02
「我が友人! アッシュー! 今日もオレの頼みを聞いてく……、あら?」
乱暴に開かれた扉から入って来たのは、明るそうな雰囲気を醸し出している一人の青年。
陽気に笑いながら家の主であるアーリッシュの名前を呼びながら、いつも通りの言葉を紡ごうとしていたのだがそれは途中で途切れてしまう。
視界に入ったのはアーリッシュではなく、驚きで目を瞬かせているミルフローラとそんなミルフローラを庇うように立っているコトネが視界に入ったからかも知れない。
唯一、頭が痛い、と言わんばかりに頭に手を当てていたアーリッシュであったが深々と溜息を吐きつつ、ほぼ投げやりに彼を指差す。
「その馬鹿も一応はマイスター」
「馬鹿とは失礼な! アカデミー時代はトップの成績だったんだから、馬鹿じゃないぞ」
「……うん、馬鹿だろ?」
「ちっがーう! ……じゃなくてだな、アッシュよ」
「何だよ」
「この麗しいお嬢さん方はどちら様? アッシュの知り合いじゃ、ないでしょ?」
「外から来た客だよ、客。マイスターに用があって来たんだと」
「ほー。……あ、驚かせてごめんねー。オレはアッシュの数少ない友人の一人で、ジーノ=オブローゼ。マイスターの一人!」
指差したアーリッシュはとりあえずは、と言わんばかりに教えるように彼女達に言うものの、言葉が気に障ったのか反論をする。
ほぼ聞いていない様子でアーリッシュは繰り返すように言うためにもう一度否定してから、今はそれ所じゃないと言う感じに妙に真面目な表情を浮かべてアーリッシュと向き合う。
あまり見ない真面目な表情に嫌な予感を感じながらも聞き返せば、二人をちらちらと見ながら言うと、納得したように頷きながら説明する。
嘘はついていないのだろうとすぐに分かったのか、どこか納得したように声を漏らしながら今度は改めて二人に向きあうと驚かせてしまったことに対して謝罪をしてから、自己紹介をする。アーリッシュから余計なことを言いやがって、というような視線を向けられるがそれを気にせずにへらっと笑う。
そこでようやく安心したのか、互いに顔を見合わせて軽く頭を下げる。
「ミルフローラ=シエロです」
「……コトネと申します。以後お見知りおきを」
「うんうん、よろしくー。それでマイスターに用事だって? オレで良ければ聞く……」
「っつーか、俺に用だったんじゃねぇのかよ。ジン」
「お、そうそう。これ、十個ぐらい複製して欲しいなーって」
「薬? これぐらいならその辺のアルケミストでもじゅ…………。お前、また面倒な調合しやがって」
「あははー、やっぱり効果を増大させるべきでしょ! ってことで、お願い!」
「……ったく」
二人の名前を覚えるように交互に見てから、人懐こい笑顔を浮かべながらもふと先程聞いた話を思い出しながら問い掛けようとするが、その前にアーリッシュから声が掛かる。
そう聞かれた事でようやく思い出したのか、懐から小さな小瓶を出すと、はい、と手渡しながらお願いする。
中に入っている液体は見覚えのある薬のように見えたために文句を言い返そうとしながらも、小瓶を握ってから数秒無言になると、またか、と言いたげな視線を向ける。
そういう反応が返って来ることは分かっていたジーノはと言えば明るく笑い返しながらも、ぱん!と両手を合わせて言えば、渋々と言った感じに小瓶を見つめる。
「……? 調合の仕方とか、分かるものなの?」
「いや、分からないんじゃない? 分かるのは、『物』を形成している元素」
「アルケミストというのは、その元素? と呼ばれるもので複製するのですよね?」
「そだよー。作られた『物』に必要な元素を正確に読み取れる人ほど、優秀なアルケミストってこと。オレはアッシュ以上の人は知らないけどね」
小瓶を見つめているアーリッシュに目を向けながら、ミルフローラは思ったことを口にする。
それが聞こえたジーノは同じようにアーリッシュを見ながら、うーん、と首を傾げながら自分が知っている範囲のことを告げるとコトネは先程の説明を思い出すようにしながら質問をすると、ジーノは肯定するように頷く。
アルケミストに必要不可欠な能力。『元素』を読みとる能力。
正確に読み取れるほど同じ物を再現することが出来るため、逆に読み取れない場合は効果が劣化するなどのマイナス要素が出て来る。
そのため、マイスターが複製を頼むアルケミストは自分の力量に合っている人だけだ。そうでなければ同じ物を作ってはくれないということを知っているから。
それを踏まえてもアーリッシュは、何ら問題は無いと思っている。いつだって自分の作った物を再現してくれるから、安心して仕事を任せることが出来る。
