大切な同志と傷心の探索
夕暮れの少し手前の時間になった。
窓の外はウィームと同じような雪の白さが夕闇を明るく照らす雪景色だが、ここは雪が内包する光の強さが、見慣れたものとは違うようだ。
ウィームやリーエンベルクの雪景色が淡い水色を内包する煌めきなら、ここは深い藍色の暗い光を、仄暗くけれどもなぜか清廉に雪に含んでいる。
時代によって雪は色が違うという話を思い出し、ネアは、この色もとても好きだと微笑みを深めた。
健全な乙女がなぜここで雪判定をしているのかと言えば、残念ながらすることがなくなってしまったからである。
雪景色の厳選なる審査と判定が終わり、お役目を失ったネアは、またかくりと項垂れた。
「むぐぅ…………」
アルテア邸に滞在中のネア達は、檸檬色になった銀狐をお風呂に入れてすっかり疲れたアルテアが部屋に籠ってしまい、現在は、宿泊させて貰う寝室に解き放たれていた。
ここで暫しのんびりせよという厳命であったが、美味しいものを沢山食べたばかりであるし、特に疲れていないネアは、まだ元気いっぱいであった。
銀狐は気持ちのいいお風呂の後ですっかり眠たくなってしまっており、寝台を見付けるなりその上でくるりと丸くなった。
ムグリスと化した伴侶も、たくさん撫でられてへなへなになった後なので、その隣に設置したところすやすや眠ってしまう。
身を寄せ合って固まる毛玉は堪らなく愛くるしかったが、ネアにとっては大事な仲間を失ったに等しい。
最初はその罠に気付かずに可愛い光景を大満足で眺めていたが、入眠を止めずに見守ってしまったことで、自ら仲間を手放してしまったと気付き、愚かな人間はしょんぼりする。
勿論、使い魔たるアルテアはネアのものなので、即ちこの屋敷もネアの資産となる。
この扉を開けて他の部屋を探検する資格は、ネアにもある筈だ。
そうしても良かったのだが、アルテアが檸檬狐のお世話で疲れて休んでいるのであれば、起こさず寝かしておいてやりたい。
(アルテアさんもお昼寝中かもしれないから……………)
アルテアは、ネアにとって大切な使い魔である。
素晴らしいパイやタルトを生み出すその体を維持する為には、体を休めることも大事であるし、思慮深く慈愛に満ちたご主人様は、苦手な誰かと通信をして磨耗した心も密かに案じていた。
ネアは少しだけ考えると、ウィリアムと分け合っている魔術のカードを取り出した。
こちらも忙しいかもしれない相手に、手持無沙汰でメッセージを送るのは気が引けたが、せっかくなので季節のご挨拶などを送ってみようと思い立ったのだ。
(ウィリアムさんは、元気かな………)
つい先日会ったばかりであるのだが、終焉を司る魔物は忙しい。
戦乱や大規模な事故、疫病や天災など。
死者の王と恐れられる彼は世界のあちこちを巡り、目にするものは想像を絶する凄惨なものが多い。
ネアにとってのたった一日だって、ウィリアムにとっては、一年にも思える長い一日かもしれないではないか。
なのでネアは、何度かいらないメモ用紙に下書きをした後、可愛い霧竜の絵を描いてから、あまり無理をしないようにというメッセージを送ってみる。
これなら応援メッセージなので負担にはならないだろうし、何か頼りたいことがあれば、相談し易くなるかもしれない。
ディノも心配しているようだが、ウィリアムは、凄惨な仕事現場で過ごす中で、そのような悲劇はもはや見慣れたものだからと自分の心の傷に蓋をしてしまうことが多い人だ。
頭の中で、白い軍服に裏地の暗い赤色が鮮やかな白いケープを翻し、戦場を歩く魔物の姿を想像した。
白い髪に、葡萄酒色の虹彩の散らばる白金色の瞳。
酷薄な美貌は冷ややかで、とても恐ろしい魔物だと言われているが、ネアにとっては早くから相談に乗ってくれていた、頼りになる近所のお兄さんのような大事な友人の一人だ。
戦場で終焉の魔物を見た人達は、高位の人外者であれ大抵がウィリアムを怜悧な美貌と評するらしいが、雑踏に足を踏み入れれば、途端にその他大勢に紛れてしまう。
それは、密やかに忍び寄る死というものの資質を表しているらしく、実際にウィリアムは、休暇には人間に混ざって生活をしていたりすることもあった魔物だ。
ネアの目には、覗き込めば凄艶な美貌だが、優しく微笑む姿が印象的な、その恐ろしさよりは頼もしさが勝る大切な仲間だった。
想像が膨らみ、軍帽は恰好いいという結論でふんすと胸を張ったネアは、次に会いに来てくれる時には、帽子をかぶったままでも構わない旨も書き添えてみる。
すると、たまたま少し休憩を取っていてカードを開いたところだというウィリアムから、すぐに返事が来た。
“はは、じゃあ次はそのままの姿で会いに行こう”
“ウィリアムさんの軍服は大好きです!”
