聖域を駆け抜けろ!
うーん、今日は乗れてない日だったか……。
何か歯も痛いしなぁ。
――ここは天空幻想城……。ノレッセアに神として君臨するレイフォミア・エルルンシャードの居城である。常に空を移動し、その存在は雲の中に隠れていて知る者は多くない。そもそも、このノレッセアにはそこまでの高度を飛行する種はそれほど多くは無い。
ドラゴンや幻獣、神獣と呼ばれる類の者ですらここまで来ない。いや、ここまで飛ぶ意味が無いと言うのが正しいか。いずれにせよ、天空幻想城には強力な結界が張られている。その結界を打ち破る事は大陸最強の炎龍王“シュテングリム”位なものだろう。
つまり、間違っても人の身で此処への侵入不可能。少なくとも、天空幻想城内に居る神の兵士達はそう思っているだろう……。
「ん……?」
「おい、どうした?」
それは今しがたやってきた、城内を移動する兵士二人の格好からも伺える。護身程度に帯刀はしているものの、鎧の一つも着けていない。完全にラフな格好、仕事ではなくバイト気分でここに居るかのようだ。警戒心も何もあったものじゃない。
「いや……、今何か悲鳴の様なものが聞こえた気が……」
「おいおい、この天空幻想城でそんな物騒な事あってたまるかよ!」
城と言っても飾り気が無く、まるで城の形状をした広い研究施設のよう。壁は一面あの白く謎の模様が刻まれたもの。その性でここが城だと言われても建物マニアには喜ばれそうも無い。無機質、その一言が唯々相応しい。
そんな無機質な白い廊下を慣れた足で談笑しながら歩く二人。会話の内容からも明らな油断が見て取れる。しかし大丈夫か?
「ハハッ、そうだな。気のせい――――」
――油断した者の背後ほど容易く取れるものはないぞ?
「――ッ!? おいうし――――」
相方の背後――上から突然降ってきた影に警戒し、それを見た男が咄嗟に腰の剣を抜こうとする。
「“施錠”!!」
けれどそれは実らない。落ちて来た侵入者は二人の胸に光り輝く球体を押し付けそう叫ぶ。
「……ぁ」
「…………ぅ」
すると二人は瞬時に身体の動きを制限されてしまう。目の前に侵入者が居ると言うのに声すら出せない。圧倒的な不意打ち、だがそれもまだ仕上がってはいない。
「命令入力、『俺達のことは見なかった事にして、いつも通り仕事しろ』――良いな?」
仕上げが入力された。侵入者である山賊面の男――言うまでも無く廣瀬悠理の言葉が終わった瞬間、兵士二人はガタガタと震え、虚ろな目になる。まるで催眠術にかけられた様にボーッと、何処でもない何かを見ていた。
「……ああ、解った」
命令を了承した直後、二人の目は輝きを取り戻しハッとした顔付きになる――が。
「――あー、で何の話してたっけ?」
目の前に悠理が居ると言うのに兵士達は普通に談笑し始め、廊下を歩いていく。どうやら彼が打ち込んだ命令通り、見なかった事になっているらしい。
「――ハァッ、ハァッ……。OKだ……レディさん」
仕事をやり終えた悠理が膝をつき、通路の影に隠れたレディ達に声をかける。息は荒く、額と言わず顔中、身体中は汗で一杯……。噴出した汗はボタボタと絶えず廊下に落ち、城の壁と同じ様にキラキラと輝く模様に吸い込まれていく。
これは先程の兵士に使った“新技”の性だ。あれはレーレを助ける為に編み出した“生命神秘の光球”の応用版。あの時は生命維持に使用したが、今回は悠理の真骨頂である“自由の剥奪”に一種の“命令”を付与した改良式の技。
“剥奪”に必要な条件を短縮し、さらに“祝福の改竄”に近い“意識の改竄”を行って一種の催眠状態に誘導する――と言った能力…………名付けるなら“自由意識の誘導”と言ったところか。
――だが使えば体力を大きく消耗する諸刃の剣。加えるに悠理はここに来るまでにもう十数回は使用している。
彼等が天空幻想城へ侵入してからもう一時間近く経つが、隠れる場所が極端に少ないこの城の中ではこうするより他に方法がない。悠理とレディ二人ならまだしも、非戦闘員が二名も居る状況ではそれ以外にはないのだ。その為、悠理は技を使っても十分な休息を取る事が出来ず、疲労も溜まってきていた。
「すみません、お手を煩わせて……」
「い、いいえ、二人を守ってもらえるだけで、十分です、よ……」
隠れていたレディが申し訳なさそうに謝る――相変わらず声に抑揚はなく、顔も見えないのだが……とにかくそう言ったニュアンスは伝わって来た。
今回の件で彼女は一切戦闘に参加しない。何故かとレーレが問うたが彼女曰く、『色々と制約と言うものがありまして……』とのこと。どうやら自由に世界や空間を移動できる代わりに、様々な制限を抱えているようだ。
だが自衛に関しては問題ないらしく、戦闘力のないレーレ達の前に立ち、自分に振りかかる火の子は払ってくれると約束してくれていた。
――今の所、男の意地で彼女の出番はまだ来ていないが……。
「だ、大丈夫なのユーリ?」
『――じっとしてろ、汗拭いてやるから……』
レディに続いて同じく物陰から出てきた二人も悠理を気遣う。カーニャは背中を、レーレは額の汗を拭き取っていく。これももう十数回繰り返されたこと。携行していたハンカチの類はとっくにビショビショで、拭き取る度に絞っては拭きを何度もしているのでもうしわくちゃ……。
