顔を出すと、はるか前方からきらびやかな馬車が進んでくる様子が窺い知れる。
「どなたの馬車ですかい?」
「王族ではない……と思うわ。街に出てくる、という事は王弟殿下かしら?」
現在の国王には年の離れた弟が一人おり、大変な美男子かつ恋多き人物として有名だ。彼は30すぎても独身で、まれに市街地にふらりと現れるらしい。
もちろんアシュレイは王弟殿下……シュヴェリーン大公を実際に見たことなど一度もない。
仮に社交界にデビューしたとして、同じ会場に入れるかどうかも怪しいだろう。
アシュレイは少しわくわくしながら馬車が通り過ぎるのを待っていた。
市街地に王弟殿下の馬車が通るのは、一種のパレードのようなものだ。
道路の左右には、珍しいものを一目見ようと老若男女様々な人が集まってきている。
(ヴィルヘルム殿下は、金髪にロイヤル・ブルーの瞳の美丈夫なのよね。絵姿通りの方かしら?)
馬車はゆっくり近づいてくる。どうやら平民たちに手を振りながら進んでいるらしい。前方の反応から、アシュレイは自分のいる側に王弟殿下がいるらしいとあたりをつけた。
(もうそろそろね)
馬車がゆっくりとすれ違う。
窓の向こうの、王弟殿下を見つめる。 まさしく絵姿の通りの美丈夫だった。
(へー、本当に美男子なのね。眩しいわ)
貴族の肖像画というものは、大抵本人の機嫌を損ねない様に多少美化されているものだ。
しかし、目の前の男は絵よりも美しく見えるので、アシュレイはただただ感心した。
(家に帰ったら、姉さん達に自慢しよっと)
その時、平民たちに手を振っていたヴィルヘルムが目線を上げたため、馬車の中のアシュレイと目が合った。あわてて奥に隠れようかとも思ったが、あまりに強い視線を感じ、見えない力に雁字搦めにされたような感覚を覚えたアシュレイは動く事が出来なかった。視界から彼が消えてやっと、ズルズルと座席にもたれかかる。
(眼力が凄かったわ……)
ほんの一瞬の出来事だったが、全身に冷や汗をかいている。ときめきではない。これは恐怖だ、とアシュレイは思った。家の前で野犬と遭遇した時の感覚に似ている。
アシュレイが呼吸を整えていると、にわかに外が騒がしくなった。何があったのか興味が無い事もないが、精神的な疲れの方が大きかった。ざわめきがどんどん近くなってくる。市民と握手でもしているのかもしれない。
「外が騒がしいですね。この調子だと、しばらく出発できなさそうですね」
アシュレイは御者に声をかける。御者は何か返事をしたようだが、喧騒にかき消され、うまく聞き取れない。
座席から体を起こし、御者の方へ身を寄せようとしたその時、馬車の扉がどんどんと叩かれた。
「えっ?誰?どなたですか?」
御者は無言だ。外が騒がしすぎて聞こえていないのかもしれない。
「御者さん、外にいるのは誰ですか?商会の方?」
まさかこんな昼間、街のど真ん中で強盗もないだろう。しかし、アシュレイのいる馬車に用事がある人間など、そうそういるわけもない。よく聞くのは物乞いだが、それなら御者が何も反応しないのがおかしい。もう一度馬車の扉が強く叩かれたため、アシュレイは仕方なしにこわごわ馬車の扉を開いた。
そこに立っていたのは、先ほど見たばかりのヴィルヘルム・フリードリヒ・シュヴェリーン大公その人であった。
「?」
アシュレイは理解が追いつかず、目の前のきらびやかな男性をただ黙って見つめる事しかできない。
ぼーっとしているアシュレイを、ヴィルヘルムもまた見つめ返す。
「???」
何故?という感情しか湧いてこない。もしかしなくても、ジロジロ見たせいで不敬罪に問われるのだろうか。
(えっ、何?何で?)
