CASE:014-3 コチノワ
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −
3-1. 解析
特対室。ノートPCの冷たいブルーライトが美優の頬を照らしていた。彼女は指先でタッチパッドを操作し、癒雨から流れてきたデータの山を丹念に精査している。美優は未だに癒雨のことが──いや、怪異を利用するということに納得がいっていないが、社外秘であろうキャンペーンデータをあっさりと入手してきた癒雨の手腕は認めざるを得なかった。
ARドーナツ出現キャンペーン。オイスタードーナツ、通称オイドの広報部が冬以降に始める予定の大型企画。
内容はARアプリを起動し、街中の特定の形状にスマートフォンのカメラをかざすと画面内にドーナツのオブジェクトが出現、ツブヤイタッターのアカウントと連携しその写真を投稿すればスタンプがもらえる。集めた数に応じてクーポンなどが貰えるようだ。
今回のキャンペーンで導入された画像認識AIは、ドーナツがぴたりとハマるような棒状のオブジェクトを自動で検出する仕様だった。テストデータには、公園の鉄棒をはじめ、ジャングルジムや自転車のフレーム、ガードレール、道路標識の支柱までが含まれていた。アプリが棒状構造を認識した瞬間、その中心に仮想ドーナツが現れる。
「……偶然、じゃないよね」
美優は画面を指で拡大し、AI学習用の公園写真に見入る。見慣れた神社公園の鉄棒。目撃情報の多くが、このARテスト対象に完全に一致している。
都市の片隅で、誰かが画像認識AIという新しい『目』で、街を片端から観察していた。デジタルと現実、その境界に、怪異が滑り込む余地が生まれていたのだ。
「都市の怪異が、こうやって新しい形を得る……」
美優の独白は、誰にも届かない。特対室のモニター画面には、ARアプリのUI設計図と、現場の写真が並ぶ。偶然、テスト、認識、出現──無数の要素が、デジタルと都市の隙間を浮かび上がらせていた。
3-2. 図形
隣では蜘手は手元に分厚い資料を広げていた。金属加工メーカー、富嶽金属工業から入手した設計図と製造時に押される刻印の一覧。鉄棒ドーナツの出現した鉄棒の製造ラインではごく小さく、複雑な意匠が使用されていた。蜘手はその図形に見覚えがあった。
「これ……九字護身陣だよなぁ」
図案は、交差する九本の直線と小さな円が組み合わさり、護符や結界の陣の意匠を思わせる。もともと職人の安全祈願、使用する子どもたちの事故防止の願いを込めて始まったお守りだったらしいが、図形自体は陰陽道の結界術とも親和性が高い。
特対室のホワイトボード前、灯里が柔らかな口調で補足した。
「陰陽道は神や仏を陰と陽のバランスで捉える思想。神社の境内は、もともと陽に偏りがちな神域だわ。そこに陰陽道の結界の陣が不用意に入ると、土地の気が乱れることがあるのかもしれないわね」
少しの間を置き、続ける。
「それに現世と神域の境界──ケガレとケガレナサが交わる場所。神社の境内に結界の図形が意図せず設置された場合、そこは異界の端として新しい意味を持つこともあるのかも」
蜘手はファイルをぱらぱらめくり、鉄棒の刻印写真を掲げる。
「これがその入口ってことかね。陰陽道なら室長がプロだが……この程度のことじゃ興味も持たないだろうねぇ」
話を聞いていた美優が静かにため息を吐くと、灯里は淡く微笑んだ。
「怪異は、いつだって見られることから始まるのよ。昔の信仰も、現代の画像認識も、本質は同じ……」
誰かが都市に目を凝らし、輪郭を与えたとき──そこに新しい何かが生まれる。
オフィスの蛍光灯が、薄く唸りを上げた。
3-3. 合成
