5
一瞬の静寂。
リルは慌ててフードを被り直した。
訪れる沈黙に、人形を身構えて辺りを観察する。この場からすぐにでも逃げ出した方がいいだろうかと、緊張が走ったのだけど。
「アニマ?この辺じゃ珍しいね?」
きょとんとした耳の尖った少女が何でもないように言った。
アニマ族というのは、この国では獣混じりだと差別の対象にされていると聞いていたが、彼女は、あまりにも"普通"の反応だった。
リルもその反応におずおずとこちらに目を向ける。人形と彼女の視線が一瞬の間を生んだ。
「…確かにこの国じゃ、生きづらいか
けど、あたしらこれでもギルドに所属してるし?
それなりに海外の経験も多いし、種族差別なんて今時流行んないよ」
「あ、え、その」
「いいからいいから
さ、楽しもー!」
「う、あ、」
完全に腰が引けているリルにお構いなしな様子で引っ張って輪に加わって行く少女。ギルドはそういう場所なのか、それとも彼女らが特異なのか判断はつかなかったが、これはいい出会いなのだろうと、そう思った。
最初はビクビクとフードを被って大人しくしていたリルも、少女に振り回されるうちに次第に緊張はほぐれていったよう。今ではフードを外して骨付き肉に齧り付いている。
膨らんだ頬がソースで汚れ、なんとも可愛らしい。
「...どういう事情があるか知らねえが」
「...」
そんなリルを人の輪から外れた位置から眺めていた人形に話しかけられる。
「貴族様にアニマの嬢ちゃんを側付きにさせるなんてのは感心しねえ
嬢ちゃんを想うんならそんな無謀なことさせるべきじゃない」
いつの間にか隣に居たのはリーダーと呼ばれるスキンヘッドの男。その言葉にずっと考えていた不安要素が顔を出す。
この国ではアニマは迫害の対象らしい。お嬢様一行や彼らの反応が異常だったのだと、彼の言葉に考えが浅はかだったんだろうと思いなおす。
右も左もわからないまま、保護してやるという甘い誘いに乗った。それ以外に選択肢もなかったのだ。後悔することもない。ただ、彼らのような存在を知り、忠告まで貰ったとあれば、それは新しい選択肢が提示されたと言える。
私は何も言えなかった。人形だから、というわけではなく。
「ブルー!あれすごいよ!ギターっていうんだって!いろんな音がなるの!」
「...」
しばらく考え込んでいると、明るいリルの言葉が飛び込んでくる。
楽器なんてものまで持ち運んでいるらしい。それは確かに弦の付いた、私の知っているギターであった。アコースティックギターと言えばいいのだろうか。木でできたそれをヒョロリとした優男が弾き語っている。異世界と言えど、楽器に大きな違いは見られないらしい。
「…あの子はお前さんを偉く頼ってるらしい
チラチラとこっちに飛ばす視線が痒いくらいだぜ
だからよ、どういう事情があるかわかったもんじゃない部外者からの戯言と思ってくれ
…その道はやめとけ、誰も幸せにならねえ」
「...」
「ブルー?こっちで聞かない?!」
「ほら、嬢ちゃんが呼んでる、行ってやれ
…あと、これ、うちは来る者拒まずでやってるからよ」
「...」
スキンヘッドの男に何かを手渡され、それがきっと彼らギルドと関係のある何かであろうと推測した。丁度免許証のような板。金属でできているようで丈夫そうであった。受け取って深く頭を下げては、リルの元へ向かう。
ちゃんと考えなければならない。私がリルの未来を握っているのだと。
宴会も終わり、皆が寝静まった夜。
人形の最も退屈な時間。長く独りになる時間。
あの男に言われた言葉は真実なのだろう。ギルド員以外の行商人らしき人間がリルに向ける目はまるで汚物を見るかのようだった。
どこか理解した気になっていた。このまま着いていけばなんとかなると思っていた。それは最初に出会った四人のリルに対する反応からしてもしょうがないことだと思う。アルメリーは言わずもがな、お嬢様にしたって普通に接してくれる。トルストイは苦い顔をしながらも、孫を見るかのように優しく見守ってくれていたし、ベイルは差別など騎士のすることではないと一貫していた。
そんな人らがこの国の貴族をやっている。その事実にリルの過去を聞いて尚、楽観的に考えていた。
そもそも、他に選択肢がなかったのだから、とはもう言えない。スキンヘッドの強面な彼は忠告と同時に他の道も提示してくれた。見た目によらず素晴らしい人格者であった。だからこそあの大所帯のリーダーなんてやっているのだろう。
