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CASE:017-2 呪いの動画

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

2-1. 残像


 特異事案対策室のオフィスは、地下階に位置しているため昼夜の区別がない。天井から放たれる蛍光灯の光だけが人工的な昼を演出し、沈黙に包まれた空間にはPCのファンが回る音、時折発せられる電子音だけが低く響いている。白色の壁と淡色の机に囲まれ、透真は眉間にしわを寄せながらPCのモニターを睨みつけていた。


 画面に映るのは、例の『無題』の動画だった。もちろん、この検証は透真一人の独断ではない。まずは蜘手が「俺が先に試す」と、動画を数十回、繰り返し視聴していた。だが彼の主観的な体調や精神状態には、何の異常も現れなかった。(とどろき)雷蔵(らいぞう)も念のため閲覧したが、とくに変化は見られず、久世(くぜ)灯里(あかり)による『境界』に関する検証でも、異常は見られなかった。特対室としての手順を踏んだ上で、データ解析担当の透真もまた、自身が動画視聴による影響を受けないことを事前に確認したうえで、本格的な検証に臨むことになったのだ。


 既にあらゆる角度から映像を解析していたが、何度繰り返しても動画データ自体は完全に正常だった。不可解なノイズも、巧妙に隠されたフレームも一切存在しない。彼の恩寵『透視』による解析も行うが、人に影響を与える程の怪異なら強いエネルギーや、空間そのものを歪ませるような干渉が現れるはずなのに、動画からは目立った異常は感じ取れなかった。透真は視覚的な効果や画面構成に何か隠された秘密がないか、食い入るように解析し続けた。

 被害者と思われる者は出ている──が、同じ動画を観ても影響が出る者と出ない者に別れている。その違いは何だ? そもそも本当に怪異の影響なのだろうか? 何も見つからない。──だが、本当に何もないのだろうか?

 不意に違和感を覚え、透真はため息を吐き出すと椅子にもたれかかり、軽く息を整え、再び画面へと視線を向ける。その瞳に、常人には見えないエネルギーの流れが映し出された。


 彼の恩寵『透視』の力だ。透視で視ても以前と変わらず、一見異常はないように見える──が、彼は透視の強度を上げていく。負荷が高まり、眼底からズキリと激しい頭痛が彼を襲ったその時、その特殊な視覚を通じて、彼は動画に重なる薄い霧のようなエネルギーのゆらぎを初めて捉えた。それはあまりにも微弱で色すら定まらず、通常の怪異が持つ直接的な干渉力には到底及ばない。しかし、自然な動画には存在し難いものだとも思えた。

「……普通ではないようにも思えるが、この程度のエネルギーで影響があるとは──思えないな」

 彼は無意識のうちに唇を噛み締めた。怪異という存在は通常、そのエネルギー量と現実への干渉度が比例するものだ。しかし、この動画のエネルギーは微弱すぎる。これがもし本当に『呪い』を生むというのなら、その条件は別にあるはずだった。時間を忘れて視覚の深層を覗き続けていたせいか、眼球の乾きが痛みを伴って主張を始めた。彼は我に返るとポケットから目薬を取り出し、目に数滴差した。

「……瞬きも忘れるほど集中していたとは……」

 液体の冷たい刺激が視界を一瞬潤し、痛みを和らげる。彼は椅子の背に深くもたれかかり、小さく息を吐いた。

「少し休憩するか」


 その夜、浅い眠りの中で、彼は妙に鮮明な夢を見た。夢の中の彼は非常階段の前に立っていた。視界は夜の闇に満ち、金属製の階段が鈍く光を反射している。その階段を、彼は淡々と昇っていた。まるで誰かに操られるように感情もなく、一歩ずつ確かな足取りで上っていく。それはあまりにもリアルで、夢であることすら忘れそうになるほどだった。そして──最上階に辿り着いた彼は、何のためらいもなく鉄柵を跨ぎ、無限の闇の中へと身を躍らせた。

 落下。

 その感覚は生々しく、重力に引きずられていく身体の浮遊感と恐怖が同時に襲い掛かってきた。直後、彼は息を呑んで目を覚ました。心臓が激しく鼓動を打ち、全身は汗で濡れている。

「……やられたな」

 覚醒した今も、その落下の余韻が胸に生々しく残っている。一瞬、本当に自分が落ちてしまったのではないかという錯覚に襲われるが、すぐに彼は冷静さを取り戻し、自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「これは──やはり怪異の影響だったか」

