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CASE:009-2 姦姦蛇螺

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -

2-1. 穢跡


 斬鬼隊のキャンプから離れ、森の奥へと踏み込むにつれて、空気は次第に湿り気を帯び、異質な重みを持って彼らの身体にまとわりついてきた。封印の現場となった社は、村の外れにひっそりと佇んでいた。かつては人々が大切に継いできたであろう神域も今は朽ち果て、注連縄は風雨にさらされ色褪せている。境内を覆う苔むした石畳はひび割れ、荒れ果てた木々は絡みつく蔦に侵食されていた。昼間だというのに、そこだけ薄い靄が立ち込め、まるで世界から隔絶された空間のように息苦しい沈黙が満ちている。


 灯里は、社の敷地に一歩踏み入れた瞬間、その穢れを肌で感じ取った。普段は穏やかな表情を崩さぬ彼女の顔がかすかに青ざめ、眉間には細い皺が寄っている。彼女の瞳に映る世界は既に人の領域を超え、歪みを帯びて揺らめいていた。

「ここは……ひどいわ。これほどの穢れは久しぶり」

 灯里の声は静かだが、そこに込められた苦しげな響きを透真も美優も感じ取っていた。美優は無意識に制服の襟元を引き締め、肌を這うような悪寒に耐えながら、社の中央に置かれた箱をじっと見つめていた。その箱は長年の風化に晒され、古びて破損しているが、明らかに何かを封じ込めるための呪具であることを本能的に察知させる。


 透真は箱に近づき、眼鏡越しに注意深く凝視した。彼が視線を集中すると、その瞳の奥で能力が発動し、物質を透視するように構造とその崩壊過程が明瞭に映し出される。

 ──封印の破壊痕跡を丁寧に追いながら、透真は微かな違和感に気づき、唇を薄く引き結んだ。

「これは、外から壊されたわけじゃないな」

 透真が呟くように口を開くと、灯里と美優が静かに振り返った。

「劣化による自然崩壊か、もしくは内側からの圧力で破裂したような跡だ。誰かが意図的に封印を破ったというより、封じられた存在自身が、長い年月をかけて徐々に穢れを溜め込み、内側から押し破ったような……」

 その説明を聞き終える前に、灯里の表情がさらに険しく歪んだ。彼女は無言で胸元を強く押さえ、その場に軽く膝をつくように座り込んだ。呼吸が乱れ、額には薄く汗が浮かんでいる。

「大丈夫ですか?」

 美優が慌てて駆け寄り、彼女の肩に手を添えた。灯里は小さく頷きながらも、その表情には深い苦痛が浮かんでいる。

「ここに残った穢れが重すぎて……。巫女の、悲しみが……」

 その囁くような声を聞き、美優は何か言おうとして言葉を飲み込んだ。巫女の悲しみ。封じられたものの感情がここまで鮮明に残ることがあるのだろうか──美優の胸に微かな恐怖が芽生える。


 一方その頃、蜘手は社から少し離れた村の一角で、生存者からの聞き込みを進めていた。村人たちは皆ひどく怯え、目を逸らしながら途切れ途切れの言葉を吐き出すばかりだったが、その中で蜘手が特に気に留めたのは、ある老女の震える声だった。

「見たんじゃ……腕が、腕が六本もある女をな……」

 その言葉を口にした途端、老女の瞳が怯えで見開かれ、何かを振り払うように頭を激しく左右に振った。蜘手は淡々とその証言をメモに書き留めながらも、背筋に冷たい悪寒が這い上がるのを抑えられなかった。

「腕が六本か……そいつはまた、個性的なお嬢さんだな」

 彼は軽口を叩きながらも、脳裏には古い伝承や過去に遭遇した数多の異様な事件が鮮やかに蘇り、胸中に広がる嫌な予感を振り払うことができずにいた。


 再び社の前では、灯里が重く息を吐きながら立ち上がり、透真と美優に向けて弱々しく微笑んだ。しかし、その瞳の奥には深く影が落ちている。彼女は静かに箱を見つめながら呟いた。

「封印が壊れた以上、このままではもう、穢れを止めることはできないわ」

 その言葉が終わらぬうちに、どこか遠くからか、微かに女の笑い声が響いてきた。それは美優の耳にも、透真の耳にも、そして灯里自身の耳にも、明らかに聞こえた。

 三人は無意識に振り返り、社の奥に広がる闇を凝視した。闇はどこまでも深く、そして静かに、彼らを見つめ返しているかのようだった。



2-2. 嗤巫女


 夜が、深く村を飲み込んでいた。月明かりさえ届かぬ山道を、村人で結成された捜索隊は怯えた動物のように息を殺して進んでいた。ランタンの淡い光は闇に呑みこまれ、かろうじて足元を照らすのが精一杯だった。湿った夜風が木々を揺らすたびに、誰かが小さく息を呑む音が微かに聞こえる。

 ──闇の中に何かが潜んでいる。それは肌を刺すような確信として、捜索隊員たちの背筋を這い上っていた。夜の静寂の中に潜む何かが、ゆっくりと彼らの気配を伺っている。その存在を確かに感じるのに、誰もそれを口に出すことができなかった。


 やがて一人の若い捜索隊員が足を止め、前方の闇を指さした。その指先は震えている。そこには白いものが立っていた。

 捜索隊員たちは一斉に息を止め、じっとその白い影を見つめた。暗闇の中に現れたのは、純白の装束を纏った巫女の姿だった。闇に浮かぶその姿は異様に白く輝き、月の光もないというのに、はっきりとその輪郭が見えてしまう。巫女の顔は、淡い微笑みを浮かべていた。

