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めしうまでしてよ ~とある辺境伯の令嬢は婚約破談の為に屋敷を抜け出して飯を食らう~

作者: 糸音

 

「フェルティナ嬢。私と婚約してくれないか」




 ここはとある辺境にある領主の屋敷。

 その応接の間で身め麗しい男女が紅茶を手に語らっている中、男の方が改まった顔で告白した。

 その男と対面していた美しい銀の髪を持つ女性、フェルティナはティーカップを優しく皿の上に置き、男に向かって微笑んだ。




「私の容姿が目に留まり、声をかけていただいたことが、こうして茶会や食事をするきっかけでしたね」

「ああ。初めは君の容姿に見とれたのがきっかけだった。初めてあなたを目にしたときは驚いた。こんなにも美しい方が存在するものかと」




 フェルティナはセルヴァラントという周辺諸国という辺境を治める領主の娘、いわば辺境伯令嬢である。

 腰まで伸びた緩くウェーブかかった、静かに輝きを放つ銀色の髪。愛嬌を残しながらも知性をも感じさせる深い琥珀色の瞳。

 スッと細い印象の体だが、決して柔ではない。肉付きはしなやかで絹糸のように細い腕にも、鍛え抜かれた体の輪郭がドレスの上からも伺える。鍛錬によって形づくられた、均整のとれた美しい体は、騎士の気品のようなものを感じさせている。


 文武両道かつ才色兼備。姿を目にすれば皆2度は振り返るという美貌の持ち主である彼女は、天が地に落とした奇跡と国中で語り草になっていた。


 そんな彼女は目の前の男からの求愛に、優しく首を振った。




「私は容姿以外何も持たない女でございます。位も低く、教養もない私のようなものの血を、ヴァレンシュタイン公爵家の中に混入させるわけにはいきません。……今、城の方では公爵家同士の階級争いが激化していると耳にしております。私のことは忘れ、貴方に相応しい方を見つけてください」

「く……」




 その美貌や教養の高さ、性格の良さゆえに、多くの領主、公爵家などの人間から縁談話を持ち掛けられるのだが、そのたびにそれを断ってきた。


 目の前の男も、国の政を任される有力貴族、ヴァレンシュタイン家のその嫡男。

 フェルティナとは対照的に、煌びやかな輝きを感じさせる金の髪、幼さは残るものの鼻筋の整った美しい顔立ち。フェルティナと並べば引けはとるものの、彼もまた人目を惹く美貌の持ち主である。


 彼は茶会に度々訪れ、時折このようにフェルティナに縁談話を持ち掛けるのだが、その度に断られている状況だった。


 残念そうに小さく息を吐いた後、傍に控えていた使用人と思わしき男がヴァレンシュタイン公爵に耳打ちをする。「もうそんな時間か」とヴァレンシュタイン公爵は襟を整えながら立ちあがった。




「……君からすれば身の丈に合わない恋かもしれない。だが、今の権力争いが落ち着いたとき、必ず君を迎えに上がる」




 彼もまた忙しい人間。本来であればフェルティナよりも位が高いヴァレンシュタイン公爵が、政の間に時間をわざわざ作ってまで、王都から遠く離れた辺境の地に足を運び、求婚するというのは異例ともいえる対応であった。


「ごきげんよう。ヴァレンシュタイン公爵」


 表まで付き添い、馬車で去り行く姿を優しく手を取って見送った。

 見送りを終え、広い自室に戻ったフェルティナは、「お茶を淹れてくださるかしら」と侍女頭に告げてから、部屋のベッドに疲れたように倒れこんだ。






 あ~~~~~~~~~~~、ようやく帰ってくれましたわ。ヴァレンシュタイン公爵。






 1時間半に及ぶ茶会。その役目を終えたフェルティナは表情を崩し、大きく疲れた息を吐いた。


 フェルティナにとって、ヴァレンシュタイン公爵との茶会は最も嫌いなイベントとなっている。頻度で言うと1月に一度あるかないかなのだが、その対応を終えるたびに、一生分のストレスがフェルティナを襲って来るのだった。