けれどもそれが二人に出来る唯一の仕事なのだ。真剣にその作業に従ずる二人に悠理は感謝する。汗と共に疲労も僅かながらハンカチへ吸い込まれていく気がする程、彼女達の手は何だか安心感を与えてくれていた。
「ありがとな二人とも……。それにしても数が増えてきましたね……」
「目的の場所が近いですからね」
最初に兵士に見つかったのは殆ど偶然で50分程前。だが奥へ進む毎にその頻度は確実に短くなっている。レディの先導に従って進んでいるのだが、悠理やカーニャには目的地など解らない。だがレーレは違う。彼女は此処が何処だか知っているだけに、レディが向かう先にも見当をつけていた。
『なぁ、レディ。向かってる先はやっぱり……』
「はい、レイフォミア・エルルンシャードの寝室です」
寝室――? その言葉に悠理とカーニャはやはり首を傾げる――だが、きっと意味があるのだろうと思い、態々口には出さなかった。
「神様に会ってどうするつもりなの?」
「会ってみれば解ります。それに――」
『それに?』
「貴方達は――――いえ、神様が貴方達に会う事を必要としているから……」
カツカツと音を鳴らしつつも慎重に足を進める一行。しかしレディの含みある言い方にカーニャは思わず足を止め――。
「えっ、それってどう言う……」
「――シッ!」
――質問しようとして止められた。どうやら目的の場所へと着いたらしい。通路から少し顔を覗かせればその先には大きな扉。その前には屈強そうな、門番の男が二人立っている。カーニャですら解った。今まで廊下ですれ違った兵士達とは格も覚悟も違う、と。
『流石にアイツの寝室だけあって守りが厳重だな……。恐らく中にも何人か居ると思うが……どうする?』
「廣瀬さん、先手必勝で潰して下さい。ここまで来たら小細工は無用です」
「――簡単に言ってくれますね……。仕方ない、こうなったらアレで行くしかないか」
小細工は無用――とは言うが、明らかに手強そうな門番だ。神の寝室を守るのだから当然なのだろうけど。だが疲労状態にある悠理には厳しい相手……。恐らくはカーネスクラスと思って間違いない。
レーレの話では神の兵士は確かに強くはある――が、元々は平和主義者の集まりで戦闘には不向き……。それを信じたいところだが、どうもそうは行かないと門番を見て思う。
――ここは惨めでも何でも戦いに勝つ方法を考えねばならない、と。
「何か作戦があるのユーリ?」
「作戦――とは言えないかな? 俺が派手に暴れて敵を惹き付けるから、皆は神様の所に行ってくれ。それでいいですかねレディさん?」
中にも数人護衛が居るかも――と言う状況でこの案は愚策。けれども悠理一人の力ではそろそろ限界だ。
だから、レディやカーニャとレーレを信じて本懐を託す事にする。その為に自分は囮なって時間を稼ぐのだ。
大丈夫、レディは信頼できる人物だ――根拠は無いが。それにカーニャもレーレも足手まといなどではない。きっと今、彼女達にしか出来ない何かがこの先にある、その直感に従って送り出すのみ!
「……あぁ、そう言う事ですか。アナタも素直じゃない人ですね」
『……?』
悠理からの案をレディは承諾したが、彼の言葉から何かを感じ取ったらしい。どうやらそれは彼女だけが解るものだった様で、レーレはちょっとむっとした様に眉を潜めた。
「だ、大丈夫なの一人で?――って言うか、アタシ達だけで大丈夫なの?」
「そこはまぁ、私が何とかします」
「――え、でも出来るだけ戦うのは嫌だったんじゃ……」
「――自衛なら仕方ありませんから」
不安がるカーニャに対して意気込んだ様な気配のレディ。『自衛なら仕方ない』、そう言って何処からか短刀を引き抜いた彼女。カーニャは戦慄した。突然姿を見せた短刀にではない、その仮面の向こうで一瞬、ニヤリとレディが笑ったような錯覚を覚えたからだ。
しかしそれはやはり錯覚だったらしく、カーニャ以外の二人は反応すらしておらず、結局気のせいだったという事にする。
「んじゃ、そんな訳で行って来るわ」
『ユーリっ』
「ん? 何だレーレ――」
『んっ』
「――――んぅッ!?」
気合を入れて悠理がいざ出陣――――しようとした時、レーレに呼ぶ止められ唇を奪われる。
――これが彼のファーストキスであった……ああ、もう既に寝ている間に奪われているのは未だに知らないので、今回が悠理の意識がある内に体験した初めてのキス、である。
『――ぷはっ……、無事に帰って来いよな?』
「あ、ああ、解ったぜ?」
時間にして数秒、だがレーレはもう慣れたもの。悠理はと言えば、唐突に奪われたファーストキスで混乱気味らしい。珍しく彼が耳まで真っ赤にしている姿にレーレはくすっと笑いを漏らした。何だが悪戯に成功した気分だ。
「ちょっと、廣瀬さんになにするんですか?」
『あぁん? 別にいいだろうが!』
「あー、もう早く行きなさいユーリ!」
「お、応よ!」
悠理へのキスで女性陣の間で諍いが始まり、その場から追い出される様な形で彼は物陰から飛び出す。
――喧嘩してるけど大丈夫か? などと考えつつ、意識を切り替える。ここから先は事前に知らされた通り、最悪死ぬ領域。覚悟を決めねばならない。だから悠理はいつも通りに不敵な笑いを浮かべ――。
「よぉ、磯野~! 野球しようぜ!!」
――屈強で融通の効かなそうな門番の前に踊りでたのだった!
次回、悠理の敵を惹きつける秘策とは?