見覚えのあるタルトと狐の懐柔
その日の夜明け前に起きたことを、今更説明するまでもないだろう。
間違えて寝室に入り込んだノアベルトが逃げ出して行ってから、アルテアは暫くの間その場に立ち尽くしていた。
けれども、立ち去ったノアベルトがその後にどこに行ったのかを考え、すぐさま開けっ放しだった部屋の扉を魔術で閉める。
この屋敷の中でアルテアが閉ざすという選択をする限り、この扉は万象にも開けることは出来ないが、そうして部屋を閉ざしていても何になるのだろう。
それもまた馬鹿馬鹿しいと考え、すっかり目が冴えてしまった以上は寝直すことは諦めて着替えることにした。
「…………ウィームの朝市が今日だな」
そう呟けば、何はともあれ、今日は朝市に出かけて行かねばならないような気がした。
保存庫の備蓄を思い浮かべようとしたが、なぜかとても億劫になったので、良いものがあれば買えばいいだろうと考えるのをやめた。
靴下を履き替える際にまたあの生き物の顔と目が合い、暫く動きを止めてからうんざりして脱ぎ捨てる。
しかし、そのままどこかへやってしまおうとしても、どうせネアのことだ。
手作りのものを捨てでもしたら、とんでもない大騒ぎをするだろう。
(…………機嫌を損ねると、何をするか分からないからな……………)
小さく溜め息を吐いてから洗濯籠に入れ、手に持っていた漆黒の上着を羽織る。
ただの市場とは言え、あの界隈に出没する高位者達はそれなりのものだ。
最近は額縁まで現れたのだから、朝食の買い物程度だとしても、今暫くはそれなりの備えで行かなければならない。
けれど、身支度をして靴を履いてからふと、爪先の収まりに違和感を覚えた。
アルテアは選択を司る者だ。
靴下一枚までも、気に入ったものを身に付けているつもりだが、先程までのあの手編みの靴下の方が、妙に足に馴染むように思えたのだ。
(………………何か、妙な魔術添付でもしたんじゃないだろうな…………)
顔を顰めて洗濯籠の中を一瞥すると、指先を曲げて虚空から取り出した帽子を被り、杖を取り出して浅く転移を踏んだ。
この屋敷の中では、例えアルテアであろうとも、一度玄関ホールまで行かなければ空間の外への転移は出来ないようになっている。
幾つかの規定を設けその上限を定める魔術は、アルテアの持つ選択の要素に、グレアムが好んでいる犠牲の魔術を取り入れたものだ。
簡単な行動自体を鍵としてあり、全部で百通り程度を用意したその鍵を組み合わせないと、今回のネア達のようなことでもない限り、転移などの魔術は成り立たないようにしてあった。
外に出ると、まだ夜明け前のウィームは、どこまでも深く静謐な雪景色だった。
精緻な彫刻を施した古い街並は、かつての王都らしい華やかな佇まいながらも、決して過剰な装飾はない。
ふくよかなウィームの土地そのものを彩りとし、特別なドレスに宝石を合わせるようにして、雪や花々を纏う。
空を満たした夜の色の端に微かな黎明の青さが滲み、真っ直ぐに続く大通り沿いの街灯には、新年の祝いの飾りがかかっている。
その一つ一つに蓄えられた祝福は、この先決して同じことは起こらない、万象の魔物の慶事における祝福を煌めかせ、多くのものを見てきたアルテアでさえ、目を止める程に複雑な魔術を織り上げていた。
(けれどもそれを、誰にも奪えないようにしてある。なかなか利口な魔術の組み方だ。……………エーダリアの手によるものだろうな)
ノアベルトあたりが指導したのだろうかと考えかけ、ぐっと息を詰めた。
喉元から胸の奥までに、あの瞬間の耐え難い不快感が澱んでいる。
その部分だけを手で引き剥がして捨ててしまいたいが、感情の剥離魔術は迂闊に手を出すのが愚かしい程に厄介なものだ。
そこまでの支配を魔術で振るえるのは、やはりシルハーンしかいないだろう。
(………………っ、)
違うことに気持ちを向けようとしたのだが、結局その瞬間のことを思い出してしまった迂闊さに、声なき声で小さく呻く。