 誤解がないように言っておくが、フェルティナはヴァレンシュタイン公爵のことは特段嫌いというわけではない。

 公爵家という立場にありながら、その位の高さをひけらかすような真似はせず、あくまで一人の男性として、フェルティナと接してくれている。本来は誘われれば自分から赴かなければならない茶会も、「フェルティナ嬢が遠出で疲れてしまわないように」とわざわざ時間を設けてヴァレンシュタイン公爵側から会いに来てくれる。


 上の位でありながらも、他者への配慮を怠らず、礼儀正しく丁寧に人と接する彼の人柄をフェルティナは高く評価しており、一人の人間として尊敬していた。


 なので縁談はフェルティナ側にとっても決して悪くない話ではあるのだが、それを破談にし続けるのには深刻な理由がある。





「今日持ってこられたお菓子も、全然味がしませんでしたわ……」





 理由は一つにして単純明快。

 フェルティナとヴァレンシュタイン公爵は、絶望的なまでに食事の嗜好が合わない。


 フェルティナはソースのたっぷりかかった肉厚のステーキ。コクが深く旨味がしっかりとしみこむほどクタクタに煮込まれたビーフシチューなど、旨味が強く濃い味付けの料理を好んでいる。

 一方でヴァレンシュタイン公爵は極端な菜食主義者であり、味が優しい——と、いうよりはかなり薄味の料理を好むため、完全に二人の好きな食事が対立してしまっている状態だ。


 今日もってきたビスケットのような焼き菓子も、材料は良いものを使っているにも拘らず、味のほとんどしない、食感が良いだけの食べ物だった。

 それを「美味しいね」と言って微笑んでくるヴァレンシュタイン公爵に、フェルティナは「ええ」と頷きながらも顔をひきつらせた。美味しいとか以前に味がしないだろう。この焼き菓子は。



 初めは何らかの事情で味覚細胞を全損しているのではないかと疑ったものの、過去にフェルティナの方で用意した肉料理に、「ごめん、あまり好みじゃなかった」と感想を述べるあたり、やはり嗜好の問題らしい。






「あの方と生涯を共にするなど耐えられませんわ……」




 合わないのは身の丈でなく食事の好みでしてよ。

 人生であなた様ほど同じ食卓を囲みたくないと思った方は初めてです。

 第一、獅子の紋章を家紋としながら何ですかあの草食動物(ウサギ)のような食生活は。

 食事の度に味のしない葉野菜やスープを飲まされるこちらの身にもなってください。肉をよこしなさい。肉を。


 声には出さず毒づいていると、部屋のドアがノックされ、侍女頭の女が部屋の中へ入ってきた。




「お嬢様。お茶をお持ちしました」

「ありがとう。いただきますわ」




 淹れたての温かいお茶が机の上に置かれた。


 椅子に座り一口飲むと、爽やかな柑橘系の香りがする、深い味わいの紅茶が疲れた心を癒してくれる。




「あなたが淹れるお茶はいつも最高ですわね」

「お褒めにあずかり光栄でございます」

「シロップがあれば頂けるかしら。あと、甘いお茶菓子があれば——」

「ダメです」




 やんわりと尋ねたフェルティナに、侍女頭の女は首を横に振った。




「本日既定の摂取カロリーを超えてしまわれます。夜食までご辛抱ください」

「……」




 フェルティナとしては何が何でもヴァレンシュタイン公爵とだけは結婚したくない。

 しかし、一辺境伯の令嬢でしかないフェルティナの方から、公爵家の縁談を断ることは基本的にはできないのだ。


 幸いなことに、王都の方では公爵家同士の権力争いが激化しており、内政が安定しない中、色恋沙汰に現を抜かしている場合ではないと、最もらしい理由をつけてなんとか回避している現状である。


 婚約破談を回避するには、権力争いで公爵家が忙しいうちに、ヴァレンシュタイン公爵側からフェルティナのことを見限って貰う必要がある。



 そこでフェルティナは考えた。


 一目惚れが恋の始まりなら、ひどく醜い容姿となり、嫌いになっていただきましょうと。

 そう考えたフェルティナは、市場で菓子類の類を買いあさり、使用人たちの見えないところでひたすら間食を取りまくった。


 目指すは月10㎏の体重増。磨き上げた自分の容姿に未練がないわけではないが、飯と容姿。天秤の皿に乗せれば飯側に傾くのがフェルティナだ。それぐらいフェルティナは、食事というものが大好きなのだ。


