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黎明の茶会 〜魔王の座を捨てた最強の男は、至高の茶葉を求めて世界を巡る〜  作者: 七割カカオ


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家計簿の重みと路地裏のシトロン

潮風が、街全体をレモンの香りで包み込んでいた。


自由都市メルシナ。白亜の建物が坂道に沿って重なり合い、その隙間から覗く海が、午後の陽光を反射して砕けた宝石のようにきらめいている。


活気あふれる市場の声、遠くで鳴る教会の鐘、そして石畳を叩く馬車の音。ここは、かつての魔王領の境界線でありながら、現在は大陸全土の富が流入する、流通の心臓部だ。


「素晴らしいな。海辺の街特有の、この『塩気を含んだ空気』こそが、茶葉のタンニンを最も優雅に手懐けてくれるんだ」


エルムは、広場に面した高級茶葉専門店『テ・セレスト』メルシナ支店のショーウィンドウを、恋人を見つめるような眼差しで凝視していた。その視線の先には、鮮やかなレモンイエローのラベルが貼られた新作缶がある。


「見てくれ、エターナ、ベル!あれが限定の『メルシナ・シトロン』だ。今期は地中海の潮風をたっぷり浴びた若葉をベースに、シチリア系レモンの精油を極秘の比率で…」


「能書きはいい。喉が渇いた。さっさとそれを買い、どこか静かな木陰で淹れろ。私は読書がしたいのだ」


エターナは、高価な魔導書を片手に、退屈そうに銀髪を弄る。彼女の傍らには、空になった魔力薬(マナ・ポーション)の小瓶がいくつも転がっていた。


道中、「目が疲れやすい体質なのだ」という理由で、一瓶で数ヶ月は暮らせるほどの希少薬を点眼薬代わりに使い切った結果である。


エルムが懐から、吸血鬼公爵ヴァレリウスから預かった「活動資金」の革袋を取り出した。


「すみません、限定缶を三つ。一つは保存用、一つは観賞用、そしてもう一つは今すぐ飲む用で――」


エルムが金貨を差し出そうとした、その時だった。

がしり、と。細いが、鋼のように力強い指先が、エルムの手首を掴んだ。


「却下です、エルムさん」


背後から響いたのは、極北の吹雪よりも冷ややかな声だった。エルムが恐る恐る振り返ると、そこには一冊のノートを抱えたベルが、一切の光を宿さない瞳で立っていた。


「え、あ、ベル?でも、これは期間限定で、今買わないと特典の『銀製ティーメジャー』が…」


「却下です。お二人とも、この数日間の自分たちの行動を覚えていますか?」


ベルは、手に持っていた『家計簿』を勢いよく広げた。


「エルムさん。野宿の焚き火に『香りが移るから』と、わざわざ隣町の炭焼き職人から買った最高級の備長炭。金貨二枚。


エターナ様。移動中に使い切った聖水と、それらを使用した際にかかる『大陸魔導管理局への暫定魔力行使税』。


合わせると、金貨十枚が数日で消えました」


「ぜ、税? 魔法を使うのに、税金なんて取られるのか?」


エルムが目を丸くすると、ベルは心底疲れたような溜息をついた。


「エルムさん、今は『管理の時代』なんです。無認可の術式を使えば特許侵害、公認の術式を使えば従量課金。魔法はもはや神秘ではなく、ただの公共インフラなんです。


魔法を使える才能(デバイス)を持っているだけで、たとえ使わなくても維持費を徴収される…そういう契約になっているんです」


「なに?!だが私は賢者だぞ?そんな卑俗な数字や役所の都合に縛られるなど…」


「黙ってくださいエターナ様。食べなければお腹が鳴るのは、賢者も兎人も同じです。現在、私たちの全財産は銅貨五枚。今夜の宿どころか、食事すら危ういです」


ベルの「笑顔の説教」に、世界を滅ぼしかけた元魔王候補と、神話の賢者が同時に肩をすくめた。


圧倒的な魔力も、理外の武力も、ベルが突きつける「現実(数字)」という暴力の前では無力だった。


「仕事を探してきます。お二人は、そこで反省していてください」



ベルが見つけてきた仕事は、街の端にある小さな菓子屋『レモン亭』の納品手伝いだった。店主のドワーフは、頑固そうな眉を寄せながら、大量のレモンが詰まった木樽を指差した。