 特対室の捜査官として多くの異常現象に接してきた彼は、容易く動揺するような人物ではない。彼の冷静な性格と強靭な精神力が、自らを保っていた。だが、それでもなお、彼の脳裏には「体験したことのないはずの記憶」が焼きついたように残っていた。動画に存在しない映像が、現実に体験した記憶として自らの中に根を下ろし始めているような感覚だった。彼はベッドサイドに置かれたノートを手に取り、自らの症状を丁寧に書き留めた。

『視覚的な刺激の蓄積により、脳内で虚偽の記憶が構築される可能性あり──自身の体験として認識される』

 書き終えた彼は、しばしその記述を睨みつける。自身を被験体として症状の進行とその影響を分析し始めた彼の目は、むしろ怪異への対抗心に燃えているようでもあった。──だが、まだ彼は知らなかった。その動画の影響がどれほど深く彼自身を侵食してしまったかを。そして、この静かな夜が、後に自らを深い狂気へと追いやる『呪い』の入り口にすぎなかったことも。



2-2. 渇き


 特対室の壁に並ぶ棚には無数のファイルが整然と積まれ、その中から必要な情報だけを慎重に取り出しては読み込む、という作業が延々と繰り返されていた。透真の隣でファイルをめくる灯里の指が、ふと止まった。彼女は整った眉をひそめると、届いたばかりの資料のページをゆっくりと指でなぞった。

「透真くん、これ見て」

 灯里が差し出した資料を、透真は無言で受け取り目を通した。精神科病院に収容された患者たちの診察記録だった。その中で、灯里が赤いペンでマークした部分だけが浮かび上がるように目に焼き付いた。

『顕著なドライアイ症状を訴える』

 次の患者の記録にも、また次にも同じ言葉が書かれていた。透真は指先でページをめくり、次々と同じ症状を訴える記録を確認した後、ようやく重いため息をついた。

「なるほど……偶然にしては揃いすぎていますね」

 灯里は静かに頷いた。瞬きを忘れて動画に見入った自分自身の姿を思い出し、透真の背筋がかすかに凍りついた。あの動画の中のわずかなエネルギーの揺らぎが、視覚的刺激によって脳に蓄積され、現実感を狂わせるほどの力を持つことがあるのだろうか──その思考を遮るように室内に微かな電子音が響いた。PCの通知音──新たな自殺者の速報が、無機質に画面に表示されている。

「まただ」

透真は低く呟き、拳を握りしめた。その無機質な速報が、彼の焦りをさらに煽った。



2-3. 兆候


 廊下から軽やかな足音が聞こえ、特対室の静寂が破られた。ドアが開くと、廊下の蛍光灯の光を背負って、明るく溌剌とした制服姿の南雲(なぐも)美優(みゆ)が顔を覗かせる。彼女が持ち込んだ空気は、修学旅行帰りの学生特有の、どこか浮ついた陽気さを帯びていた。制服のまま肩に掛けたバッグからは、修学旅行の名残りのように甘い匂いが漂っている。

「灯里先輩、透真先輩、もみじ饅頭のお土産でーす!」

 美優の明るい声が室内に響いたが、資料室の重苦しい空気はすぐには消えなかった。二人は苦笑しながらそれを受け取り、緊張を解すように笑顔を作った。美優の視線が不意にPCモニターへと向かい、そこに表示されている動画のサムネイルに気づく。

「あ、これ、今学校で流行ってるやつだ。私も友達と一緒に見ましたよー」

 美優の何気ない言葉が、部屋の空気を急激に凍らせた。透真と灯里が無意識に顔を見合わせ、表情を固くする。そんな二人の反応を察したのか、美優がわずかに目を丸くした。

「え、もしかしてなんかマズかった……?」


 蜘手が資料棚の奥から顔を覗かせ、険しい視線を美優に向けた。

「ああ、間違いなく怪異絡みだ。……お前さん、見ちまったのか?」

 美優は慌てたように瞬きをすると、胸元を押さえてわざとらしく眉を下げた。

「えー、そう言われたらなんか体調悪くなってきたかも……? そう言えば、この動画見た時、『ツギハ、オマエダ……』とか聴こえた気もするし」

 彼女の動揺の滲む言葉に、全員がさらに顔色を変えた。美優はぼんやりと記憶をたどりながら、つぶやくように続ける。

「あと、夢? 非常階段を上る夢も見たかも……ぼやぼやで覚えてないんだけど……」

 透真が拳を握り、灯里が唇を噛んだ。蜘手は苦虫を噛み潰したような顔で頭を掻いた。まだ冗談を言う余裕がある美優だったが、彼女が既に『感染』している可能性を誰も否定できなかった。



