第一章ノ一
ある日の放課後。それはいつもと同じ、何気ない日常の一幕。
市立山下学園に通う男子生徒、新庄ツバサはその日もいつも通りの日常を送っていた。
「ツバサ、今日の放課後暇か?」
椅子に腰かけながら帰り支度をしているツバサに、学友が背後から声を掛ける。その声にツバサは、だいたいいつも一緒に行動している友人たちの方を振り返った。
話しかけてきたのは友人の大月カイジ。ツバサとは小学校から続く腐れ縁。
「ん? 帰宅部の俺に何か用事でもあると思ったのか?」
ツバサはそう言って彼からの誘いを受ける。
「そうか。それはちょうどよかった」
「何かちょうどよかっただ。そういうお前こそ今日は松本さんと帰らなくていいのか?」
そういったのは別の友人の豊浦トウヤ。この春から仲良くなった友人。
松本さん、というのはカイジが中学時代から付き合っている女の子のことで、名前を松本あずさという。クラスメイトでもあり、毎日の登下校時仲良く歩く二人の姿を見ることができる。
「まあそんなことはどうでもいい。今日は四人揃って帰れるって訳だな?」
そう聞くのは友人の大原ハクト。彼とも高校になっての友人だ。
その問にツバサは首肯する。
「おっけ。今日は四人で行くとすっか」
カイジがそう言い、荷物を肩に担いで教室から出ていく。各自そのあとに続く。
「ちょっと新庄君たち、あんまり遅くならないうちに帰りなさいよ。最近駅前で化け物に襲われたとか変な噂聞くんだから」
ツバサたちが教室を出ようとしたその時、後ろから声がかかった。声の主は天ヶ瀬ゆのか。このクラスの学級委員長を務めている。
「なんだよその心配 まあ、わったよ委員長。その噂は俺も小耳にはさんだし一応は用心するって」
四人がやってきたのは件の駅前にある商店街。ところどころにシャッターの閉まっている店も見受けられるが、それらは全体の一割にも満たない。まだまだ活気の残っている商店街だ。今は午後四時半といったところ。主婦や学校帰りの中高生多く歩いている。
駅前に化け物が出るという噂は、ツバサも知っていた。と言うか、その噂自体が目的である。その話はつい先日カイジがどこからか聞きつけてきた話だ。ある程度は信頼できる筋の話らしい。
とは言えツバサたち四人は誰もこの噂話を信じてはいなかった。だが、火のないところに煙は立たない。大方、露出狂などといった不審者が出たという話に尾ひれがついたのだろうと思っていた。
ツバサたちは男である。さすがに男子高校生が複数人いれば変質者も全くと言っていいほど怖くはない。むしろ、そいつを捕まえようぜ。カイジのその言葉にそそのかされ、ここ数日放課後は駅前に行っていたのであった。
最も、さすがにこんな日の明るいうちから不審者が出るとは考えないツバサたちは、ひとまずどこかで時間をつぶすことにした。
その場所は商店街の一角。ゲームセンター“スターライト”。商店街にあるほかの店の例にもれずややさびれた感じの外観を持つ店であり、当然中も似たりよったり。古き良き昭和のゲームセンターといった感じだ。最も、不良少年のたまり場になっているわけもなく、店内自体にあまり人がいないのだが。
「さてと、トウヤっ! 今日こそお前に勝つ」
本来の目的はこっちなんじゃないかと思うほど、元気にカイジがトウヤに宣戦布告をした。種目は格闘ゲーム。この二人はここに来るたび毎回このやり取りを行っている。
「カイジ、今日も負けたらジュースな」
そう言って二人は格闘ゲームの設置してあるコーナーへと向かった。
「俺たちはどうする?」
「とりあえずあの二人の試合でも見ようぜ」
取り残されたツバサたちもその後を追った。
「……トウヤ、お前さぁ。たまには手加減ってものをだなぁ」
結果はカイジの惨敗。春からたびたび放課後にここを訪れているが、いまだにトウヤが敗北した姿をツバサは見たことがない。
「っと、そろそろいい時間帯なんじゃないか?」