たまたま近くに居たのだろう鳥の妖精達が、何を感じたものか、目を覚ましばさばさと飛び立っていった。
「………………南側から回るか」
ややあって、そう呟き深く息を吐くと、暫く雪の歩道を歩いて馴染みの店の角を曲がり、まだ暗い朝の内から人々の賑わいを感じるウィームの朝市に入った。
雪の青白さに、灯された市場の明かりがぼうっと滲むように広がる。
この区画の市場は屋根があり、その共同区画の外壁になるように小さな仮設店舗が周囲を囲んでいる。
仮設店舗とは言え、随分と古いものだ。
例えばこの茶葉の店は、古くから茶葉を扱いその祝福結晶が育った結果、そこかしこに紅茶色の美しい結晶石が細やかな祝福の光を落とす。
これだけの結晶石を育てているとなれば、店で扱う茶葉の品質はもう充分に保証されてしまうのだから、選別もし易い。
(茶葉は揃っていた筈だが……………)
そう思って素通りしようとしたところだったのだが、店先には冬の朝露と花蜜に漬け込んだ新鮮な氷砂糖が売られていた。
漬け込んだばかりのこの氷砂糖は、まるで果実のような瑞々しい甘さを紅茶に与えるものだ。
大抵は古くなった紅茶を最後まで美味しく飲む為のものだが、新鮮とされるのは漬け込まれて三日までのもので、最も味が整うのも三日目なので、この店では本日限りの品として売られているようだ。
(………………あいつが好きそうな品物だな)
この氷砂糖は期限が短いこともあり、店主の気が向いた時にしか売られない珍しいものである。
決して特別な材料を使っている訳ではないのだが、売り切らないといけない商品になるので、扱いが面倒なのだろう。
アルテアが思案する僅かな時間の中でも、通りかかった男が慌てて引き返してくると、一瓶買い上げてゆく。
それを見て肩を竦めると、アルテアも一瓶買っておくことにした。
白い紙袋に水色に煌めく氷砂糖と淡い琥珀色の花蜜が満たされた瓶を入れ、それを片手にまた市場の外周を歩く。
ウィームの朝市は良い品物が多い。
この時間の市場は、ゆっくり見て回れるのでなかなかに気に入っていることを思い出し、満更でもない気分になってきた。
外から市場に入ってくる者達の息は白かった。
厚手のマフラーや上質なコートを着ており、市場を覆う暖かな魔術結界に一息つき、けれどもまだコートを脱ぐ程ではない。
冬にしか扱われない品物も多くあるので、入り口付近の店々では、大気温度はそこまで上げずに、それぞれの店舗の敷地ごとに寒さの管理をしていた。
とは言えそんな細やかな調整がかけられるのは、ここが魔術の豊かな土地だからであり、ヴェルリアの市場ですら気温管理は一括だ。
それがウィームでは、おおよそ五段階に気温管理されているようで、市場の最奥に入れば、歩道まで安定した暖かさを魔術で整えられた区画に切り替わる。
そのような区画にあるのは、通年を通して売られる品物の店だ。
菓子類や香辛料の店など常温の品物の店もあるが、保冷用の水晶の商品棚を持つチーズ屋などもある。
北側の最奥には、その場で飲食の出来る幾つかの店があり、朝の早い仕事に就く者達以外にも、これからの忙しい時間の前に朝食を済ませている市場で働く者達の姿もあった。
「おや、おはようございます」
ふっと、一人の男と目が合った。
唇の端だけで淡く微笑んだその男は、ザハで給仕をしている初老の人物だ。
ネアがとても気に入っており、つい最近、これが今代の犠牲の魔物の別の顔であることを、アルテアは知ったばかりである。
なかなかの品物だと唸らせるような白灰色の毛織りのコートを着ており、そこに趣味のいいマフラーを巻いている姿は、どこからどう見てもただのウィーム領民にしか見えない。
上手く擬態したものだと思わざるをえなかったが、これもまた何某かの対価の一環であるようなので、であればグレアム自身も、最大限の力を割かざるを得ないだろう。
その上でこの男は、今の暮らしをかなり気に入っているようだった。
「何の用だ」
「はは、そう警戒されずとも、偶然ですよ。本日は仕事が休みですので、早起きして朝食の為に新鮮な果物でも買おうと思って足を運んだだけですから」