空には星々が輝いている。知っている星座は一つも見つけられない。この世界に迷い込んだ私は何が正しいのかすらも覚束ない。身体の感覚すらなく、ふわふわと漂う内に世界に飲み込まれそうになる。ずっと隠していた感情に押し潰されそうになる。
怖い。
私はこの訳のわからない状況に心底恐怖している。それをなんとか踏ん張れたのは、小さな狐耳の少女のお陰であった。彼女の前ではしっかりしなくては、子供に不安を感じさせないよう私がしゃんとしなければ。
それも最近ではアルメリーのような、この世界に地に足をつけて生きている存在が寄り添ってくれている。だから、全てを彼女らに任せて、私の責任はそこで終了だとどこか思考を停止していた。自分のことすら怪しい私が子供の世話など分不相応である。そう無理やり納得してこの旅に着いてきた。
私のような得体の知れない存在が、他の問題に対応できる訳がなかった。リルを守ろうとしておいて、守られているのは私の方であったのだと気付いた。まるで人間のように頼ってくれる彼女の前でだけ、私は私の状況から目を逸らすことが出来ていたのだ。彼女からすれば、頼れる者が他に居なかったのだから至極当然のことだろうが。
それがこの世界の住人であればもっといい道を歩んでいたに違いない。そういう後ろめたさは日に日に大きくなっていた。
きっと私と離れることとなれば、彼女は強く反発するだろう。それくらいには彼女と関係を築いてきた自負がある。
それでも、真面目で優しい子だ。きっと新しい場所でもうまくやれる。
私が我儘を言って、貴族に所有される交換条件にリルを保護しろ、などという態度を取ったのが始まりである。四人にとって、おばあ様とやらの所有物であろう人形を手元に置いておくことこそが目的であるはずだ。その人形がリルから離れないと見て渋々リルを雇うことを決断してくれたのだろう。
その先にリルの幸せがないのであれば、私の我儘はここまでにするべきだ。スキンヘッドの彼に任せて、彼女を安全で安心な場所にやらせるべきだ。彼らの身分は確かなものであるとベイルのお墨付きである。観察していたが、気持ちのいい者ばかりであった。きっとリルを守ってくれるだろう。
「ブルー?」
「...」
静かなテントの傍。件の少女は眠そうな眼をこすりながら馬車から歩いてくる。
ぐるぐると思考を回して、何度もその結論に至った。どう考えてもリルと離れてしまうのが合理的であった。何故か何度も他の道を考えたのは、恐らく私がリルという繋がりを失うことが怖かったから。彼女がいなければ、私は自分すら見失うほどに、ただそこにあるだけの人形でしかない。
ただ、私の想い一つが邪魔をしていた。私の存在意義のようなものをいつの間にか彼女に甘えていたのだと気付いた。
しょぼしょぼと眠気まなこな様子のリルが私に近付いてくる。寝惚けているのかもしれない。別荘で過ごしていた頃も、たまにそうやって意味もなく私を探してふらふらしていた。
そんな愛しい子供が白い街でお嬢様から買ってもらった丈夫な靴で近付いてくる。
「ブルー」
「...」
ぴとりと人形の背中にくっ付いては、そのまま眠りそうなほど身を預ける。まだまだ子供なのだと、そのまま小さな身体を支えて抱き抱える。
そのうちにスヤスヤと規則正しい寝息を立て始めた。初めて会った時もこんな風に寝ていたなと思い起こす。奴隷商から命からがら逃げた先でこんなに健やかに眠っていたのかと彼女の肝の大きさに強さを見た。
彼女のことはあまり知らない。出会ってまだひと月も経っていない。最近ではよく話しているアルメリーの方が彼女のことに詳しいかもしれない。
そんな小さな関係に、私は大きな何かを預けていたらしい。リルの寝顔を見るだけで、私は私の恐怖を少しだけ忘れられる。この子の幸せを守らなければという使命感が燃える。それが一種の現実逃避なのだろうことから目を逸らして。
であるなら、やはりこの国から彼女を遠ざけるのが一番だろう。できれば私が側にいて守ってやりたいが、この人形は貴族の所有物らしい。この世界で身分どころか名前すら持たない私に何ができるというのか。ある日突然人形が動かなくなれば、困るのは彼女である。それでなくても、この世界のことを何も知らない私ができることなどたかが知れている。
リルにとってどの道が一番だろうか。
これだけ可愛らしいのだ。もしかしたら貴族連中の間で空前のアニマブームに火をつける可能性だってある。そんな未来を想像して少し可笑しくなった。