話題を変えようとハクトがそう言った。時刻は六時を過ぎたあたり。人通りは先ほどよりも増えたが、大通りからそれた裏道に入ると人もまばらになる。
「そうだな。ちょうど暗くもなってきたし、そろそろ行こうぜ」
ツバサがハクトの提案に乗った。反対意見は当然出ない。
「それじゃあ、各自不審者を見つけたら電話すること。相手は武器を持っているかもしれない。一人でおいしいところを……、危険だから一人では挑むな。いいな」
カイジが恒例の確認を行い各自駅前に散った。
ツバサは商店街の南側にいた。北側をハクトが、反対側をカイジとトウヤが分担して回っている。
かれこれ三十分程度歩いているが不審者は見当たらない。最も、そう簡単に不審者が見つかるわけもないし、不審者がいないに越したことはないのだが。
そんなことを考えながら何往復も商店街を歩いていると、唐突に後ろから声をかけられた。
「新庄君? さっきから商店街を往復してどうしたの?」
話しかけてきたのはクラスメイトの少女、米原ひかり。特にこれと言って親しいわけではない。ひかりの隣には同じく山下学園の制服を着た少女が立っている。胸元のリボンの色から一目で先輩であるとわかる。
「おっと。……なんだ米原か。驚かせるなよ」
「いやいや、流石にクラスメイトが明らかに不審な行動をとってたらこっちが驚くって。そしたら普通は声をかけますよね、先輩?」
ひかりは隣に立つ先輩に話を振った。その先輩はやや苦笑を浮かべこれに応えた。
「まあ、流石にね。えっと、新庄君? だったわね。私は小倉みずほ。よろしくね」
「あ、はい。小倉先輩ですね。新庄ツバサです」
ツバサとみずほはとりあえずお互いに自己紹介を交わした。
「それで、新庄君は何をしてたの?」
つばさは一瞬その質問にどう答えていいかわからなかった。ひかりとゆのかはそれなりに仲がいい。この件がゆのかの耳に入ると面倒なことになりそうだとツバサは感じた。
「ん? ああ、駅前で化け物が出るって話があるだろ? どうせ不審者だろうからそれを捕まえてみようって話になってその捜索」
だが、ツバサは何となく正直に自分の行動の意味を説明した。自分が不審者扱いされるよりは、馬鹿なことをやっていると認識されたほうがまだマシと考えたためである。
だが、その途端に場の空気が変わった。凍ったと言い換えてもいい。
「新庄君、悪いことは言わないわ。“アレ”には関わらないほうがいい。私たちに任せて」
ツバサはニコニコした優しいお姉さんといった認識をしたみずほの真剣な表情に一瞬内容が入ってこなかった。
「……え? いや、不審者相手なら先輩たち女子よりも俺たちみたいな男子のほうが……」
「いいから、お願い。“アレ”はあなたたちが思っているような生易しいものじゃないの。今日は帰って。後で質問には答えるから」
みずほにそう言われ、ツバサは仕方なく「はい」と頷いた。
「分かりました。今日のところは何も聞かないで帰ります。米原、明日詳しく聞くからな」
二人に背を向け、手を振りながら歩き出す。
そうだよ、ここでとりあえず帰るふりをしてまだ駅前を歩いていればいいんだ。遭遇できなくても運が良ければ明日に情報が入るかもしれない。ツバサはそう考えた。
「ありがとう。気を付けて帰ってね」
「じゃあね、新庄君」
後ろからは何も知らない二人の言葉が聞こえてくる。
さてと、とりあえず大通りに出てしばらくしてからまた裏通りに戻るか。そう考えながらツバサは路地を曲がろうとした。
ドン。ドサ。
何かと何かがぶつかるような音が二度聞こえた。
「きゃっ!」
一拍置いて甲高い女性の悲鳴が聞こえる。ぶつかった相手の女性はバランスを崩したのか、尻餅をついている。その脇には彼女の持ち物であろう鞄と、直前まで操作していたのか、携帯電話が光を放ちながら落ちている。
「あ、すみません。立てますか?」
おそらく相手にも非はあるのだろう。だが、自分の不注意が原因でぶつかったのだ。通り過ぎたりせずに相手を起こして謝るのが筋だろう。
ツバサは女性に対して右手を差し出した。相手はその手をぎゅっと掴んだ。