「足りねぇか? ……足りねぇな。仕方ない、おい、チビ!」
「きゅー?」
「寝てた所、悪いな。ちょっとお前の中にある元素を……」
ぶつぶつと呟きながら一度自分が付けている腕輪へと視線を落とす。誰に確認するでもなく、ぽつりと呟いてからはぁ、と一つ溜息を吐くと声を上げる。
専用のベッドで寝ていたチビは名前が呼ばれると目を覚まして、アーリッシュの元へと近寄って来る。
近寄って来たチビを撫でながらアーリッシュは少々申し訳なさそうにしながらも、そう声を掛けたのだがふと視線が向けられていることに気付いて振り返る。
「……何だよ」
「いんや? オレの自信作は、アッシュにばかり懐くなーって思ってさ」
「あの子は……ジーノ様がお作りに?」
「……様っ!? ちょ、コトネちゃん! 様は止めて、様は。普通にジーノで良いから」
「え? あ、は、はい……分かりました」
「可愛い子。……この子は?」
「アルケミストは元素を扱うって話はしたろ? その元素は普通ならこの腕輪に入れておくんだが、俺の場合は許容量オーバーだからコイツに頼んで専用で作って貰ったんだよ」
羨ましそうにじとっとした目を向けながら拗ねたように呟くジーノを見て、コトネはチビを視界に入れてから驚いたように問い掛ける。
問われたジーノはうんうん、と頷いて答えたのだがふと気付いたように慌てて振り向けば必死になって懇願するように言うと、コトネは目を瞬かせながらこくりと素直に頷く。
そんな二人の会話を聞いたミルフローラはくすくすと小さく笑みを零しながらも気になったことを問うと、アーリッシュは簡単に説明をしてくれる。
アルケミストは自分で使う元素は自分で集め、溜めておくもの。但し、溜めておける容量はアルケミストの『器』によって変わるらしく、腕輪はその力量に合わせて作られる。
もちろん、アーリッシュも当時の実力に合わせて作られた腕輪を身に付けているのだが、アカデミー時代にあっさりと力量を超える実力を身に付けてしまったためにまた力が伸びる可能性も考えて、彼自身が考えた上でジーノにチビを作るように依頼を出したということだ。
専門的な事なので納得したのか、してないのか曖昧な表情を浮かべながら興味深そうに見ているミルフローラを見てアーリッシュは苦笑を浮かべる。
初めて見るモノに興味を抱いた小さな子供にしか見えない。実際に同じようなものなのだろうと思いながらも、不意にくすくすと小さな笑い声が聞こえたために家の中に居た四人が思わず聞こえた方へと視線を向けてみると扉の所に立っているのは、一人の青年だった。
「声掛けようとは思ったんだけど……、アッシュの家にジーノくん以外の人が居るのって珍しいからつい気後れして」
「ゼクト!」
「おー、ゼクトじゃん。オレはお久?」
「そうだね、お久しぶり。……えーっと、そちらの人達は初めまして? ゼクト=ユアンです」
「あ、ミルフローラ=シエロです。こっちが、コトネ」
「お初お目に掛かります」
そこに立っていた青年――ゼクトの姿を見ると、アーリッシュはふと表情を緩ませながら名前を呼ぶ。
ジーノもひらひらと手を振りながら名前を呼べば、ゼクトは手を振り返しながら微笑んで挨拶を返してから、ミルフローラとコトネへと視線を向ければ簡単に名乗る。
はっと慌てたように名乗ったミルフローラに続くようにしてコトネも頭を下げると、ゼクトはゆっくりと家の中に入って来る。
「最近は良くこっちに来てるんだな」
「ん? あー……うん、ちょっと、ね」
「……?」
中に入って来たゼクトを出迎えるように、アッシュはチビを肩に乗せて近付いて行くとふと思ったことを口にする。
ゼクトとは古くから知っている唯一の友人の一人だ。ただ、あまり自分の事を話してくれないために知らないことの方が多いのだが。
とは言っても深く問い掛けるような無粋な真似はせずに、仲の良い友人として貴重な存在だと思っている。そんな存在が遊びに来てくれるのは嬉しい反面、少しだけ不思議に思うこともある。
彼は頻繁に姿を見せる訳じゃなかった。時々、ふとした時に遊びに来るだけで実際、ジーノがゼクトと逢ったのは久しぶり、と呼べる時間が経ったくらいだ。
そのために何気なく言った言葉に対してゼクトはと言えば、言い難そうに言葉を濁すためにアーリッシュは僅かに首を傾げた。
そんな姿のアーリッシュを見てゼクトは苦笑を返すことしか出来なかった。それ以外、どうすればいいかが分からなかったからだ。
――やっぱり、君は現れるんだね?