もしくは、国外へ出たリルの元に、たまの休暇で向かうのだ。アルメリーやお嬢様、ベイルやトルストイを連れて、久しぶりの再会を果たす。離れていた間の出来事なんかを事細かに話すリルとアルメリー。お土産なんかもたくさん持ち寄って、きっと目を丸くして大はしゃぎするのだろう。
やはり、私はリルの幸せを考えるのであれば不要な存在である。そう結論付けた。
「どうしたの?」
「...」
いつの間にかパチリと目を開けたリルと人形の目が合う。長いこと考え込んでいたらしい。空は白んできていた。
「...そのきれいなブルーの目がすきなの
あ、だからブルーって呼んでるんだけど
いやじゃなかった?」
「...」
唐突に人形の名付け理由を教えてくれた。ブルーと呼ばれたタイミングもあって、二人きりで話す機会も久しぶりであった。
私はこの名前を気に入っている。そう伝わるよう首を振った。
「ブルーの目、お父さんににてるの
いつも目の色はお母さんににちゃったねって
お母さんと二人で話してた」
「...」
やけに人懐っこい子供だと思ったものだけど。確かに、知っている人、それも親と似た特徴があれば、このくらいの歳の子はそれで安心するのかもしれない。栗色掛かった綺麗な瞳がふにゃりと細まる。
「ブルー、いつもありがとう
お嬢さまも助けて、すごい!」
「...」
まるでヒーローでも見るかのようなキラキラとした瞳が愛らしい。ありがとうと、彼女の頭を撫でる。
「...みんなにね、いろんなこと教えてもらった
いつでもたよっていいって言ってもらった」
「...」
子供だからと隠すことなく、彼らギルド員たちは現実をしっかり彼女に叩き込んでくれたらしい。そして、それを受けてリルもしっかり考えられる賢い子である。
「でも、わたし、ブルーと離れるのはいや
また一人になるのはいやなの」
「...」
一人ではない。きっと彼らは責任を持って子どもを救ってくれるだろう。リルが過ごしやすい場所を提供してくれるはずだ。少し話しただけにも関わらず、スキンヘッドな強面が途中で子どもを投げ出す姿は想像できなかった。
「これからいやなことがあっても、ブルーと離れるのが一番いや
私、がんばるから、だから、一緒にいて」
「...」
たまたま転がり込んだ先に眠っていた得体のしれない人形にえらく信頼を置いてくれるものだ。
この子に私の気持ちが漏れてしまっているようだった。まるで私が彼女と離れると決断したことを知られてしまっているかのよう。
そんなのは嫌だと、釘を刺されてしまった。ただ、それだけで私の決断は揺らいでしまう。
「ブルーが私のこと、守ってくれた
ブルーがいなかったら、きっとお嬢さまも許してくれなかった」
どうだろう。私が居なくとも、罰らしい罰を与えることなく、何かしら手を差し伸べてくれたんじゃないかと思う。
「アルメリーさんが言ってた
ブルーがいなかったら、私のことは町に任せてたって」
「...」
貴族からすれば、孤児が勝手に別荘に住み着いていた。
この国では聞く限りで、そんな子供をその場で殺してしまわないだけ優しい対応なのかもしれない。それほどにアニマという種族は毛嫌いされている。
ただ、街で裁きを受けようと、面倒だと殺されるか、罰を与えて放り出されるか。そうなると、アニマである彼女の未来は悲惨だ。味方のいない路地裏でひっそり暮らせればまだいい。そのまま奴隷商に引き渡されるなんてことも考えられた。
「私は、逃亡奴隷なんだって
だから、今日助けてくれるって言ってた人たちも、奴隷を助けてくれるかわからない」
「...」
そう、なのだろうか。それにしても、その知識はアルメリー仕込みなのだろうか。いつも朗らかに話していると思えば、中々重たい話をしている。
であれば、そもそもリルを匿っている貴族という前例があるのだからそこまで深く考えることでもないのではないか。
「ブルーならきっと私のこと考えてあの人たちにおねがいすると思った
でも、それはいや」
「...」
ぎゅっと、小さな身体で抱きしめられる。
私はどうすればいいのか。ただ、その小さな身体を抱きしめ返した。
朝。それぞれテントを畳んで別れ始める。行商人や、あのギルド連中も。
そこに近付いてくるのは大柄な男。
「いい朝だな」
「...」
言外に昨日の話はどうなったと伺うようだった。
未だに私は迷っている。ここまで優柔不断であったのかと驚くほどに結論が出ない。
「ブルー!」
リルが駆け足で叫んだ。まるでその決断を許さないとばかりに強く握られた手が人形の服に皺を作る。
「...」
「昨日話したでしょ?
