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CASE:008-2 青い靴の人

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -

2-1. 電車の中の異変


 夕暮れのラッシュアワーが落ち着いた頃。それでも電車の車両は、仕事を終えた会社員や学生たちで埋め尽くされていた。吊革にぶら下がる無数の手。スマホを睨むように見つめる無表情な顔たち。時折、機械的に流れるアナウンス。光る広告の液晶には、今月のキャンペーンや企業の宣伝が流れている。

 この時間の電車には、ある種の無機質さが漂っていた。誰もが自分の世界に閉じこもり、極力他人と関わらないようにしている。だが──そんな車内の風景の中で、蜘手はふと視線を感じた。

 何かが、自分を見ている。気配の正体を探るように、車内をざっと見渡す。

立っている人々の向こう、座席に座る一人の男の姿が目に入った。


 青い靴を履いた男。

 年齢は四十代前半ほどだろうか。スーツを着ているが、ネクタイはゆるく、疲れたサラリーマンにも見える。だが、違和感がある。

 彼の表情は妙に無機質だった。感情の欠片も見えない。まるで、こちらの選択を見透かそうとするかのような、冷めた目。蜘手は細い目を更に細めた。

「……あれ?」

 隣に立つ美優が、小さく呟いた。

「なんだ、気づいたか」

 美優はじっと青い靴の男を見つめている。その瞳には、警戒の色が滲んでいた。まるで、そこにいて当然のように振る舞っていること自体が、逆に異常だった。

「うん。あの人……普通じゃない。なにか違う」

「だろうな。多分、俺達以外には見えてねぇ」

 特対室の中でも、美優の感受性は鋭い。最年少の若さ故の感性だろうか、彼女は様々な異変を直感的に察知することが多い。蜘手は軽く顎をしゃくった。

「お前も、調査しとけ。後で話を合わせよう」

「……うん」

 美優は小さく頷くと、もう一度男を観察し始めた。その間にも、電車は次の駅へと滑り込んでいく。だが、青い靴の男は微動だにしなかった。



2-2. 問い


 その夜──蜘手は夢を見た。闇の中に、誰かが立っている。周囲はどこまでも深い暗黒に包まれ、どこが床なのかも分からない。まるで、現実と夢の狭間に落ちたような、不可解な感覚。そこに、ぼんやりとした人影があった。

 性別も、顔も分からない。ただの影のように、曖昧な輪郭だけが存在している。だが、蜘手は分かっていた。──これは、青い靴の人だ。


 影は、ゆっくりと口を開いた。

 ──「どうでした?」

 声は妙に遠く、けれど耳の奥に直接響くような感覚だった。

「……?」

 蜘手は眉をひそめた。

「どう……って、何がだ?」

 影は何も答えない。ただ、繰り返すように同じ言葉を発した。

 ──「どうでした?」

 思考が霧に包まれるような感覚がした。頭の中で言葉を探そうとするが、何を答えればいいのか分からない。違和感が、胸の奥をざわつかせる。この問いに答えられないと、何かが変わる──そんな確信があった。

「……ちっ、また謎かけかよ。俺は小説の探偵役じゃねぇんだけどな」

 蜘手は舌打ちした。その瞬間、世界が闇に沈み込むように、視界が閉じた。



2-3. 異変


 ──ガタン、と音がした。意識が引き戻される。寝起きの倦怠感とともに、重たいまぶたをゆっくりと開いた。

 天井が見える。ぼんやりとした意識の中、蜘手は自分が寝室にいることを認識した。

「……夢、か」

 口の中が乾いていた。さっきの夢の感覚が、まだ体の奥にこびりついているようだった。何か思い出したくないものを見せられた気がする。だが、その内容は霧のようにぼやけていて、核心には手が届かない。

「……ちっ」

 舌打ちしながら、乱暴に布団を払いのける。そして、立ち上がろうとして──その足元に、妙な違和感を覚えた。蜘手は、ふと視線を落とす──青い靴を履いていた。

「……は?」

 一瞬、意味が分からなかった。昨夜は当然靴を脱いで部屋に入り、寝たはずだ。なのに、今、自分の足元にあるのは──青のスニーカー。

「ふざけんな……」

 足にぴったりと馴染む感触。新品のようにも見えるが、まるで最初からこれを履いていたような感覚がある。蜘手はもう一度、念のために部屋の隅を見る。昨日まで履いていた革靴が、どこにもない。

「……やられたか」

 面倒くさそうにため息をつきながら、靴を脱ぎ捨てる。怪異との接触を確認するには十分な証拠だった。だが、同時に、これはただの呪いではないという確信もあった。


 ──『どうでした?』

 あの問いの意味は何なのか?