「近頃はどいつもこいつも、大陸魔導管理局の『高速熟成魔法』を使いやがる。あれを使うには管理局に高いパテント料を払わなきゃならんが、その分、利益が出るからな。


だが、あれは偽物だ。太陽の光と海風が、一週間かけてレモンの皮に甘みを閉じ込める……その『時間』こそが、菓子の魂なんだよ」


その言葉に、エターナの耳がぴくりと動いた。


「なるほど。管理局、か。かつて『大陸魔道協会』と呼ばれ、真理を追究していた研鑽の場は、平和と引き換えに魔法を商品として切り売りする『特許管理事務所』へ成り果てたというわけか」


エターナは無言で杖を置くと、重い木樽を片手で軽々と持ち上げ、店主を驚かせた。彼女にとって、これは単なる労働ではなかった。失われつつある「本物の神秘」への、賢者なりの敬意だった。


しかし、その静かな時間は、乱暴な足音によって破られた。


「おいおい、まだこんな『特許侵害品』を作っているのか?」


数人の男たちが、店に踏み込んできた。


中央に立つのは、贅沢な法衣を纏い、胸元に『大陸魔導管理局・一級特許魔導師』の記章を光らせた男、ハンスだ。


「管理局の監査だ。この街における『柑橘類への魔法的な経年変化プロセス』の独占特許は、巨大商会『黄金の天秤』が三千万ゴールドで買い取っている。


魔法を使わずに熟成させる行為は、その特許プロセスの市場価値を相対的に貶める『不当な回避行為』とみなされる」


「勝手なことを言うな!魔法を使わないのが、なんで罪になるんだ!」


店主が叫ぶが、ハンスは冷笑しながら、管理局から支給された『標準魔導書』を掲げた。


(パテント)が正義だ、ドワーフ。我々管理局は、魔法を効率化し、文明を安定させるために存在する。


貴様のような『効率の悪い例外』を放置すれば、魔力経済が混乱するのだ。


これはペナルティだ。『加速腐敗アクセラレイト・ディケイ』!」


ハンスが放った術式は、管理局が「最適化」した、美しさを削ぎ落とした事務的な黒い霧だった。


それは対象の時間を強制的に数ヶ月進め、一瞬でカビの塊に変える、効率重視の破壊。


だが。


その霧がレモンに触れる直前、世界から「音」が消えた。

「管理局、特許、ライセンス。魔法をそんな卑俗な言葉で縛り、管理できた気になっている貴様らが、魔法の何を語る」


銀髪をなびかせ、エターナが男たちの前に立った。


「な、なんだ貴様は! 管理局の執行を邪魔すれば、全大陸で魔法使用ライセンスを剥奪されるぞ!」


「ライセンス、か。そんな紙切れ一枚で、私の指先を縛れると思うているのか?」


エターナが、地面を軽く杖で叩く。その瞬間、ハンスが持っていた『標準魔導書』が、恐怖に震えるようにページをバタつかせた。


「教えよう。これが、本物の『時間』の扱い方だ。管理局の辞書には載っていない、(いにしえ)の術式をな」


千年の静止(エターナル・アイリス)


衝撃波すら起きなかった。


ただ、ハンスたちが放った黒い霧が、そしてハンスたちの指先が、まつ毛が、流れる汗までもが――その場で「凍りついた」ように静止した。


物理的な凍結ではない。その空間の「秒」が、エターナの意志によって世界の時間軸から切り離され、永久に続く静止画へと変わったのだ。


これは管理局のデータベースには存在しない「管理外」の魔術。特許侵害ですらなく、もはや現代魔導学における「捕捉不能なバグ」に近い現象だった。


「ひ、ひいぃっ!? 声が、体、が…うご、か…」


「特許が欲しいなら、その石のような体で千年ほど研鑽を積むがいい。一週間かけて干すのが道理なら、一週間待て。それが、この世界の時間だ」


エターナが指を鳴らすと、ハンスたちは術式の反動で路地裏のゴミ捨て場まで弾き飛ばされ、そのまま彫像のように固まったまま転がっていった。



夕暮れ時。


救われた店主は、最高の報酬を三人に差し出した。数枚の金貨と、そして完成したばかりの、太陽の匂いがするレモンピールの砂糖漬け。


「さあ、お茶の時間にしようか」


エルムが、借りたコンロの上にティーポットをセットした。


「メルシナの水の硬度は、石灰質が強すぎるんだ。そのままでは茶葉の細胞が固まって、香りが閉じ込められてしまう」


エルムが水の上に手をかざす。


水質の調律(アクア・チューニング)


