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Feild1-2

 しばらくすると、部屋と外界とを繋ぐ唯一の扉を叩く音がした。レイが扉に急いで駆け寄り開けてやる。そこにいたのは予想通りの相手、クーリフトだった。癖のない、櫛を入れた後も残らないような艶やかな銀髪の髪を腕の脇下まで垂らし、肩に靡かせながら部屋へと入ってきた。悠然と口元に笑みをたたえてリリスの前まで来た。窓辺に寄り添っていたリリスはクーリフトに微笑み返した。

 「お久しぶりだわ、兄さま!」

 そういうとクーリフトの胸に駆け出した。クーリフトはそれを軽く抱きとめ優しく包み込むように少女の体を抱き寄せた。

 「一月も君に会えないなんて私も嘆きの王サルメのように恋焦がれる思いだったよ、リィ」

 愛おしげにリリスの頬を包み込み、金糸の前髪を掻き揚げると美しく秀でた額に一つ、唇を落とした。リリスはくすぐった気に眼を細めてクーリフトから体を起こした。

 「兄様、それではまるで恋人に向ける愛の告白だわ。軽んじて口に出して良い言葉ではないわ。それこそ、誰が聞いているのかわからないのだから」

 少し眼を窄めてリリスはクーリフトを見上げた。

 「ご忠告は心からうけることにしよう。しかし、だからと言って己の真実を偽ることもできないよ。その瞬間、私の口は毒蛇によって腐ってしまうだろうからね。」

 「ご冗談ばかり。」

 リリスはクーリフトの言葉を笑いながら聞き流した。いつもの彼のお遊びだ、リリスは一度としてまともに信じたことがない愛の告白をしらと流すとクーリフトに椅子に座るように薦めた。クーリフトは椅子に腰掛けながら溜息を漏らした。

 「君は一度として私の言葉を信じてくれたことがない。少しは考慮してよいものだろう」

 「あら、兄様。私知っていてよ。カーリス様とご婚約が決まったようね。」 

 クーリフトは自分の目の前の長いすに座ったリリスを見つめて厳しい口調で言った。

 「一体、いつから知っているのだ。言っておくが、私はその婚約には反対だ。当人たちの考えを無視した話だ。ルジラシス候の独断による勝手な小言に過ぎない。リィが思慮するほどの事柄でないよ。」

 「でも、今回は小言では済まされないでしょう。とうとうあの人も行動に出たのだと私は思っているのだけど」

 リリスは両手を重ねて膝の上に乗せると、眼を窄めてクーリフトに意味ありげに視線を送った。クーリフトはそれをしばらく見つめ返すと、再び深い溜息を漏らした。

 「君の深潭までも垣間見る聡明さには恐れ入る。確かに、その通りだ。ルジラシス大公は今が機だと方々に動き出している。これもその一端に過ぎない。私も良い歳だからと回りがうるさかったからね。」

 「それは事実ですわね。私も心配しております。日々、政務に明け暮れ日差しの下にもお立ちにならないものだから、日の目を知らずに老いていってしまうのではないかと私も心配で。このままクーリフト兄様が姫様の恩寵に預からなければ、兄様が任期を終えた暁には私とこのお城で寂しい一人身をお慰めしようと思っておりました」

どこまで本気なのかリリスは真剣な顔でクーリフトを見た。クーリフトは苦笑しながら右手で額を支えながら目線だけをリリスに留めて言った。

 「それは、それは。私としては有難いお申し出だ。リリス嬢、ご厚意悼みいります。願わくは、年月を掛けずにあなたの温情に預かりたいものだ。さすれば私の枯れ果てた心も再び大地に喜びの賛歌を捧げましょう」

創世記の一説を口にしながらリリスに手を差し伸べた。からかわれたと思ったリリスは気分を害したように整えられた眉を潜ませた。

 「ひどいわ。半分本気で言ったのに」

 「それこそひどいじゃないか。冗談半分だなど」

二人は険しい表情で睨み合った。暫し時間が止まる、がリリスは堪らず指先を唇に当てて笑い出した。それに攣られてクーリフトも相貌を崩してリリスに微笑みかけた。レイは二人を横目に捕らえて呆れていた。時々、緊迫なムードになるも彼らのお遊びに過ぎない。今までに一度だって彼らが本気で喧嘩したことなどないのだから。枯渇したリリスの日常を紛らわすお遊びから域を出ることはないのだ。

