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「うまくかかった!」
「…」
昼。お嬢様一行と出会ってから五日ほど経ち、彼女らは別荘で未だに休暇中であった。
ドレスの令嬢の名前はルネステル・エスドニア・フォン・サフィアと言うらしい。ここエスドニア王国の伯爵家当主であるらしい。両親はつい二年前に不慮の事故で亡くなったと聞いた。若くして慣れない当主という座についた彼女はここ二年は碌な休みも取れず、ようやく取れた休暇。そんな休暇先の別荘前で魔物に追いかけられ、不法に別荘に侵入されるというかわいそうな人であった。
そんな彼女の騎士であるベイル。昔からサフィア伯爵家に仕えている騎士の家系であるらしい。そんな彼と私は狩りを行っていた。
「よし、これでお嬢様も喜んで下さるだろう」
「…」
仕留めた子鹿のような動物を見て、頬を緩める彼の表情は、主従の関係で完結するようなものでもないのだろう。仕事を熟す騎士というよりは、親密な女性のために頑張る男性の姿があった。
帰宅して、さっそく解体に移った彼の手際の良さに学んでは、リルの喜ぶ顔を思い浮かべて家に入る。
「おかえりなさい、ベイル」
「ただいま帰りました
今日は鹿肉を用意出来ました」
「それはすばらしいわね、いつもありがとう」
二人のやり取りを静かに見守る。どこか二人だけの空間を作り出しているその雰囲気に、誰も野暮なことは言わなかった。
「ブルー、今日もお肉?」
「…」
二人のやり取りを横目に、思わずといった様子で前のめりに小声で聞いてくるのはリル。頷けば、にんまりと頬を緩めた。最初の粗末な服装とは打って変わって、綺麗な衣装に身を包んでおり、小さなお姫様のよう。可愛く、真面目な彼女の人柄に当てられたらしいお嬢様とメイドの二人に好き勝手着せ替え人形にさせられている今日この頃である。お嬢様もメイドも裁縫はお手の物であるらしい。本人も満更でなさそうなので止めることはしない。
「お嬢様、そろそろ帰る準備を」
「…そうね」
御者の言葉に表情を少し暗くして肯定するお嬢様。ここから王都まで一週間ほどかかるらしい。移動の時間を考えれば十分に長い休暇といえた。
早速明日の朝出発することに決まり、勿論それには私とリルの二人も同行する。狩ったばかりの鹿肉を保存食用に干し肉に加工したり、皮を詰め込んだり、消費しきれない内臓は地面に埋める。やはり、そこでも当たり前にベイルの魔法が使われた。瑞々しい狩りたての肉はものの見事にジャーキーに早変わりした。魔法とは不思議なものである。
「…明日朝にはここを発ちます
すぐに準備に取り掛かりましょう
では、感謝を込めて」
「…」
いつものお祈りをして食事をする。今日は子鹿肉のソテー。素材の味を活かしたシンプルなものであったが、狩ったばかりの新鮮な肉を使うだけでも随分と変わるらしい。荷物の中の調味料なんかもいいアクセントになることだろう。人形の身ではその味を堪能することはできなかったが。リルの落ちんばかりの頬のゆるみ具合で簡単に想像できた。
夜。
お嬢様一行の荷物の中にはランプが存在していた。どういう理屈か光が灯る、蛍光色の明るいものであった。魔道具というらしい。魔法の道具なのだと理解した。他にも身体を清潔に保つものや、服を洗濯するものまで、様々な生活を魔道具が支えているらしい。魔道具のお陰で川へ洗濯に行ったり、風呂の為に湯を沸かしたりなんて手間もない。
長い夜も、ランプがあれば暇を潰せる。リルの読み書きの勉強に私もしっかり参加する。どういうわけか理解できる口語のお陰で知らない文字の組み合わせも多少はものにできそうな手応えがある。この言語を習得さえすれば、コミュニケーションも楽になるだろう。私は意欲的に取り組んだ。
