叫べ、自由の名の下に
長ぇ……。
今まで一番長いかも知れない。
日が暮れる頃、白風騎士団と合流し郊外で野営の準備を始めた悠理達グレッセ王都解放軍。
クヴォリアの街からは差し入れが届き、王都への道を急ぐ兵士達の心と身体を満たした。
そのから何事もなく夜は更けて行き――――。
「俺を呼んだのはアンタかい爺さん?」
――街が眠りについた深夜……、廣瀬悠理はクヴォリアの代表者バレドの使いを名乗る使者に呼ばれ、街のハズレにひっそりと佇む宿屋――――正確にはその路地裏に来ていた。
誰も彼も――動物達ですら眠りについているこの状況下において、目の前に佇む老人が異質に見えて仕方がない。
「フェッフェッフェッ、左様に御座いますよ……」
老人はジャダと名乗り、恭しく頭を下げてみせる……がどうにも胡散臭い。悠理の経験上から言わせてもらえれば、バドレと同じく厄介なタイプで間違いはないだろう。
「明日も朝から早いんで用件は手短に頼むわ――――ふぁ……」
さも面倒臭そうに欠伸を一つ、旅の疲れが溜まっているのかと言えば本人に自覚はない。しかし、こうした長旅の経験は彼には皆無。となれば、それは新鮮さ以上に気疲れをもたらしているのかも知れなかった。
「ではご希望にお応えして――――我々と手を組みませんかな?」
「それはアンタ等コルヴェイ軍と、って事かい?」
「フェッフェッ……、まぁ、そんな所でさぁ……」
曲者の老人が放つ言葉に些かの違和感を感じる。それはバドレとの会話でも感じた妙な差異。
――まるで、自分達が敵として認識する相手が霞がかっているような……。
「解らねぇな、俺の立場を理解していて尚勧誘する意味が――――」
「――――穢したいのでしょう?」
「!?」
この時、悠理は完全に無防備だった。もしも、ジャダが勧誘しに来たのではなく暗殺しに来ていたら……。
――いくら彼でも命はなかっただろう。それほどに隙だらけ、カーニャにしか告げた事の無い自身の黒い欲望……。普段は絶対に表には出さない最高機密をあっさりと見抜かれた衝撃は、一瞬とは言え悠理に致命的な一撃を与え思考を奪るに至ったのだ。
「フェッフェッフェッ、あっしは祝福で“相手の欲望を覗ける”んでさぁ」
「―――成程、ね……。だが、俺を懐柔できるとでも?」
――油断していた……、と自身を叱責する悠理。祝福が目に見える直接的なモノばかりではないと理解していたハズだ。レーレの生命エネルギーの可視化然り、リスディアの契約然り。
だと言うのに――――このザマは何だ? あまりに、あまりにも無様。これが油断でなくて何だと言うのだ。
「――あっしはねぇ……、ずっとこの力を利用して生き延びてきた……」
悠理が自身の心の弱さをなじっているのに気付いた風もなく、老人は皺だらけの顔を更に歪めた。
それは苦痛に悶えているような、苦々しさがあった。彼はまごう事なき悪人ではあるがその表情は何処かとても人間らしいものである。
「だから身に染みて解ってるんでさぁ……人間は欲望に嘘をつけないと、ね」
「……そうかも知れないな」
少なからずジャダの言葉に同意と共感を覚えた悠理。妙な説得力があるのは、老人の経験団が言葉に重みを乗せているからに他ならない。
「――旦那には特別に先払いの準備があるんでさぁ。あっしと一緒に来てくだせぇ。なぁに損はさせやせんよ、フェッフェッ……」
そうして彼は路地裏の更に奥――闇の向こうへと消えて行く。
悠理はその後を無言で付いて行った。それはまるで闇に魅入られてしまったかの様に。
――そして、闇に消えた男に魅入られた女が……一人。
「……ユーリ」
二人の姿が完全に闇へと紛れたのを確認したカーニャが物陰から飛び出す。