 一頻り笑い終えたリリスは一転、厳しい表情でクーリフトを見つめた。

 「お遊びはここまで。それで、どうなのです?」

意味ありげな質問をした。

クーリフトも微笑を称えていた口端はすでにきつく引き結ばれていた。彼にはリリスが求めているものが何なのか分かっていた。

 「―――兼ねてよりの密偵から報告があった。確かに彼はラッセルに秘密裏に単身謁見していたようだ。さすがにシュバルツは帝国崩壊以後のこちらとの友好関係が防波堤になっている。簡単には落ちないことも彼は分かっているのだろう。だから大国を巡る小国の一つ一つに今は也を潜めているというところだろう」

リリスは思慮深い顔で左手の人差し指を唇に当てながら何がしかを考えていた。愛らしい唇が馨しい音色を紡ぎだすために震えるのをクーリフトは見つめていた。

「油断はできないわ、カモフラージュかもしれない。シュバルツにこちらから圧力を掛ける必要があるわ。カイン様はご存命?彼だったら使者に適任だわ。すべからく緩くきつくシュバルツ帝の首を絞めてきてくださるわよ、きっと」

言末はこの世の総ての光を集めたような微笑を口元いっぱいに湛えていた。なんとも愛らしい仕草であるが彼女の的確な作戦はクーリフトを少しばかり驚嘆させた。まさしく彼が協議するべきか悩んでいた案件でもあるからだ。彼女の言に、さらに必要性を感じたことは確かだ。明日はカイン老とこの協議をしなければならない。カイン老はクーリフトの前々代の宰相の折りより政治の先頭に立ちアランドルを指導し、幼きクーリフトの師匠である。リリスが彼を知っているのもそのためだ。彼なら確かに適任。

 しかし短時間でこれほどの答えを導きだすリリスには何度となく驚かされてしまう。政とはただ聡明なだけでは統括することはできないとはクーリフトの師匠カインの言である。あらゆる事象に長け、尚且つそれを的確に使用し支持を出す、決して頼りきらず己を信じ行動することが重要である。そして天性のものとして物事を見極める本能が有能な統治者たるもの必要である。その総てをリリスは持っているのだ。己の側近の中でもこれほどに優れた人材はそうはいないだろう。

 もしも、とクーリフトは思った。

 もしも、リリスがこの小さな屋敷に永遠に囚われず、外の世界へと飛び出すことができたなら自分のそば近くに置いて決して手放さないものを。それは彼自身が何度となく夢に思ってきたことである。永遠の虜囚であるリリスは外の世界を知ることなく、儚く美しい姿をこの屋敷の中で散らしていかなければならない。あまりにも理不尽で幻想めいた真実をクーリフトはこれまで辛酸を舐める思いで諦めていた。

 だが、今は違う。

今の自分は一国を指導する宰相たる地位を得たのだ。リリスを自らの権力と確固たる縁によって幽閉しつづける彼よりも高位の地位に。そう、今なのだ。クーリフトはリリスの頬に指を這わせた。

 「?兄様?」

 不思議そうに見つめながらクーリフトの手をうれしそうに感受しているリリスに愛らしいと、自然とクーリフトは相好を崩した。

 「いや、リリス、君の発言はいつも私を導く一助となる。ありがとう」

 何を言い出すのかと少々呆気に取られながらもクーリフトの言葉に思わず気恥ずかしさが込み上げる。まるで上等な羽にくすぐられた気分に心が高揚した。どんな時でもクーリフトは優しかった。だからこそ彼にはいつでも幸せでいて欲しいと願う。それはつまり自分との別れを意味していても。

 もしも、この最愛の従兄を幸せにできる人がいるなら喜んで祝福しよう。あまりカーリスのことを口にはしないレイだけれど、決して隠し事はしなかったし、聞けば話してくれた。カーリスは茶色の巻き毛も愛らしく、素直で社交会の華と言われていると以前言っていた。皮肉にも自分とはこんなにも正反対だ。

 「兄様。あの人を抜きにして、カーリス様はとても可愛らしくて好い方だわ。」

 「リィ、君は・・・」

 クーリフトは悩ましげに瞳を曇らせ眉を寄せて己の目の前に居る愛らしい少女の手に己の右手を重ねた。

 「君はいつまでも自分を卑下するのだね。カーリスは君の実妹じゃないか、なぜそのように畏まる。何を引け目に思う?私にもそうなのかい。だから一度として真実を偽りとしてしか受けなかったのだろう」