「…………じゃない」
相手の女性は下を向いて何かをぶつぶつ言っている。だが、声が小さくツバサには聞こえない。まあ文句を言われても仕方がないな、とツバサは思った。
「え? なんですか? とりあえず座ってないで立ちましょうよ」
ツバサが女性を立たせるために引っ張ろうとした。その時、女性のほうからより強い力を加えられた。 ツバサはバランスを崩し地面に倒れる。倒れたことで位置が近くなり、ツバサの耳に女性の声がはっきりと聞こえてきた。
「……痛いじゃない痛いじゃない痛いじゃない痛いじゃない痛いじゃないっ!」
だんだんとその声も大きくなっていく。
さすがにツバサもこれには頭にきた。
「何ですか、確かにぶつかったのは悪かったとは思いますよ。だけどそっちだって携帯をいじりながら歩いてたんじゃないですかっ!」
ツバサは立ち上がり相手に向かって文句を言う。
曲がり角でぶつかったのなら、相手にだって責任はあるのではないか。まして相手は携帯電話を操作しながらである。
その言葉に反応したのか、女性は突然がばっと顔を上げ喚く。
「うるさいうるさいうるさいっ! あなたも、あなたも私に文句を言うの? 私のことを侮辱するの? 私の全てを否定するの? あの男みたいに、あの男みたいに。許さない許さない許さないっ、絶対に許さないっ!」
ツバサは直感的に身の危険を感じた。この女性、目の焦点が合ってない。どこか虚空を見つめている。
「ちょっと、さっきの悲鳴はなに?」
そこに悲鳴を聞きつけたみずほたちが走ってやってきた。
むくっ。女性が立ち上がる。
「殺してやる殺してやる殺してやるっ!」
すぐに相手がおかしいことに気が付いたのだろう。みずほが叫んだ。
「新庄君、早く逃げて! こいつが噂の正体よ!」
噂の正体? この女性が?
ツバサはみずほが何を言っているのかわからなかった。噂の相手は露出狂の変質者ではなかったのか?
ツバサは逃げもせず、立ち上がった女性を見た。ふと、その女性に対して違和感を覚えた。
この女性、こんなに体格がよかったかな?
変化はすぐに起きた。
ボコボコっと、女性の体が倍くらいに膨らんだ。服が破れる。ツバサには理解のできない光景であった。ツバサが放心している間にも、女性の変化は止まらない。
「ころ……して……やる…………?」
女性は二階建ての建物と同程度の大きさになった。その姿はまるで植物のようである。
身体は途中でいくつかに枝分かれをしており、それぞれの先端には花ではなく先ほどの女性の顔が咲いている。枝も枝で人間の腕のような形状をしており、葉の部分も維管束が人間の手と全く同じ形状をしている。地面を突き破って伸びている根も足そのものだ。それらがうねうねと動いている。
異様な光景だった。これが仮に映画などのコンピューターグラフィックで表現されたものであったとしても、人によっては軽いトラウマになりそうな光景である。気分が害されるものであるし、夢に出てきてもおかしくはない。
しかしこれは現実だ。もし今日の出来事が夢だとしたら、根が生えたときに持ち上げられ、そのまま転がり地面にぶつかったとしても痛みなど走らないだろう。
「なんなんだよこれ? おい米原、俺に分かるように説明しろっ!」
ひかりとみずほはお互いに顔を見合わせる。数秒の後みずほが頷いた。
「あの化け物を私たちは〝エフィアルティス〟と呼んでいるわ。だいたいは短縮して“エルス”って呼ぶけどね。まあ、簡単に言うとただの化け物よ。あなたが探し求めていた、ね?」
答えたのはみずほだ。
「だから関わらないほうがいいって言ったの」
確かに噂の正体がこれだと知っていたら積極的に関わりたくないと思うだろう。
だが一つ言わせてもらいたい。曲がり角でぶつかった相手が件の化け物なのは不可抗力なのでななかろうか?
そこでふとある疑問が浮かんだ。先ほどみずほは「私たちに任せなさい」と言っていたではないか? なぜ二人は知った上で自らこれと関わろうとしたのだ?