透真は現場周辺の詳細な民俗調査を進めていた。現場となった神社周辺──いずれも戦前からの住宅街が多く、高齢化が進んでいる。透真が住民へのヒアリングを重ねると、茅の輪くぐりを行ったことがあるという声が驚くほど多く寄せられた。
「うちの孫は興味もないけどね、私は小さい頃から毎年神社で茅の輪をくぐったもんさ」
「夏越しの祓、昔はもっと大勢でやったものよ」
年配の女性たちは、まるで昨日のことのように行事の思い出を語った。調査内容を受けて、美優はふと膝を叩いた。
「つまり、茅の輪のイメージ自体が、この土地にはまだしっかり残ってたってことですか?」
透真が静かに補足する。
「物理的な祭祀は形骸化してても記憶や願いは消えてない。そこにAR、神域、鉄棒、刻印……偶然が積み重なった結果、怪異の核になった」
美優は机の端に手を置き、ぼんやりと鉄棒の写真を見つめながら透真の話を聞き続ける。
「見られた時点で存在が確定して、そこに意識が集まった。しかも、AIの視線──機械的な観測も加勢したことで、土地の気が活性化した」
「なるほどなぁ……偶然の連鎖がここまでくると、もう怪異じゃなくて現象の合成ですね」
特対室のホワイトボードには、『茅の輪』『鉄棒=鳥居』『AR』『刻印』といった単語が赤字で並ぶ。偶然、都市の底で静かに組み上がってしまった。伝統も、祈りも、テクノロジーも、区別なく一つの現象を生み出す。
雷蔵が呟く。
「誰が仕掛けたわけでもねぇのに、勝手に組み上がっちまうってのが、いちばんタチ悪いな」
灯里は目を伏せ、「信仰は消えても、残響は都市に染み付いているのよ」と、低く呟いた。
3-4. 拡大
その数日後──事態は静かに、だが確実に進行していった。神社公園で鉄棒ドーナツが出現した直後、季節外れの風邪が流行り始めたのだ。最初は子どもたちが「何かだるい」と言い出し、次第に高齢者や主婦、会社員たちにも広がっていった。
ツブヤイタッターでは鉄棒ドーナツが出現したエリアと思われる投稿者の『家電が一気に三つ火花吹いて壊れた』『自転車のブレーキが突然効かなくなって転んだ』といった投稿が、断片的に流れ始める。
美優は、地図の上に小さな赤いピンを増やしていった。
「小さな不運が、明らかにスケールアップしてる……」
透真もモニターの前で顔を曇らせた。
「単純な厄の放出だけじゃない。現象そのものが都市のノイズに乗って増幅し始めているのかもしれない。怪異が現実の流れそのものを巻き込んでしまってる」
電気ポットのヒューズが一斉に飛ぶ。商店の自動ドアが突然開かなくなって人がぶつかる。体調不良で救急搬送される人が増える──。
「あまり放っておくと不味いな」
蜘手の声が低く響く。
「このまま放置すれば、都市そのものレベルで怪異の影響を受ける範囲が広がり続ける。どこかで歯止めをかけなきゃいけない」
3-5. 再現
特対室は、しんとした沈黙に包まれていた。机の上には、現場から回収した写真、民俗調査のレポート、SNSのプリントアウト、そして美優が描いた赤いピンの地図。全員が、それぞれの資料に視線を落としたまま、しばし口を閉ざしている。沈黙を破ったのは、美優だった。
「──やっぱり、正体は都市の中に偶発的に生まれた茅の輪の精。いつまでも鉄棒ドーナツって呼ぶのもなんですし、もう名前を付けちゃいましょう。ドーナツ型の小さい茅の輪だからコチノワで」
透真がうなずく。
「コチノワ自体は恐らく本来は、厄を吸い清める善性のものでしょう。しかし問題はくぐれない形で顕現してしまった」
蜘手が手のひらで頬杖をつきながら続ける。