私はブルーと一緒がいい」
「...」
「あー、なんだ、訳ありみてえだな?」
話してみろと視線が語っている。
しかし、この人形は貴族の所有物である。おいそれと外部に漏らして不興を買うような危ない橋を渡るつもりもなかった。
「おじさん、ありがとう
私は大丈夫」
「...おじ、さん?」
どこにショックを受けているのか。愕然とした表情でリルの言葉を反芻している。
「あ、リルー!
ん?何?リーダーどうかした?」
「?」
よくわかっていないリルは首を傾げる。耳が特徴的な少女は不思議そうにしながら視線を切った。
「一緒に来る?どうなった?」
「...私は、ブルーと一緒にいたい」
「そ
リルの考えは尊重するけど、そんな簡単な話じゃないよ?」
その言葉は私に向けられていた。未だに私は考えが纏っていない。そんな状況に歯噛みした。
「大丈夫、ブルーがいれば、大丈夫」
「ふーん
…この子不幸にしたらあたしが許さないから」
「...」
リルの信頼と彼女の脅しに私はようやく頷いた。私はリルと一緒に居たいのだ。私がリルを守りたいのだ。結局私はリルのことより自分のことを考える存在であった。そして、これは私の決断だと気を引き締めて頷くのだ。
「まあ、何かあればいつでも力になる
心変わりしたら、頼ってくれ」
「振られちゃったねー」
「...」
いつの間にか復活したスキンヘッドな彼らはあっさりと手を引いた。そこに近づいてくる足音。
「...勝手にうちのものを引き抜かないでくれ」
「すみませんね、うちの女連中がイケメンを所望でな」
「ぶ、ブルーは渡さないよ!?」
「はっはっは、ああ、振られちまったからな」
冗談めかして離れていく二人。ジトっとした視線が人形に突き刺さる。
「昨日からこそこそと、…お嬢様を守る約束はどうした?」
「...」
それはちゃんと守ろうとしていた。潔白だと首を振る。
「まあいい、ほら、出発だ」
「...」
これから長い付き合いになる、B級クラン”傭兵崩れ“との出会いであった。
*****
そんな出会いを経て、無事野営を乗り切った一行は次の街への道を進んでいた。
都市から都市へ。その道中。
「何か来ます!」
平穏な時間は唐突に終わりを告げて、ベイルの鋭い声に馬車内は緊張に包まれた。馬車を停めて、三人は馬車内に残ってもらうよう伝えて人形を外に出す。
「魔物、か?」
「…」
ベイルが真剣な面持ちで視線を向ける方向。林に囲まれたこの道で、奥から確かに何かが勢いよく近付いてくるように見えた。別荘近くで見たものより小さい。馬ほどの大きさで、それが複数。
まるで狼のようなフォルム。四足歩行の黒毛であった。瞳が不気味に赤く光っている。それが見える限りで六体、馬車に向けて駆けてきている。
「ちっ、数が多いな
ブルー、半分頼む」
「…」
コクリと頷いて、林の中をスイスイと駆けてくる魔物に集中する。
ベイルには半分と言われたが、この状況であれば人形の独壇場である。腕から飛ばした糸を操って林の中に張り巡らせる。底が見えない人形に収納された糸の長さは、狼に似た魔物を囲うように展開される。そこに速度が乗った魔物が見事に引っかかった。どうやら糸に気付くこともなかったらしい。
ひとりでにバラバラになる魔物。ただし、その中でも賢い個体が居たらしく、一体だけ大きく迂回するようにその罠を避けた。
「任せろ!」
丁度ベイルの立ち位置側に逃れたその魔物は他の五体と比べて体躯がしっかりしていた。一回りほど大きなその身体から、その群れのリーダーをやっているのかもしれない。
そんな飛び込んでくる魔物に剣を抜いて構えるベイル。いつでもカバーできるよう人形を構えて見守る。
ベイルは何かを呟き、その身体に淡い光が灯る。何度か見た魔法の特徴であった。
「ふっ!」
短く息を溢して迫る魔物に向けて剣を振り下ろす。その速度は見事なものだった。
