始まりの戦場の名はスルハ
――悠理達一行が時計塔の惨劇に唖然とする中、スルハでは……。
「と、時計塔が!」
あまりにも突然の事だった。皆、普段通りに過ごしていた。買い物に勤しむ主婦、鉄を打つ音。
旅の貴族が装飾品を値踏みし、向かいに店を構える主が『こちらの方が――』と声を掛け、店同士のプライドを賭けた戦いへと発展。勝者は素直に喜び、敗者は更なる研鑽を誓う。
恨み言、泣き言は決して言わない。それがスルハと言う街の日常風景……。
いつもと変わらない光景が流れていた――ハズなのに。
たった一瞬でそれも変わってしまった。
いや、たった一撃で、と言い換えるべきか?
「成程、流石はスルハの街が誇る時計塔だ。この距離とたったの一撃ではあの程度か」
そこに居たのは白い甲冑に身を包んだ女騎士が一人……。
女は呟きながら振り抜いた剣を鞘にしまう。
――馬鹿な。
あれをあの女騎士がやったとでも言うのか?
彼女が居る街の中央広場から時計塔まではゆうに500メートル以上も距離が開いている。
しかも、切り裂いた部分は時計盤のやや下辺り、地上から凡そ60メートル。建物だって横幅5メートルはある。
――――それを、だ。
袈裟切りの要領で斬撃を飛ばし、切り裂いたとでも言うのか?
「………………」
視線が女騎士に集まる。恐怖、驚き、困惑、いずれにしても不の感情だけがその場を支配する。
「聴けッ! スルハの住民よ!」
女騎士が声を上げる。すると、それを合図にしたように、街の至る所から白ずくめの甲冑を着た兵士が現れ、女騎士の背後に整列した。
その数――総勢300名。
一糸乱れぬ動きの正確さから見て精兵……。
幾度と無く戦いに身を晒して来た兵であることは誰もの目に見ても明らか。
――嫌な予感がする。それも、その場に居た誰もが思った事だった。
そして――――不安は残念ながら的中してしまったようだ。
「今日よりここは我らが主、コルヴェイ王が治める“アムアレア王国”――その先遣隊である“白風騎士団”が占領する!」
彼女のその言葉に、いや、その中に含まれたある人物の名に人々はざわついた。
――コルヴェイ王……。またの名を祝福殺しの王。
一代で大陸最北端にアムアレア王国を築き、ここ数年で近隣諸国を吸収し北方を征した覇王……。
その男がついに大陸を統一せんが為、動き出したというのか?
しかも、ここはアムアレアとは真逆に位置する場所だ。
いくら先遣隊で数が少ないとは言え、国の監視を欺いてここまで潜入したと言うのか?
「――そんな横暴が許されると思っているのかね?」
落ち着いた低い声が響き渡る。壮年の男性だ。褐色で白い長髪、見事な髭を蓄えている。
体格も良く、一目見ただけでは兵士と見間違えそうなほど鍛え上げられた肉体。
そして、最も目を引くのはその手。無数の切り傷や豆だらけだ。
「――貴殿は?」
女騎士が男を見やる。鍛治師である事は明白。だが、ただの鍛冶師ではない。
まるで歴戦の老兵士と合間見えたかのような感覚に彼女は警戒する。
「工商長ッ! 危険です、お下がりください!」
若者が男性を引きとめようとする。しかし、街の工商長を勤める男は首を振って。
「下がっていなさい」
ただ、一言。威圧する訳でもなく、それどころか微笑みさえ見せて若者を押しのけ前へ出る。
「私はスルハ工商会会長ドレフと申す者だ。先ほどの発言の真意をお聞かせ願いたい」
「ほう、探す手間が省けたな」
白い兜の下で騎士がほくそ笑む。街の代表者が態々向こうから出てくれたのだから。
「真意も何も言った通りだ。コルヴェイ王の命により、この地を戴きに参った」
冷徹に感情を一切見せず、彼女は再度目的を告げた。
「我々にその要求を呑めと言うのかね?」
「――素直に従ってくれるなら余計な血が流れずに済む」
二人の視線がぶつかる。どちらも引く気はない。
話合いは無駄だと悟る。
「――私はこの地で生まれ育ち、ずっとこの街と共に生きてきた……」
ドレフが遠くを見ゆる。
視線の先には切り裂かれた時計塔……。
感じたのは怒りよりも先ずは悲しみだった。
――ああ、あの時計塔にどれ程の職人達の血と、汗と、涙が染み込んでいるか。お前達には解るまい。
自分もそうであったし、父や祖父もあの時計塔を作る為に己が技術を振るってきた。
古来より伝わる伝統の技法で、苦労に苦労を重ねて生み出した新たな技術と道具で。
何度も何度も試行錯誤し、何度も何度も補修を重ねて来た時計塔……。
怒りはまだドレフの胸に宿らない。悲しみの次に悔しさを覚えた。
どんな災害にも、どんな強大な力にも屈しない。そんな時計塔にしたかった。
形あるものはいつか壊れ逝く。だが、我々職人の仕事はその瞬間を少しでも遅らせる事だ。
それが――叶わなかった、と言う無念。
自分達の力が足りなかった性で、街の思い出が無残にも傷つけられた。
――申し訳がたたんな……。
街の住人にも、職人達、また職人を目指す若者達、そして――時計塔と、その建設に命をかけた先人達にも……。
「女騎士よ。街の象徴を破壊すれば、我等が恐れをなして従うと思ったか?」
ようやく、ドレフの胸に熱い怒りが滾る。
その言葉に気付けばその場に居た誰もが次々に武器を手にして駆けつけた。
女も子供も、老いも若きも関係ない。
この街に住まう――スルハを愛する者達が集結していた。
「お前は何も解っておらぬ。この街の――我等の思い出を傷つけられて、どうして黙っていられようか?」
とても大切なモノを汚された怒り。それを押し込めて唯々諾々と付き従い、生き延びたところで何になると言うのだ?
