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夢幻堂  作者: シエル
4/4

 他の子ども異変に気づき始めたようだった。唖然とした様子で、鳥居の方を見て立ち尽くしている。クロは子どもたちに向かって叫んだ。

「みんな、お堂の方に逃げるんだ! 早く!」

 子どもたちは慌てふためいたように走り始めた。クロの呼びかけに、人の流れが徐々にお堂に向かって統一されていく。

 今や、祭りにいる全員の子どもたちが走っていた。もう、誰の呼びかけも必要なかった。闇はごうごうと唸り声を上げ、鳥居はどんどんと道幅を狭めていく。石畳の通りは、すでに今までにあった長さの半分ほどしかなかった。

 あっ、と小さな声が聞こえた。

 後方を見ると、女の子が繋いでいた手を離して道を戻るところだった。視線の先には、地面に落ちたりんごあめがある。

 私は目を瞠った。

「あの子……!」

 間違いない。さっきりんごあめの店にいた子だ。

 私は思わず引き返そうとしたが、その前にクロにぐいっと腕を引っ張られた。

「駄目だ! 間に合わない!」

 手を繋いでいた少女が、慌てて女の子の後を追った。

 地面に座ってりんごあめを拾っている女の子を、少女はひっつかむようにして立たせた。

「何してるの! 早く――」

 少女は前を見て絶句した。

 鳥居が、もう目の前まで迫っている。

 女の子は「お姉ちゃん」と泣きそうな声で少女を見上げた。少女は女の子を見た。それから鳥居に顔を戻すと、女の子を守るようにぎゅっと固く抱きしめた。

 鳥居の闇は、音もなく二人を飲み込んだ。真っ赤な鳥居の前には、誰もいなかった。

 周囲の音が遠くなる。私は呆然と立ち尽くした。

 そんな……

「立ち止まるな! お前まで飲み込まれるぞ」

 クロの怒鳴り声が聞こえた。

 唇を噛みしめ、私は無理やり前に向かって足を踏み出した。

 考えるな、考えるな……

 前に進むことだけを意識し、私はただひたすらに階段を上った。長い階段は、永遠に続いているように思えた。闇は、すでに階段の入り口を侵食しようとしていた。

 階段を上り終えると、私たちは面の壁の間を突っ切った。

 お堂は向こうの世界で通り抜けたものよりも大きく、どっしりとした構えをしている。ここにいたのはつい先程のことなのに、もう随分前のように感じた。

 私は周りを見た。

 集まっている子どもの数は、来た当初と比べるとかなり減っている。二十人もいないだろう。逃げている途中、あるいはそれより前に、無意識のうちに飲み込まれてしまったのかもしれない。

 クロがお堂の階段を上った。扉に手を掛ける。しかし、扉は押しても引いても、びくともしなかった。

「やっぱり駄目か……」

 クロが呟いた。そして私を振り返った。

「さくら、やってみてくれ。多分、お前ならできるはずだ」

 私はお堂に上がった。

 格子扉に手を掛けると、扉は何の抵抗もなくスッと横に開いた。

 私が目を丸くしていると、クロは当然のように頷いた。

「お前には記憶があるからな」

 私は扉の向こうを見据えた。

 お堂の中は真っ暗だ。

 その先に出口があるのかも分からない。こちらとあちらでは、時間の流れが大きく異なっている。もうとっくにお堂が取り壊されていても、おかしくはないのだ。

 私は唾を飲み込み、覚悟を決めた。

「行くわよ」

 私はお堂に一歩足を踏み入れた。

 しかし、反対の足を踏み出す前に立ち止まった。

 後ろを見ると、子どもたちは誰もついて来ようとしていなかった。皆、入り口から少し離れたところで立ち往生している。

「どうしたの? 来ないの?」

 私は尋ねた。

 皆が口をそろえて黙る中、一番左にいる男の子がぼそぼそと答えた。

「……だって、あの黒いの、ここまで来ないかもしれないし」

 私は耳を疑った。

「はあ⁉ 何言ってるの」

 ここまで手を緩めることなく侵食を続けている闇が、急に都合よく止まるわけがない。なぜ、そんな悠長なことを言っていられるのだろう。

 しかし、子どもたちは誰も反論しなかった。さっきまで扉を開けようとしていたクロですら、決めかねたような顔をしている。

 私はピンときた。

「あなたたち、ここを出るのが怖いのね」

 ぴくり、と何人かの子どもが身じろぎした。何も言わないのは、認めていることと同じだ。

「あなたたちは出られないんじゃなくて、出ようとしていないだけ。だって、今みたいに開けた人の後に続けば、帰られたはずだもの。違う?」

 私はみんなを見回して言った。

 クロが観念したように目を閉じた。

「そうだ、俺たちは外の世界が怖い。だって、俺達には記憶がない。外に何があるのかも分からないし、その先で上手く生きていけるのかも分からない。それに比べ、ここには仲間もいるし、食べ物や遊び道具だってある。不自由のないここを捨ててまで、外に出る勇気がないんだ」

