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CASE:009-6 姦姦蛇螺

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -

6-1. 箱庭


 薄闇に溶けるようにして、封印空間は完全に元の姿を取り戻していた。白い霊光が徐々に弱まり、薄暗い静寂が広がる中、残った特対室の面々は静かな足取りで場を去る準備を進めていた。だが、彼らの表情には安堵よりも、まだどこかに危うさを孕んだ緊張が色濃く残っていた。


 依代と化した刀堂の左腕は、灯里の手によって慎重に保護されていた。その腕は既に人の肉体ではなく、禍神の穢れを完全に封じ込めた、純白の輝きを纏った神秘的な物体へと変貌している。灯里の瞳は複雑な感情を映しながらも、依代を決して手放すまいとしっかりと抱きしめていた。異界への投棄を提案した雷蔵だったが、その案はすぐに護法童子の冷ややかな一言によって否定された。

「別の存在の供物になる危険があるぞ。軽々しく手放すでない」

 護法童子はいつもの嘲るような口調とは違い、厳粛で警戒を滲ませた声でそう告げた。その態度は、禍神がもたらす災厄が未だ完全に終わったわけではないことを如実に示していた。最終的に、依代は特対室の室長の管理下に置かれることになった。誰もがその結論を予期していたかのように、その決定には異議を唱える者は現れなかった。ただ、雷蔵に支えられかろうじて立つ蜘手だけが小さくため息をつきながら、用意した桐の木箱の蓋をゆっくりと閉じると、苦笑いとも呆れともつかぬ複雑な表情を浮かべていた。


「室長にゃ最高の玩具ができたな」

 彼の呟きには軽口らしい皮肉が込められていたが、その裏側には拭いきれない警戒心が垣間見えた。特対室の室長とは、本質的には異界や怪異すら研究対象とする冷徹な蒐集家であり、この依代もその蒐集物に加えられるのだろう。その事が蜘手の心中に不安を抱かせていた。

 彼が収めた木箱の中では、封じられた穢れが静かに鼓動しているかのように、微かな霊的な揺らぎを放っていた。特待室が出にした奇妙で危険な「箱庭」。その脈動は、まるで生き物のように穏やかでありながらも、どこか不気味な気配を纏っていた。



6-2. 黒染


 数日が過ぎ去った特対室のオフィスは、精神を酷使し未だ疲労のとれない蜘手が椅子の背に寄りかかりぐったりとし、肉体を酷使しすぎた雷蔵が入院している以外は何事もなかったかのように日常の雑務に追われていた。窓のない白壁の空間を蛍光灯の冷たい光が満たし、パソコンのキーボードを叩く音だけが静かな規則性を刻んでいる。まるであの禍々しい事件が夢であったかのように、平穏さが部屋を支配していた。


 だが、その穏やかな時間は唐突に破られた。

「主からの届け物だ」

 書類を巻き上げる一陣のつむじ風と共に、どこからともなく現れた鎌鼬の式神がひらりと静かにデスクの上に舞い降りた。鎌鼬が置いた木箱を開けると、室長のものだと一目で分かる独特な雰囲気を纏った小さな折り紙細工の人形たちが入っていた。赤と白を基調としており、どことなく巫女を想起させる。その愛らしい姿には、不可解なほど凛とした気品が漂っていた。

 式神が残した説明書きには、ただ短く一文が記されていた。

『呪詛の身代わり』

 蜘手が首を傾げつつも手に取ると、隣で美優もまた、その愛らしい人形を好奇心に駆られて胸元に付けた。だが──次の瞬間、それらは鮮烈な変貌を遂げる。純白だった紙人形はじわりと滲むように黒く染まり、禍々しい染みが全身を包んでいく。美優は思わず息を呑み、悲しげな瞳で黒く染まった人形を見つめた。


「可愛い感じだったのに……」

 それは穢れそのものが特対室の全員を蝕もうとしていた証だった。禍神が封じられたとはいえ、その怨嗟の呪詛は依然として彼らの魂を密かに追い詰めていたのである。蜘手は黒く汚れた人形を指先でつまみ上げると、苦笑を浮かべながら深々と溜息を吐き出した。

「そういや封印に関わった連中が、って話も聞いてたな。これが早死にする原因かよ……」

 自分たちがこれほどまでに強い呪詛に侵されていた事実を知り、内心に広がる倦怠感は想像以上だった。だが特対室の面々は、そんな絶望的な現実にさえ動揺することはなく、ただ淡々と受け入れている。彼らにとって、この呪詛すらも仕事の一部に過ぎないのだ。蜘手は軽く肩を竦めて呟いた。

