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CASE:013-2 オゲンキデスカ

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −

2-1. 波紋


 数日が経過し、街に広がる不穏なざわめきは、やがて静かに深く人々の日常を侵しはじめていた。SNSのタイムラインには、真夜中の不安定なテンションで綴られた投稿が溢れかえっている。

『また聞こえた……道路から、ゴォって音』『これ気のせいじゃないよね? 寝れない』『動画に撮ったけど、音入らない。何これ、マジ怖い』

 投稿された動画へのリンクを美優も確認した。画面の向こうに映るのは、薄暗い住宅街の路地。何の変哲もない夜の景色が映し出されているだけで、イヤホンをつけて音量を最大にしても、聞こえるのは撮影者の震える息遣いと微かな環境音だけだった。

 だが投稿者たちは共通して、不調を訴えていた。眩暈、吐き気、理由のないイライラ。誰もが奇妙な耳鳴りに悩まされ、情緒不安定になっているという。

 国交省は公式に「原因は何らかの低周波騒音と推測される」と発表したが、明確な原因究明には至らず、調査は継続されたままだった。東京という巨大な街が原因不明の異常現象に振り回され始めているのに、行政の発表はひどく曖昧で頼りなく感じられた。


 美優は苛立ちを隠せなかった。怪異ならば対処法がある。だが、もしこれが物理現象ならどうすればいいのか。特対室である自分たちに何ができるのか。彼女の心には漠然とした怒りと焦燥が渦巻いていた。「怪異だ」と断定し、破壊衝動に近い衝動を燃やす美優を見て、蜘手は面白そうに鼻を鳴らした。

「おいおい、轟みたいになってきたな」

 その軽口に、美優はむっと唇を尖らせるだけだった。冗談に付き合っている余裕はなかった。

 一方、透真はあくまで冷静に分析を続けている。彼の頭脳は常に、非合理な結論を拒絶し、可能な限り科学的な裏付けを求めていた。だが、その目に映るデータは彼の予測を裏切るばかりであった。

 地中音響と低周波探査の結果には、奇妙な規則性が現れていた。Δfおよそ30Hz──この周波数帯域は、地盤や地下構造が自然に発するものとしては明らかに異質だった。干渉パターンはまるで誰かが意図的に送り出しているかのように、明確な意思を持っているようにさえ見えた。


 調査区画の街は、目に見えない脅威に怯え、不安定な緊張感に満ちていた。カラスたちは狂ったように電線の上で鳴き騒ぎ、猫は路地裏に姿を隠したまま、決してその区画に近寄ろうとはしなかった。一部の住民たちはストレスに蝕まれた表情で町内を彷徨っている。

 透真は、再び画面に映る波形をじっと見つめていた。画面には、微細な律動が一定のリズムを繰り返しながら波打っている。その規則性は、物理的現象の無機質さを超えて、奇妙に生物的な何かを連想させた。

「これって……まるで、生きているような」

 灯里の声は静かで、部屋の空気を切り裂くように響いた。その言葉を聞いた特対室の面々は、一斉に言葉を失った。

「生物が、自分の存在を示しているような気がするわ」


 その呟きは、これまで彼らが漠然と感じていた不安をはっきりと形にしてしまった。美優は心の奥底が冷えていくような感覚を覚え、思わず自分の腕を抱きしめた。

 窓の外には真冬の灰色の空が広がっている。その下で街がじわじわと不穏な波に呑まれ、目に見えぬ何かが密かに共鳴を続けている──誰に向けてか、何のためにかもわからぬままに。



2-2. 胎動


 透真は、自らが持ち帰った舗装材砕石群のサンプルを慎重に手に取り、それをまるで生物を扱うような慎重さで分析装置にセットした。冷たく硬い石片は、蛍光灯の下で無機質な灰色に沈黙している。だが彼は、この小さな破片に潜んだ謎の存在を直感的に感じ取っていた。

 室内は、透真が操作する分析機器の微かな駆動音と、時折発される電子音以外、完全な静寂に包まれていた。モニターの画面上に表示されるデータは、次々と淡々と流れていく。赤外線スペクトル、熱伝導率、比重、圧縮強度──そのどれもが、通常の砕石と寸分違わぬ数値を示していた。何度繰り返しても、異常値は見つからない。


 透真の眉間に薄く皺が刻まれる。何かがおかしい。あの低周波音の源が、ただの通常の石であるはずがないのだ。

 ふと、モニターの端に微かなノイズが現れた。透真は視線を固定した。ノイズは極めて弱く、それはまるで機械の誤差かと見間違えるほど微弱な波形だったが、彼は目を離せなかった。慎重に周波数を解析すると、それはXバンド領域──衛星通信等に使用される極めて高周波数帯の電磁波だった。自然界の石片が発するような波形ではない。透真の胸の奥に奇妙な興奮と不安が入り混じった。

 傍らでその様子をじっと見つめていた灯里が、静かな声で呟いた。

「この石……眠ってるみたい」

 その言葉は不気味なほど的確に、透真の中に浮かんでいた疑念を言い当てていた。無機物であるはずの石が、まるで生命体のように眠っている──そんな感覚が、彼自身の頭の片隅にも確かに存在していたのだ。

「これは……なんらかの情報か?」

 透真の呟きはほとんど自問だった。だが、もし本当にこれが何らかの情報を伝えるための微弱な信号だとすれば、一体誰が、何の目的でこれを送り続けているというのだろう?