 会うたびにぶくぶくと肥えていけば、ヴァレンシュタイン公爵も私のことを見限ってくださるはず。


 そんな決意を胸に計画を実行に移していたのだが、3日目で目の前の侍女頭にバレた。




「ベッドの下に隠してあった砂糖菓子は、私の方で買い取らせて頂きます」

「……あなたって、本当に優秀ですわね」

「お褒めにあずかり光栄でございます」

「皮肉でしてよ」

「存じております」




 非常に残念なことに、目の前の侍女頭は悲しくなるぐらい優秀で、隠しものや謀をしてもすぐに見つけてしまう。

 部屋に残ったわずかな菓子類の香りに気付き、隠されていた菓子類を見つけ、すぐさまフェルティナのたくらみに気付いてしまった。


 それを父に報告されて以来、フェルティナはそのプロポーションを崩されぬよう、ある程度の食事制限を設けられる羽目になった。


(内政が混沌としているうちに、何が何でも太らなければならないのに……!)


 生きるのに不足はなく、リクエストにもある程度は答えてくれるのだが、目の前の侍女頭は決して太らせてはくれない。




「お嬢様の体調管理が私目の務めでございます。ご理解を頂けないでしょうか」




 頭を下げる侍女頭に「顔を上げてください」とフェルティナは微笑んだ。

 欲しいのは謝罪ではなく。甘い焼き菓子やお肉料理です。


 結局その日も極めて健康的な食事を用意され、その美味しさに舌鼓を打つも、




「……このままでは太る前に、縁談話を進められてしまいますわ」




 夜も更けるころ、鏡の前でランジェリー姿となって、自分のプロポーションを再確認し、思わずため息が出てしまう。自分で言うのもなんだが、比の付け所がない完璧な肉体美である。

 せっかく太りそうな食べ物を買い込んでも、あの優秀な侍女頭にすぐに発見されてしまう。めげずにお菓子を買い込むも、侍女頭もそれを警戒している為、どんな場所に隠しても、隠した翌日には見つかってしまうのだ。


 外から食べ物を持ち込んでも、逆ダイエット計画が進むことはない。

 ならば、どうするか。





「やはり今日も、外で食べてくる他ありませんわね!」





 内で食べられないなら、外で食べてくればいいじゃない。


 こうして、父や使用人が寝静まった頃、フェルティナはフードで身を隠し、夜な夜な屋敷を抜け出しては人で賑わう街の飲食街に赴き、背徳飯を嗜む生活がスタートしたのだった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 周辺諸国を分かつ山脈の間胃に位置する領地、セルヴァラント。そこがフェルティナの家が治める領地だ。

 高低差が激しい地形ではあるものの、周囲を山という天然の要塞に守られながらも、豊かな豊饒の土地を持つこの街は、国々を繋ぐ関所として、あるいは他国からの侵略から国を守る防壁の役割を担ってきた地だ。

 関所と街の間には、見上げてしまうほどの大きな壁が築かれており、門の内と外を完全に隔ててしまっている。




「さあ、今日は何を食べましょう」




 使用人たちが寝静まったころを見計らい、フェルティナはベッドからこっそりと静かに起き上がり、慣れた様子で着替えを始めた。

 長袖のコートに厚手のジーンズ。肩掛けのバッグに、顔を隠す為の淡い色合いのフード。


 さながら旅人のような衣服に着替え、フェルティナは3階建ての屋敷の窓から、屋敷窓淵や、階を分けるわける境目の凸部分を軽やかに伝って、柔らかい芝が均一に生えそろう中庭に着地する。