しかし、間一髪と魔物は減速してその身体に浅い傷を残すだけに留まった。そして、剣を振り抜いた無防備なベイルに向けて再度その牙を大きく開いた。
「心配ない!」
糸を飛ばそうと腕を掲げたのを遮られ、その牙がベイルの身体を貫いた。そう見えた。
しかし、ベイルの身体には傷一つついていない。血が流れることもなかった。
「しっ!」
またも小さく吐き出された気合と共に、噛みついて固定された魔物の身体を剣が貫いた。
しばらく力強く噛みついていた魔物も、どさりとその大きな身体を横たえた。ベイルは討伐した喜びなんて見せず、そのまま辺りを警戒する。それにつられて私も周りを見渡す。
どうやら危険は去ったらしい。
「ふぅ、これくらいの魔物であれば俺でも問題ない
寧ろ毛皮が良い価値になるんだが、あれじゃあ使い物にならねえな」
「…」
バラバラになった魔物の死体を見て残念そうに首を振るベイルに、半分だけ任せられたのには理由があったのかと反省する。
手際よく毛皮や牙を剥いで、バラバラの魔物についても牙だけ回収していた。魔法を使ってできた地面の穴に残りを燃やしては埋める。
そうやってひと段落着いたところで、馬車は再出発する。
「また、魔物…、考えすぎでしょうか?」
小さく唸るお嬢様。メイドとリルの二人は魔物を討伐する様子をこっそり窓から見ていたようで、すごいすごいとはしゃいでいる。
私はお嬢様の反応に気を引き締めなおした。考え過ぎだろうかと首を傾げるお嬢様の言葉とは裏腹に事態は急変するのだが。
*****
街に到着した私は、通称白い街とは別種の栄え具合に周囲を見回していた。人形はそんな私のことなどお構いなしにすまし顔であるが。こういう時は内心が知られず良かったと思う。
白い街と同じく壁で囲まれた都市であり、壁の外側に半市民の生活が拡がっているのは同じ。ただ、その人種が様々で、角が生えていたり、耳が尖っていたりと特徴的な外見が散見される。ここは貿易都市であるらしい。他国からも人が集まり、様々な文化が複雑に入り組んでいる。雑多で、活気のある街であった。
「ドワーフ、エルフ、ホビット、魔族や竜人まで幅広く集まるの」
「ほぇえ」
「だから、ゲテモノが多くって、外食は気をつけなきゃいけない」
「はい!」
「リルは一人で外に出ることはないから大丈夫よ」
お嬢様の言葉に安心したようにほっとするリル。外街をゆったりと行く馬車から眺める限り、やはりアニマのような特徴を持つ者は見つけられなかった。
住む人も変われば、住居の形式も違うようで、石造りのかっちりしたものから、ツリーハウスのようなものまで確認できた。日本のような高層ビルなんてものは確認できないものの、日本ではお目にかかれない不思議な建物の数々に新鮮な気持ちであった。
そのまま門まで進み、白い街と同様に身分証を提示して潜る。
街の中は別世界のようであった。綺麗に舗装された道は石造りのようで、雑多で色鮮やかな街であった。壁外とは違って、それらが一種の芸術のように調和された不思議な景観であった。中央に天辺が見えないほどに高い巨塔が確認できる。あれはなんだろうか。
「貿易都市ってだけあって、建築様式から人種まで幅広くて退屈しない街なんだけど…」
「この前の町より人が多いですね!」
「うん、ただ、アニマは労働力として奴隷になってる
リルにはつらい場所かもしれない」
「…そう、ですか」
すぐにその奴隷とやらが働く現場に遭遇した。
それらは端から見ると綺麗な衣装に身を包んでいるものの、その表情は暗い者ばかり。奴隷商らしい。こんな表通りに人を売っている。この国では奴隷はれっきとした商品であり、それが常識であるらしい。
静かになった馬車がしばらくして停まる。この街での宿泊先に到着したようだ。そこは現代のホテルと遜色ない外観をしていた。綺麗な建物であった。
外に出ることもなく、早めの就寝となった。明日この街を発って、夕方に到着できるかというところ。今日は何事もなく、と願っていた想いは届かず、扉や窓に張り巡らせた糸が反応する。
