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スープのふるまいと野外学習




はらはらと雪が降る。

ウィームの冬にしては珍しく朝は晴れていたのだが、午後にかけて雪雲が現れ静かな雪の日となってきた。

風もない静かな雪が美しいウィームの街に積もりゆく様は、この街を愛していなかったとしても心奪われる光景に違いない。




エーダリアはその日、思いがけないお客達に囲まれて、リーエンベルクの外客棟に来ていた。



呆然と目の前の光景を見守り、どうしてこんなことになってしまったのかと考えたが、どこからこうなったのかも、もはやよく分からなかった。



がっしょん、がっしょんと音が響き、そこで行われているのは絶え間ないスープの受け渡しだ。


スープを銀白のボウルに注ぎ入れているのは、ダリルが、不在にしている魔物達の代わりに招聘した一人のスープ専門店の店主で、彼の日給はリーエンベルクで収穫出来る雪煙のオレンジである。



年明けと共に旅に出る予定だったらしいが、ネアとディノの婚姻に伴い、ウィーム周辺には珍しい魔術異変が多発している。

雪には祝福が多く宿り、見たことのない美しい花や木の実の報告も多発していて、彼はそのようなものを採取する為に旅立ちを一月延ばしたのだそうだ。



アレクシスとは初対面ではないが、黒紫色の瞳に浮かぶどこか飄々とした穏やかさが、目の前の光景にも全く動揺していないことを示していることには、驚きを禁じ得ない。

なぜこうなってしまったのかを、彼は思い悩まないのだろうか。




「ピ!」

「おお、まだ飲めるか?」

「ピ!ピッ!」

「はは、いい飲みっぷりだな。こっちはリィーシィンの実を入れたもので、薬効が強過ぎて人間には出さなかったが、ほくほくとしたジャガイモのような食感になっている。これも好きかもしれないな」

「……ピ?!ピ!ピ!」



どすんばすんと弾む真っ白な星鳥は、このリーエンベルクでネアが名付け親になったほこりだ。



四杯のお代わりを重ねたスープがなくなったようで、また新しいものを出されて羽を膨らませている。

反応を見ていると、これもかなり美味しかったのだろう。



ちょっとした魔術事故により、このリーエンベルクの主戦力とも言うべき魔物達は現在、お宅訪問の呪いでアルテア宅から帰れなくなってしまっている。

ネアとディノ、そしてエーダリアの契約の魔物でもあるノアベルトも、明日の夜明けまで戻れないのだ。



そのことを知りダリルがアレクシスに声をかけてくれたのだが、ザルツでの任務で今日は戻れないグラストも、ゼノーシュに相談してくれたらしい。

その結果、ゼノーシュから相談を受けたほこりが、リーエンベルクの臨時守護者としてやって来てくれ、アレクシスと出会ったのだ。



ほこりにとって、このリーエンベルクで美味しそうに思えてしまうのはネアだけなのだそうだ。


少しだけ気になるというゼベルも伴侶の夜狼の里帰りに同行して不在にしているので、このような環境ならば、食べ物問題はそこまで深刻ではないらしい。


ただ、それでもやはりおやつは必須となるので、滞在中に調度品などを食べてしまわないように、処分待ちだった討伐した獣や祟りものの骨や残留品を出すかどうかをヒルドと検討していたのだが、そんな心配はもはや無用のようだ。



ほこりが悪食だと知ったアレクシスは、自分のスープはどうだろうと提案し、ほこりはその提案に大喜びした。


人間には出せない仕上がりになったというスープはよほど美味しいのか、歓喜の身震いをしながら飲み干しているほこりから視線を剥がし、隣でその光景を見ているヒルドを振り返る。


ヒルドもいささか呆然としてはいたが、エーダリアよりは幾分も冷静なのだろう。

しかし、その隣に座った霧雨のシーのイーザとイーザが連れて来た雲の魔物のヨシュアは、目を丸くしてほこり達を見ている。


こちらは、やはりダリル達と同じように心配したヒルドが、友人であるイーザに声をかけてくれたのだ。



そんな、三者三様の手配を見ると、エーダリアは何だか不思議なあたたかさでいっぱいになる。


ただでさえ、もう充分な守護があるのだ。

ネア達やノアベルトが不在にしていても、かつてよりは遥かに恵まれた環境に違いない。


それなのにこんな風に協力を仰いで頼もしい守護者を揃えてくれる仲間達は、何とも過保護であるのと同時に、それだけの手立てがこのリーエンベルクに揃ったのだという頼もしさでもあった。