 屋敷の明かりが消えていることを確認してから、屋敷の門を音を立てずに走り抜けた。


 フェルティナの屋敷は高地にあり、領民が住まう街はそのふもと付近に広がっている。距離で言うと3kmほど。フェルティナの足なら20分で着く。

 人通りの少ない道を。足早に駆け抜けると、多くの人々で賑わう飲食街に辿り着いた。




「やっぱり夜の飲食街は気分が高揚いたしますわね」




 セルヴァラントはかつて他国からの侵略を防ぐ要所としての役割だったが、戦乱が落ち着いた今の時代では、他国との貿易が盛んに行われる交易都市としての発展を遂げていた。


 故に、他国から様々なものや文化が集う街となり、昼夜問わず多くの人であふれかえっている。

 人が集まる——それすなわち、文化も発展しやすいということ。

 王都から離れた辺境に位置するにもかかわらず、石造りの立派な建物が立ち並び、街の大通りにはガス灯が等間隔で設置され、近代的な風景が広がっていた。

 ガス灯が設置されているのは、ここを除けば王都しかない。夜だというのに、治安が良いと様々な地で話題になっている。




「今日はお肉。お肉が食べたい気分ですわ」




 こうして夜に屋敷を抜け出し、食事を見繕う生活を始めて早3か月。

 彼女がここまで『美味しい食事』にこだわるのには理由がある。


 戦乱が絶えなかった頃、国を守る防衛の要として機能してきたセルヴァラント。

 他国からの侵略を受けた場合、土地の特性を利用して籠城戦をしかけることが得意としてきたこの領地では、兵糧が足りずに侵攻を諦める侵略者たちの姿を何度も目にしたという逸話がある。






「生きることとは、食べること」






 食べたものが勝ち、そうでないものが敗北する。

 故にこの地にとっては、食べるという行為そのものが大事にされており、おいしいものを満足に食べられることが、この地に住まう人々にとって矜持なのだ。フェルティナも当然例外ではない。


 フェルティナが位の高い公爵家からの婚約を破談にしてまで、食事を重んじる理由はそれだった。




「この店にしましょうか」




 賑わう人の間を縫うように歩きながら、どこで食事をしようか吟味して回っていると、腸詰と簿同種が描かれている看板の店が目に留まった。窓から中を伺うと、ちょうどカウンター席が空いている。




「いらっしゃい。カウンター席へどうぞ」




 木製のドアを開けると、給仕の女性が開いている席へ案内してくれた。明るくも程よく落ち着いた声でフェルティナ好みの接客だ。

 天井の中央と4方にランプが設置されており、外のガス灯の光も窓越しに入ってきて、店内は優しい明かりに包まれている。

 テーブルや椅子はやや年季が入っている者の、手入れや掃除が行き届いており、非常に清潔な印象だ。


 大男の笑い声が響くような喧騒は苦手なのだが、ここはそんなことはなく、ほどほどに込み合った店内では、料理や酒を楽しむ客の会話が聞こえてくる。




(ここは気持ちよく食事ができそうね)




 店の雰囲気は良し。あとは食事を楽しむのみ。

 メニューは敢えて開かない。カウンターの奥で料理を作る店主と思わしき男に視線を送ると、店主の方も気が付いた。




「ボリュームのある、肉料理を頂けるかしら」




 フードの奥に映る琥珀色の瞳に、店主が少し目を丸めたが、「お待ちを」と短く答えて調理に取り掛かる。


 初めの頃はメニューを見て何を頼むか悩んでいたが、良い店は何を食べてもうまい。そのことに気が付いてからは、悩む時間の方はもったいなく感じてしまい、最低限の条件だけを付けてお任せを頼むことにしている。




「お待ちの間、どうぞ」




 給仕の女性が水と一緒に、小さな皿の上にピクルスの盛り合わせが乗ったものを渡した。

 程よく酸味の利いた爽やかな味が良い。肉料理の前妻としてだけでなく、味のリセットにも使えそうだ。

 時折ピクルスをフォークで食べながら料理の出来上がりを待っていたところに、給仕の女性が料理を運んできた。






「お待たせしました。自家製ソーセージの鉄板焼きです。中の肉汁も大変熱くなっておりますので、気を付けて召し上がられてください」





 これは、見事。

 料理を目にしたとき、フェルティナは心の中で真っ先に賞賛の言葉を述べた。


 運ばれてきたのは、渦巻状に巻かれた巨大なウィンナーだ。


 断面の直径は約4㎝、渦の直径は20㎝弱といったところか。総重量500gはくだらないだろう。

 表面がこんがりと焼けたウィンナーが、しっかりと熱が通った鉄板の上で、バジルや胡椒の香りの混ざった湯気を立てている。


 断面を確かめようとナイフを立てたところ、厚い皮の内側にぎっしりと詰まった肉が力強くナイフを跳ね返しきて、さらに力を加えたところ、裂けた皮から溢れた肉汁が鉄板に跳ねた。


 じゅわぁ、という静かに心地の良い音が、食欲を急速にくすぐってきた。




 食べる前からこの満足感……! 