夜中に出かける悠理を不審に思い後をつけていたのだ。
――決して、彼に襲われた以来の溝を埋めにテントを尋ねに行った訳ではない。
そんな訳で、ここまで来たのならもう後には引けない。カーニャは意を決すると自身もまた闇の中へと飛び込んで行くのだった……。
――――――
――――
――
「ここは――――」
街の外れにある廃墟……その中に隠された秘密通路を通って辿り着いたのは地下施設、と称するべき広大な空間であった。
恐らくは罪人などを隔離しておく為の場所であったのだろう。周囲には年季の入った牢屋だらけだ。
「あっしとバドレ様が運営する“奴隷市場”でさぁ」
「おいおい、この街は治安が良くて有名なんじゃなかったのか?」
言われて燭台の火を頼りに牢屋へと視線を凝らす。――と、そこには確かに年端もいかない少女達がぐったりと意思の無い人形の如くその身を横たえている。
「勿論、治安はそこら辺の街よりも良いでしょうなぁ。――――何せ、街の住民はとっくに操り人形でですからな、フェッフェッ」
「……バドレの祝福か?」
「察しの通り、契約と催眠効果で大抵はイチコロでさぁ」
バドレとの対談の際に出されたお茶とお茶菓子……。悠理はそれらに一切手をつけなかったが、その理由がそれだ。あまりにも胡散臭さを感じたので、虹色の視界を使って執務室にあるものをあらかた調べた。
――結果、お茶とお茶菓子から祝福の気配を感じたのだ。
詳細は残念ながら解らず終いだったが、どうやら契約系――――ジャダの言葉から察するに媒体を通して一種の催眠状態にかけ暗示を施すもらしい。
「――成程、街ぐるみで今まで隠してきたって訳だ?」
「フェッフェッ、グレッセ領で奴隷売買をしようものなら指名手配ものですが、何処に行っても穴ってヤツはあるんでさぁ……。それにコネもありましてね」
「コネ、ね……」
再び違和感を感じ取る悠理。少なくともそのコネはコルヴェイ王とは別の誰かであることは最早確信に近い。
「着きましたぜ旦那ぁ」
下卑た笑い浮かべて施設の奥にひっそりと佇む扉を押し開く。
するとそこからは今まで歩いてきた通路よりも遥かに明るい灯りが溢れ二人を照らす。
まるで彼等を欲望と堕落の楽園に誘うかの様に……。
「こ、これは――――!」
目の前に現れた光景に悠理は言葉を失う。月並みだがそうとしか表現出来ない状況に彼はいた。
そこに居た少女達には立派な――――獣耳と獣尻尾が生えていたのだから!
「大陸東方“トコヨ地方”から仕入れた亜人種でさぁ――――お好みでやんしょう?」
――“亜人種”……、確か“死神”であるレーレと同じく、“祝福”によって人間から変質した種族の一部をそう呼ぶのだったか。
「――――素晴らしいな。こいつ等を俺にくれるってか?」
それは偽らざる本心。地球ではまがい物は見られても本物など絶対に拝める事はない。
良いものを良いと、実物を見てそう思える気持ちは何よりも大事にしなくては。
「それで旦那がこちら側についてくれるなら、安い買い物でありまさぁ」
実力を見せた訳でもないのに、どうしてジャダが自分をそこまで買うのか解らないが彼も間違いなく本心を口にしているのだろう。
何となくだが悠理の直感はそう告げていた。
「へぇ、太っ腹だな。――ん?」
『……ッ』
『……ガルルルルッ!!』
ふと、気になって視線を向けた先にはやたら厳重に拘束された二人の美少女。
一人は兎耳の少女、目を患っているのか包帯をつけている――――が、それは見るからにボロボロ。果たして清潔でないそれにどれ程の医療効果があるのか疑問が後を絶たない。
もう一人は牙を剥き出しにしてこちらを威嚇する狼耳の少女、彼女の拘束は大げさなくらいに一番厳重に施されている。両手両足、更には首にまで人間の頭の数倍はあろう鉄球が繋がれた枷を着けられていた。