「でも、この世界は消える!」

 私は激しい口調で言った。

「みんなも見たでしょう? あれは、そう簡単には止まらない。ここで闇になって消えるか、お堂の向こうに行くか、それしか道はないのよ」

 子どもたちは不安そうに互いの顔を見た。

 すでに、階段の向こうには黒い闇がちらついてる。私は優しく微笑んだ。

「大丈夫。外はここよりもずっと明るくて、色々なものがあるし、色々な人がいる。きっと楽しいわ」

 子どもたちは視線を交わすと、やがて決意したように頷き合った。

 闇が階段の上に現れた。

 大きな唸り声を上げながら、闇は面の壁の間を一直線にすべってきた。目に見えるすべてのものが、端から黒に染まっていく。

 子どもたちは急いで階段を駆け上がった。

「早く!」

 私は扉の内側で叫んだ。

 次々と子どもたちがお堂の中へ駆け込む。

 黒い闇の先端がお堂に届く前に、最後の一人がパタン、と扉を閉めた。

 しん、とその場が静まり返った。

 お堂の中は完全な闇に包まれた。誰かが、ごくりと唾を呑んだ。

「みんな、離れないでね」

 私は前に足を踏み出した。

 そろそろと、他の子どもたちが歩く気配がする。

 ちゃんと全員ついてきているのか、誰がどこにいるのか、何も分からなかった。どこを見ても、そこには暗闇しかなかった。

 ――いたっ! 誰だよ、俺の足踏んだの。

 ――私じゃないわよ。

 ――誰もお前とは言ってないだろ。

 子どもたちがこそこそと囁き合う。

 そのうちに、子どもの一人が泣き出した。

 ――もうやだ、こわいよぉ。

 ――大丈夫だよ、きっともうすぐさ。

 お堂の闇は、どこまでも続いていた。私は、この闇に終わりがあるのか不安になってきた。

 出口なんて、とっくになくなっていたらどうしよう。一生ここを彷徨うのだろうか。

 さっきの元気はどこへやら、私も一緒に泣きたくなってきた。

「おい、本当にこっちで合ってるんだろうな」

 すぐ近くでクロの声がした。

 隣を歩いていたらしい。私は少しホッとした。

「うん。来る時も、真っすぐ歩いてきただけだから。ただ、こんなに長くはなかったと思うけど」

 私は自信なさげに言った。

「なんで、こんなことになったんだろう。あのまま何もなかったら、みんなはこんな目に合わなくてすんだのに」

 泣き言を漏らすと、「優しいんだな」とクロは言った。

「これはあくまでも俺の推測だけど、この空間は初めからあったわけじゃないと思うんだ。最初の一人がここに来た時、店は一つしかなかった。そして、人が増えるにつれて店が増え、敷地も広がっていった。――もともとは、何もなかったんじゃないかな。この空間は、何かの拍子に偶然できただけかもしれない。だとしたら、同じく偶然消えることがあっても、おかしくないんじゃないか」