 フードの奥で目を輝かせると、店主の男が大胆不敵な笑みを浮かべて、フェルティナの様子をうかがってきた。「どうだい?」と食べる前から言外に語り掛けてくる。どうやら自慢の一品らしい。

 その様子を見て、フェルティナも不敵な笑みを返してから、肉厚のソーセージを口に運んだ。




「…………!」




 一口ソーセージを口に含んだフェルティナが、突然動きを固まらせる。









 お・い・し・い、ですわ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!




 なんでしょう、この肉の重厚感‼  

 カリカリに焼けた皮と柔らかくも確かな歯ごたえのあるお肉の層が、噛むたびにお口の中を幸福感でいっぱいにしてくれますわ‼ 


 お肉に一緒に練りこまれたハーブや胡椒も、パンチの利いたお肉の味を引き立てていて、何層にも重なった、単一的ではない旨味の波が! 私の舌の上を駆け巡っていきますの‼




 想像を超えた味わいに、肉を欲する内なるフェルティナが小躍りをはじめ、今にも表に出てきそうだったが、一応ここは公共の場。

 身分を隠しているとはいえ、一領主の令嬢であるので、大げさに感動するのは憚られる。レディとしての最低限の気品は保たなければならない。


「マスター。素晴らしい腕前ですわね」


 口元を上品に拭って気丈に微笑むと、店主の男は小さく頷いた。「そうだろう」と言外に言っている。






 ふふふ。今日も完敗ですわ。


 おすすめを頼む気分はさながら、実力未知数の相手に決闘を申し込む騎士のような気分だ。

 自分の想像を上回る料理を提供されたときに感じる、幸福に満たされた敗北感が、フェルティナはたまらなく好きだった。


 肉厚のソーセージを、口の中に入るギリギリのサイズまで切っては食べ、切っては食べる。

 重ための料理であるはずなのに、フォークを動かす手が止まらない。

 適度にピクルスを間に挟み、適度に口の中を新しくしながら、巨大なソーセージをどんどんと食べ進める。




 見ていますか。ヴァレンシュタイン公爵。この重厚な旨味。ぎっしりと詰まった肉の層。この幸福な重みで胃を満たすことが、お肉を食べるということですわ。


 私、三か月前に『お肉を食べよう』といって食事に誘われ、畑の肉を食べさせられたこと、未だに根にもっておりましてよ。




 極端な菜食主義者である縁談相手に、心の内で毒を吐きながらも、幸せそうに頬を緩ませてソーセージを食べ進めていた時だった。




「……あら」




 付け合わせでついてきたピクルスがなくなった。

 酸味の利いたピクルスもソーセージに良く合い、旨味を引き立ててくれていた。ピクルスもなかなかの味わいだったため、気づかないうちに食べ終わってしまっていた。


 ソーセージはまだ3分の1ほど残っている。

 影の引き立て役であったピクルスがないのは寂しいが、ソーセージ単品でも十分に楽しめる。


 食事を再開しようとソーセージにナイフを立てたとき——




「……」

「っ?! ……マスター、これは……」




 目の前にそっと出された小皿に、フェルティナは驚愕の表情を浮かべ、店主の男を見上げた。




「……まだ、全力ではなかったということですわね」




 してやられた。

 楽し気に歪んだフェルティナに、マスターが無言で親指を立てた。「その通り」と、言外に言っている。


 差し出された小皿の上に乗っていたのは、粗びきのマスタードとケチャップソース。

 ピクルスの食べ終わりかつ、料理に舌が慣れた、絶妙なタイミング。


 全てあなたの掌の上だったということですわね。


 胸を満たす幸せな敗北感。

 差し出されたソースに心を躍らせながら、フェルティナはソースに受け取った。


 まずは差し出されたマスタードソースをソーセージにディップする。店内の淡い光を粗く挽かれたマスタードの粒子が受け、肉汁と共に魅惑的な輝きを反射した。