「………………どうだかな」
それでも何かの作為や思惑があるのが、犠牲の魔物ではないか。
アルテア自身、この男が全盛期の時には何度も煮え湯を飲まされている。
今は階位を下げて侯爵位の魔物であるが、放っておいてもいずれ階位を上げて来るに違いない、魔物の中でも取り分け器用でしたたかな男である。
この男を犠牲の魔物としたのは誰だったのだろう。
それは或いは、身も蓋もなく願い事を司る魔物だとした際に起こったであろう混乱を避ける為であったのかもしれないし、魔術上における願い事というものの本質が犠牲だったのかもしれない。
とは言えグレアムは、犠牲と引き換えに願いを成就させる魔物だ。
大きな成就を経た今の彼が、既に一つ階位を上げていても不思議はない。
「私はあまり料理は得意ではありませんが、向こうの店に良い鴨肉がありましたよ」
「…………清々しい程正面から踏み込むのは相変わらずか」
「さて、どうでしょう。それと、あちらにある燻製卵は揚げ物に良さそうだ」
「それは、ネアに言え。俺の領域じゃない」
低い声でそう言えば、グレアムは小さく微笑んで会釈をするとそのまま立ち去った。
手には、早朝限定で詰め合わせを安く売ってる果実店の袋がある。
味に問題はないが、陳列に向かない実の小さなものを、まとめて大箱で売ってしまうのだが、本来は早朝に買い付けにくる飲食店主などに向けた商品だ。
ザハで働いているので、そのような情報なども抜け目なく手に入れているのだろう。
その後ろ姿を見送っていると、木苺や無花果などの乾燥させた果物を沢山練り込んだ丸パンの店に立ち寄り、焼きたてのものを幾つか買って帰るようだ。
果物を買ったばかりの足であの店のパンを買うのだから、どうやら犠牲の魔物は、果実系のものが好きであるらしい。
本気でただの買い物客のようなので興味を失い、その後も何店舗かの店を回った。
結局、グレアムの口にした鴨は本当に出物だったので買うことにしたが、卵は見送った。
確かにシルハーンは味付きの卵に衣をつけて揚げたものが好きなようだが、そのようなものであればネアが作ってやれるだろう。
それに朝食からともなるといささか重いので、代わりに新鮮なチーズで軽めのジャガイモとベーコンのグラタンでも作ってやればいいのではないだろうか。
何となくだが、そろそろシルハーンの好みそうなものも分るようになってきた。
そう考えてシュタルトの水牛のチーズの在庫を脳内で確認し、作ったばかりのパイ生地のことも思い出してしまった。
(…………チーズ店のオレンジの質がいいと言っていたな…………)
であれば、ネアに、オレンジのパイを作ってやるのもいいかもしれない。
焼き立てを振る舞うことを考えれば、他の果物やカスタードなどを入れるものではなく、オレンジだけで焼いておいて、甘さを足したい場合には生クリームを添えて食べさせればいいだろう。
小さ目のものにして何個か焼くか、或いは薄い円形のものを焼いてもいい。
どちらが食べたいかを聞いた上で作ってやれば、あの強欲な人間のパイの要求も暫く落ち着く筈だ。
そんなことを考えながら、目的のオレンジが積み上がった籠を見付けた時のことだった。
「………………………」
チーズの店の保冷庫の中に並んだ新商品に目を止め、アルテアは愕然とした。
そこに並んでいるのは、小さなタルト生地に絞られたこの店で人気のクリームチーズの菓子だ。
しかし、いつもは果物などを乗せているそのタルトにはなぜか、木苺のソースで小動物のような顔が描かれている。
奇しくもその顔は、アルテアがネアから贈られた靴下と殆ど同じ表情をしていた。
無言でそのケースの中を見ていたからか、気付いた店員がにこやかな微笑みを浮かべる。
新商品ですよと言われたが、まさか買うとでも思っているのだろうか。
なぜこの生き物がここにいるのだろうと考え息を詰めていたが、値札のところに書かれた商品名にはふわまると書かれている。
(……………蝕の時の、)