アシュレイは混乱していたが、「目上の貴族には自分から話しかけてはいけない。相手が話しかけてくるのを待つべし」という父の教えが思考を支配する。
アシュレイが石像のように固まっていると、ヴィルヘルムはとろけるような笑みを浮かべ、いきなり馬車に乗り込んできた。そのため、前のめりになっていたアシュレイは押し込まれるように元の位置に戻る。
ヴィルヘルムは扉をピシャリと閉め、大量の紙袋をガサガサと押しのけてアシュレイの隣に腰掛ける。
(あっ、わかった、夢だわこれ)
アシュレイは左手で自分の頬をつまむ。感覚はあった。
横目でちらりと隣を見る。夢ではないようだ。上から下までじっくりと眺められている。
(どうしよう。どうするのが正解?というか、この人何のためにここにいるの?)
外の騒がしさが遥か遠くに感じる。
眺める事に満足したのか、とうとうヴィルヘルムが口を開く。
「やあ、美しいお嬢さん。こんな昼間に月の女神が……と思ったけれど、こんなにたくさんの食物に囲まれているという事は、豊穣の女神デメテルなのかな?まあ、何でも構わない。君はどこから来たのかな?名前は?年はいくつかな?」
「ヒッ」
アシュレイは膝に乗せていたワインの瓶を抱きかかえ、壁際に寄る。
昨日からとんでもない事しか起こらない。なぜいきなり、街中で出会った王族に絡まれないといけないのか。先程欲を出して、夕食に関係ない色とりどりのドロップが詰まった瓶まで貰った罰が下ったのだろう。
「名前は?」
アシュレイが怯えて答えないため、ヴィルヘルムはアシュレイの顎に手をかけ、魂が底冷えするような笑みを浮かべる。
「あ、アシュレイ、です……アシュレイ・ニールセン」
やっとの事で声を振り絞ると、ヴィルヘルムは手をパッと離し、にっこりと笑った。
「そう、ニールセン……ニールセンか。誰だ?」
誰だと言われるのも当然である。大公が貧弱子爵の家名を認識しているはずもないのだから。馬鹿正直に名乗るべきではなかったのかもしれないが、相手はこの国で五本の指に入る権力者だ。不興を買ってしまった日には、アシュレイ一家は跡形もなくこの世から抹消されてしまうであろう。
「まあ、今はいいか。アシュレイ、綺麗な髪だね。それにその淡い水色の瞳もとてもいい。あと健康的なのもいい」
ヴィルヘルムはアシュレイの髪を一房手に取り、弄ぶ。
顔の筋肉がうまく動かない為、アシュレイはその間ずっと口をもごもごさせ、馬車の中に散乱している紙袋達を眺めていた。
ややしばらくして、髪から手を離したヴィルヘルムはアシュレイの視線の先にあった紙袋に手をかけ、
その中に入っていたドロップの瓶を手に取り、見つめた。ナイチンゲール商会の印をちらと見つめた後、元の場所に戻す。
彼の行動の全てが理解できないが、アシュレイには逆らう事が出来ない。
ただ、一刻も早く王弟殿下がこの場を去ってくれる様、祈るばかりである。
「私なら、すぐに無くなってしまう物よりも、ずっと役に立つ物を贈るよ」
そう言いながら、右手に嵌まっていた指輪を抜き、アシュレイの手に握らせる。
「これをあげよう。いつも身につけている様に」
白金に、細かい意匠が施された大粒のアクアマリンの指輪だ。窓から差し込む光を反射し、水面の様に光っている。男性用のため、ずっしりと重い。直前までヴィルヘルムの指に嵌っていたためか、妙な生暖かさがある。
「い、いただけません。このような高価なものを……」
値段がどうこうよりも、雲上人から大層な物を賜る理由が無い。
ヴィルヘルムは悲しげに眉根を寄せる。
「私の贈り物は受け取れないと?」
「い、いえ、とてもその様な事は」
アシュレイはふるふると首を振る。手のひらの中の指輪は、汗でじっとりと濡れている。
「なら良い。アシュレイ、また会おう」
ヴィルヘルムはアシュレイの頬を撫で、颯爽と馬車から降りていく。
開かれた扉の向こうに、無表情の執事と騎士が立っているのが見えた。
彼らは野次馬がこちらを覗き込もうとするのを阻止する様に、ぴしゃりと扉を閉めた。
だんだんとざわめきが小さくなり、馬車がガタリと動き出すまで、アシュレイはずっと自分の瞳と同じ色の宝石を眺めていた。




