4話
このあたりからラブコメ感が強くなります。
日が高くなり、大体の人間が仕事を始めた頃、アシュレイはやっと起き上がった。
ベッドから起きあがり、伸びをする。昨日の体調不良は嘘の様に消えていた。
居間に向かうと家族はすでに出かけた後の様で、誰も座っていなかった。テーブルの上の籠に、沢山の桃が収められている。台所で物音がしたため、顔を出すと母アンドレアがいた。
「母さん、おはよう」
朝の挨拶をすると、母は作業の手を止め、アシュレイに近づき、抱きしめてきた。
突然の抱擁に動揺してしまうが、母の胸中にも色々あるのだろうと察し、
されるがままにしておいた。
ややしばらくすると、体を離し、頬を撫でられる。だいぶ気恥ずかしいが、
ぐっとこらえる。
「おはよう、アシュレイ。体調は良さそうね。昨日は嫌な思いさせてごめんね」
母の顔を見る。病み上がりの自分よりも少しやつれている様に見える。
「大丈夫よ。それより、お腹が空いたわ。胃の中が空っぽなの」
できる限り明るい声を出す。
「ローエンさんが差し入れてくださった桃があるわ。用意するわね」
アンドレアが微笑む。母は40手前の割には若く見え、化粧っ気がなくても美人であると判断して差し支えない目鼻立ちをしている。ミシェールの様に上等な衣類で着飾った若き日のアンドレアは、さぞかし美しかった事だろうとアシュレイは思った。
ほどなくして、くし切りにされた桃が透明なガラスの器に盛られ、アシュレイの前に差し出される。一切れ口に入れると、果汁が口いっぱいに広がる。
「すごく美味しい。とっても甘いの。母さん、食べてみた?」
アシュレイは声を弾ませる。桃は彼女の好物だが、この時期にしか食べられない上に痛みやすいため、食後のデザートに出てくることはほとんどない。
「一口貰うわ」
アンドレアは桃を指でつまみ、ひょいと口に入れる。
その仕草はとてもかつての上級貴族の令嬢には見えなかった。
その後、言われるがままに桃を三つも食べた。
茶に一緒に貰った蜂蜜を入れるかと言われたが、勿体無いので断る。
贅沢しすぎると、後が怖いのだ。
「ローエンさんにお礼を言わなきゃ……」
アシュレイは、籠に無造作に差し込まれていたメッセージカードを開く。
そこには、几帳面な字で体調を心配する言葉がしたためられていた。
「そうね……桃も、蜂蜜も、普段うちでは買わない様な贈答品だと思うわ。ステラが話をしてくれているでしょうけど、散歩がてらお礼を言ってきなさいな」
「そうね。行ってくるわ」
アシュレイは身支度を整える。長く 、ゆるいウェーブのかかった銀髪を梳り、軽く化粧をする。古ぼけた日傘を手に取り、ステラの働いているナイチンゲール商会へ徒歩で向かった。
ナイチンゲール商会は歴史のある商会で、グレンジャー伯爵家の傘下にある。
かなり手広く商売をしているようで、ある程度の役職につければそれなりの暮らしができると聞いた。次姉のステラはそこで接客の仕事をしており、繁忙期にはアシュレイも売り子の手伝いに駆り出されている。
入り口に近づくと、顔見知りのドアマンがにっこりと迎えてくれる。
「ステラさんは今受付に居ますよ」
「ありがとうございます」簡単な挨拶を交わし店内に入ると、まさしくステラが
にこやかな笑みを浮かべていた。
「アシュレイお嬢様、御来店有難うございます」
うやうやしくステラが礼をする。きつめのウェーブがかかったブルネットの髪が揺れる。
「もう、姉さんたら」
アシュレイは気恥ずかしくなり、唇を尖らせる。
身分は確かに子爵令嬢であるが、子爵といっても経済状況や影響力は様々だ。
「ローエンさんにお礼を言いにきたんでしょう?休憩ついでに案内してあげるわ」
ステラに手招きされ従業員用の通路に入ると、事務所に向かうまでもなく、前方にローエンとジョルジュが居た。こちらに気がつくと、大股で近づいてくる。
「アシュレイさん、こんにちは。もう体調は良いのですか?」
ローエンは明るい栗色の髪に、翠の瞳を持つすらりとした美青年だ。
商売人らしい、爽やかな笑みを浮かべている。彼は買い付け担当らしく店頭には滅多に出ないが、もし彼が売り子だったならば、店内は女性客で溢れ、外まで行列が出来るであろう。
「ええ、大丈夫です。 もうすっかり良くなりました。お見舞いの品、ありがとうございます。高価な品を頂いてしまって。桃、とても美味しかったです」