“ネアは、リーエンベルクか?”
“いえ、実は、お宅訪問の呪いというものにかかってしまい、ディノと、銀狐なノアと一緒に、アルテアさんのお家に滞在中なんです。明日の朝まで帰れない呪いなので、今夜は、美味しいものをたくさん食べるつもりなんですよ”
晩餐のメニューは未知数だが、ネアはとても素敵なものになるだろうと確信している。
どんな時でも美味しいものを出してきてくれるアルテアなのだから、取り急ぎのお料理であれ、どれも美味しいに違いない。
“残念だな。リーエンベルクにいるなら、少し顔を見に行こうかなと思ったんだ。……………アルテアの家というのは、少し心配だが、シルハーンとノアベルトが一緒なら何とか許容範囲か…………”
「む、………許容範囲……………」
そんな返事を読みながら、許容範囲でなかったらどうなってしまうのだろうという疑問を抱いたが、剣を鞘から引き抜くウィリアムしか想像出来なかったので、あまり深く考えないようにした。
叱る際に気軽に剣で刺していいのは、同じ魔物までだと心を尽くして説明にするにせよ、またしょうもない呪いにかけられてと刺されてしまわないよう、ネアも充分に気を付けなくてはならない。
“今度のお仕事も大変なのですか?”
“よくある戦乱の一つだ。無残ではないとは言えないが、開戦宣言の後に始まる戦乱は双方同意で始まるものだから、疫病や虐殺よりはよほどいい”
そう言うウィリアムの姿は想像出来る。
近所の優しいお兄さんのような柔和な微笑みは、その心の中に溜め込まれてゆく悲しい光景に何も感じていない訳ではない。
“……………また今度、お弁当を足しておきましょうね”
“ネアにこの前貰ったサンドイッチが残っていたから、昨晩はそれを食べたよ。お蔭で元気が出た。…………どうだ?シルハーンの伴侶ということには、少し慣れたか?”
“何だか不思議な感じがしますが、今迄よりも守護の強度が上がったと聞いてほっとしています。でも、今迄通りのところがとても多いのと、…………まだ、な………にゃわ対応は発生していません…………………”
そこで触れられたのは、伴侶に向けてな第一回目の研修からウィリアムが相談に乗ってくれている、変態のお作法についてであった。
ネアの伴侶は残念ながら、爪先を踏んだりして欲しい変態である。
そのような嗜好の人達には何をしてあげればいいのだろうと途方に暮れたネアが、ウィリアムに相談し、国内で最も多様な嗜好の歓楽街を持つアルビクロム領で、一緒に未知の世界の扉を開いて貰ったのだ。
(とは言え、専門家の人の授業を聞いて、一緒にその手のショーを見に行っただけなのだけれど…………)
最初の授業は途中で逃げ出してしまったし、舞台も途中からは直視出来なかった。
けれども、ネアにとってはとても貴重な時間だったのだ。
第一回開催の際には偶然のゲスト参加で、第二回開催では最初から一緒に出掛けてくれたアルテアも含め、彼等は一緒に死線をくぐりぬけた大切な戦友である。
決して一人にしないで欲しいので二人にはいつまでも元気でいて欲しいし、絶対に記憶も失わないで欲しい。
そう思うのはウィリアムも同じようで、終焉を司り死を齎す第二席の魔物ですら、アルビクロムの夜に纏わる話題になると、すっかり弱ってしまう。
魔物というものは、とても繊細な生き物なのだ。
“あ、……………いや、そっちを聞いたつもりはなかったんだが、…………そうだな。……………普通のものに慣れてからの方が、安全かもしれないな。…………いや、俺は何を言ってるんだ……………”
何となくカードの向こうで頭を抱えている姿が見えるような文章が返ってきてしまい、ネアは、ますます魔物の思いがけない無垢さについて考える。
例え変態的縄の使用法なるにゃわなる嗜好であろうと、涼しい顔をして受け答えしそうな老獪な魔物達が、軒並みへなへなになってしまう。
“師匠が戻って来てくれれば、仲良くなれたので、もっと色々と教えて貰えるのですが…………”
“ああ、まだあわいから戻れていないんだったな。…………確か、誰かがあわいで見かけたんじゃなかったか?”