 私は感心した。

「へえ、そういう考え方もあるん――あいたっ!」

 私は何かに額をぶつけて足を止めた。

 手を伸ばした先には壁があった。手探りで壁の様子を確かめて、私は歓喜した。

「やった! 出口だ!」

 子どもたちがざわめいた。安堵のため息や、出ることを急かす声が聞こえてくる。

「開きそうか?」

 クロが尋ねた。

「ちょっと待ってね。えーっと……」

 私は扉を開けるために横板をずらそうとした。子どもたちは、誰もが待ちきれないように口を開いた。

「ねえ、まだ?」

「もうこんな暗いところやだよ。早く出ようよ」

「外ってどんなところかな。まさか、かき氷なかったりしないよね」

「はやく――」

 わいわいと後ろから群がられて、私は焦った。手元が動かしにくい。

「ちょっと、分かったから。もうすぐ開くから、だからそんなに押さな――」

 パタン、と扉が開いた。

 明るい日差しがお堂の中に差し込む。私たちは雪崩のようにどっとお堂から溢れ出した。

 草と土の匂いがする。空は濃紺ではなく、よく晴れた水色だった。周囲は鮮やかな緑の木々に囲まれていた。

「……外だ」

 誰かがぽつりと呟いた。

 その瞬間、皆はわあぁっ、と大きな歓声に湧き上がった。

「やった、外だ!」

「出られたんだ!」

「すごく明るいねっ」

 子どもたちは、草の上を飛んだり跳ねたりして喜んだ。

「こらぁ! 何やってんだお前ら!」

 野太い怒声に上を見上げると、大型の機械にまたがったおじさんが、窓を開けてこちらを見下ろしていた。機械の長い腕は、まさにお堂の上めがけて振り下ろされようとしている。