「巫女……?」

 誰かが無意識に呟いた。その瞬間、巫女の顔がゆっくりとこちらを向き、その口元が柔らかく歪んだ。微笑が深まり、微かな笑い声が闇に響く。

「ふふ……ふふふ」

 それは耳元で囁くように優しく、まるで戯れる少女のように無邪気な響きを持っていた。しかし次の瞬間、その笑い声と共に巫女の袖口から奇妙な影が動き出すのを、捜索隊員たちは呆然と眺めた。


 白い袖の中からゆらゆらと蠢きながら伸び出したもの──それは、長く歪んだ腕だった。一対だけではない。三対六本の腕が、まるで蜘蛛のようにうねりながら巫女の袖から這い出し、ゆっくりと伸びてゆく。

 捜索隊員たちはあまりの光景に硬直し、ただ立ち尽くすばかりだった。やがて腕は戯れるように捜索隊員たちの間をすり抜け、柔らかく彼らの腕を掴んだ。その指先は細く繊細で、冷たい。

「ふふふ……」

 巫女は楽しげに笑いながら、その六本の腕に力を込めた。


 捜索隊員たちが気づいたときには既に遅かった。細い指先に込められた力は、人間のそれをはるかに超えていた。無邪気に笑いながら、その白い腕は簡単に人の腕を引きちぎっていく。生々しい肉の裂ける音、骨が砕ける嫌な音が闇に響いた。

 痛みを感じる間すらなく、捜索隊員たちは次々と地に崩れ落ちた。悲鳴を上げる余裕など、誰一人として持ち合わせていなかった。血の匂いが濃厚に立ち込める中、巫女は楽しげにその腕を操りながら、引きちぎった腕を無邪気に撫で、戯れのように振り回している。

 生き残った一人が、闇雲に走り出した。息は乱れ、枝に顔を擦り、転びながらも、振り返らずにひたすら逃げ続けた。その耳には巫女の楽しげな笑い声がいつまでも響いている。


 ようやく村の入り口に辿り着いたとき、その捜索隊員は膝をつき、がくがくと震える身体で呟いた。

「巫女さまが……巫女さまが、笑っとった……」

 彼の瞳からは、すでに正気が失われていた。



2-3. 深淵


 深夜の宿泊施設の一室に特対室の面々は静かに集まっていた。灯里が慎重に淹れた熱い紅茶の湯気だけが、この重苦しい静寂の中でゆっくりと揺らめいている。誰もが黙りこみ、無言のまま目の前の机に並べられた資料や写真を見つめていた。壁にかけられた古い時計だけが、規則正しく淡々と秒針を刻み、時間が深い夜へと静かに滑り落ちていく。

 最初に沈黙を破ったのは灯里だった。彼女は手元の古い文献を閉じ、何かを覚悟するように静かに言葉を紡ぎ始める。

「今回の調査結果と村の伝承を照らし合わせると、姦姦蛇螺は単なる怨霊や怪異ではなく、より複雑な存在だと思われるわ」

 彼女の瞳には深い憂いが漂っていた。室内にいる誰もが無言で彼女の言葉を待つ。灯里は続けた。

「この怪異は、おそらく生贄にされた巫女と、元々この地で暴れていた大蛇の怪異性が融合した存在だと考えられる」


「人間と怪異が……?」

 美優が呟くように繰り返す。声には恐れが混じっている。灯里は静かに頷いた。透真が眼鏡を外し、疲れたように目頭を揉んだ。彼の冷静な頭脳は、既に起きた出来事と現地での状況を慎重に分析していた。

「今回、封印が破られたのは外部の誰かが意図的にやったことではないでしょう。長い年月を経て、封印そのものが穢れを抑えきれず、自然に崩壊した可能性が高い。つまり姦姦蛇螺自身の意思ではなく、構造的な限界だったと」

 彼の言葉に、室内にいる誰もが深刻な顔つきで頷く。透真はさらに続ける。

「そもそも封印自体が、姦姦蛇螺の内から漏れ出る穢れを受け止める容器のようなものだったのでしょう。定期的に封印する土地を移し、再び儀式を行う必要があったのは、その土地が穢れで満たされ、崩壊してしまうのを防ぐ為だったのでは」

 透真の言葉が終わったとき、蜘手がふっと小さく息を吐き出し、煙草を指先で弄びながら口を開いた。その声には、どこか苦々しい響きがあった。

「そんな厄介なもんを封印に留めておいたってことは、単純に倒せない存在なのか、それとも封印に留めておかなきゃならない理由があったってことか……」


 彼の呟きに、再び静寂が訪れた。誰もがその可能性を心のどこかで認めながらも、口にすることを恐れているようだった。しばらくの沈黙の後、灯里が静かに結論を告げた。

「今私たちにできることは封印を改良し、再構築することだけです。倒すことはできなくても、せめてその穢れを再び抑え込むことは可能かもしれない」

 メンバーは無言で頷いた。迂闊な刺激が与える影響が不明な現状、灯里の言葉は唯一の選択肢であり、それ以外に有効な方法は思い浮かばなかった。そのとき、唐突に部屋のドアが乱暴に叩かれた。驚いて振り返ると、そこには斬鬼隊の若い隊員が蒼白な顔をして立っている。

「失礼します! ただいま姦姦蛇螺の位置を特定しました。用意が完了次第、殲滅を開始します!」

 隊員はそれだけ言うと、返事を待たず慌ただしく走り去った。室内には重い静けさが残った。誰もが顔を見合わせ、沈黙する。蜘手が眉間を指で押さえ、小さく舌打ちをした。


「やれやれ……手遅れじゃねぇといいんだがな……」

 彼の呟きは、不吉な予感を伴い、闇の中へとゆっくり消えていった。




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