 数時間後、蜘手が持ってきた調査資料が、その疑問をさらに深めることになった。砕石は、関東沿岸の古びた採石場から採掘されたものだった。採掘された地層の年代は、白亜紀後期──つまり6600万年前だという。気が遠くなるような時間の中で眠り続けていた石が、今になって異変を起こしている。その意味を、透真は掴みきれずにいた。

「白亜紀後期って、恐竜とかが絶滅した時の……?」

 美優が呟くそばでその資料を見つめていた灯里が、ぼんやりとした視線のまま、言葉を紡ぐ。

「なら……その頃から、待っていたのかもしれない」

 その呟きは部屋の静寂を一層深めるように響いた。美優がたまらず、眉をひそめながら声を震わせる。

「やめてくださいよ、怖いこと言うの……」

 灯里の言葉が恐ろしいのは、それが単なる直感や推測ではなく、彼女が半ば確信めいた口調でそれを口にしたからだ。6600万年前──人間の存在すら影も形もない世界で、何かが静かに眠りにつき、果てしない年月を待ち続けていたとすれば。それは人間の常識を遥かに超えた存在だろう。その想像は、美優の胸に冷たい不安を深く刻み込んだ。

 透真はただ黙って、机上に置かれた小さな砕石片を見つめた。何の変哲もないその灰色の破片が、彼らの理解を超えた何かの断片であるという事実は、じわじわと肌を粟立たせるような不安を与え続けていた。



2-3. 脈動


 灰色の冬空の下、街は徐々に不穏な熱気を帯び始めていた。テレビやネットニュースの見出しには、小惑星『2012 DA14』の接近を告げるセンセーショナルな言葉が踊り、繰り返し映される軌道予測映像が人々の不安を微かに煽り立てている。まるで不吉な予言が現実化していくかのように、街全体にどこか浮ついた落ち着きのなさが広がっていた。

 SNS上ではさらにその傾向が顕著になった。まるで終末を祝うかのように、ふざけ半分の無数の投稿がタイムラインを埋め尽くしている。

『みんな、さよなら』『小惑星、マジ会社に落ちて潰してくれ』

 それらの言葉は冗談混じりでありながらも、その奥には深い倦怠と冷笑的な諦めが滲んでいるようだった。画面越しに流れる不穏な呟きを、美優は暗い表情でじっと眺めていた。胸の奥にわだかまる奇妙な焦燥感が、次第に大きく膨れ上がっていく。

 ──やっぱり、あの石の音と関係があるのだろうか。


 特対室のオフィスでは、透真が鋭く目を細めて砕石片の解析に没頭していた。彼の『透視』を通じて視認できる微細な構造──砕石内部に眠る衝撃石英やスフェルールの結晶構造──は、通常の岩石にありえないほど精緻なケイ素の配列を示していた。その構造は規則的で美しく、まるで人工的に設計された回路のような整然ささえ感じさせる。

 透真がじっと視線を注ぐ中、その微細な結晶の奥深くから、微かに──あまりにも微かに──0.01mHz単位のノイズが漏れ始めた。それはほとんど無に等しい、掠れるような震えだったが、透真にははっきりと知覚できた。モニターに描き出される波形が、一瞬だけ、まるで生命体の心電図のように揺らいだ。透真の脳裏に電流が走り抜ける。それは、人間で言えば「期待」に近い感情を宿したパターンの色を微かに纏っていたのだ。


「石に感情だと?」

 画面を覗き込んだ雷蔵の声が、静かな緊張感に満ちた室内に響く。彼は砕石片を無造作に掴むと、微かな笑みと好奇心を顔に浮かべた。

「なら、こうしてみたらどうなる?」

「ちょっと、待──」

 透真の制止の声を無視して、雷蔵は『雷獄』で躊躇なく高電圧ショックを砕石片に放った。瞬間、閃光とともに火花が散る。だがそれ以上に奇妙だったのは、その瞬間に透真が感じ取った「何か」の死の感触だった。空気が一瞬だけ痙攣し、砕石片から放たれていた微弱な波動が唐突に沈黙する。

「……反応が消えました」

 透真の声は低く、動揺を抑え込もうと必死だった。彼の胸の中では、分析者としての理性が静かにぐらつき始めているのが分かった。彼はこの瞬間、砕石が「生きている」と直感的に理解してしまったのだ。

