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CASE: EX 呪いの焼きそばパン

東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -

1. 八不思議?


 正午をわずかに回った頃、すっかり空になったお弁当箱の中を見つめて、私──南雲(なぐも)美優(みゆ)はそっと溜息をついた。

「……足りない」

 一口大の唐揚げと玉子焼き、ハンバーグに照り焼きチキンまで入っていた豪華なお弁当だったのに、私の胃袋はまるで満たされない。成長期という言葉の残酷さを今ほど実感することもない。私の胃袋は異常空間型怪異だ。

「仕方ない。購買行くかー」

 クラスメイトたちがにぎやかに談笑する教室を抜け出して、昼休み特有のざわついた廊下を歩きながら、少しだけ顔が綻んだ。お腹は物足りなくても、財布にはちゃんと余裕がある。


 この時間帯の購買は戦場だ。列に並ぶ生徒たちをなんとか掻き分け、陳列棚を見て、私はまたもや小さくため息を落とした。

「売り切れかぁ……」

 空っぽの焼きそばパン置き場に、紙の札だけがむなしく「売り切れ」と告げている。この高校ではやたら人気のある焼きそばパンは、運が悪いと昼休み開始直後に完売することもしばしばだ。

「ま、ですよねー」

 無念さを噛み締めつつ、クラスに戻ろうと振り返った時、購買の脇の壁際で談笑している数人の生徒たちの会話が耳に入った。


「……七不思議?」

 なんでも、ここ数ヶ月で学校の『七不思議』が一つ増えたらしい。数が増えたならそれはもう八不思議だと思うのだが、誰もその辺は気にしないのだろうか。末広がりでめでたいねぇ、と思わず私が頭の中で呟いた直後、話の中身が耳を掠めて興味が引かれる。

「最近増えたやつ、知ってる?」

「え、『呪いの焼きそばパン』でしょ?」

 ふざけた名前だな、と思ったけれど、彼らの口調は妙に真剣で。

「購買で売り切れたはずの焼きそばパンが、一個だけ復活して売られてるんだって」

「で、それを食べると……夢の中で幽霊に会うとか?」

「やっぱ呪いってそっち系かー」

 数人の男子がニヤニヤと笑いあう。

「でもさあ、七不思議だったのが八個になっちゃってるの変じゃない?」

「いや、だから七不思議なんだって。そういうもんなの!」

 そうだろうか。それは紛れもなく八不思議だ。まあ、どっちでもいいか。本所七不思議なんかもっとたくさんあるらしいし──そんな適当な考えがふっと頭をよぎる。その中で、一人が小さく呟いた。

 「でも、あれ誰かのイタズラだろ?」


 ──ですよねー。

 まあ、現実なんてそんなもんだ。ここは幽霊も呪いも関係ない、普通の高校なのだ。ましてや私が入学する5年くらい前に新校舎になったばかり。曰くも何も無い。私は気を取り直し、とりあえず自販機でジュースだけ買って、購買を離れた。



2. 呪いの正体


 トイレを済ませ、教室に戻るため再び購買の前を通った時──

「あっ」

 私は思わずその場で足を止めた。さっきまで空だった焼きそばパン置き場に、確かに一個だけ、パンが追加されている。購買のおばちゃんは他の商品の会計に忙しく、パン置き場の方を気にしていないようだ。でも、私ははっきりと見てしまった。そのパンを棚に置いたのは──見覚えのある上級生の男子数人だったのだ。

「ほら、追加しといたぜ」

「また誰か引っかかるかな?」

 遠くで笑いながら去っていく男子たちの背中を見送りながら、私は呆れたように肩を落とす。

「……やっぱりイタズラだったか」

 まあ、わかっていたことではあるけれど。七不思議──いや、八不思議か。その正体がこんなにあっさりとわかってしまうと、少々拍子抜けしてしまう。

でも、ちょうど小腹も空いてるし。

「せっかくだから食べるか」

 購買のおばちゃんに声をかけ、パンを購入する。トレイに載せられたそれを手に取ると、妙に普通の焼きそばパンで、なんだか肩透かしを食らったような気分だった。教室へ戻りながら封を開け、躊躇なく一口齧る。

「……まあ、普通の味」

 それ以上でも以下でもない、ごく普通の焼きそばパンだ。たった一個のパンから何かが起こるなんてありえないし、当然、幽霊の夢なんてものを見るはずもない。そしてその夜、当然のごとく何も起きなかった。