「それで本来の役割を果たせず、『祭祀の失敗』の代償として都市に厄が漏れっぱなし。いや、ひょっとしたら逆に鉄棒経由で土地の厄を吸ってしまって放出してるのかもな」
しばらく、全員が黙り込む。灯里がゆっくりと顔を上げた。その声は、深い井戸の底から響くように静かだった。
「本来の祭祀は、輪をくぐることで成立するわ。でも、鉄棒から外したとしても、ドーナツをくぐるなんて不可能。なら、模倣でも意味が通じるのではないかしら」
美優が不思議そうに言う。
「模倣って……どういうことですか?」
灯里は微笑を浮かべた。
「古来、神事は必ずしも本当の物である必要はなかった。紙の形代や、人形、言葉の置き換え──そうやって意味が移されてきたの。むしろ、形骸化した現代のただ繰り返されるだけの祭祀より、意識的な模倣儀礼の方が、力を持つ場合もあるわ」
透真が静かに付け加える。
「都市の中で偶発的に生まれた儀式を、本来の意味に引き戻す……試してみる価値はありそうですね」
蜘手が立ち上がり、ホワイトボードに『儀式再現』『くぐれる状態』と書き加える。
「駄目元でも、やってみるしかねえな。鉄棒からコチノワを外して、くぐれる輪として再配置──人形だろうがなんだろうが、本気でくぐらせることで、本来の機能を取り戻させる」
3-6. 準備
日暮れ前、小さな建設会社の一室。粗雑なカウンターと古びたソファが並ぶ応接スペースに、蜘手は足を組んで座っていた。向かいの男は、四十半ば。腕組みしながら渋い顔をしている。作業服の胸ポケットには『カナエ建設』の刺繍。
「……で? お前さんのところは、軽い社会貢献ひとつで善意の企業として名が売れる。俺は都合がいい。Win−Winだろ?」
蜘手は涼しい顔で言い放つ。男は苦笑しながら、頭を掻く。
「まあ、いいですけどね……クモさん、また妙なこと企んでるんでしょ?」
「それは企業秘密だ。ただ、悪いことじゃねぇよ。こっちの都合で動くけど、ついでに点検もしっかりやっとく。礼には及ばないぜ、ボランティアだからな」
作業は慎重かつ迅速に進められた。まず、神社境内公園の管理者に「近年の遊具事故増加を受け、地域貢献として無償の安全点検を行う」という情報を流す。怪しまれないよう、地元企業カナエ建設の名義で点検期間を設定し、地域掲示板にも告知を出した。この手の下ごしらえは、蜘手の独壇場だった。
該当する鉄棒を監視するため定点観測カメラを設置し、コチノワ出現が確認されると特待室の面々は現場に急行した。
早朝の清らかな光が薄く射し込む。静寂のなか美優と灯里は和紙を丁寧に折り、人の形にした形代を用意する。どこか懐かしい手触りをしたそれは、朝露を含んだ空気をまといしっとりと重みを増していく。
雷蔵と透真が鉄棒の端に張り付くように嵌っていたコチノワを、慎重に外す。触れた瞬間、微かな振動と、甘い匂い──都市の底から湧き上がる澱んだ気配が、指先にじわりと伝わる。
美優はそっと呟く。
「……ほんとに、こんなおままごとみたいなことでいいのかな」
灯里は形代を掲げ、真剣な面持ちで言う。
「形代による代替儀式は、普遍的に行われてきたものよ。大事なのは真摯な願い、なのよ」
透真も輪の中心を覗き込みながら頷く。
「現象に意味を戻してやること──それが、一番大切なんだと思う」
鉄棒が再び組み立てられ、擬似的な鳥居の象徴としての意味をもたせる。その下に和紙のコチノワ、形代、白砂を慎ましく並べた。まるで、この場にだけ許された新しい祭壇のようだった。
「よし──やろうか」
誰からともなく、そう声が漏れる。都市の底に生まれた異物に、再び意味を与える祭祀が始まる。
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