「…」
「ぁ、敵襲か?」
「…」
眠っていたベイルをゆすり起こし、彼の言葉に頷く。窓と扉の糸がどちらも反応した。複数の襲撃である。ベイルが鎧を素早く装備して、扉を開く。隣の部屋に泊まっているお嬢様たちの扉前には三人の黒尽くめ。糸を無力化しようと何かをしているところであった。
「…何者だ」
「…」
ベイルの言葉には何も答えず、きらりと闇に光るのは投擲されたナイフ。問答無用で襲い掛かってきた。
キンッ
ベイルはそのナイフを難なく剣を沿わせて弾く。そのまま流れるように魔法を詠唱して昼間魔物を相手した時と同じ淡い光が身体を纏う。
「きゃっ」
「っお嬢様!」
そこに部屋の中から短い悲鳴。糸の手応えは健在である。そのため、敵は部屋に入っているはずがない。しかし、もしかしたら何かしらの方法で糸を解除して侵入を許したのかもしれない。
慌てて扉側の糸を回収しては、バラバラになってしまった扉に構わず飛び込む。
そこには同じ格好をした五人。そして、お嬢様には今にもナイフが振り下ろされるところであった。
パシュッ。
すぐに射出した糸が間一髪お嬢様を絡めとり、そのナイフを躱すように引き込む。
その反動を利用して人形を黒尽くめの男に向けて飛ばす。飛び蹴りの要領で突っ込んだ人形は軽く躱されてしまった。この前の相手とは力量が違うらしい。すぐに他の黒尽くめ二人が飛び掛かってくる。その手にはどちらもナイフを握っていた。
カカンッ。
振り下ろされるナイフを左手で受ける。僅かに身じろぎする様子に人形の腕が金属でできていることを知らないらしいと推測する。身を翻して思い切り回し蹴りを見舞う。ゴッと嫌な音を立てて壁にぶつかって気を失うのは一人であった。間一髪回し蹴りから逃れた一人は黒尽くめの元に逃げ戻った。残りは四人とベイルの相手する三人。
「ぐぅっ」
すぐにベイルが一人無力化してくれたらしく、残り六人。
その六人が部屋の一か所に集まる。まるで一人を守るような陣形であった。
「っ~」
その一人が慌てた様子で何かを小声で口走る。それはベイルの使う魔法の予備動作に似ていた。
何が起こるか未知の魔法。そんなもの使わせるわけにはいかない。糸を飛ばして阻止する。
しかし、その糸は間に入った一人に防がれた。
「ぶ、ブルー!」
「…」
糸で雁字搦めにしてしまっているお嬢様に向けて走り出した黒尽くめ二人。魔法を使うのとは別の者だったが、どちらも無視するわけにはいかない。
部屋がどうなろうが知ったことではないと、脚から糸を射出しながら、そのままに回し蹴りをお見舞いする。丁度直線上にあった二人を両断しては、窓ガラスが盛大に飛び散った。本当は全員斬るつもりだったのだけど、残り四人はその軌道から逃れて伏せている。後ろの壁に線が走る。
「お嬢様、窮屈でしょうが、しばらくはそのままお願いします」
「ええ」
捕まったように糸で縛られているお嬢様。緊急事態とはいえ、少し強引だったかもと思い始めた私だったが、特にお咎めはないらしい。
そんな中で膠着状態に陥った私たちだったが、バラバラになった扉から気配が複数。ホテルの従業員か宿泊客かと意識を向ければ、それは良く知る人物であった。
「こいつの命とどちらが大切だ?」
「なっ!?」
唯一置いてきてしまったトルストイが拘束されてはその首にナイフの刃を突き立てられている。
「私のことは気にせず」
「そ、そんな!」
静寂が場を支配する。どうするべきかとお嬢様とベイルに視線を向ければ、冷静ではないようで指示は受けられそうにない。
「そこの令嬢を引き渡せ、そうすればこんな老人に用はない」
「…」
そんなこと選択できるわけない。私は人知れず糸を伸ばす。
「おい、殺しちまうぞ?」
「…」
人形を視界に収めながらナイフを握る手に力を込める。私の行動はバレているらしい。
誰も動けない、痛いほどの静寂が部屋を包み込んでいた。