 口元に運ぶ際にほんのりと漂った、優しく鼻を刺激するマスタードの香り。


 改めまして。ソーセージ様。

 まずは一口。


 ソーセージをかみしめた途端、ぷちりとマスタードの川が優しく弾けた。


 フェルティナの動きが、再び止まる。









 さ・い・こ・う、ですわ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!









 表では気品の溢れるレディを装いながらも、心の中では歓喜の悲鳴を上げていた。


 噛んだ瞬間、鋭い刺激が舌の上を駆け抜けて、気品あふれるマスタードの香りが目の奥まで突き抜けましたわ‼

 この鋭い刺激を受け止めるのは、旨味たっぷりの肉汁‼ 突き抜ける旨味を優しく受け止め、味の調和へとエスコートする様は、さながら舞踏会でレディをリードする公爵様のようですわ‼ 


 ただでさえ複雑に重なった旨味のソーセージに、新しい旨味が加わるなど‼

 この美味しさは、詩人の言葉でも表現できませんわ‼ 罪と言わずしてなんと言いましょう‼




 そして今度は、鮮やかな赤色のケチャップソースをつけて、ソーセージを口に運んだ。






 ああ。安心いたしますわ。


 先ほどまでの刺激的な味わいから、甘く、わずかに酸を帯びた柔らかな味。

 スパイスの利いたソースの後に食べると、その優しい味わいに思わず童心に帰ってしまいそうになりましてよ。





 マスタードとケチャップソース。それぞれを交互に付けてソーセージを味わい、500gもある重量の肉を、フェルティナはとうとう完食してしまった。




「ごちそうさまでした。お会計を」




 腹が確かに満たされ、満足げに微笑みながら、フェルティナは会計に立ち上がった。

 去り際に店主の男が、




「どうだった?」




 と語り掛けてきた。


 そうですね。美味しいお料理のお礼を言わなければ。

 あれ程美味しい肉料理を楽しませてもらったのだから、その感想を伝えるのは当然のことだ。

 そう思ったフェルティナが感想を述べようと口を開いたが、途端にまた動きを固めてしまった。




 どうしよう、感動のあまり詩的な言葉しか浮かんできませんわ。




 浮かんでくるのは、公的な場で使う、気品にあふれる言葉や、さ吟遊詩人が歌うような、過剰に彩られた感想の数々だった。

 以前あまりに美味しい料理をお忍びで食べたときに、社交界で使うような言葉で感想を述べてしまい、やんごとなき身分の人間だと疑われたことがあった。


 妙な噂が立ってしまえば、あの侍女頭は当然気が付いてしまう可能性がある。そうなった場合、このお忍びで背徳飯を食べる生活は終わりを告げてしまうだろう。


 どうしましょう。身分を隠すため、あえて、俗っぽく。何と言えばいいのでしょうか。


 フェルティナが逡巡していたところ、別の客が会計を終え、去り際に店主の男へ言い残していった。




「マスター、今日の料理もうまかったよ‼ めしうまだ! めしうま!」




 ドアが閉まり、ドアに付けられたベルの音が心地よい音を立てる。

 瞬間、フェルティナの頭にも電撃のような衝撃が走った。




「マスター」




 身なりを整え、コホンと小さく咳払いをしてから、店主の男へと向かい直る。


 気品あふれる佇まいのフードの女性は、フードの奥から優雅に微笑んでから最初の質問に答えたのだった。




「今日の料理。めしうま、でしてよ」


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 料理を食べ終わり次第、フェルティナはすぐさま屋敷の方へと走り出した。


 屋敷の壁を駆け上がり、寝室の窓から中に入り、部屋に備えつけられて洗面台で歯を磨いてから寝間着に着替える。


 着替えている最中、再び鏡に映った自分の体を見て、フェルティナは困ったように首を傾げた。




(こんな生活を始めて早三か月。そろそろ成果が表れ始めてもいいと思うのだけれど……)