『そろそろ眠る時間では?』
「…もうそんな時間か
リルも、今日はよく頑張ったね」
「はい!」
時計のような魔道具は既に22時を指していた。
ニコニコとリルの頭を撫でまわすのはメイドのアルメリー。眠そうな顔をにへらと崩して尻尾を振るリルは限界そうであった。
「んじゃ、やるか」
「…」
外に出れば、剣を素振りしている騎士の姿。魔物を倒した実績があるとはいえ、私は戦闘の素人である。彼に教えを乞うのも日課であった。戦う心構えから、剣の使い方まで教えてもらっている。最初のコンタクトはいいものとは言えなかったが、今では含むところなく会話もできている。竹を割ったような性格のベイルは得体のしれない人形に対していつまでも警戒することはやめてくれたらしい。義理に熱い性格をしているのか、結果的に魔物から救う形になったことが功を奏したようである。全幅の信頼とまでは言わずとも、一緒に訓練するくらいには。お嬢様が雇うと決めたことも大きいかもしれない。
静かな素振りの音が森の中に響いた。
*****
馬に引かれる馬車の中。広い車内には三人と一体。
お嬢様、メイド、リルに人形。御者は手綱を握っているし、騎士は行きのこともあってか御者の隣で周囲を警戒している。
意外にも揺れは少なく、この世界の技術力は馬鹿にできないらしい。もしくは魔法なんていう何でもありで不思議な力によるものかもしれないが。
「大丈夫?気持ち悪くなったら言うんだよ?」
「はい!」
メイドのアルメリーはリルのことを気に入っているらしく、事あるごとに話しかけている場面を目撃する。種族が違うことなど気にもしない彼女の性格に、今ではリルもすっかり懐いている。少し寂しいような、嬉しいような。
「…ベイルから聞いたわ、あの魔物を討伐したんですってね?」
「…」
「帰りも期待しているわ」
「…」
勝手に期待されても困るが、できる限りのことはするつもりである。この人形が何をやれるのかも定かではないが、逃げる時間くらいは稼いでみせると頷いた。
そんな雑談混じりの道中は、何事もなく街に辿り着いた。王都までに二度途中の街を経由することは聞いていたが、まだ明るいうちの到着であった。
「これで一安心ですね」
「はい、ここからの道中は危険も少ないでしょう」
「…そうだといいのだけど」
人の脚が踏み入っていない森奥にある別荘までの道中は確かに危険なものなのだろう。しかし、これまで数回は利用している中で魔物に遭遇したのは今回が初めてのことだと聞いている。多少獣が飛び出てくることはあれど、魔物なんていう危険な存在が出るなんていうのは珍しい。比較的街にも近い森の中である。魔物の目撃情報などあればすぐに対応されてしまうはずであった。
少なくとも街中ではそのような情報はなく、問題ないことを確認してから彼女らは別荘を目指して出発した。それなのにすぐに魔物に襲われ逃走する羽目になったというのは少し不可解なことであると、お嬢様は考えている。
二年前に起こった両親の不幸な事故もあり、気にしているらしい。
つまり、人為的な思惑が働いているのではないか。
「…どんなことがあろうとも、この剣と鎧に誓ってお嬢様をお守りします」
「ええ、そうね、頼りにしているわ」
お嬢様が華やかに笑ってこの話は終わり。より一層気を引き締めた様子のベイルは街中でも油断はしないとばかりに周囲に注意を払っていた。
大きな壁を囲うように立ち並ぶ街並み。城郭都市となっているらしく、その都市を囲う壁を更にぐるりと一周囲うように新たな街が形成されているようだ。そんな中を騎士のベイルが馬車から降りて横を歩く。まだ壁の外であるものの、街中であることには変わりなく、馬車は歩くペースで壁を目指す。