「あ、新庄君。どうして私と先輩は噂の正体を知っていて関わってるんだ? って顔してるね? 教えてあげようか?」
なんとなくではあるが、ツバサはそれを聞いたら今までの生活に戻れなくなるような気がした。だが、聞いておきたいという好奇心には勝てなかった。
「それはね? 私たちは“魔法少女”なの」
「へ?」
初めに抱いた感想は、またメルヘンな単語だなぁ、だった。だが、なぜか妙に納得してしまうような、そんな感覚もあった。
「まあ、信じなくてもいいわ。これはあなたの見た単なるリアルな悪夢とでも思っていればいいの」
みずほはそう言って一歩前に出た。いや、悪夢ってそうはっきり断言されても。
ひかりもみずほに続き一歩前に出る。そして二人は同時に叫んだ
「「変身」」
と、どこから注いでいるのかわからないが眩い光が二人を包み込んだ。すぐにその光は消えたがその後に立っていたのは先ほどまでの二人ではなかった。
「…………」
そこには案外普通な格好をした二人の姿があった。
二人は先ほどまで学校指定のブレザーを着ていた。だが今は二人とも別の衣装を着ている。
まずはみずほだが彼女は半袖のブラウスに桜色のネクタイ、水色のカーディガン。同じく水色のスカートといった格好。どこかの学校の制服と言われても違和感がない。
次いでひかり。彼女はみずほと似たような格好だがカーディガンは着ておらずまたスカートの色が赤である。またネクタイではなく真っ赤なスカーフを巻いている。
「ひかりさんは新庄君の避難を手伝ってあげて」
「わかりました」
ひかりがとんっ、と軽く地面を蹴る。すると三メートルくらい離れているツバサのところまでたった一歩でやってきた。
「さ、今のうちに逃げるよ」
ひかりが手を伸ばす。それに手を伸ばしながらふと、先ほどから動きのない化け物を見る。それはいつの間にか建物の三階の半分くらいの高さにまで成長していた。
「あ、ああ」
ひかりの手を取る。ひかりは再び地面を蹴り、化け物から距離を取った。
二歩目の着地が終わり、三歩目で跳びあがった途端であった。
「にが……さ…………ない……?」
化け物の茎が急激に伸びる。まばらに生えた葉の部分が空中にいるひかりとツバサの体を捉える。
バチン。
先ほど、原型となる女性とぶつかった時とは比べ物にならない音が鳴り響いた。
「っ!」
ひかりはツバサを庇うような恰好をとろうとした。しかしわずかに間に合わず近隣のコンビニのガラスドアに叩き付けられた。
ガシャン。
ガラスの砕ける音と同時にツバサに激痛が走る。血が全身から流れ出すような感覚がある。ツバサの目には自分の体から血液が失われていく姿が映った。ひかりの姿は見えない。
「新庄君、大丈夫? 今治してあげるから」
背後からひかりの声が聞こえたところ、でツバサの意識は途切れた。
目の前に横たわるツバサから力が抜けるのがひかりには分かった。かなりの速度でガラスとぶつかったのだから仕方ない。とっさに防御魔法を掛けていなかったら死んでいてもおかしくはない衝撃だった。
普通なら、消防に通報し救急車を呼ばなければいけないような怪我である。だが、今は普通の状態ではない。この怪我をした原因も普通でなければ、外にそびえ立つ化け物も普通ではない。そもそも、この空間自体が普通ではないのだ。
ひかりたちが今いるのはごく普通のコンビニエンスストアである。二十四時間営業を行っている普通のコンビニエンスストアである。
そこに今ひかりとツバサしかいない。二人がぶつかったためにいったん退避しているわけではない。もともとこの空間に人がいなかったのである。もちろん、改装中で誰もいなかったわけでもない。今この空間にはひかりとツバサ、それにみずほとあの化け物しかいないのである。
放っておけばツバサはこのまま出血多量で死を迎えるであろう。かといって病院に搬送するのは不可能。
「……しょうがない。あんまり自信はないけどやるしかないか」
そうつぶやくとひかりは、横たわるツバサに手を当てた。
「Heilung」
声に出して魔法の効果を高めるのは彼女の趣味ではない。しかし、得意分野ではない上に一刻を争う状況である。
柔らかな光がツバサの体を包み込む。ゆっくりとではあるがツバサの体にあった傷が塞がっていく。五分くらいたったころ、ツバサの傷はほとんどなくなっていた。
「ふぅ、うまくいった。本当はもう少し治療しておきたいけどまだ結界が壊れてないってことは先輩があいつを倒しきれてないってことだから、早く合流したほうが危険性は低くなるよね。先輩のほうが回復にも慣れてるし」
ひかりはかつて自分も似た状況でみずほに治癒してもらったことを思い出す。あれがなければ今頃……。ひかりはそう考えて頭を振った。もうそのことは考えないと決めたはずだ。今は目の前の状況に集中しなければ。
ごめんね、巻き込んで。そういってひかりは割れたガラスドアから化け物のもとへと旅立った。
……今は回復魔法をかけていないのにもかかわらず、ツバサの体がほのかに光っていることにも気が付かずに。