「ここはガキどもの遊び場じゃねえんだぞ!」

 子どもたちはきょとんとした。

「誰だ? あのおっさん」

「知らね」

 そのうちに、子どもたちの身体がきらきらと光り始めた。すぅーっと身体の色が薄くなる。

「あれ、なんだろうこれ」

 子どもたちは不思議そうに互いの身体を見る。しかし、なぜか不安や恐怖はなかった。男の子が透けていく自分の両手を見つめた。

「よく分からないけど、悪くないや」

 足が、ふ、と地面を離れた。

 淡い光の粒をまといながら、子どもたちはゆっくりと空へ昇っていく。優しい光が子どもたちを包んだ。その姿は、自然の中に溶け込むようにそっと消えていった。

 あとには、きらきらとした光の粉だけが残った。それが完全に消えるまで、私はじっと空を見ていた。

「なんだ、あれ……」

 クロが空を見上げてつぶやいた。

 機械に乗ったおじさんもぽかん、と口を開けて空中を見つめている。やがてハッと我に返った。

「お前ら、いつまでそこにいるつもりだ! 仕事の邪魔だ、さっさと(けぇ)れ」

 おじさんの額には冷や汗がにじんでいた。何が何でも、今起きたことをなかったことにしたいらしい。

 私とクロは慌ててその場を逃げ出した。

 木々に囲まれた細い山道を、とんとんと下りて行く。どこかで小鳥が鳴いた。風もなく、あたりは穏やかだ。

 ある程度お堂から離れたところで、クロが口を開いた。

「なんで、みんな消えたんだろう。せっかく出られたのに……」

 私は答えた。

「たぶん、時間の差が大きかったんじゃないかな。お堂の中とここでは、時間の感覚が全然違うの。向こうでは一日過ごしたつもりでも、こっちでは百年くらい経ってたりして」

「まさか」

 冗談だろ、とクロは笑ったが、私の顔を見てぷつりと黙った。

 クロはショックを受けた顔になった。

「マジかよ……」

「いや、今のは極端な例だけど。でも、そんなに間違ってないと思うわ」

 私はいたずらっぽく笑った。

「でもその理屈でいくと、俺はどうやらこの時代の人間らしいな。残念ながら、何も覚えてないけど」

 クロは肩をすくめた。

「あっ、そのことなんだけど」

 私は立ち止まって、首の後ろに引かっけていたものを外した。

 それは、少年の顔をした面だった。私は言った。

「これ、あなたのお面。走ってる途中、たまたま見つけたの」

「本当か!」

 クロは驚いた顔をした。

「でも、なんで俺の面だって分かったんだ?」

「記憶を取り戻してから、なぜか私にはあなたの顔が見えるのよね。理由は全然分からないけど」

 私は首を傾げた。

 そう、私には今もクロの顔がはっきりと見えていた。

 澄んだ黒い瞳に、細くてしっかりとした眉。記憶が戻る前は、確かに見えていなかったはずなのだが。

 クロは怪訝そうに眉をしかめた。

「こんなことは初めてだな」

「まあ、とりあえず受け取ってよ。もしかしたら、何か分かるかもしれないし」

 私は面をクロに差し出した。

 クロは面を受け取った。面は私が手にした時と同じように、光の粒になって消えていった。それ以外は、特に何も起こらなかった。

 クロは、面を受け取った姿勢のまま固まっていた。その目は驚いたように少し見開かれている。

「どう? 思い出した?」

 私が聞いた。

 クロは私の顔を見て、目をぱちくりと瞬いた。そして、ふっと微笑んだ。

「――ああ。全部」

 その時、山のふもとの方からバサ、と物音がした。

 見ると、道路の道脇で一人の女性がこちらを見つめて立っている。足元には、野菜の入った袋が落ちていた。

 私は大きく息を呑んだ。

「お母さん……!」

 女性は落とした野菜もそのままに、走って階段を駆け上がって来た。

「さくらっ」

 息を切らしながら私たちの前に現れた女性は、隣の少年の姿を見てハッと息を止めた。

 クロは穏やかな表情をしている。女性は、信じられないようなものを目にしたような顔をした。

「うそ……春樹……春樹なの……?」

 私は驚いたようにクロを見た。

 春樹……

 その名前なら知ってる。小さい頃よく一緒に遊んでくれた、私の大事な――

 クロが頷いた。

 女性がわあぁっと泣き出した。

 気づけば、私たちは二人とも大きな温かい腕に包み込まれていた。それは優しくて、気持ちがよくて、とても安心感があった。

 クロは目を閉じた。

「ただいま、母さん」

 母の腕は小さく震えていた。

「もうっ、こんなに長い間、どこに行ってたのよ! もう死んでしまったかと思った……。春樹がいなくなった上に、さくらまでいなくなって。この一年間、気がどうにかなりそうだったわ。だけど、二人とも生きてたなんて。本当に、本当によかった……!」

 母は二度と離すまいとするように、ぎゅっと私たちを抱きしめた。

 母の話によると、兄の春樹が消えたのは九年前、私が三歳の時だったという。

 近所の友達とあの祭りに行った夜、春樹は一人で姿を消した。友達との肝試しの最中、春樹だけがいつまで経っても戻って来なかったのだ。次の日、警察が総出で探したが、春樹が帰ってくることはなかった。

 そしてその五年後、妹のさくらが同じ場所で姿を消した。

 母は耐えられなかっただろう。二人の子どもが、二人とも同じ条件で消えたのだ。母はもう二度とあの祭りに行かないと誓った。

 しかしお堂の取り壊しが決まり、さくらが強く希望したこともあって、母は仕方なく最後の祭りに出掛けたのだ。さくらが再び消えた時には、母は絶望と後悔のあまり、仕事を辞めて実家に引きこもってしまったという。

「やっぱり、祭りになんか連れて行くんじゃなかった。あそこは呪われているに違いないわ!」

 母は涙を流しながら言った。

「それは違うよ、母さん」

 春樹は言った。そして隣の私を見た。

「さくらが来てくれたから、俺は帰ることができたんだ。そうでなかったら、俺は今ここにいない。さくらが、俺を連れて帰ってくれたんだよ」

「そうなの?」

 母は、涙が溜まった目で驚いたように私を見た。

 私は少し照れくさそうに頬をかいた。

「まあ、そういうことになるのかな」

 母は春樹を上から下まで見回した。

「それにしても、あなた九年前と全く変わってないのね。一体どういうことかしら」

「さあ。俺にも分かんないや」

 春樹はすっとぼけた。私たち三人は声を立てて笑った。

「まあいいわ。とにかく、帰って来たんだから」

 母は涙を手で拭いながら言った。

 私は戸惑ったように兄を見た。

「でも、まさかクロが春兄(はるにい)だったなんて。前はもっと大きかったと思ったんだけど」

「何言ってんだよ。お前がでかくなったんだろ」

「あっ、そう言えばキーホルダー……」

 私は浴衣の間を探った。懐に入れたはずのクマのキーホルダーは、跡形もなく消えていた。

「やっぱり、なくなっちゃった」

 私は残念そうに言った。

 お堂の向こうのものは、こちら側には持って帰れない。一度目にぬいぐるみを持って帰った時から、分かっていたことだ。

「気にすんなよ。また取ってやるって。これからは、消えることもないしさ」

 春樹が明るく言った。

「何の話?」

 母が興味津々に尋ねた。

 私たちは三人で並んで階段を下りた。

 空はからりと晴れていい天気だ。

 広がる田んぼが緑鮮やかに目に映る。ちりんちりん、と風に乗って風鈴の音色が届いた。


 夏はまだ、始まったばかりだった。



読んでいただき、ありがとうございました!

感想など頂けると、今後の執筆に役立てるので嬉しいです(^-^)

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