壁内に住んでいる民を市民、壁外に住んでいる民を半市民と呼ぶらしい。壁外で危険が起これば半市民たちは市民の盾になるし、半市民が壁外に住居を構えて商売をしても黙認している。そういった相互扶助な関係で街は成り立っている。
出来のいい馬車や騎士は珍しいらしく、半市民たちの視線が自然と集まっている。雑多な印象を受ける街は、繁華街のよう。この世界に魔法があるためか、どこかチグハグな生活が広がっていた。服装は一昔前のように落ち着いた地味なもので、建物は木造建築の平家が多い。かと思えば、道は整備されているようで、白を基調とした石畳が綺麗に敷かれている。武器や革鎧を装備している人がチラホラ。綺麗に嵌め込まれた窓ガラスも少し浮いていた。どこか時代が交錯しているような違和感があった。
そんな中、見上げるほどの大きな壁を通過する門に辿り着いた。
「サフィア伯爵家である」
「はっ、証明をお願い致します」
「これだ」
「確認致します」
鎧を纏い武器を手にした門番がベイルに手渡された証明書を確認すること数分。荷物のチェックも馬車の点検すらされずにすんなりと通された。このように信頼のある貴族は街から街への往来をほぼ顔パスで通過できる。そのため、リルや人形は馬車の中でその存在を隠しておくことができるのだと着いてきたのだが、実際この目で確認するまでは緊張していた。
拍子抜けするほどにすんなり通過した門を背にしながら入った街並みは圧巻の一言。壁外の街並みとは別世界であった。
白を基調とした整然と並ぶ高い建物群に海外の観光地に来たような錯覚を覚える。道幅も広く、馬車も余裕を持って行違えるほどに、そんな広い道がすべて白基調の石畳で整えられている。
壁内の人々は現代的でフォーマルな見た目。細かいところで差異はあるものの、スーツやドレスを思わせるお洒落な人々が暮らしているようだ。
お嬢様一行は貴族だから特別なのだろうと思っていたが、これがこの世界のスタンダードなのかもしれない。街は綺麗に整っていて、地中海を思わせる白壁が異世界というより外国を想起させる。ゴミなんかも見当たらず、臭いも気にならない。
リルも目を丸くして景色に見入っている。
「ふふ、すごいよね?
でも、王都はこんなもんじゃないよ?」
「ふぁあ」
最早言葉になっていないリルの漏らした声に一層表情を緩めるアルメリーであった。
「すごい!なにあれ?!」
「あれは観劇かな?魔法や魔道具を使って劇をするの」
「ほぁあ」
「綺麗だよね?他にも大道芸っていうのがあって、
あ、リルちゃんはドワーフ知ってる?ほら、ああいう人たち」
「…小さい、おひげ?」
「小さいって言うのは失礼になるからやめようね?
すごく力持ちで鍛冶が得意なんだよ」
「…かじ?ですか?」
「そう、身近なものだと包丁とか
さっき壁の外に居た人の装備品なんかを造るのが、鍛冶」
「すごいです!」
そんなやり取りを続ける二人を優しい笑みを浮かべて見守るお嬢様。アルメリーとリルのやり取りはまるで姉妹のようで、姉らしく知っていることを得意気に自慢するメイドと、それに一々リアクションする狐少女。
その内馬車は目的の宿に到着したらしく、止まる。
「今日はここに泊まるけど、ごめんね
少し窮屈かもだけど、帽子と、尻尾も」
「は、はいっ」
大き目の帽子を被って耳を隠し、尻尾も服の中に隠す。そうすると彼女をアニマ族とは誰も思わないだろう。そこには人間の少女がいた。
「部屋に入ったら脱いで大丈夫だから」
「はい!」
「…では、いきますよ?」