「ほぇ、そのスープ凄いの?」

「ピギ」

「……………睨んだ」

「ヨシュア、意地汚く他の方のものを欲しがってはいけませんよ」

「ピ!」

「ふぇ、僕は取ろうとしてないのに、誰も守ってくれないよ…………」

「おや、私の後ろに隠れても、イーザからは丸見えですよ」

「イーザは、もっと僕を大切にするべきなんだ。ヒルドからもそう言うべきだよ」



あっという間に、そろそろ驚かなくなったいつものどたばたが始まり、エーダリアは、幻と言われるような素材ばかりが入ったとんでもないスープを、どこからともなく取り出してくるアレクシスからまた目が離せなくなってしまう。



(取り寄せの魔術のようだが、重ねてかけられている状態保存の魔術が人間の領域を遥かに超えている…………)



先程からほこりに振舞われたスープは、既に七十杯を超えた。


その全ては、銀のボウルに細やかな細工を施し、その上から乳白色の特別な白薔薇の結晶石をまわしかけて作られた、こちらもとんでもない品物である銀白のスープ皿に注がれている。



最初の一杯はその状態で出され、ほこりがお代わりを欲しがると、またどこからともなくスープ鍋が取り出され、そこからお代わりが継ぎ足される。

ほこりが新しいものを欲しがると、また次のスープ皿が現れるの繰り返しだ。



「……………そ、そのスープは、どこかに用意してあるのだろうか?」



恐る恐る尋ねたエーダリアに、ちらりとこちらを見たアレクシスは、唇の端を持ち上げて微笑む。




「ああ。試作品が数万を超えたので、あわいの隙間に併設空間を造り、そこに格納してあるんですよ。味付けや素材ごとに並べてあるんですが、…………うーん、今はどれくらいあるかな……………」

「数万…………も、あるのか…………」

「今はその倍くらいは。スープにしている内に、魔術の錬成や変化で人間には受け付けられないものになってしまうことがあるのですが、とは言え、美味しくできたスープには罪はありませんからね」

「あ、ああ、そうだな…………」

「ご自身では飲まれているのですか?」



そう尋ねたのはヒルドだ。

ほこりは大喜びだが、確かに人間には難しそうな組合せばかりが続いている。

これを使ったとなると、味見などはどうしていたのかという疑問はもっともであった。

そもそも、なぜその材料をスープにしてしまったのだろうというものが圧倒的に多いのだ。



「勿論、飲みますよ。俺はそういうものには慣れているんです。ただ、自分で飲んだだけではスープを振る舞う喜びは得られません。適当な人外者に飲ませて、過分な付与を与えても面倒なことになる。ほこりに出会えて、ようやく自分以外の誰かにも楽しんで貰えるのが嬉しいですね」



そう言いながらアレクシスが新しく出したのは、見た目だけならとても美味しそうなお菓子のソースのようなスープだ。

湯気が立つスープボウルをそのまま渡し、ほこりはスプーンを使わないので、ボウルを抱えて飲んでいる。



「ピ!」

「ああ、これは選択の魔術証跡を少し拝借して、香り付けに使ってある。酸味のある薔薇の花と、雪すぐりの実が入った甘酸っぱいスープなんだ。目や肩が疲れている日の朝に飲むといい」

「ピギャ!」

「ほぇ、アルテアの魔術証跡なんて、僕でも盗めないのに……………」

「アルテアのものなのか……………」




部屋に用意された大きなテーブルには、ほこりが綺麗に飲んでぴかぴかにしてしまった空っぽのスープ皿が積み重なってゆく。


護衛として訪れたリーエンベルクで思いがけないご馳走に出会ったほこりは、大喜びで吐いた宝石を、既に幾つもアレクシスに渡していた。


ただ、アレクシスはあまり宝石には興味がないようで、スープには出来ないなぁと微笑むばかり。




(ダリルの知人なのだから、一筋縄ではいかない人物だとは思っていたが………)