どうやらこれは、あの蝕の際に活躍したという新種の生き物を模した商品であったようだ。
勘違いだったのかと脱力したが、それに気付けば色々と腑に落ちる。
ウィーム領の住人達が、今の領主に向ける思いには特別なものがある。
そんな領主が未知の祝福を持つ生き物を連れて、これまでにない災厄である蝕の隔離地を作ったのだ。
ふわまるという生き物の名は、そんな領主の齎した恩恵を語る上で欠かせない存在として、ウィーム内ではかなり浸透していた。
ふわまるという名前を正式な種族名として登録することは出来ないと、エーダリア本人はかなり渋い顔をしていたが、うっかり仮の名称として口にしてしまったその名前は、随分と親しみを持って民衆に受け入れられたようだ。
こうして商品にまでされているあたり、ウィームの商人もなかなかに商魂逞しい。
であればこのタルトは、まったく違う生き物を模しているのだ。
それなのに、見れば見る程に、あの靴下を思い出してしまう。
何とも言えない気持ちでそのケースを見ていると、背後から誰かが歩み寄ってくるのが感じられ、そちらの気配を探る。
すぐに誰だか分かったのだが、アルテアはかえって溜め息を吐きたい気分になった。
「アルテア、ネアが心配していましたよ」
そこに立っていたのは、どうしてここに居るのかをその一言で説明してみせた、終焉の魔物である。
相変わらず、擬態してその他大勢に紛れるのは上手いようで、近寄って来られるまでその気配は察せずにいた。
(くそ、よりによって…………)
ネアから連絡が入っているのなら、ウィリアムは、アルテアの屋敷で何があったのか、その事情までを知っているかもしれない。
そんなウィリアムに声をかけられるのが、よりによってこのタルトの前だとは。
「…………………足りない食材を買い足しに出ただけだ。放っておけ」
「その割にはネアが心配していたような気がしますね。何かあったんですか?」
「……………今度ノアベルトに会ったら、勝手に俺の屋敷への道筋をつけるなと言っておけ」
「俺がノアベルトと二人で会うことはあまりないんですが…………。ええと…………」
どうやら事情までは知らなかったらしいウィリアムは本気で困惑しており、惨憺たる思いで短い会話を終え、篭の中から幾つか気に入ったオレンジを選ぶと支払いを済ませた。
予定より少し多めに購入したのは、思っていたよりも質がいいのでジャムにもしようと思ったからだ。
どこか訝しげなウィリアムを背後に残し、買ったものを持って市場を出た。
いつの間にか、夜が明けたようだ。
冴え冴えと輝く雪のウィームには、これから始まる一日の為に家を出た、様々な人々の姿があった。
統一戦争以前よりある建物や街路樹に、ふと、今こうして過ごしていることの不思議さを思う。
魔術の質のいいこの土地に住み続けるであろうとは考えていたが、より深く、特定の誰かを介して一つの土地に執着を持つようになると、どうして予想出来ただろう。
そしてそんな人間は、きっと屋敷でアルテアの帰りを待ち侘びているに違いない。
なにしろ、朝食がまだなのだ。
「アルテアさんが戻って来ました!」
屋敷に帰ると、案の定、ネア達が待ち構えていた。
幸いにもノアベルトの姿はなく、シルハーンから、リーエンベルクに送り返しておいたと伝えられる。
そんな事が出来たとなると、やはり万象は無尽蔵な存在なのだろう。
ネアからは、ノアベルトは酔っぱらっていたようだと言われたが、幸い最後に見たものについては、ノアベルトも口を噤んだようだ。
いつもならそのような話題を決して聞き逃さないネアから、あの靴下について触れられることはなかった。
「食後にパイを焼くつもりだ。この前林檎で焼いてやった一口パイと、円形の薄いパイのどちらか選んでおけ」
「……………ほわ、究極の選択を強いられました」
「…………お前にとっての究極は、食い気だけなんだろうな」
「まぁ!私にだって、容易には明かせないような様々な悩みもあるんですよ。美味しいパイは、そんな日々を乗り越える為の素敵な栄養になるので、決して妥協出来ません」