「こいつが何であれ、『雷獄』で対処可能、ってわけだな」

 雷蔵はそう告げると、小さく息を吐いた。

「昼間は人目がある。動くなら深夜しかないだろう。すぐに異常区域の対処に入るぞ」

「しかし──」

 透真は戸惑いを隠さず、慎重に言葉を選んだ。

「……対処しない、という選択肢はないですね。未知の存在ですから。くれぐれも慎重に」

「じゃあ、私も」

 美優が勢い込んで口を挟むが、雷蔵は即座に否定した。

「お前がやったら、砕石層ごと消えるだろ。道路そのものが使えなくなる。怪異よりもそっちの方が大問題だ」

 その夜から、雷蔵は深夜の道路で対処作業を開始したが、状況は好転どころかむしろ悪化の一途を辿った。小惑星DA14が近づくにつれて、道路全体がまるで共鳴するように低周波音を増幅させ始めたのだ。


 数日後の深夜、雷蔵の気だるげな声が通信機越しに特対室へ届いた。

「駄目だな、こりゃ。キリがねぇ。叩いた箇所は沈黙するが、離れた場所で音が増幅してやがる。アスファルトに雷が通りにくいんだよ。出力を上げれば通るが、あまり連続では出来ねぇ。それに分散して弱まった雷が逆に離れたところのを活性化させてるようにさえ感じる」

 焦燥と不安が透真たちを押し包んだ。特対室の室内は沈黙が重く圧し掛かり、ただ外から響く不気味な低周波音にじっと耳を澄ませるしかなかった。

 透真は再び砕石片を凝視した。その結晶構造の内部には、まるで生物の神経網を模したかのように微弱な電流が奔っている。透真の心臓が高鳴った。

「やっぱり……これは生物……」

 灯里が小さく呟く。彼女の瞳には何かを強く確信したような感情が浮かんでいた。


 ──これは呼んでいる。

 ──そして、何かが応えようとしている。

 窓の外の空は、まるで宇宙から降り注ぐ闇そのもののように、どこまでも深く黒ずんでいた。



2-4. 炎空


 ある一報が真夜中の空の向こう側から、思いも寄らぬ形で割り込んできた。

 学校の昼休み、美優は溜息交じりにスマホの画面を覗き込み、指を滑らせていた。意味もなくSNSを眺め、低周波騒音の話題を探していたはずだった。だが、その指が、ある投稿の列にぶつかった瞬間、ぴたりと止まった。

 『ロシアで隕石爆発!』

 『チェリャビンスク、空に火球』

 『衝撃波で建物被害、負傷者多数』

 視界が歪んだような錯覚を覚え、美優は小さく息を呑む。心臓が跳ね、喉元に奇妙な硬直感が走った。指先は冷たくなり、手元のスマートフォンを強く握りしめる。──まさか。その言葉が、喉の奥で震えた。


 ニュースサイトに飛び、ざっと記事をなぞる。ロシア上空に落下した隕石が爆発し、衝撃波で窓ガラスが割れ、怪我人が続出したと書かれている。スマートフォン越しの動画では、真冬の空を横切る白い火球が一瞬の昼のように世界を照らし、その後、遠くから遅れて爆音が響き渡ってくる。建物の天井が揺れ、人々が叫び、割れたガラスの雨が降り注ぐ。美優の耳の奥で、突き刺すような耳鳴りが一段と強くなる。

 胸の奥で渦を巻くのは恐怖か、それとも理解の及ばない興奮か。彼女の心は今、確実に何かが臨界を超えようとしていた。

 ──砕石の異常、道路の低周波、地下の鼓動。

 ──そして、ロシアでの隕石爆発。

「……全部、繋がってるんじゃ……ないの……?」

 かすれた声が自分の口から漏れるのを、彼女はぼんやりと聞いた。彼女の脳裏には、都市そのものが呼吸するような感覚があった。夜空を裂いて落ちる光の矢、冷たい地中を脈打つ名もなき共鳴、そして、近づきつつある未知の存在。


 世界は今、崩れ落ちる寸前なのかもしれない。そう思った途端、全身の皮膚が泡立つような感覚に襲われた。指先が震え、視界の端がちらちらと白く瞬き、足元がわずかにぐらりと揺らいだような気がする。

「やば……くない……?」

 美優は立ち上がろうとしたが、身体がうまく言うことを聞かない。心臓の鼓動だけが早鐘のように打ち続け、思考をかき乱す。

 放課後訪れた特対室の奥では、透真が淡々と解析を続け、蜘手は通信端末に低い声で指示を飛ばし、灯里は窓際で、何かを感じ取るように目を閉じている。

 ──みんな、普通すぎる。

 ──どうして、どうして私だけ、こんなに怖いんだ。

 美優はぐっと奥歯を噛み締めた。言葉にできない焦燥と孤独感が、冷たい手のように心を締め付けてくる。スマートフォンの画面はまだ光を放ち、世界のどこかの破壊の記録を流し続けている。だがこの小さな部屋の中では、その現実はあまりにも遠かった。


 外では、冬の空が静かに冷えきっていた。街は沈黙し、ただ時折、微かな低周波が鼓膜をかすめる。美優はそっと、指先を胸に押し当てた。

 何が起こっているのかは、まだわからない。だが、わからないからこそ、怖い。その感覚だけが、彼女の中でいやに強い輪郭を持っていた。



Xの作品アカウントでは告知の他、怪異の正体のヒントや140字怪異録等も発信しています。ご気軽にフォロー、交流をどうぞ。

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