「やっぱただのイタズラじゃん」

 私は安心とも落胆ともつかない小さな息を吐き、布団をかぶり直した。



3. 焼きそばパン再び


 数日後。昼休みの購買は、いつものように戦場だった。私は混雑を抜けながら、狙いを定めた陳列棚へと向かう。しかし──

「……知ってた」

 案の定、焼きそばパンのコーナーには「売り切れ」の札が置かれている。まあ、毎度のことだ。この学校の購買はそれなりに品揃えが豊富で、焼きそばパン以外にもカツサンドやハムチーズロール、メロンパンなどの定番どころが揃っている。その中でも、なぜかこの焼きそばパンだけは異様な人気を誇る。炭水化物×炭水化物の魅惑のハーモニー。

 仕方ない。そう思って、その場を離れようとした──が。トイレを済ませて購買の前を通った瞬間、ふと目に入った光景に、足が止まる。


 ──たった今、売り切れていたはずの焼きそばパンが、 1個だけ補充されている。


「あれ?」

 思わず目を瞬かせた。以前にも見た光景だった。あの時は上級生の男子がイタズラでパンを補充していたけれど、今回はその姿がない。購買のおばちゃんは会計に忙しそうで、誰かが追加した様子はまったくなかった。

「……また誰かがイタズラしたんでしょ?」

 そう思った。当然だ。そんなオカルトな話がそうそう起こるはずがない。きっと、また誰かが棚に置いたのだろう。あるいは、購買のおばちゃんが気を利かせて追加したのかもしれない。でも、小腹が空いていたのは事実。

「ま、いいか」

 イタズラに引っかかったと思われるのは癪だが、私は軽い気持ちで焼きそばパンを手に取り、会計を済ませた。



4. パンの異変


 教室に戻り、手に入れた焼きそばパンのラップを破る……その瞬間、違和感が走った。

(……? なんかスカスカ?)

 手に持ったパンが妙に軽い。いや、軽いというよりも中身が偏っているような──。ラップの端を持ち、そっと半分に割ってみる。

「……え?」

 普通、焼きそばパンの中にはぎっしりと焼きそばが詰まっているはずだ。けれど、私の手の中のそれは、肝心の焼きそばがほとんど入っておらず、妙にすかすかしていた。そして、その隙間に── 小さな紙切れが、折り畳まれて挟まっていた。

「は? なにこれ、底上げ的な? ってか異物混入?」

 思わず呟きながら、そっと紙を取り出し、指先で広げる。細かい鉛筆の文字がそこにあった。しかし、それはまるで利き手ではない手で書かれたように、どこか歪んでいて──『起きてください。あなたは夢を見ています』。

「え……?」

 背筋がひやりとした。しばらくじっとその意味を考える。


 誰かのイタズラ?

 でも、こんな手の込んだことをする意味があるのか?

 イタズラしていた男子たちがエスカレートしてこんなことまでし始めたのか?

 いや、この焼きそばパンは確実に未開封だった。ラップや材料表示のシールを破かずに開けることは不可能だ。


 ──あなたは夢を見ています、とはどういう意味なのか。

 夢? 私は今、夢の中にいるのか? 焼きそばパンをじっと眺めたり、匂いを嗅いだり、少しだけかじってみたりしてみる。パン自体は普通のパンだ、と思う。私は焼きそばパンと、その中から出てきた奇妙なメモを見つめながら、言い知れぬ不安を覚えていた。


 その夜。私は、あの紙のことを考えながら布団に潜り込んだ。

 それがただのイタズラなのか、それとも何かのメッセージなのか──。



5. 黄昏の教室


 ふと、意識が浮上する。目を開けると、そこは──学校の教室だった。

 しかし、何かがおかしい。


 窓の外は、沈みかけた太陽が鈍いオレンジ色の光を放っている。けれど、静かすぎる。授業のない放課後の教室であっても、廊下を行き交う生徒の声や、遠くから聞こえる部活の掛け声があるはずなのに──今は、風の音すらない。


 私はぼんやりとした頭を振り、周囲を見渡す。黒板には何も書かれておらず、机や椅子も整然と並んでいる。普通の教室に見えるのに、どこか現実味がない。そして、気がついた。少し離れた席に、誰かが座っている。


 小さな体。制服姿。けれど、顔がはっきりと見えない。

 まるで、水面に映る影のように輪郭が揺らぎ、焦点を合わせようとしても、ぼやけてしまう。

「……誰?」

 問いかけてみる。だが、返事はない。沈黙のまま、その存在は動かない。

 ──ぞくり、と背筋に冷たい感覚が走った。



6. 見えない壁


 私は恐る恐る立ち上がり、その席へ歩み寄ろうとした。その瞬間。

 ぐにゃり──と、空気が歪んだ。

「……なに、これ……?」

 手を伸ばそうとすると、まるで水中にいるかのように、視界がゆらめく。まるで水の中に張られたラップのようなものに手が軽く沈み込み、それ以上手が進まない。そこには、見えない膜のようなものが存在していた。