そう言うと、ネアは小さく微笑む。
その眼差しに揺れた鋭さに、思わず目を惹かれた。
「…………また、妙なものを抱え込んでいないだろうな?お前は目を離すとすぐに事故るからな」
そう言えば、鳩羽色の瞳が小さく揺れてこちらに向けられる。
その向こう側に潜むのは、この人間らしい冷静な線引きにも似た、僅かばかりの逡巡であった。
黙り込むようであれば、何を隠しているのかを無理矢理にでも聞き出す必要がある。
そう考えて目を細めると、ネアはまた、小さく微笑んだ。
「……………事故り易さでは、アルテアさんには及ばないと自負しております」
「やめろ………………」
「なお、今度ガーウィンで三泊四日の潜入調査なお仕事をするのですが、アルテアさんも参加したいですか?」
「………………は?」
「まだ少し先ですが、少しややこしい事件が起きているのです。エーダリア様からは、使い魔さんにも協力して貰うかどうかは、私の判断に任せると言って貰えたのですが、何しろアルテアさんはたいそう事故り易い魔物さんですし、ガーウィンと言えばの信仰の魔物さんともあまり仲が良くないので…………」
悩ましげにそう言ったネアの頬を摘まんで唸らせておき、なぜか窓際で涙目で震えている銀狐を抱いているシルハーンの方を振り返った。
「……………危険はないんだろうな?」
「通常ないような仕事である以上は、それだけの事情はあるのだろう。でも、私も一緒に行くので心配はないと思うよ」
「同行者を増やす手配をしておけ。いいな?」
「…………むぐる!頬っぺたを解放するのだ!!乙女を不細工にする辱めを続けるのなら、パイは二種類とも献上して貰うことになりますよ!」
「何でだよ」
結局、ネアは、円形のパイの方を選んだので、オレンジを剥きながら手早く準備をする。
生クリームも添えると言い張る人間を宥めつつ、なぜか涙目のままこちらの動向を窺っている銀狐を振り返った。
「……………ったく、お前はお前で、部屋から追い出したことを根に持っているな…………」
そう呟くとなぜかネアが短く息を飲んだので、夜中に勝手に部屋に入ってきたので追い出したのだと説明した。
「……………その、狐さんを…………?」
「他に何がある。ノアベルトの話はするな」
「………………狐さんが、アルテアさんのお部屋に…………」
「行ってしまったのだね……………」
全員の視線を集めた銀狐は、そんなことをまだ根に持っているのか、目を丸くして尻尾をけばだたせていたが、面倒になってベーコンの切れ端を渡すと微かにではあるが尻尾を振り始めた。
けれども、ベーコンを食べ終えると、またすぐに尻尾が下がってしまう。
朝食を食べ終えた後も、頑なに目を逸らそうとするので、仕方なく抱き上げてやり、ぞんざいに撫でておいた。
どうせ今年も、予防接種の際には駆り出されるに違いない。
それに、ネア達だけでは換毛期の手入れがいつもいい加減なので、その面倒も見る羽目になるだろう。
下手に拗ねられても厄介だと思ったのだが、なぜか銀狐は最後まで毛を逆立てて必死に首を傾げていたので、後日リーエンベルクに行った際に足元に落ちていたボールを投げてやればすっかり落ち着いたようだ。
たまたまその光景をウィリアムに目撃されてしまい、信じられないものを見るような顔をされたが、であれば霧竜の擬態をした際に、銀狐にずっと背中に顔を擦りつけられていたお前は何なのだと、こちらにも言い分がある。
ネア達のかけられたお宅訪問の呪いとやらは、幸いにもその後は発動することがなかったようだ。
だが、あの靴下は気付けば無意識に履いていることもあるので、やはり浸食の系統の魔術が織り込まれているのは間違いないだろう。
おまけに、擬態魔術で見た目を変えようとしても、頑強にその魔術を跳ね返してくる始末だ。
あの事件以降、屋敷で履く際には細心の注意を払っている。
ただし、ネアから揃いのマフラーを編もうかと提案されたので、しっかりと断りを入れておいた。