お嬢様の声掛けで馬車の外へと足を踏み出す。人形も腕の機構を隠すようにゆったりとしたローブを身に纏う。それぞれ壁外の街で購入してもらった。メカメカしい腕は四人に出会った時のように隠さずとも不思議な形をした鎧だと認識されるだろうとのことだったが、魔法なんかが存在するこの世界でも自動人形は珍しいらしい。一応隠すように指示された。
室内はこれまた白を基調にした清潔なものだった。現代と遜色ない受付カウンターへ足を運び、鍵を受け取って部屋へ向かう。
三部屋取ってくれたらしい。お嬢様が一部屋、アルメリーとリルの相部屋、男連中三人で一部屋。
部屋に向かう途中でエレベーターのようなものにも乗った。機械音は全くなく、原理が一切不明だった。魔法だろうか。
「明日の朝ここを発ちます
各々ゆっくりと休むように」
お嬢様がそう言い放ってそれぞれの部屋に別れた。リルと街を観光でもと考えていたが、単独行動は控えることにした。
夜。夕食は部屋に運ばれ、人形の分まであったのは少し困ったが、前に食事を摂ったこともある。突き返すのも悪いと口に運んだ。カトラリーも銀でできているようで、白の陶器は綺麗な形であった。あの別荘で過ごしたギャップに混乱する。
極め付けになんとこの宿には風呂が備え付けられていた。ちゃんとお湯らしい。別荘では精々水だけであったし、身体を清潔に保つための魔道具を使って済ませていた。高級宿なんだとベイルが言っていた。
そんなことがあった後。皆が寝静まった頃。やはり人形は眠らない。
「…」
起き上がって部屋を跡にする。
招かれざる客というやつであった。それはお嬢様の部屋の前に張り巡らされた極細の糸に身を割いて出血している。
ぴったりとした黒の装束。顔を隠すその姿に部屋を間違えた客なんていう可能性は消えた。それが四人。
「ちっ」
「…」
目的が分からない以上必要以上に傷付ければお嬢様の悪評に繋がってしまう。ベイルに言われた護衛の心得であった。
人形を目に収めてはすぐに走り逃げようとする黒の人物に糸を飛ばす。
ベイルと訓練する内に糸の種類に差があることを知った。右腕、左脚から射出される糸は細く鋭く、巻き取りに巻き込まれれば腕の一本や二本は簡単に飛ぶ。しかし、左腕、右脚の糸は少し太く作られているようで、より頑丈。だから別の使い方ができる。
「ぐっ」「くそ」
二人には逃げられ、二人は拘束することに成功した。あまり練度は高くないらしい。逃げ切った二人は幻覚を駆使して消えるように逃れた。きっと魔法だろう。そっちを捕まえるべきではあったが、一先ず二人確保できたのだから上々である。
「…これは」
「…」
糸で絡めとられた二人を引き渡すためにベイルを起こせば、すぐに覚醒して状況を理解したらしい。険しい表情で捕らえた二人を見下ろす。
「あとはこちらで対応する」
「…」
「…よくやった」
複雑な気持ちの入り混じった言葉は夜の闇に消えた。
警邏隊に引き渡した黒装束の二人だが、ただのもの盗りだと主張した。つまり、数ある部屋の中で、たまたま、お嬢様の泊まる部屋にもの盗りに入ったのだと。
お嬢様一行は魔物のこともあり、再調査するよう主張したがあまり相手にされなかった。その対応に不穏なものを感じ、あまり強く出られず、結局この事件は強盗として処理された。
「…いったい裏にどなたが潜んでいるのでしょう?」
「恐らく、ルビエ侯爵家でしょうな」
「やはり、そうなりますか…」
御者の爺や、トルストイとお嬢様の二人は固い表情で会話を続ける。
「昨日はお嬢様を助けてもらって、ありがとうございます」
「…」
一方、私にお礼を言ってきたのはアルメリー。不安そうな表情をしている。もしかしたらお嬢様が被害に遭っていたかもしれない。二人は主従の関係である以上に、幼い頃からの仲であるらしい。友達のような距離感でよく会話しているのを見かける。
「ブルーは怪我してない?」
