五時のおっかさん 第一話
もしかしたなら、時計街は最初、巨大な日時計であったかもしれない。古い時代のヒトモシたちは外から攻め入ろうとする人々を見張る役目を果たしていたのだろうか。ヒトモシは短針の見張り台に戻って「四時の君」の言葉に思いを馳せた。
コーヒーの入った水筒のふたを開けると湯気が細くたなびいて、山向こうの街の煙突から流れる煙のようにも見えた。ヒトモシは水筒を目の高さまで持ち上げて、煙突のある遠くの景色に重ねてみる。
蒸気機関が発達して、昼夜を問わず街のあちこちで歯車が動くようになった。山向こうの街では蒸気機関を大いに取り入れているから、四六時中煙突から煙が上がっている。時計街でもあちこちに蒸気機関の技術が使われているからその恩恵にあずかっているが、夜はまだ静かだ。
十二の区画に馬を走らせて火を灯したり消したりしていたという古い時代のヒトモシたちは、見張り番や定時の伝令役も兼ねていたという。彼らの仕事はきっと昼夜を問わないものだったのに違いない。それこそ、山向こうの街と変わらない。交代制で眠るのだろうが、今のヒトモシたちよりもずっと過酷で神経を使う仕事だっただろう。蒸気機関様々だ。それでも見張り番のように人の目を必要とする仕事は残り、今の時代のヒトモシたちに受け継がれている。もっとも、時計街が近隣と同じ国に属してからすでに数百年は経っているから、きな臭い出来事とはすっかり無縁になって、見張り番としての仕事は半ば形骸化しているが。
ヒトモシの乗り込んだ短針は第五区画を進んでいく。五時ともなるとほんのりと空が白んで、夜が明けてくる。たまねぎの皮をむくようにだんだんと淡い色に変わっていく空をながめながら、ヒトモシはちびちびと水筒のコーヒーを飲んだ。そろそろ第五区画の管理者「五時のおっかさん」が起きだす時間だろう。「五時のおっかさん」はヒトモシが第五区画にやってくると寝ぼけ眼であくびをしながら出てくることが多い。
ヒトモシの乗り込んだ見張り台つきの短針が小高い丘に差しかかる。ヒトモシはゆっくりと開閉式の手すりを開けて、丘の上に降り立った。
「おはよう、ヒトモシ」
「おはよう」
「五時のおっかさん」は井戸から水を汲みあげている。滑車を通したロープをひっぱりあげるたびに、恰幅のいい身体が左右に揺れた。バケツの水を手近なツボに注ぐと「五時のおっかさん」はううんと一度腰を反らした。ツボの次はタライ、手回しハンドル式の洗濯機と、次々と水を汲みあげては注ぎ込んでいく。
「ヒトモシ、ろくにお構いもできなくて悪いね。昨日うちの子が喘息を起こしたもんだから」
「大丈夫?」
「もう落ち着いたから大丈夫だよ。蒸気が悪いのかねぇ……。忙しくしてて悪いね」
「俺たちヒトモシは、小塔の灯りをつけたり消したりするのが仕事だから、どうぞお構いなく」
「五時のおっかさん」はカゴに入れていた洗濯物を洗濯機に放り込むと、上からぎゅうぎゅうと押し込んで水に浸した。おそらく彼女の子供たちの服だろう。つづけてポケットから固形せっけんとナイフを取り出し、洗濯機の上で削っていく。冷たい水では溶けきらないから、せっけんを薄く削る必要がある。腕の見せどころだろう。
ヒトモシが第五区画の小塔の火を吹き消して戻ってきたとき、「五時のおっかさん」は洗濯機のハンドルをぐるぐる回しているところだった。