2-4.錯視


 その日の深夜、透真は自分が座る特対室のデスクで物思いにふけっていた。時折、非常階段を登る記憶がフラッシュバックし、その度に視界が歪み、自身の生の輪郭が曖昧となる。薄暗い室内にぼんやりと灯るモニターを見つめているうちに、ふと、書類が床に落ちたような物音を感じた。小さな、紙が擦れるような微かな音。透真ははっとして床へと目を移した。しかし、書類は落ちておらず、視線を上げると室長の式神である小さなカエルが、書類の端にちょこんと座っていた。

「……?」

 カエルは何食わぬ顔で透真を見下ろし、小さく鳴いた。

「ケロケロ」

 透真はその現象に困惑し、ゆっくりと額を押さえた。確かに今、紙が動く音を聞いたはずだった。しかし、現実は何も変わっていない。ただの錯覚──その瞬間、透真の背筋に冷たいものが走った。

 ──いや、錯覚ではない。

 自分の感覚そのものが、脳によって改変されているのだ。実際に起きていない現象を、まるで現実であるかのように知覚してしまう。これはあの動画が被害者にもたらす認識のズレと酷似している。動画には特別な映像や音声があるわけではない。ただ、視聴者の脳が勝手に映像や音声を作り出し、それを実体験として記憶しているだけなのではないか。だとすれば、問題は動画自体ではなく、それを見る側の認識の内にある。透真は深い沈黙の中で、机に両肘をつき頭を抱えた。閉じた瞼の裏にはまたあの非常階段が浮かび上がり、自分がそこを淡々と上っている映像が鮮明に蘇ってしまう。それはもう既に、自分自身の記憶として根を下ろしているかのようだった。この感覚こそが、怪異の本質──認識そのものを乗っ取るという、巧妙で悪辣な侵略の証だった。

「認識の改変か……」

 透真はつぶやくとカエルがもう一度、小さく鳴いた。まるで、その仮説を肯定するかのように。特対室の静かな夜は、不気味な余韻だけを残して深まっていった。



2-5. 侵蝕


「つまり、視聴者の脳が勝手に映像を作り出し、それを実際に経験した記憶として認識しているということね」

 蛍光灯の青白い光が落ちる特対室の一角で、灯里は透真の向かい側に座り、穏やかな視線で彼の様子を観察していた。透真は額を押さえたまま目を閉じている。静かな空調の音だけが、無機質に室内を満たしている。先ほどから透真は、自分の内面を慎重に言葉にしようとしていた。カウンセリングとは、自分自身の内側を覗きこむ作業だ。だが、今回はその深層心理に入り込んだ何かが、自らを見返しているような奇妙な感覚を覚えていた。

「ええ……俺の記憶に、あるはずのない映像が焼き付いています」

 透真は静かな声で告げた。閉じた瞼の裏に、またあの非常階段の映像が浮かび上がる。落下する直前の浮遊感さえ、自分の身体が覚えてしまっている。動画の呪いなどという曖昧なものではなく──自己の認識そのものが書き換えられるという、内側からの侵蝕。

「その記憶に関する映像は、あの動画には一切ありません。……にも関わらず、俺はそれを確かな記憶として持っている」

 灯里は静かに頷きながら、透真の言葉をメモに残していく。その淡々とした所作に、透真はわずかな安堵を覚えた。自分の狂気を第三者的に記録してくれる存在がいるというのは、どこか心強いものだ。

「透真くん、今すぐにでも催眠療法を試してみるべきだわ。記憶が深く定着する前に」

 灯里の瞳には微かな憂慮が浮かんでいる。しかし、透真はその申し出を静かに首を振って拒否した。

「いや……今はまだいいです。症状の進行記録を取っておきたい。催眠療法が本当に効果的かどうかも、より進行した状態で試したい」

 灯里は少し表情を曇らせたが、それ以上は何も言わなかった。彼の決意を覆すことが困難だということを理解していたからだ。透真の冷静で理知的な性格は、こうした場面で時に残酷なまでに自己分析を優先する。それは彼自身が、この呪いの謎に迫るためには仕方ないことだと納得しているからだった。