“シェダーさんが、通勤中にすれ違う列車の中にそれらしき三人組を見かけたそうです。あの麗しの焼肉弁当らしきものを持っていたらしく、そちらの面でも情報を求めています…………”
訳あってウィームに給仕として勤務中の犠牲の魔物は、あわいを走る列車で通勤していたりもする。
一方で、ネアに変態を理解する為の精神的指導を行ってくれた師匠こと、梱包妖精のグレーティアは、蝕の時に起こった事件の影響で未だにあわいを彷徨っていた。
どうやら、迷わせるという意図の下にあわいの奥地に飛ばされたらしく、きちんとした手順を踏んで地上に戻る必要があるらしい。
一刻も早く再会して、あの事件の後、ネア達は無事に帰れたと伝えたいのだが、なかなかそれが叶わずにいた。
グレーティアと、一緒にいる旧時代の最高位の魔術師であるグレーティアの養父のウェルバの姿は知らない人達も多いが、彼等とまだ一緒に行動してくれているらしい魔物は、他の魔物達に顔が知られている。
見かけたら伝言を頼もうと思って、知り合いの魔物達に声をかけていたが、列車ですれ違いざまだとさすがに難しかったようだ。
(でも、お弁当を食べて仲良く旅をしているみたいだったし、元気そうなのが分かっただけでも良かったな……………)
なお、会話に登場した焼肉弁当とは、一度食べると皆が虜になってしまう、中毒性すらある美味しいお弁当なのだが、現在この世界のどこにお店が出されているのかが分からない、彷徨える焼肉弁当屋さんなのである。
思わずじゅるりと唾を飲み込み、ネアは今年もあのお弁当を食べてみせると、新たな誓いを胸に抱くのだった。
“…………兎に角、………そうだな、また困ったら相談してくれ。…………あまり、追求し過ぎない方が、俺としては安心かな。近い内にまた会いに行くよ。砂風呂にも行かないとだし、実はネアには他にも見せたいものがある”
“まぁ、何でしょう?”
“サナアークのオアシスの地下に、旧時代の天文学の都が発掘されたらしくてな、その一部を使った観光地のようなものが作られていたんだが、今年から営業を開始したそうだ。浅い鉄鍋で米と様々な具材を炊いた料理を出す店が美味しいぞ”
“……………い、いつ連れて行ってくれますか?”
聞けばそこには、星空の遺跡広場という、見事な星空の事象石が売られる市場もあるらしく、サナアークのオアシスにある串焼き屋の店主と訪れたウィリアムは、ネアが好きそうな店ばかりだと考えているらしい。
初回は、厄介な旧時代の疫病などが残っていないかを調べる為の訪問だったらしく、ウィリアムもまだ全てを見た訳ではないのだとか。
素敵な約束を取り付け、ネアは、ほくほくしてカードを閉じた。
近い内に食べる予定の鉄鍋ご飯の為に、お口をもぐもぐさせて予行練習をしておく。
(旧時代の天文学の都かぁ…………)
そこには、どんな星の事象石があるのだろう。
星屑を閉じこめた石はきっと素敵にきらきら光るに違いない。
そう考えかけ、一瞬思考が年始の星祭りのことに近付いてしまい、ネアは途端に無表情になるとぱたりと思考を閉ざした。
「………………むぐるる」
低く唸り、悲しい思いで周囲を見回したが、仲間達はまだむくむくすやすやと眠っている。
そっと撫でてやって、まだまだ目を覚まさないなと判断してから、ご主人様は心の傷から目を背けるべく、使い魔のお家の探検に出かけることにした。
アルテアがお昼寝中ならぬお夕寝中だったとしても、起こさないようにすればいいと判断したのだ。
「ほお、余程お仕置きされたいらしいな?」
しかし、扉を開けたそこには、お風呂掃除でもしていたのかなという格好のアルテアがいるではないか。
運悪く、たまたま通りかかった時に扉を開けてしまったらしい。
ネアは、すぐさまそんな使い魔に捕獲されてしまい、再び部屋に閉じ込められてしまった。
檻の中の獣のように低く唸りながら部屋の中を歩いていたネアが、窓というものの可能性に気付いてしまうのは、その五分後のことである。