「…」
同じく不安そうに質問するリルに問題ないと頷く。するとにこりと笑ってくれた。
「ブルー、少し相談させてくれ」
「…」
怒ったような表情のベイル。魔物に引き続き、夜中の襲撃に何もできなかったと自分を責めているらしい。いつもよくしてくれているとお嬢様に言われても、自分の気持ちは消化できないようだ。
あまり他の人に聞かれたくないようで、部屋を移った。今は皆お嬢様の部屋に集まっているし、昼である。問題はそう起こらないだろうが、一応扉と窓に糸を張り巡らせておく。この身体のどこにこれだけ長い糸が収納されているのか考えないでもなかったが、役に立つのだから一先ず無視した。
「…お前は、味方か?」
「…」
部屋を移ってしばらく、無言の時間が続いて一言目がそれだった。確かに、よくわからない人形である私と出会って一週間も経っていない。あの別荘に仕舞われていたとわかっていても、そこにどういう意図があったのかは誰にもわからない。
最近は筆記でのコミュニケーションも簡単なものならできるようになってきた。譲り受けたメモ用紙とペンを走らせる。
『自分が何かすらわからない
けど、傷付けるつもりはない』
「…そうか」
少し回りくどい伝え方になってしまった。味方だと返すことは簡単だったが、出会って間もない相手にそんなこと言われても信じることは難しいだろう。だから続ける。
『リルを守ってくれる限り、手を尽くそう
それではまだ足りないだろうか?』
「…いや、短い付き合いだが、お前がリルを大切にしていることはわかる
今はそれで充分だ、だが、そうも言ってられない状況なのも確かだ」
「…」
今回の出来事は、明確にお嬢様を狙った犯行である。それが確定した以上、不穏分子を傍に置くことは確かに得策ではないだろう。
時間は待ってはくれないが、すぐにでも万全な体勢を整えるにはお互いに信頼が構築されていない。そんなもどかしい状況。
「俺は、お嬢様を命よりも大切に思っている
お前にとってのリルか、それ以上に」
「…」
「物心ついた頃には騎士になることを目指していた
家がそうだったってのも勿論あるが、何より、お嬢様が大切だという気持ちはずっと持っている」
そのまま、彼はお嬢様との思い出を語ってくれた。
どれだけ素晴らしい人なのか、彼女を守るためにどれだけの鍛錬を積んできたのか。ともすれば惚気のように聞こえたそれらの思い出は、彼の生きるすべてであるのかもしれない。
「だから、お嬢様はリルをきっと守ってくださる
アニマだからとか、子供だからとか、そんなの関係なく、そんな人なんだ」
「…」
「つまり、何が言いたいかって言うとだ
頼む、一緒にお嬢様を守ってくれ」
そう言って、深く頭を下げた。そんなことされなくても、別荘に忍び込んだ罪を罰するどころか、雇ってくれた恩もある。改めて頼まれずとも、否はなかった。
『リルが笑ってる
それだけでお嬢様を守る理由には十分だ
頭なんて下げなくていい』
「…そうか、そう、だな
…ここからは俺個人の考えだ、二人だけの秘密だ、いいな?」
「…」
これが本題ではないらしい。覚悟を決めたような表情。それに何が飛び出してくるのかと身構えながらも頷く。
「俺は、伯爵家の中に敵が居ると思っている」
「…」
彼の言葉にはどこか確信めいたものを感じた。あのメイドが?御者が?そんな風には到底思えない。まだ過ごして少ない時間であるが、そこには確かな絆があるように感じた。
「あの二人の中にってのは、考えたくないが、だからこそ、そこが致命的な隙になる
信頼するのと備えるのはまた別の話だ
…最悪は想定するべきだ
俺が裏切者って可能性も客観的にゼロじゃない」
「…」
「何故そこまで用心しているか、不思議だろう?
