Feild2-2
存外大きな窓からは森の手前、庭園全てが見渡せた。
リリスは窓辺に寄り添い、待ち人の行方を捜した。リリスとレイが丹精込めて育てている花々が咲き誇る花壇の横に一台の馬車が横付けされているのだ。
クーリフトのものよりも幾分重厚で陰気なそれの持ち主をリリスは待っていた。
暫くリリスがそんなことを考えていると、馬車の中から一人の人物が顔を出した。リリスは思い出したように、それを認めると部屋の奥へと戻っていった。
馬車を降りた男がそれを見ていることも知らず。
しばらくすると応えを促す音が扉に響いた。
「お嬢様、お着きでございます」
幾分低くなった声音がレイの緊張を伝えていた。
「・・・どうぞ」
リリスはイスから立ち上がると、扉に向かって背筋を伸ばした。返事からわずかの間に開かれた扉から、レイとそしてリリスの待ち人、アグウスが顔を覗かせた。
リリスはアグウスを真正面から見返した。
どこまでも感情を廃した顔からは久しぶりの娘との邂逅を懐かしむ様子はない。リリスはそれを疎むでもなく受け入れている。まるでガラス玉のような瞳がアグウスを映すだけだ。
「お父様、お久しぶりでございます」
それだけを告げて、小さく膝を折り軽く会釈をすると、アグウスが溜息まじりに視線を部屋の周囲へと向け、それを無視した。
アグウスが応える義理などないのだ、っとリリスは了解している。
リリスの生活を保障している存在であり、人の住まぬ森に閉じ込めている人物に何も求めてはいけないのだと知っているのだ。男の様子を伺っていたリリスはレイに視線を向けた。
「レイ、いいわ。下がっていて」
一礼して扉を閉めるのを合図に男が再びリリスに向き直る。
「お前、あの男に逢っているか」
アグウスの視線が鋭くなる。
「クーリフト様でしたら、今、政務でお忙しい方。私が会えようもございません」
「そうか、部屋にやつの残り香があるような気がしてな」
クーリフトが帰った後に魔力による彼の残滓は全て消したはずだ。いかにアグウスでも気付くはずはない。
嫌な汗が浮かぶのを押さえ込みリリスは否と応えた。
「お疲れでいらっしゃるのでしょう。どうぞ、こちらにお座りください」
中央のテーブルセットに据えられた長椅子にアグウスを促し、己は茶器のセットを始めた。 アグウスは椅子に深く腰掛け、再び口を開こうとするもすぐに口を噤む。リリスがティーカップを差し出したからだ。カップを口に運び味わうと、前に座ったリリスに冷笑ともいえる笑いを見せた。
「何時来ても変わらぬな、ここもお前も」
リリスは小さく瞬きするのもためらい、ただアグウスを見つめた。
僅かに握る両手が震えている。
時が止まったようなこの屋敷を、リリスはレイと共に耐えている。
ここに押し込んだのもこの人、閉じ込めたのもこの人、リリスの時を永遠に止めてしまったのもアグウスだ。
彼はそれを知らぬふりでただ笑うのだ。
お前は一生籠の鳥だと。
アグウスは時々ここに来てはこの言葉を何度となくリリスに突きつける。まるで子供のような行為に、リリスは胸をえぐられるほどの痛みを感じずにはいられない。
どうして?と自問してしまう。
どうしていつもこの人は私を傷つけて笑っているの。
すでにその感情に家族という概念は存在しない。アグウスは親子という言葉を決して態度でも言葉でも彼女に向けてくれたことはなかった。それがまたリリスを傷つける。どんなに割り切っても彼女は十七の娘でしかない。神でもなければ女神でもない。普通の少女にはこの男の態度は酷でしかなかった。
そして再び告げるのだ。
「お前は、私に従えばいい」
切り裂くほどに冷ややかな声音にリリスは小さく喉を鳴らした。
「私の知らぬ間の逢瀬とは、お前はどこぞの娼婦顔負けではないか。今までは許したが、あいつもそろそろ身辺を整理せねばならない。お前もそう思うだろう?」
私の意見など求めてはいないでしょう。
それは命令だ。
それでもアグウスが望む答えを口にする。
