四時のご令嬢 第二話
ヒトモシは区画管理者たちの顔を思い出した。「十二時のシェフ」「一時の陽気な男」「二時の技師」と「三時のパティシエール」……そして「四時のご令嬢」こと「四時の君」。
「五時のおっかさん」「六時のねぼすけ」「七時の銀行員」「八時の老婦人」「九時の洗濯屋」「十時のマスター」、それから「十一時の天文学者」……彼らは皆、その区画から出ることができない。
「六時のねぼすけ」はそんな暮らしが嫌になったのか、寝てばかりいる。第六区画を訪ねると、決まって大いびきをかいているものだから、ヒトモシは小塔の火をつけたり消したりする仕事をさっさと済ませて、見張り台に戻ってしまう。
「四時の君」は「三時のパティシエール」が作った新作ケーキに銀色のか細いフォークを差し入れながら、ゆっくりと味わっている。フランボワーズのムースをするするとかき分けて、ケーキの底にあるビスケット生地がざくりと小さな音をたてた。
「ヒトモシが区画管理者だったら、私だってさみしいわ」
「手紙のやりとりしかできないからね」
「『十一時の天文学者』も苦しんだのでしょう。管理者でさえなければ、区画の移動も自由だったでしょうに」
恋というのははじまるときには大抵楽しく、終わるときには苦しいものだ。相手との時間が楽しいから特別な関係になろうとしてはじまる。
ヒトモシは「四時の君」の部屋を見まわしながら、自分がこの部屋を訪れなかったら「四時の君」とは交際していなかっただろうなと、愛しい人との接点ができたことを内心喜んだ。初めて顔を合わせたときはひどく緊張したものだ。
外はまだ薄暗く、冷たい空気が窓から忍び入ってくる。ヒトモシは「四時の君」のいれてくれたコーヒーを飲んだ。まだ湯気が立ちのぼっていて、冷えた身体にあたたかさが染み入るようだ。朝の四時ともなるとさすがのヒトモシも眠くなってくるから、目の覚めるコーヒーはありがたい。フルーティーな酸味のあるコーヒーと、甘いケーキは疲れを癒し、「もうひと踏ん張りしよう」と気分を新たにしてくれる。
この「四時の君」との時間がなければ、ヒトモシは見張り台でうっかり眠ってしまうかもしれない。それを案じてコーヒーをいれてくれる「四時の君」の心遣いがうれしい。「四時の君」はどちらかといえば紅茶を好むだろうにと、ヒトモシは上品なカップの細工をながめた。
「時計街のふしぎな決まりは、いったい誰が決めたんだろう」
「十二の区画をまわって火を灯したり消したりする仕事は、塔ができる前からあったみたい。元々は見張り番だったのでしょう。短針や長針ができるまで、古い時代のヒトモシたちは各区画を馬でまわっていたそうよ。だから、時間に遅れてしまうこともあったらしいわ」
「四時の君」は、区画管理者になる前は書記官であったというから、この街の成り立ちについてもくわしいのだろう。
ヒトモシはスリッパを脱いで、机の下でこっそりと「四時の君」の足をつついた。あたたかな「四時の君」のふくらはぎに、ヒトモシの冷たい足の指が触れる。「四時の君」は少し目を丸くして、くすぐったそうに笑った。
「外はずいぶん寒かったのね。水筒にあたたかいコーヒーを入れましょうか?」