更に驚く事に、ジリジリとその鉄球を引きずって飛び掛って来そうな気迫を滾らせている。
「なぁ、あの二人は? 何だか随分元気が良いけどさ」
この部屋に来るまでの少女たちはただのオブジェなんじゃないかと錯覚する程に生気が抜け落ちていた。
――それは彼女達以外の亜人達もそうだったのだが。
「――ああ、あの二匹は不良品でさぁ。亜人種特有の病気にかかってまして……」
「ふーん……」
気付いたのはここに閉じ込めた後で、下手に処理する訳にも行かず、ここで力尽きるのを待っているのだと言う。
滅多にかかるものではないが、発病したらほぼ100%死に至る病だそうだ。他者へ感染しないのが不幸中の幸いか。
「――――で、旦那、どうですかい? 我々と手を組む気には?」
「ああ、ここに居る連中は気に入ったよ。だから――――」
明らかな悪人の甘い誘惑に、悠理が何かしらの返事をしようとした――――その時。
「――――何奴じゃ!?」
何者かの気配に気付いたジャダが声を上げると、それに反応して物陰から飛び出した何か――――虚ろな目をした青年が入り口から中の様子を探っていた存在を拘束した。
あまりにも存在感が希薄だったのか、それとも人間とは思えないほど生気がなかった為か悠理は彼に気付けないで居た。
「――っ、離しなさい、よッ!」
「あれ、カーニャじゃないか」
恐らくはバドレの祝福によって操られた街の住人だろう。彼が捕まえたのは悠理のよく知る人物。
もしかしたらあの一件以来、ちゃんと顔を合わせるのは初めてかも知れなかった。
「見損なったわよユーリ! 欲望に負けてこんな悪党と手を組むなんて!」
「――――え?」
顔を合わせて早々に怒鳴られ、頭に疑問符を浮かべる悠理。そんな彼は置いておいて堰を切った様にカーニャの口から言葉が溢れ出した。
「アンタに襲われそうになって凄く怖かったし、実際アンタのこと大嫌いになったわよ! でも――――――――信じてた……。アンタは絶対、欲望なんかに負けないって……! 必ず、自由を尊重して戦ってくれるって……なのに」
悠理が胸の内に抱える欲望が正直言って怖かった。それを自分に向けれたことも腹が立ったし、自分勝手な男だと嫌いにもなった。
――だが、それでも……、自由である事にひたむきな姿勢だけは尊敬していたのだ。自分だけでなく、他者にも自由を与え続ける姿に感動すら覚えた……なのに――。
「なのにアンタは裏切るって言うの!? アタシ達やスルハの皆、助けを待ってるグレッセ王都の民を見捨てて、欲望に身を任せるって言うの!? そんなの――――自由でもなんでもないじゃない! 何がミスターフリーダムよ!! 何が自由を愛する男よ…………バカァァァァァァァァァッ!」
他者のあらゆる自由を踏みにじるこの地下施設――奴隷市場にて、奴隷解放を掲げる少女は張り裂けんばかりの声を上げる。
――最も、彼女の救いたい対象の奴隷と彼女達では微妙に立場が違う気もするが……。
「フェッフェッフェッ、小娘が何を偉そうに……。所詮人は内に宿す欲望からは逃げられはせぬわ。さ、旦那、よろしければこの娘も従順にしてやりますが?」
「よせよ、こういう強気な態度を崩して行くのが醍醐味ってやつだろ?」
「これは一本取られましたなぁ、フェッフェッフェッ……!」
二人の間で交わされる下品なやりとりにカーニャは唇を噛み締める。
信じていた相手に裏切られた悲しみと、どうする事も出来ない自信の無力さ故に。
そんな自分があまりにも惨めに思えて瞳からは涙が零れ落ちそうになったが、屈してなるものかと必死に絶えた。
――果たしてその行為にどれほどの意味があると言うのか?