「アルゼガルシス卿に会うなと?そうゆうことでございましょうか」
その返答に、満足したのか、幾分瞳を和らげて頷いた。
「そうだ。忌々しい餓鬼だが、あいつは使える。今は首相などと大きくなったものだが、それもカーリスの婚約者としては申し分ないだろう。何よりカーリスが望んでいる」
カーリスと名を呼ぶとき、僅かに目元が優しさを含んでいたのはリリスの見間違いではないだろう。
「卿でしたら、カーリス様のお相手に相応しいと思います」
「お前に意見など求めておらん!」
間髪いれずに、返ってきた恫喝にリリスは瞳を曇らせたが、すぐにその表情を押し隠した。
「申し訳ありません」
それすら面倒くさいものであるように眉を顰め、アグウスはリリスから視線を外した。ティーカップに口をつけて、溜息をつく。どうもこの娘と会話をするのは己の自制を狂わしてしまう。普段なら声を荒げることもしないのだが、リリスを目の前にすると嗜虐的になってしまうらしい。それを直す気もないが、それによって脅える様を見せるリリスにも苛立ちと狂喜が同じ分だけ己の中で膨らむ。
「お前は人のものを掠め取るほど卑しくはあるまい?リリス」
娘の名を囁く男はしかし、凶器のように彼女の胸を抉る。その姿をさも可笑しいとアグウスは唇の端をあげて見つめるのだ。
「わかっております・・・」
それだけ告げるのが精一杯だった。だが、震えながらも涙を見せることもなく決然としたリリスの姿は言葉と裏腹にアグウスを再び苛立ちへと追いやった。
「本当に忌々しい娘だ」
酷薄な瞳がさらに冷たさを帯びる。
ルジラシスでは彼女の存在を早々と抹殺すべきだと言うものもいた。それを押しのけてきたのは誰でもない、アグウス本人であった。
凶兆とも言えるこの娘を生かし続けてきたのには意味がある。
己の野望を果たすため、娘の力が必要だった。
高貴なる意志と崇拝と脅威を抱かれる彼女の存在が。人間に落ちても尚色褪せない娘の崇高なる気にアグウスは瞳を眇めた。同じ部屋にいるだけでひしひしと感じる力の膨大さに知らず鳥肌が立っていた。リリスには力を抑制する方法を教えてはいない、ゆえにそのままに放出されているのだ。
この世界には魔力が存在する。その力は個々によって異なる。アルゼガルシスやルジラシスは特に神々の先祖返りといわれた、最強の魔道騎士リーシリスの直系であるため魔力の力が強いと言われている。しかし、それも現在では衰退の一途を辿り、1千年前のように強大な力を持つものは存在しないといわれている。だが、今目の前の娘からは押さえても抑えきれないほどの魔力の塊が彼女自身を取り巻いているのだ。
アグウスも多少の心得があるのでそれを感じ取ることができるがその力がどれほどのものかは測りしれないところがある。もしくは、神々に匹敵する力であるかもしれない。だが、それこそがリリスを脅威に貶めるものである。
衰退している魔力を、それ自身をコントロールできない限りこんなにも強大な力を保持する人間を恐れないものはいないだろう。そして、女神ディアムとリーシリスに酷似する金髪金目の容姿が全ての人間をひれ伏させる。こんなにも凶器となる人間が存在するだろうか。
この娘を支配する者が必要だ。そしてそれは私でなければならない。
「お前は、私に従えばいい」
再び冷笑を浮かべる。
「話はそれだけだ」
アグウスはカップを置き、椅子から立ち上がり帰る支度を始める。
ピクリとも動かないリリスを気にとめもせず、アグウスは扉に手を掛けていた。アグウスが立ち去りかけるとき、それまでただ黙っていたリリスが重い口を開いた。
「あなたは・・・そうやって私からわずかなものでさえ奪ってゆくのですね・・・」
「何を今更」
薄い唇が酷薄な笑みを刻む。
扉が閉まる音、リリスはそれだけを待っていた。
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長々と続けて行くと思うので宜しくお願いします☆