アシュレイは丁寧に頭を下げる。顔を上げると、ローエンはさらに笑みを深めていた。
「そうですか。何がお好きかジョルジュに聞いてもわからないと言うし、ステラは教えてくれないんですよ。『ご自身で推理してみてくださいな』などと意地悪を言うものですから、店にあって、なおかつ病み上がりに良さそうな物を必死に考えたんです」
「そうなのですか?私、てっきり姉が厚かましい事を言ったのかと。桃は私の好物なんです。今年は初めて食べました。あんまり美味しくて、起き抜けに三個も食べてしまったんです。種も取っておいて、庭に埋めようねと母と話していて……あっ、申し訳ありません、余計な事を」
アシュレイが話している間、ローエンはずっと笑っていた。
(具体的に感謝の気持ちを伝えようと思って、言わなくていい事まで喋ってしまったわ。はしたなかったかしら)
少し喋りすぎたかと、アシュレイは口を閉ざす。
「ステラに渡した時の反応から、『これは当たったな』とある程度は自信があったのですが、そんなに喜んで貰えると商人冥利に尽きますね」
ローエンが語る様を、ステラとジョルジュはにやつきながら見ている。その顔がそっくりだったので、やはりこの二人はお似合いのカップルだとアシュレイは思った。
「喉が乾いたでしょう?事務所へどうぞ。いらっしゃるのが分かっていれば、馬車を手配したんですが」
と言われアシュレイはびっくりしてしまった。
「そんなことをしてもらうわけにはいきません」
「私が勝手にする分には構わないでしょう?」
二人のやりとりを聞いていたステラが、まるで名案を思いついたとばかりに声を張り上げる。
「そうだわ。次の話し合いの時、ローエンさんにも来てもらって睨みをきかせてもらえばいいんだわ!そしたら向こうも諦めるかもしれないし」
「ええっ?姉さん、なんて事言い出すのよ。巻き込むのはジョルジュだけで十分よ」
ローエンが顔をしかめる。
「体調不良の他にも何かあったのですか」
アシュレイの静止を振り切り、ステラがペラペラと話してしまう。
「そうなんですよ!詳しい話はここではできないんですけど、アシュレイを、その・・・・・・貰い受けたいって人がいたんです」
ステラの発言にローエンが仰け反り、天を仰いだ。少しの沈黙の後、彼は口を開く。
「アシュレイさんを貰い受けたいとは、どこの誰ですか?男爵?子爵?伯爵?それともどこぞの成金か?私の知ってる人ですか?長男?次男?三男?詳しく聞かせてくれませんか?」
ローエンが突然早口で質問責めをしてきたので、上司の前でありながらジョルジュは吹き出してしまったが、彼は全く気が付いていない。まっすぐにアシュレイを見つめている。
「ええと、ローエンさんの知らない人・・・・・・だと思います。私の具合が悪くなったので、話がものすごく中途半端な所で終わっちゃって。あの、別に面白くもない話です」
ローエンが一歩前に進み出る。
「面白くない話だから確認する必要があるんですよ?この後お時間ありますか?お昼まだですよね?無理なら夕食はどうですか?」
アシュレイはローエンの気迫に押され、何と言えばいいのかわからない。そもそも詳しく話すとなれば、母の実家の話からしなくてはいけなくなる。姉と義兄の上司とは言え、赤の他人に話すべき内容か。まごまごしていると、ステラが勝手に話をまとめてしまう。
「昨日使わなかった材料が余っていますし、是非うちにいらっしゃってくださいな。アシュレイはこのまま返して、母に言付けさせますから」
「わかった。それではステラ、今日のお土産を選んでくれるかな。金額は私の給金から引くから気にしなくていい。ご両親の好きそうな物を選んでくれ、好きなだけな。ああ、あとアシュレイさんを帰す為の馬車の手配を。さあ、ジョルジュ、仕事だぞ。今日は絶対に残業ができなくなった。絶対にだ」
「まだ昼飯を食べていない」と愚痴をこぼすジョルジュを引き連れたローエンは足早に去って行き、後にはステラとアシュレイが残された。
「良かったわね!これで一安心よ!」
ステラは破顔しながらアシュレイの肩を叩く。彼女の頭は「お土産」で頭がいっぱいに違いない。
「姉さん、なんて事言うのよ?ローエンさんがうちにって……いくら上司でもそれはないわ」
「今の態度見たでしょう?私が無理に頼んだんじゃないわ。向こうが乗り気なのよ」
結局、アシュレイは姉の口車に乗せられ、食材を持たされて帰路につく事となった。