「さて、台詞の途中だったのでもう一度言い直そう。ここに居る連中は気に入った。だから――――」
ニッコリと、邪悪な笑みを浮かべて彼は宣言する。自身の欲望にキッチリと従って。
「――――全員、奪い取らせてもらう。交渉は決裂だ爺さん」
「――――は?」
「――え、ユー、リ……?」
どうやら二人とも全く想像していなかった言葉に面食らって理解が追いついていないらしく、愕然としている。廣瀬悠理の性格を考えれば、予測出来た答えであったろうに。
「随分好き放題言ってくれたなカーニャ? 後で覚えてろよ、俺がこんな連中と手なんか組むかバカ女」
「なっ、バカって何よ!」
「やーい、バーカ、バーカ!」
ここがどこであるかも、例の一件を引きずった微妙な空気の事も忘れ、暫しいつも通りに振舞う二人。
――しかし、それも空気の読めない――――いや、空気を読んだ上で水を差す無粋者が一人。
「――――グヌヌ……、何故、何故何故何故何故だぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
今まで大人しかったジャダが見苦しく、醜い本性を晒す様に喚き散らす。
信じられないものを見た事への隠しきれない動揺と憤りが入り混じった表情を浮かべて。
「お前の中の欲望は本物のハズだ! あっしの能力は偽りは絶対に映さないんだ!」
もしかしたらそれは駄々を捏ねる子供の様にも見えたかも知れない。
幼少期より、自身に与えられた祝福で他者の悪意と闇を見せ付けられてきたこの男にとって、世界とは人の悪意そのもの。どんな者に欲望があり、それは必ず闇を帯びる。それが人の本質であるハズだ。
――だが残念な事に、ジャダの常識など悠理にとっては紙くず同然。何の意味も持ちはしない。
「――――確かにお前の能力は凄いよ。正直言って焦りすら覚えた程だ。何せカーニャ以外には言った事のない欲望をズバリ当てられたんだからな……」
「だったら――――」
「けどな? 欲望は裸を見られる以上に恥ずかしいもんだ。誰だって恥をかきたくはねぇ。だからこそ、そうならないようにはどうすれば良いか考えるもの。つまりな―――――我慢したんだよ」
「――なん、じゃと?」
ここに来てますます悠理の発言に戸惑うしかない老人。
正直言えば何を言ってるのかも解っていないだろう。だってそれは、自分では到底認められない無茶苦茶な論理なのだから。
「理解はしなくてもいいさ。でもな、たったそれだけなんだよ。好きなものを穢し尽くしてみたいとも思うが、その前に飽きるくらいに愛でてもみたいんだ」
「ユーリ……」
そうだ、穢したいと言う思いは本物。だが、愛したいという気持ちもまたちゃんと存在する。どちらの感情も嘘ではない。廣瀬悠理が掲げる美学の真髄は物事の裏表を上手く使って生きる事にあるのだ。
「そんな……馬鹿な! それを欲望だと言い張るつもりかお主は!」
「イエス、愛に綺麗も汚いもあるかよ。さぁて――――やりますか!」
欲望につけ込んで自身を懐柔しようとした男を一蹴し、悠理は己の存在理由を謳い挙げる為に行動を起こす。
即ち――――この場に居る者達へ自由を与える!
「う、動くな! 動けばこの女は――――」
そうはさせまいとカーニャを人質に脅しをかけるジャダだが――――もう遅い。
既に彼を止める事など不可能だ。だって彼は―――――――自由なのだから……。
「自由を告げる使者の名において宣言する。お前達は―――――――自由だぁぁぁぁぁぁッ!」
力強い宣言と共に身体からは虹色の光――“生命神秘の気”が溢れ出る。
それはいつにもまして眩い光を放つと瞬く間に部屋を埋め尽くしていく。
――いや、悠理から放たれるそれはこの場に収まりきらず、地下施設からも溢れ、後にクヴォリア全体を覆い尽くしていた事が明かになる。
――そうして、数分に渡って放たれ続けた光が収まった頃、全ての決着はついていた。
ジャダと操られていた青年は床に倒れ付して気絶しており、何が何だが理解が追いつかないまま、カーニャは呆然と事の決着を受け入れるしかなかったのだった……。
あまり出来は良くないし手直しするとこも沢山あるけど、一先ずはこれで精一杯ですな。
あー、クヴォリア編はあと2、3ページって所ですかね?