勿論、エーダリアとてこのアレクシスのことは知っている。


ウィームに着任してすぐの頃から、街にあるスープ専門店のオーナーの一人であり、ウィームではかなりの技量を持つ魔術師の一人として何度か名前が挙がるのを聞いていた。


それだけではなく、ネアからその店の評判を聞き、ヒルドやノアベルトと何度か店にも行ったことがあるし、このアレクシスに挨拶をしたこともある。



(だから、とんでもないスープを作るのは知っていたつもりだったのだが…………)



しかし、話に聞くのと実際に彼が魔術を動かすのを見るのは大違いだ。

思えばあの時は、彼は出来合いのスープを振舞ってくれたばかりで、特別な魔術を動かすようなことはしていなかった。



(……………取り寄せの魔術を使うだけなのに、これだけの異質さが際立つのも珍しい。アレクシスの扱う魔術の錬成は、何の波紋もない鏡のような水面を思わせる。…………魔術展開の前後にもその水面を全く揺らさず、使う瞬間にだけ膨大な魔術を一瞬にして組み立てているようだ………)



エーダリアの胸の内は、もしかすると今迄に出会った中でも最高峰の能力を持つ魔術師かもしれないアレクシスの力の片鱗を見てしまったことへの動揺と、十五番目と四十三番目のスープに使われていた材料をどこで収穫したのかを聞きたいのとで、千々に乱れている。


文献にはあるが、実在するとは思わなかった野菜や、千年に一度しか咲かない花がスープになっており、それをスープにしてしまったこともとても気になるが、どうやって見付けてきたのかをとても知りたい。



店で出されているスープにもとんでもないものは入っていたが、人間用に仕上がらなかったスープとなると、その材料は尋常ではない。



(……………っ?!今の食材は何だ?聞いたこともない名称の花蜜だが、尋常ではない魔術量を感じる…………。風の系譜のものなのだろうか…………)



アレクシスは、毎回新しいスープを出す際には材料を説明してくれるので、片時も目が離せないではないか。




「エーダリア様……」



夢中で見ていたら、隣のヒルドからどこか呆れたような声をかけられた。

片手を上げて返答を少し待たせたのは、その次に出されたスープにも、またとんでもないものが入っていたからだ。



「やれやれ、すっかり平常心とは程遠いですね…………」

「ヒルド、………今のは幻の大根なのだぞ?私は魔術書でどのような形状なのかも分からないとしか読んだことがない!」

「……………分かりましたから、座って下さい」



言われてはっとすると、どうやらエーダリアはその場で立ち上がったまま、ずっと、アレクシスとほこりを見ていたようだ。


そのことに言われるまで気付かなかった自分に、エーダリアは愕然とする。



「……………私は、立ち上がっていたのか」

「二杯目から既に立ち上がられておりましたよ」

「………………すまない、つい…………」



恥じ入ってかたんと椅子に座れば、こちらを見たアレクシスが小さく微笑んだ。




「普通に人間用のものを飲みますか?今だと、星崩しの花と、オリステンの葉、夜渡り鹿のベーコンのスープがありますよ」

「…………オリステンは、成就の系譜の幻の木なのではなかっただろうか…………」

「木というよりは、ローズマリーなどが近い植物ですね。料理の仕方を間違えると舌に葉が残りますが、独特の香りが色々なスープに合います。星崩しの花と合わせると、大願成就などの効能がありますので、エーダリア様にはいいかもしれません」

「…………いただいてもいいだろうか?勿論、料金はきちんと払う」

「それは結構ですよ。今日は探していたオレンジの原種の実で日給も貰いますし、こんなにいいお客様と出会えただけで充分だ」

「ピ!」

「だが、昨年末はネア達が世話になっただけでなく、私も危うい間違いに気付かせて貰った。是非にその礼もさせて欲しい」




ネアから、アレクシスから得難い気付きを貰ったのだと聞いて、いつか礼を言わなければと思っていた。



昨年末、ネアとディノは婚姻にあたり、それまで結んでいた歌乞いの契約について見直しを必要とされていた。


元々、エーダリアもディノが正式な薬の魔物であるとは思っていなかったので、最初の契約書も仮の名称として作ってあったし、契約に修正をかけること自体は問題がなかったのだ。


