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3話


『あの女を殺せ!あいつが全ての元凶だ!!』

人々の怒号が荒れ果てた土地に響く。


薄暗い部屋に、一組の男女が佇んでいる。

「××、すまぬ。この情勢では、お前を生かしてやることは出来ぬ。儂を許せ」

年老いた男が一筋の涙を流す。


「罪九族に及ぶ、と申します。陛下にお恨み申し上げる様なことは、何もございません」

女はしずかに頭を垂れた。 その白い首に、絹の紐が巻かれる。


記憶はそこで途切れた。



(ひどい夢だわ。)

アシュレイは目を覚ました。全身が鉛の様に重く、汗で体はじっとりと湿っている。


(喉が乾いた)

アシュレイは殺風景な天井を見ながら思った。

水が飲みたいが、起き上がるのが億劫である。何とか寝返りをうち、体を横向きに丸める。自分の胸元から漂う、汗の匂いに顔をしかめる。


(はぁ、今の夢何だったのかしら)

自分が夢の中で見知らぬ人生を生きている、そのような事は今までも度々あった。それまでは目覚めると大概の内容は忘れてしまっていたのに、今日ははっきりと覚えている。


(だるい。誰か来てほしいな……)


その時、長姉のグレイシーが水差しを持って現れた。

彼女は、丸まっているアシュレイの顔を覗き込み、瞳が開いていることを見て安堵した表情を浮かべた。


「よかった、起きたのね。今日のうちに目が覚めて良かったわ。お医者さんを呼ぶしかないかも、って話をしていたのよ」


グレイシーはアシュレイを優しく抱き起こし、「水を飲みなさいな」と硝子のコップに水をそそぎ、アシュレイの手に握らせる。水差しは枕元のサイドテーブルに置いかれた。


「体を拭きたいでしょう?ちょっと待っててね」

グレイシーはそう告げると、小走りで部屋から出て行った。


アシュレイはコップの水をしばらく見つめた後、一気に飲み干した。

飲み足りない。そう思い、水差しに直接口をつけ、ごくごくと喉を鳴らしながら飲む。末席とは言え、貴族の令嬢としてはありえない振る舞いだが、彼女にとってそんな事は些細な事である。唇からこぼれた水が、顎をつたい、ふくよかな胸の谷間に吸い込まれていく。


「ぷはっ」

水差しの水を七割ほど飲み干して、息を吐く。

体の隅々まで水分が行き渡り、少しだけ気分が良くなる。

何事もなかったかのように水差しをサイドテーブルに置き、ぼうっと扉を眺めていると、グレイシーがタオルと桶を抱えて戻ってきた。


「あら、随分飲んだのね。今ステラがお茶を淹れているわ。ジョルジュからお土産を貰ったんですって。東の国から来た果実の香りがついたお茶らしいわ。あと、ローエンさんがアシュレイにって、蜂蜜とか、果物を差し入れて下さったの」


グレイシーはタオルを水に浸し、硬く絞りながら、アシュレイに服を脱ぐ様促す。


「一体、どのくらい寝ていたの?」

しわくちゃになった麻の寝巻きのボタンを外しながら、姉に問いかける。

外はどっぷりと暗くなっている。食事会はどうなったのか、とふと不安になる。

謎の従姉妹なる人物の発言が本当なら、義兄になるはずの二人にも関係のある話だ。


「まるまる10時間くらいかしらね。まあ、今日の食事会は中止になったわ。当然ね。二人にはまだ何も話していないわ」


まるでアシュレイの心を読んだかのような返答をして、グレイシーはタオルを妹に手渡す。


体を拭きながら、アシュレイは自分が倒れた後の話を聞いた。

倒れた時は熱がすごかったが、すぐに平熱に戻ったため、様子を見る事になった事。ミシェールの話したことは全て本当だと、両親が認めた事。その時は語られなかったが、アシュレイが子供の頃、姉妹達が揃って流行り病にかかり、治療費を捻出するために、母が実家に泣きついた事。その時に改めて「約束」について念を押された事。



「身代わり、ってなんだと思う?」

「そこまでは話を聞いていないわ。彼女はあの後すぐに帰っていったの。具合が悪いのに気がつかなくて、申し訳ないって言っていたわ」


色々な事がありすぎて心の整理がつかない。

彼女は、「日を改めて出直す」と言っていたらしい。

その言葉を聞いたアシュレイは顔をしかめ、それを見たグレイシーも押し黙った。


気まずい空気が部屋に充満した頃、

ドアが控えめにノックされ、茶器を持ったステラが顔を出した。


「入るわよ。というか、入ったけど。貰ったばかりの珍しいお茶よ、飲むといいわ。精神を落ち着かせる作用があるんですって」


ニッコリと微笑み、 カップをアシュレイに手渡す。

こわごわと両手で受け取ると、懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。


「茘枝……」

知るはずのないその果実の名前が、はっきりと頭の中に浮かんだ。


「えっ?どうして『ライチ』だってわかったの?ジョルジュがこっちの国では滅多に見かけない果実だよ!なんて言ってたのに」


次女の婚約者のジョルジュは大きな商会の幹部の息子である。

ステラはその物怖じのしなさと、愛想の良さで見初められ、名ばかり貴族の位を捨てて平民となる事を決めている。


アシュレイは、あわててその場をごまかす。

「ローエンさんが教えてくれたことがあって……」


ローエンと言うのは、ジョルジュの上司で、他の商会から出向している人物だ。


ステラは納得した様で、カップを手に取り、瞼を閉じて茶の香りを堪能する。


「まあ、ジョルジュが知ってる事ならローエンさんが知っているのは当然よね。

というか、あなた達ってそんな話が弾む関係だったのね?ローエンさんはアシュレイに気がありそうだって、ニヤつきながら言っていたのは本当だったのね」


「ええと……」

アシュレイは口ごもる。言い訳に使っただけで、ローエンと世間話をしたことなど数えるほどしか無い。そもそも苗字しか知らないぐらいなのだから。


「ローエンさんの事は今はどうでもいいわ」

グレイシーがピシャリと言い放つ。


「そんな事より、あの令嬢よ。最初からアシュレイに狙いを定めていたわよね。今度彼女が来る時は、私も席を外さないわ。多分、自分の代わりに条件の悪い縁談に行けとか、そう言う話よね?冗談じゃないわ。そりゃ、父さんと母さんが悪いかもしれないけど……」


「そうね。残念だけど、あの二人はあてにならないわ。自分たちで撒いた種なんだから、せめてしゃんとしてほしいわよね。アシュレイを放っておいて、二人して萎れちゃって」


ステラがムスッとした顔で応じる。アシュレイが目覚めた事で二人もほっとしたようで、昼間の出来事に対してやいのやいのと言いたい放題だ。姉達はひとしきり喋った後、それぞれの自室へ戻っていった。



一人になったアシュレイは、明かりの消えた部屋でぼんやりとしていた。

昼からずっと寝通しだった割には、姉達のおかげかはたまた茶の効果か、いつも通り眠れそうである。


(わたし、どうしてあの香りの正体がわかったのかしら……)


答えが見つからないまま、アシュレイの意識は再び闇に落ちていった。





なかなかコメディパートにたどり着けませんね……

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