それは俺たちがここに居ることが証拠と言える
お嬢様がどこで休暇を過ごすかってのは俺たち四人しか知らない情報だ」
「…」
なるほど。誰も知らない別荘に向けて刺客が襲い掛かってきた。そう考えると、確かに裏切者は近くに居るのかとも思えてくる。
「もちろん、どうやってか情報を聞き出した奴が居る可能性だってある
今の考えがすべて杞憂だってなら、それが一番だ
だが、そんな呑気なことも言ってられない」
「…」
頷く。常に意識だけはしといてくれと、二人だけの会話は終わった。
用心の為、もう一日宿で過ごしてから出発となった。その間も人形をリルの近くに置くことを欠かさなかった。リルはお嬢様とアルメリーの二人と一緒に居ることが多い。必然的にお嬢様との時間も増えた。夜中は糸だけじゃなく、部屋の前で待機までした。その日、強盗は現れなかった。
今は馬車の中。ここから一日だけ野宿を挟んで、次の街に向かう。
『野宿は危険では?』
「…そうですね、本来であれば比較的安全な道を行く手筈ですが
しかし、他に手段もありません」
「大丈夫です!ブルーはすごいんです!
だから、お嬢さま、元気だしてください」
「…ふふ、そうね
ベイルもブルーも居るのだもの、心強いわ」
リルは良くしてくれているお嬢様が大好きであるらしい。不安そうな表情に、身体いっぱいを使って表現する。そこまで頼りにされていることに気が引き締まる思いだった。
すれ違う馬車や徒歩の行商達に警戒しながら、私たちは馬車を進め続けた。途中で休憩を挟みながらの道中は、心なしか会話が少なかった。
「お嬢様、野営地にそろそろ到着となります」
「ええ、ありがとう」
トルストイが馬車内に顔を出してから数分ほどで馬車は止まった。
そこは簡易なキャンプ会場のようで、見渡しのいい草原にテントが複数確認できた。陽も落ち始めた時間帯である。すぐにテントの設営に動き出す。
「おう、貴族様か?」
「…何用だ?」
「…おいおい、勘弁してくれよ
一緒に夜を過ごす仲間だろ?挨拶くらいはさせてくれよ」
声を掛けてきたのはゴロツキのような男。この場ではベイルの次に立派な鎧をしている。首からぶら下げているのは何かの証なのだろうか。言葉遣いからは軽薄な印象を受けるが、その瞳が歴戦の猛者であると教えてくれる。
ベイルはそんな相手に警戒心を隠しもせず、一歩引いた位置から話を続ける。
「どこの所属だ?」
「…ふぅ、ああ、わかったよ
ほら、ギルドの身分証だ、そこそこ価値があるんだぜ?」
「…B級か、そんな高ランクがこんな場所で何を?」
「そりゃ、依頼があったからだ
帰るところさ、白の街がホームなんだ、知ってるだろ?」
「そうか」
白の街とは、私たちが立ち寄ったあの街であった。強盗に襲われかけた苦い思い出は鮮明である。そんな場所を拠点にする目の前の男を信用できるかというと難しいだろう。
態度を隠せていないベイルに、怪訝な面持ちをする男。
「…なんだ?何か訳有りか?
白い街のB級ってわかってもそこまで警戒するのは感心しないぜ?
そこそこ信頼できる証だと自負してるんだが」
「…すまない、少し街で問題があった
我々が狙われている可能性もある、露骨な態度だった、謝罪する」
「…まーた厄介ごとかよ!
くそ!全然役に立たねえなこの証!」
軽く頭を下げたベイルに、急に大声を出し始める男。その反応に訝し気な表情を浮かべるベイル。
そんな中、ずんずんと男に近づく女性。
スパーン----------
スキンヘッドに輝く男の後頭部を、それは見事に叩きつける音が野営地に響き渡った。
何事かと周りの視線が集まる。
「うちのが失礼したな
問題は起こさない、最低限の助け合いを希望する」
「…いきなりひっぱたくやつがあるかよ」
「どうせ何か失礼をしたのだろう?