「最後に聞こえたあれかね。全く、ご丁寧な土産持たせてくれたもんだな」

 その言葉は虚無的でさえあったが、誰も否定はしなかった。ただ無言のまま、黒染まった巫女の人形を見つめるばかりだった。

「灯里くん、美優くん。轟のところにも届けといてやってくれ」


 後日、蜘手は斬鬼隊にも室長が用意した紙人形を届けに向かった。斬鬼隊のキャンプは、あの夜の惨劇が幻だったかのように静かだった。既に重傷を負った隊員は後方に送られていたが、刀堂は未だ残って指示を出していた。封印の場の穢れは取り除かれていたが、周囲には未だ穢れが残っている場があり、後方からの人員がその除染と、住民への『対処』を行っているという。『対処』と聞き、蜘手は苦笑いを浮かべた。それは恐らく自分たちが必要に応じて行うことと同じく、『まっとう』なものではないだろう。


 式神の人形を受け取ると刀堂は無言で軽く頭を下げた。その表情に明らかな感謝はなく、ただ淡々と現実を受け入れているようだった。

「まあ、貸しを作っておくのも悪くねぇと思ってな」

 蜘手は軽口を叩きながらも、内心では共感に近い複雑な感情を抱いていた。己を削りながら怪異と向き合う者たちの間には、どこか共鳴する感覚があるのかもしれない。去り際、蜘手は背を向けたまま小さく呟いた。

「お互い、命あっての物種だ」

 斬鬼隊が返したのは沈黙のみだったが、その場に微かな空気の変化が流れ、蜘手の意図は確かに伝わったように思えた。


 そして、その夜──。黒く穢れきった人形を回収した式神は、室長の待つ場所へと帰還した。真新しい木箱の中へ黒染まった人形たちを納めると式神の姿はふと掻き消える。その蓋には繊細な筆跡で二つの名前らしき文字が記されていた。どう調べたのか、巫女と大蛇──禍神を構成していた、決して知られてはならぬ真名。その木箱に目を留めた室長は、夜の闇の奥で声だけを響かせた。

「依代のみならず禍神の呪詛までも手に入ったか……これでまた一つ、業が増える」

 声に含まれた喜悦と蒐集欲の強さは、聞く者があれば背筋を凍らせただろう。だがその姿を見る者はおらず、室長の秘めた目的もまた、誰にも知られることなく淡々と日常の中に溶けていった。



6-3. 残響


 特対室オフィスには、蛍光灯が作り出す青白い光が冷え冷えとした空気を満たしていた。壁に並ぶ無機質なファイル棚や、かすかな電子機器の駆動音すら、今の彼らにはまるで別世界の音のように遠く聞こえていた。禍神を封じたはずのあの日の残響が、彼らの胸の奥で密やかに波打っている。デスクに深く身体を預けていた美優が、ふと顔を上げて誰にともなく呟いた。

「あの巫女さん……怪異だったとはいえ、なんだか悲しいです」

 彼女の視線は焦点を失い、まだ封印現場のどこかに置き去りになっているようだった。あの巫女──贄とされ姦姦蛇螺となり、更に再び贄として禍神に取り込まれた悲劇の女性──が、美優の脳裏に焼き付いていた。


 灯里は静かに書類を置き、ゆっくりと視線を美優に向ける。その目は柔らかいが、どこか悲痛な光を宿していた。

「そうね……。禍神は封印できたとしても、巫女の痛みが消えた訳ではなかった。ただ見えなくなるだけで……私たちにはどうしようもない」

 灯里の言葉には、自分自身の過去を重ねるような響きがあった。その痛みを完全に理解することなど、誰にもできないのかもしれない。それでも灯里は、わずかでも巫女の心に触れてしまった自分を責めるような表情で、美優から目を逸らした。蜘手はそのやりとりを横目に見ながら、口元で苦い煙草をゆっくりと燻らせている。彼の横顔はいつになく疲れており、その頬には隠しきれない苛立ちが微かに浮かんでいた。

「だが、それが俺らの仕事ってもんだ」

 その言葉には皮肉と覚悟が入り混じり、口に出すたびに胸の奥がひりつくようだった。封印という行為は根本的な解決ではなく、痛みを先送りにするだけの応急処置でしかない。彼らはその虚しい事実を嫌というほど理解していた。


 彼の言葉が室内の空気に溶け、重く淀んだ空気が特対室の面々の間に広がった。たとえ呪詛の影響は取り祓われても特対室に所属する限り、知ってしまった巫女の悲しみと呪詛を、そして怪異の怨念を心の中に抱え続けなければならない。その終わりなき宿命を、彼らはあまりにもよく知っていた。いつしか会話は途切れ、オフィスに再び沈黙が訪れた。メンバーたちはそれぞれ、言葉にならない想いを胸に秘めながら、再び淡々と日常の仕事へ戻っていった。


 人々の日常は静かに流れ続けている。外では何も知らぬ人々が行き交い、無邪気に笑い合い、日常を享受している。誰にも見えない重荷を背負い動く彼らの姿を、日常の喧騒が静かに覆い隠していった。



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