けれども、国内の魔術の最高機関であるガレンの長のエーダリアですら、魔物と歌乞いとの契約が本当の意味で生涯一度限りのものだとまでは知らなかった。


報告にある全ての歌乞い契約が、人間側の死か、契約の魔物共々の失踪で終わるものであり、それを常識としていたことで契約の破棄についての議論や研究はなされていなかったのが実情だ。


エーダリアとしては、万象の魔物という名称を書類に残すことにも懸念があり、契約の修正ではなく一時的な放棄を考えて、婚姻の前に二人の歌乞い契約を破棄させるつもりであった。



(そうしていたらと考えると、ぞっとする…………)



その時は、人間側の認識と魔物側の認識にすれ違いがあり、ディノは、一度破棄された契約が二度と結び直せないものであることを、あえて言葉にはしていなかった。

それは多分、いざという時には自身のその恩寵を捨てる覚悟で、自身の婚約者を守る為に閉ざした言葉だったのだろう。



アレクシスがネアに与えてくれた助言により、魔術の仕組みに明るくないネアがあれこれと質問を重ねてくれ、エーダリア自身も見過ごしていたことに気付けたのだ。




「ネアは、俺にとって大事なお客の一人なんですよ。同じメニューを四日連続で頼み続けてくれて、一月に同じスープを十三杯飲んだと知った時から、とても大事に思っています。料理人として、常連を守るのは当然のことですから」



けれどもアレクシスは、そう首を横に振って微笑む。



ネアが何にそんなにもはまっていたのかも気になって尋ねたところ、ウィームの土地の祝福が、しっかりと体に馴染むような体質を整える為のスープだったのだという。




「日々新しいスープを作れることと、それを喜んで飲んでくれるお客がいることが、俺のこの上ない欲求であり、喜びなんですよ」

「ピ!」




あたたかな湯気を上げるスープ皿が、目の前に置かれた。

こちらを見る黒紫の瞳に頷き、一礼してスプーンを手に取る。



ひと匙掬って飲めば、やはりアレクシスのスープは堪らなく美味しい。




「……………美味しいスープだ」

「はは、それだけでもう、俺には充分なお礼です」

「ほぇ、僕もスープが欲しい」

「であれば、鶏団子と香草バターのクリームスープはどうだろう。君は魔物だから効能などは控えめだが、味は抜群だ」

「うん。それを出すといいよ」

「ヨシュア、あなたは、きちんとお願い出来ないのですか?」

「ほぇ………?」




アレクシスはウィームの民だ。

エーダリアやヒルドには敬語で話してくれるが、相手がヨシュアになるとそれをなくしてしまう。


目の前の魔物が冷酷で残忍だとされる雲の魔物だと知りながらのその対応も凄いなと思いつつ、エーダリアは美味しいスープを味わった。


奥でヒルドが、あわいの駅で採取してきたエーデリアの系譜の植物をスープに出来ないか尋ねているのが気になるが、アレクシスのスープなら間違いなく美味しいだろう。




それは不思議な一日だった。



午後のスープの時間が終わると、エーダリア達はアレクシスと一緒にリーエンベルクの庭や菜園、禁足地の森などを歩き、スープの材料を探すアレクシスから、様々な植物の薬効などを教えられる。



エーダリアは、正式な魔術の師を得たことはない。


ガレンでも各方面の専門家からの学びはあるし、ヒルドやダリル、魔物達からも様々なことを教わるが、それは授業を受けるような時間とはまた別の感覚である。


学院などで設けられる野外学習とはこんな感じなのだろうかと思えば、なんと贅沢で心踊る一日だったことだろう。




その夜は、不思議な顔揃えでリーエンベルクの料理人による食事と、アレクシスの作ったスープを皆で楽しんだ。



だが、アレクシスから今夜のスープは三回くらい死んでも大丈夫になる薬効だと聞き、少しだけ呆然としている。







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