だから私が出向くと言ったのだ」
「んなことしねえっつの
どちらかというと、厄介ごとだ」
「…ほう?」
ニヤリと口角を上げた女性。その反応に首を傾げる。
「それは、さぞ大変でしょう
ここは一つ、うちを…」
「おい、そういう感じじゃなさそうだ
外部の人間が手を出してよさそうじゃねえ」
「…そうでしたか、これは失礼を」
「いや、こちらも気が立っていた
今日はよろしく頼む」
「ええ、何かあれば役に立ってみせましょう」
彼らはこの世界に蔓延る魔物を討伐して生計を立てる討伐ギルドに所属するチームであるらしい。戻っていったテント群は大きく、人数だけで十数名は確認できた。討伐ギルドでは任せられる仕事毎にランク分けをしているらしい。B級とは上から二つ目の実力者であると聞いた。
白の街はここエスドニア王国でも三本の指に入るほどに大きな都市である。王国立の学園もあるようで、未来を背負った若者たちが日々切磋琢磨している。そんな場所を拠点にB級の働きをしている彼らは、そのゴロつきのような見た目とは裏腹に周りから尊敬の視線を集めていた。
テントを設置して、女性陣と男性陣に分かれて馬車とテントで寝泊まりする。少し離れた場所では、件のギルドパーティが中心に宴を始めていた。火を焚いて、うるさくはしゃぐことで敵への威嚇をしているとベイルが言っていた。
「普段であれば、酒でも差し入れて少し邪魔するところなんだが
今は少し接触を控えたい」
「...」
わざわざ隙を晒すこともない。ベイルの考えに私も賛成であった。
そんな離れた位置から宴の様子を見ていたところ、小さな人影がこちらに近付いてきた。それは子供のような外見をしていて、耳が大きく尖っている。
「あれれ?宴に参加しないの?楽しいよ?」
「ああ、遠慮しておく」
「そう?あ、そっちの子は?興味津々って感じだけど?」
そっちの子、と視線で指されたのはリルであった。大きめのフードが付いたローブで全身を覆っている彼女は、その瞳をキラキラさせながら、確かに宴に想いを馳せていた。
「あ、え、だ、大丈夫です!
見てるだけでたのしいですから!」
「その子はそう言ってるみたいだけど?」
「...はぁ、少し顔くらい出すか」
リルは申し訳なさそうな、けれど、ワクワクが隠しきれないと言った様子でベイルの言葉に尻尾を振った。
「...」
「ああ、身元もしっかりしているのは確認した
必要以上に警戒するのもリルに悪いと思っただけだ、心配ない」
いいのか、とベイルに無言の視線を向ければ、渋々といった様子で許可をくれた。それに伯爵家の評判にも繋がると。
こういう場で粋な計らいをするのも貴族の役目であるらしい。質の良いワインを片手に、声をかけてきた少女のような見た目のギルド員に近付く。その子は目を輝かせて大袈裟に受け取っていた。まるで自分が飲むかのような喜びようである。
「こんなものいいの?!
さすがお貴族様!ははぁ!」
「...サフィア伯爵家だ
何かの際には頼りにしてくれ」
「まっかせて!
ほら、君も行こう!」
「え、わ、わぁっ」
酒瓶を片手に機嫌よく駆け出す少女に連れられ蹈鞴を踏みながら引き摺られていくリル。人形もその後ろに続いた。
「ん?なんだ?貴族様は不参加かと思ったが」
「あたしが言ったらこんな酒まで用意してくれたよ!
リーダーは交渉ごとに向いてないんじゃないの?」
「ばっか!てめえ勝手に話しかけんじゃねえって言っといただろうが!」
ゴンッ
大きな拳が小さな少女に容赦なく振り下ろされた。
「いってええ!
なにすんだ!この、ハゲ!」
「これはスキンヘッドだ!」
そのまま乱闘が始まった。小さな少女が懐から木の枝のようなものを取り出しては、風が不自然に発生する。その暴風がリーダーらしき男の身体を浮かせ、吹き飛ばした。
「わっ」
小さな悲鳴。風の余波を受けたリルのフードがズレる。慌てて小さな手で抑えるも間に合わず、その大きな獣耳が衆目の前に晒された。