 一方で、蜘手は外で全く別のストレスを抱えていた。YouViewへの動画削除申請のために、警察内部と地裁を行ったり来たりの無意味な『スタンプラリー』を続けていた。

「まぁ当然といっちゃ当然だが、自殺教唆の可能性程度では緊急遮断は難しい、だとよ」

 蜘手は疲れ切った声で吐き捨てると、背中を壁に寄せ、深く息をついた。目の前には、サイバー犯罪対策課の事務室の無機質な蛍光灯が、まるで彼の苛立ちを嘲笑うようにチラチラと瞬く。もちろん怪異の実在など公にはできない為、「呪い」の一言も口にできないまま手続きを踏まなければならない──例え、言ったとしても狂人扱いされるだけだろうが。地裁への仮処分申請の書類は「不備がある」と突き返され、検察との調整は「もう少し証拠を」と悠長な返事。動画はまだネット上に残り、再生回数を増やし続ける。

「正式な削除命令が下りるまでに、何人飛び降りるか賭けるか?」

 普段の軽口とは違う、蜘手の苦々しい皮肉。隣に立っていた美優が、小さく呟いた。

「動画の(のろ)いより行政の(のろ)いじゃん……」

 彼女の皮肉は、小さなため息とともに虚空に消えた。



2-6. 改変


 その後も透真は淡々と、自らの身体と脳を被験体として動画の影響を記録し続けていた。脳波測定器を装着し、『無題』の映像を繰り返し視聴する。表情は冷静さを保っていたが、彼の内面では確実に何かが歪み始めていた。


 灯里は頻繁に透真のカウンセリングを行い、少しでも彼の精神を支えようと努めていた。だが、透真自身が感じているのは、カウンセリングを重ねてもなお自分の内側で徐々に膨れ上がる、不快で制御不能な違和感だった。

「動画そのものに強力なエネルギーや霊的な干渉はない」

 透真は独り言のように呟き、自分の中の混乱を整理しようと試みた。

「しかし、動画内のわずかな視覚的・心理的な仕掛けが、視聴者の脳内に不安や違和感を蓄積させる。それが認識の防壁を削り取り、結果として微弱な怪異エネルギーが容易に入り込める隙間を作り出す……ドライアイ、過度な集中などの要因──瞬きをしない全編連続視聴、それが防壁が隙を晒す閾値か」

 彼の声は特対室の中で静かに消えていく。だがその分析自体が、透真の内面を苛立たせていく。自身が導き出した結論は、もはや怪異の術中に完全に陥っていることの証明でもあったからだ。

「従来の超自然的な怪異とは全くアプローチの異なる──人間の認知を科学的、心理学的に巧妙に操作し、そこに微細な怪異的エネルギーを絡ませることで引き起こされる認識改変型怪異。これが今回の呪いの本質だ」


 透真は目を閉じると、再び脳裏に焼き付いた非常階段の記憶が再生された。あまりにも鮮明なそれは、自分が本当にその場に存在し、飛び降りを行ったかのように彼の認識を歪めてしまう。灯里の催眠療法を受けることは、もしかするとこの異常な認識の修正に役立つかもしれない。しかし、透真はあえてそれを延期していた。彼自身が最大の被験者であり続けることが、より完全な解決法を見出すための唯一の方法だと考えていたからだ。静寂の中で、透真は改めてモニターを見つめた。画面には淡々と再生される動画が映し出されている。自分自身の精神を削りながら怪異の核心に迫るその姿は、第三者の目には自虐的に映るかもしれない。しかし、それが彼の性分であった。


 認識の改変は少しずつ彼の内部を侵食し、自己の存在への疑念を深めている。怪異が生み出した錯覚が徐々に自己の認識を蝕み、自分が生きているという確かな感覚すら奪われていく。それでも彼は、意志を振り絞りながら分析を続けた。いつ自分が完全に怪異に飲み込まれるかわからないという懸念を、冷静さの奥底に押し込めて。特対室に響くのは、空調の単調な唸りと、彼の規則的な呼吸音だけだった。深淵を覗き込んだままの彼が、自らの認識を守り切れるのか、それとも怪異の底なしの闇に呑み込まれてしまうのか──それを知る者は、誰もいなかった。



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