自分の命を優先してこの街を見捨てる事は出来ない。それだけは――絶対に。
戦力は明らかにこちらの方が劣っている。向こうは兵士でこちらは職人と一般人。
中には腕に覚えがある職人も居ようが、それでも圧倒的にあちらが優勢。
――されど。
「例え勝つこと叶わずとも、我等は一歩も退かぬ――いや、退けぬ。お前達は最もやってはいけない方法で宣戦布告をしたのだから」
ドレフが腰にぶら下げた二丁鉈を引き抜いた。
実に堂々とした姿で構える。
この男、ドレフ・ベントナーは嘗てここスルハを領地に持つグレッセ王国軍に一時身を置いていた。
その際に国王と共に肩を並べ戦場を駆け抜け、後に英雄と称された男である。
軍から身を引き、一介の鍛冶師に戻っても訓練を絶やした事は無い。
その変わりない力強さを秘めた背中に街の住人も武器を構えた。
恐れをなした者は当に逃げ去っている。ここに居るものは戦いを覚悟した者達のみ。
構えは全然なっていない、笑ってしまうようなへっぴり腰の者も居る。だが、瞳に宿る闘志は本物だ。
それだけは白風騎士団に勝っているかも知れない。
「――何故だ? どうしてこの状況で戦いを選ぶ!?」
その光景を目にして僅かに焦りを覚え、女騎士が叫ぶ。
「生きていれば街は復興できる! 何故、勝ち目の無い戦いに挑む!」
死んでしまっては元も子もないじゃないか。恥を忍んで生き抜けばいい。
そうすればいつか――――いつか……。
「若き騎士よ、それはお前の考えであって我等の考えではない。それを押し付けるのは傲慢と言うモノだ」
「――――ッ!? 黙れっ!」
カッとなり剣を抜く。ただし、最初に時計塔を切り裂いたモノとは別の剣だ。
感情的になっている事はわかる。だが、人に対して使っていい剣ではない事も忘れてはいない。
自分達は街を占領しに来たのであって、虐殺をしに来たのではないのだから。
「総員抜刀ッ! 我等の力を見せ付けるだけでいい。一人も殺すな! だが、従う他に道はないと思い知らせる為に徹底的にやれ!」
女騎士の号令を合図に白ずくめが一斉に臨戦態勢に入る。
(私は――また掛け間違えてしまったと言うの……?)
兜の下で唇を強く噛む女騎士。
胸に抱くのは悔恨。全てが裏目に出てしまった。
最早、戦いは避けられない。例えどんなに彼女がそれを望んでいなくても。
「――皆、巻き込んでしまってすまない……」
街の代表者としてこの行動は正しかったのか?
ハッキリ言えばそれは違うだろうと、ドレフ自身も思う。
住人の安全を考えれば時計塔の破損位なんてことは無い。女騎士の言う通り直せば済む話だ。
――だが、工商長としてではなく、ドレフ・ベントナーとしては我慢できなかった。
この街を傷つけられてなるものか。渡してなるものか。
自身の血と汗を染み込ませてきた故郷を見捨てるようなマネが出来る筈はない。
「へっ、みずくせぇ事は言わんで下さいよ工商長!」
「そうですよ! ここに居る皆は工商長と同じ気持ちですから!」
その場に居るものは誰一人彼を責めはしなかった。むしろ、良くやったと言わんばかりに彼の意思を尊重し肯定する。
「――ありがとう。だが、決して無茶するなよ?」
「あったぼうよ! 時計塔も修理しなくちゃならねぇんだからさ!」
職人達の言葉に笑みを浮かべる。
この戦いの先に待つ補修作業を考えている事に嬉しさを隠せない。
「――ふっ、では行くぞッ!」
間違いなく自分達は負けるだろう。
だが、この街を愛する者として力に屈しなかった。
その証を残す為に――。
ドレフは女騎士へと飛び掛って行くのだった……。
――あれ?
これって工商長のオッサンが勇敢に立ち向かう話だったっけ?
うん、違うよね、知ってる。
まぁ、次回から悠理達がスルハに到着するんで楽しみにしていてください。
――悠理が活躍する場面があるかは解りませんけどね(苦笑)
追伸
俺タワーのイベントですが、無事に牛魔王は倒せました!
でも、2ページ更新はちょっと無理かナァ……。