リリスはクーリフトから顔を背けた。手を剥がそうとするがさして強く握られているわけではないのに、どうしたものかクーリフトの手が外れることはなかった。

 「兄様、考えすぎだわ。」

 「ではなぜ妹に様などと」

 問いかけるクーリフトに再び顔を向けるとリリスは切なげに微笑んだ。

 「・・・クーリフト、あなたなら分かっているはず。私はおいそれと名指しなどできる人間ではないわ。それに、あの子は、私の存在すら知らない。」

リリスの微笑はあまりに儚く美しく、クーリフトの心臓をきつく締め上げた。彼女が己を名前で呼ぶことなど滅多にない。それほど彼女を追い詰めてしまったのか。クーリフトはリリスの腕をつかむと己のほうに引いてリリスの体を抱き寄せた。椅子から剥がされる形になったリリスは彼の行動を咎めるでもなく静かにそれに甘んじた。クーリフトの肩に顔をうずめながら零した。

 「私の存在意義はクーリフトとレイだけ。他には誰も私が生きていることすら知らない。」

まるで亡霊、と苦笑しながら言うリリスは美しさを増して神々しい。クーリフトは改めて己の従妹を見つめた。淡く太陽の光を反射して煌く髪は透き通る金糸、まるで神話に出てくる女神のように美しい顔は小ぶりで貫けるように白い肌、髪と同じ色の瞳は神秘的に自分たちを写している。どこまでも俗世離れしているこの容姿が彼女の両親の恐怖を煽る一端となっていることにクーリフトは悲壮感をおぼえずにはいられない。幸か不幸か、類まれな美貌は人に崇敬と畏怖の念を思い起こさせる。リリスの場合それが一方に強く傾いてしまった。

 「私の姫。私はこの世が闇に支配されようと君の味方だ。どうか忘れないで、何があっても私の気持ちは変わらない。真実、本物であることを」

 クーリフトのダークブルーの瞳が一際鮮やかにリリスを捉えた。あまりにも真剣なクーリフトに戸惑いを感じながらもリリスは彼の甘美な言葉に胸が高鳴る思いだった。これほど真剣に自分の存在を意識してくれる人がかつていただろうか。実の親すら自分を見捨てたのに。しかし、大切な人であるからこそ自分に縛られて欲しくはなかった。リリスには分かっていたのだ。自分がどれほど彼の足枷になっているのか。嬉しさと複雑な感情が絡みあい、リリスは顔を歪ませた。クーリフトの首に腕を絡め、顔を肩にうずめてきつく抱きしめた。なんと言ってよいのか、リリスには言葉が思い浮かばなかった。

 「カーリス様は、好い方だわ」

 「分かっている」

 「素直で愛らしくて」

 「うん」

 「誰からも愛されていて」

 「・・・それで?」

 「!!」

 カーリスの言い様にリリスは顔を上げた。鋭い瞳がリリスを捉えている。きつく結ばれた唇は暗に彼女の言葉を待っているのだ。リリスは見ていられず、ついと視線を逸らした。

 「誰よりも、あなたに相応しい」

 だからどうか私に縛られないで。その言葉をかろうじて飲み込んだ。精錬な従兄である。リリスがそんなことを言えば、大いに否定し自分の正義感の下、さらに自分を護ることに確固たる思いを強めてしまいかねないのだから。

 クーリフトの身体が強張るのを、腕を掴む肌越しに感じた。それを肯定と取り、気にすることはないのだと笑顔を彼に向けた。しかし、クーリフトは苦しみ耐えていると謂わんばかりの苦悶の表情を浮かべている。あまりに苦しそうな顔にリリスは思わず手を伸ばした。瞬間、電化の如くの速さでクーリフトはその手を捉えるとそのまま自分に引き寄せ、再び彼女をきつく抱きしめた。クーリフトの行動に半ば放心状態に陥るも、すぐに取り戻し諾々と彼を受け入れる。力いっぱいの抱擁は少しばかり苦しい。そろそろ呼吸が危ういとクーリフトを叩こうとした、しかしそれよりも早くにクーリフトが身体を離してきた。リリスを椅子に戻し、その足で部屋の出口の前まで歩き出す。

 「今日はもう、帰るよ」

 その言葉に慌てて扉を開けようとレイが駆け寄るとそれを片手で制したクーリフトは、そのまま自分で扉を開け、リリスを振り向くことなく出ていった。

 

 部屋に取り残された二人はそれを無言で見ているしかなかった。

      


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