微かな光とともに、水の中のミネラル成分が魔力によって再配列され、水質が極めて柔らかな「軟水」へと変質した。


「上層は九十五度。下層は八十度。『温度の層(サーマル・レイヤー)』で、苦味を出さずに香りのみを引き出す」


やがて、ポットから琥珀色の液体が注がれた。


『メルシナ・シトロン』の冷製ティー。


グラスの中で氷が涼やかな音を立て、弾ける精油の香りが、一瞬にして路地裏を南国の楽園へと変える。


「さあ、エターナ。このレモンピールと一緒に食べてみて」


エターナは、砂糖の衣を纏った黄金色のレモンピールを口に運び、続けてお茶を一口飲んだ。


「……っ!」


最初に訪れたのは、暴力的なまでのレモンの鮮烈な酸味。だが、エルムが「調律」した柔らかな水が、その酸味の角を優しく丸め、お茶の奥にある花の蜜のような甘みを引き出していく。


噛みしめるたびに、太陽の熱と海風の記憶が口の中で弾け、冷たいお茶がそれを喉の奥へと心地よく流し込む。


「ふん。悪くない。魔法をお茶を淹れるための道具に成り下げた貴様の執念だけは、認めてやろう」


「本当に…美味しい。生きててよかったです」


ベルも、その至高のペアリングに、この数日の苦労が溶けていくのを感じていた。だが。ティータイムが終わると同時に、ベルは「マネージャー」の顔に戻った。


「さて。店主さんからいただいた金貨ですが」


「これで、さっきの限定缶が――」


「全額、没収です。これまでの浪費の補填、そして明日以降の食費。


それから、さっきエターナ様が『管理外の脱税魔術』を派手に使ったせいで、管理局への追跡逃れや隠蔽工作に費用がかさむんです。分かっていますか?」


ベルがパタン、と家計簿を閉じた。その顔には、慈悲深い、しかし一切の交渉を拒絶する「聖母(猛獣使い)」の微笑みが浮かんでいる。


「そんなぁ……。僕の、僕のシトロン…」


「む…。ベルよ。私は賢者だぞ?管理局など恐るるに足りん。それよりもふかふかの宿を…」


「却下です、エターナ様。さあ、安宿へ行きますよ。お二人とも、遅れないでくださいね」


夕焼けに染まるメルシナの街を、一冊の家計簿を掲げた少女が、肩を落とした最強の二人を引き連れて歩いていく。


伝説の再起動。それは、案外、世俗的な税金と数字との戦いから始まるものらしい。

第4話、いかがでしたでしょうか。 ベルの「却下です」の一言で、伝説の二人がしおれる様子は、書いていて一番楽しい瞬間でした。


今回から導入された「経済の魔法」も含め、少し設定の裏側を解説します。



■ 本日の一杯:『メルシナ・シトロン』

今回登場したお茶のモデルは、夏にぴったりのシトラス・グリーンティーです。


エルムが披露した「水質の調律(アクア・チューニング)」は、現実世界の茶愛好家が「硬水か軟水か」にこだわる姿を魔法的に極大化したもの。


魔法を「お茶の邪魔を消すためだけ」に使うという贅沢、これこそがエルムの美学です。



■ 物価と「世知辛さ」の基準表

そして、ベルがなぜあんなに怒っているのか、現代日本の感覚に換算すると以下のようになります。


◯ 通貨単位

銅貨 (Bronze):約 100円(安パン、新聞)

銀貨 (Silver):約 1,000円(一般的な定食、安宿の素泊まり)

金貨 (Gold):約 100,000円(高級茶葉、一ヶ月の家賃、馬車)

大金貨 (Grand Gold):約 1,000,000円(魔法特許ライセンス、希少魔導書)


◯ エルムたちの浪費記録(第4話冒頭)

エルムが買った備長炭:金貨2枚(約20万円)

エターナが目薬にした聖水:金貨5枚(約50万円)

魔法行使にかかる暫定税:約30万円相当

合計:約100万円を3日で使い果たし、ベルの逆鱗に触れました。



■ 大陸魔導管理局の「徴収」システム

杖税:魔法の杖を所持しているだけで毎月かかる固定税(受信料のようなもの)。

パテント料:特定の便利な魔法(高速熟成など)を使用する際にかかる著作権料。

脱税魔法:エターナが使うような「いにしえの魔法」は、管理局のセンサーで捕捉できないため「システム外の脱税」として、後々ベルを悩ませることになります。


では、第5話も、どうぞティーカップを片手にお楽しみください!

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