 毎度のことながら、結構なボリュームの料理を食べており、そろそろどこかしら太り始める兆候が出てもいい頃なのだが。


 肩の肉をつまむも柔らかさは感じないし、腹の肉に至ってはそもそもつまめる箇所がない。


 もっと、カロリーのある食事を摂った方がよろしいでしょうか。


 そんなことを思いながらも、フェルティナは幸せな満腹感に包まれながら、自室のベッドで優しい寝息を立て始めた。







 一方、屋敷のとある一室では、




「ただいま戻りました」




 侍女頭の女が屋敷の主であるフェルティナの父に、何やら報告をしようとしていた。




「本日食べられたのは、3番通りにある食事処『三日月亭』。その看板メニューである自家製ソーセージの鉄板焼きです」

「これまたボリュームがあるものを食べてきたな」

「はい。カロリーに換算して1500㎉ほどになるかと」




 報告されたカロリーの量に、少しだけ領主の顔が曇った。




「美味しそうに食べていたか」

「はい。『めしうまでしてよ』とのことです」

「そうか。じゃあその店は明日、賑わうな」




 報告を聞き終えた領主が、頷きながら侍女頭に向かい直った。




「明日の食事で調整してくれ。あと、体術のカリキュラムを少し多めに」

「かしこまりました」




 指示を聞き終えた侍女頭の女は、一礼してから速やかに部屋を後にする。

 部屋に一人残された領主は、窓の外で明るく輝く月を見上げながら、小さく息を吐いた。




「生きることとは、食べること」




 領主も侍女頭も、フェルティナがこっそりと屋敷を抜け出しては、カロリーの高い食事に明け暮れていることは知っている。

 そして、それは街の人たちも同様だった。


 いくらフードで顔を覆っても、顔をすべて隠せるわけでもなく、フードの奥に見える特徴的な銀の髪と琥珀色の瞳で、正体が誰なのかは一目瞭然だった。


 だが、本人的にはそれでごまかせていると思っているおり、お忍びで来て所、正体を指摘して帰られても可哀そうなため、基本的に人の良い領民たちは、暗黙の了解で知らないふりをして振舞っている。


 それに、来るたびにあまりに美味しそうに料理を食べていくものだから、その食べる姿が『食の女神が現れた』という噂となって広がっていき、訪れた店が繁盛しているとのことだ。


 街の人たちも『食の女神』に来店してもらおうと、料理の研究に勤しみ、失礼が無いように店内の清掃や接客のレベルを改善に励んでいる。

 夜な夜な屋敷を抜け出すフェルティナの行動が、結果的に街の食文化の発展にいい影響をもたらしていたのだった。




 娘がヴァレンシュタイン公爵との食事でストレスを抱え込んでいることは知っている。公爵家の来訪を無下に扱うことはできないため、領主はそのことに胸を痛めていた。


 生きることとは、食べること。


 幸せな人生は幸せな食事から。

 娘も街での食事を楽しんでいるようだし、街で食事をすることで娘も領民たちも幸せになるのあら、屋敷を抜け出してご飯を食べることくらい、大目に見てやろうじゃないか。


 そんな思いから、領主はフェルティナの行動を見逃してやっている。


 だが、




「娘が健康体でいられるよう、カロリーコントロールは厳重に行わせてもらう」




 そこに関しては譲れないものがあるらしい。

 フェルティナが思うように太れないのは、領主と侍女頭の計らいに寄る、日々の食事や運動量の調整によるものだった。




 そんなことは露も知らず。フェルティナはベッドで、




「明日は何を食べましょう……」




 幸せな寝言をこぼし、また夜が更けるのを楽しみに待つのだった。


 これは婚約破談の為に太ろうと屋敷を抜け出してはご飯を食べる、とある辺境伯令嬢の話である。




最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

女性主人公で軽めの話を書いてみたくて書き上げました。


もし面白かったら感想や評価などを頂ければ、創作活動のモチベーションになります!

好評なら続編も考えていきたいです!


色々書いているので、機会があれば別の作品、もしくは続きの話でお会いしましょう。

それでは<(_ _)>

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