 そして、何を答えればよかったのか。


 蜘手は、目を細めたまま、青い靴を見下ろした。



2-4. 蜘手の違和感


 特対室の室内に、低く唸るような蛍光灯の音が響いていた。いつものように、無機質な空間に微かなコーヒーの香りが漂う。しかし、今日はどこか空気が違っていた。蜘手はデスクの端に腰を掛け、片手に煙草の箱を弄びながら、美優の話を聞いていた。彼女は少し俯きながら、昨夜見た夢のことを話している。

「『どうでした?』って、聞かれました……」

 彼女の声は、どこか戸惑いを含んでいた。

「……答えられなかったか。」

 蜘手は、煙草の箱を指で軽く弾いた。

「はい……あの靴、お気に入りだったのになぁ」

 美優は小さく頷いた。普段は明るい彼女の表情に、曇りがかかっている。

「私、どう答えればよかったんだろう?」

 その呟きに、蜘手は僅かに視線を落とす。昨夜の夢が脳裏に蘇る。

(何を答えればよかったか……か)

 あの問いかけは、ただの呪いではない。正しく答えられなかった者が青い靴を履く。だが、では正しい答えとは何なのか──。


 蜘手は答えを出せず眉間に皺を寄せたまま、煙草の封を開けた。一本取り出し、咥えかけたところで、違和感に気付いた。

「……ちっ、何やってんだ俺は」

 思わず舌打ちする。手にしていた煙草は、いつものものではなかった。銘柄が違う。

(この銘柄は、父親が吸っていたやつだ。俺は絶対に選ばないはずだったのに──)

 コンビニで無意識に選んでしまったのか──いや、そんなはずはない。いつもの銘柄は長年吸い続けてきたものだ。迷う余地などないはずなのに。だが、今はその確信が揺らぐ。まるで、自分がもともと何を吸っていたのか分からなくなるような感覚。

「……ズレてきてるな。」

 蜘手は煙草を指で回しながら、低く呟いた。



2-5. 美優の違和感


 美優もまた、奇妙な違和感に囚われていた。放課後の帰り道、電車に乗り換えようとした瞬間──気付いたら違うホームに立っていた。

「え、なんで……?」

 彼女は戸惑い、辺りを見回した。いつもなら、無意識に通るはずのルート。考えなくても自然に足が向かうはずなのに、なぜか違う乗り場に来ていた。

(間違えた? でも、どうして?)

 彼女はスマートフォンを取り出し、乗り換え案内を確認する。間違っているのは確かだ。

(私、ほんとにこっちのホームに向かおうとしたっけ……? それとも、最初からそうだった?)

 そんなはずない。私はいつも通りのルートを選んだ。足は迷わず、階段を上ったはずなのに。気づいたら、見知らぬホームに立っている──それだけで、頭の奥に冷たい感覚が差し込んでくる。

(いやいやいや……私絶対いつもの電車に乗ろうとしたんだけど!)


 胸の奥に、ざわりとした不安が広がる。

 これは──青い靴の人の影響?



2-6. ズレ


 その後も、蜘手と美優の些細な違和感は増えていった。何かが大きく変わるわけではない。日常の些細な出来事の瞬間だ。

 蜘手は、何気なく立ち寄ったコンビニで、いつも買う缶コーヒーではなく、違うメーカーのものを買っていた。レジで支払う直前に気付き、違うものを取ろうとしたが──ふと、「あれ? 俺、いつも何を飲んでたっけ?」と、一瞬の迷いが生まれた。

 美優は、学校の授業でふと感じた。先生が黒板に書いた内容を見て、「あれ? こんな単元、もうとっくに習ったはずじゃ……?」と違和感を覚える。だが、周りのクラスメイトは普通にノートを取っている。まるで、本当は違う時間軸にいたはずなのに、気付いたら別の流れにいるような感覚。どれも些細なズレ。だが、それらが積み重なることで、じわじわと自分自身の輪郭が揺らぎ始める。


 ……俺は、本当に『俺』か?



2-7. 確認


 ──特対室オフィス。美優は、蜘手と顔を合わせていた。

「……これが、『青い靴の人』の影響か」

 蜘手が、机に肘をつきながら言う。

「うん……このままじゃどんどんズレていく。なんとかしないと……」

 美優は唇を噛んだ。たった一度、夢で問いを受けただけで、こんなにも何かが違うという感覚に囚われる。もし、このまま何もせずに放っておいたら──どうなる?

 蜘手は煙草を指で回しながら、美優を見た。

「美優くん、気づいてるか?」

「何を、ですか?」

「まあ、ヤバいなとは思ってたけどよ……これは思った以上だな」

 蜘手はニヤリと笑みを浮かべながら、もう一度ポケットから煙草を取り出し、それを見つめた。

「怪異の影響ってのは大抵、外的なもんだ。呪いとか、幻覚とか、そういう目に見える形で現れる。でもな、これは違う」

「……どういうことですか?」

 美優は少し不安そうに聞き返した。

「これは、俺たちの選択を変えようとしてるんだ」

 蜘手の声には、いつになく険があった。

「ただの呪いなら、祓えばいい。だが、これは──俺たち自身の行動を、ゆっくりと書き換えようとしてる」

 つまり、気づかないうちに自分という存在が別のものにすり替えられる可能性がある、ということだ。


 美優の背筋に、冷たいものが走った。

「……そんなの、ヤバすぎじゃないですか」

「へっ、怖いってのは正しい反応だね」

 蜘手は軽く笑ったが、その目には微かな緊張があった。

「ま、どっちにせよ手を打たねぇと、気づいた頃には俺たちじゃなくなっちまうかもな」

(ま、そのとき蜘手創次郎だったものが、まだ笑ってるかどうかは知らねぇが)

 蜘手は、ポケットの中の煙草の箱を強く握りしめた。


 この違和感が何を意味するのか──まだ、分からない。



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