「……っ!」
「え……な、何、この声……?」
「一体、どこから聞こえて……!」
とりあえずは、適当に何かを話そうとゼクトが口が開き掛けた時。ふと突然、見知らぬ少年の声が家の中に響き渡る。
びくりと大きく身体を反応させ単はゼクトで。この場には居ない第三者の人物の声にミルフローラは目に見えて怯えた様子を見せ、慌ててコトネが背に庇うように立ちながら辺りを見渡す。
だけど姿が見えるはずもなく、ただ、声だけが聞こえて来る。
――まぁ、いいさ。この舞台に君の存在は必要不可欠だけど……最初からは要らないよ?
「……!」
「何の話を、して……? え、ゼクトの知り合い、なのか?」
――同じ「存在」であるということだけだよ。……さぁ、僕の声が聞こえる全ての人々を「箱庭」へと招待しよう。
「……箱、庭……? 一体、何を言って……!」
少年の声の言葉にゼクトは驚いたように目を見開かせながらも、ジーノは混乱したようにただただ声を上げる。
親切にその質問に答えるように言葉を返した少年の声は、どこか楽しげな声音に聞こえて。アーリッシュははっとしたように慌てて声を上げたその瞬間だったろうか。
辺り一面が白い光で覆われ、咄嗟に目を閉じた瞬間に感じたのは一種の浮遊感のように感じ、そのまま彼らは意識を飛ばす事しか出来なかったのだった。
――光が収まって、ゆっくりと目を開いた時。見えた光景はいつもと変わらぬ、アーリッシュの家だった。
ただそこに居たはずのアーリッシュの姿も、ジーノやミルフローラ、コトネの姿さえもどこにも見えなかった。
外でもこの光景は起こっていたようで混乱に満ちた声が、唯一この場に残されたゼクトにも聞こえて来る。中には泣き叫ぶ声さえも聞こえて来て、どうするべきかと思いながらもゼクトはその場から動けずに居た。
(……未来は、変えられる)
そう信じていた時期もあった。未来は不安定で、些細なことがきっかけで未来はいくらでも変わる。
未来を見れたのであれば変えられたらいい。良い未来であればそのままで、悪い未来ならば良い未来へと変えられるようにしたい。
そう思った時期もあった。でも未来は変わらない、些細なきっかけ一つでは大筋など変わることはないのだ。
だから、この場に残ったのはもう確定していたこと。この場に居ようが、居まいが変わることのなかった未来。
それでも。自分の中に広がる気持ちは、喪失感。
「……アッシュ」
名前を呼んでも、返事してくれる声はそこにはなくて。ゼクトはぎゅっと手を握り締める。
願ったのは自分。阻止することもせずに、ただただ、その場から動くことをしなかったのは紛れもなく、自分。
――彼は、許してくれるだろうか。
自分勝手な願い故に、危険な目を遭わせてしまうことになる自分を。
(……。いいや、許してくれなくたって構わないんだ、本当は)
最悪嫌われたって構わない。ただ、彼と言う存在が「世界」に存在し続け、その傍に自分が在ることを許されれば、それだけで。
それ以上は願わない。それ以上は求めるつもりもない。
だからこそ、その「願い」のためにも今すべきことは自分にはあるのだ。
「でも、まさか……。アッシュ以外の彼らもだったなんて、考えもしなかった」
いや、本当は考えるべきだったのだ。全てが変わらない道筋で歩き続けているのであれば。
見えたその時に、考えておくべきだった。もう遅いことは分かっているけれど、分かっているからこそ急ぐべきだと思った。
「……多分、『あっち』でも同じ出来事が起こってるんだろうけど……。連絡を取ってみる、か」
そう、これはただの始まりにしか過ぎなかった。
全ての始まりの日。終わらせないために、始める日。
ゼクトはゆっくりと息を吸い込んでから、深く息を吐く。そうして名残惜しげに家を見てから、家から出てゆっくりと歩き出したのだった。