 距離はたったの数十センチ。それなのに、手が届かない。何かが私とあの子の間を隔てていて、それを超えることができない。じっと座っているあの子は、こちらに気づいていないようだった。私はもう一度、声をかけようと口を開いた──その瞬間、意識が暗転する。

 気がつくと、私は自室のベッドの上にいた。胸の鼓動が早まっている。

「……え? なにこれ、ガチのやつ?」

 単なる夢にしては、リアルすぎる。それに──あの焼きそばパンと、夢が関係しているのかもしれない。


 けれど、まだ確信が持てない。現状では何か害があるわけでもないし、特対室に報告するほどの事態とも思えなかった。

「もうちょっと、様子見かな……」

 私は、胸のざわつきを無理やり押し込めるようにして、目を閉じた。



7. 事故に遭った少女


 翌日、私は昼休みに購買へ向かった。目当ての焼きそばパンはやはり売り切れていたが、今日はそれが目的ではない。

「ねえ、呪いの焼きそばパンの話、詳しく知ってる?」

 何気ない会話の流れで、それとなく話を振ってみる。すると、クラスメイトが「そういえば」と思い出したように言った。

「そういえばさ、めっちゃ焼きそばパンが大好きな先輩がいたらしいよ」

「先輩?」

「うん、毎日購買で買ってたんだって。でも……」

 言い淀んだ友人が、少し申し訳なさそうな表情をする。

「その先輩、三ヶ月前に事故に遭って今も昏睡状態らしいよ。」

 心臓が、一瞬だけ跳ねた。──三ヶ月前。ちょうど、七不思議が増えた時期と一致する。

「購買に行けない時は、いつも友達に頼んでたほどらしいんだけど……」

(……まさか、夢の中の子?)

 脳裏に、昨日見たあの子の姿がよぎる。ぼやけていて顔はわからなかったけれど、制服の感じは確かにここの生徒のものだった。偶然……なのだろうか?



8. 分解


 その二週間後の昼休み。購買の前を通ると、やはり 焼きそばパンが1個だけ補充されていた。私は、それを手に取る。今回は封を開けることなく大切に持ち帰り、枕元に置いてみることにした。


 そして、その夜。

 ──気がつくと、またあの教室にいた。

 黄昏時の光。

 オレンジ色に染まった窓。

 止まったままの、壁掛け時計。

 目の前には、前回と同じあの子が座っている。私は、ゆっくりと視線を上げる。

(……そうか)

 この教室の時間は、止まったままなんだ。あの子が事故に遭った時から──。

 私は、意を決して立ち上がる。そして、また試す。

 机の向こうにいるあの子に近づこうとすると、やはり 水中のように空気が歪む。この隔たりが、膜なのだ。

(……これ、分解できるかも)

 そう思った瞬間、私の手が無意識に動いた。恩寵──『分解』を使う。

 次の瞬間、目の前の空間がふっと滲むように揺れ、その膜が、霧散するように消えた。そして──目の前の少女が、ゆっくりと顔を上げる。


 はっきりと見えた、幼さの残る面立ち。

 黒目がちの瞳が、不安げに揺れる。

「……やっと、見えた」

 そう呟いたのは、私の方だった。



9. 焼きそばパン


 私の手の中には、あの購買で買った焼きそばパンがあった。夢の中に持ち込めるかどうかはわからなかったが、枕元に置いて眠りについた結果、こうして手の中にある。机の向かいに座る少女は、私をじっと見ていた。先ほどまでぼやけていた輪郭は、もうはっきりと見える。小柄な体。同じ制服。毛先の軽いボブカットの髪。大きな瞳は、私を見てどこか不安そうに揺れている。

 彼女は、ここで止まっていた。たぶん、事故に遭ったその日からずっと──。


 私は、手の中の焼きそばパンをそっと差し出した。

「ほら、食べなよ」

 彼女は驚いたように目を瞬かせる。彼女は、まるで「それを受け取っていいのか?」とでも言うように、じっとパンを見つめた。伸ばしかけた指先が、小さく震える。戸惑いながらも、おそるおそるパンを手に取ると、ぎゅっと握りしめた。まるで、それが幻ではないか確かめるように。


 そして、小さく息を吸い込み──。

 一口、かじった。

 その瞬間。

 ──世界が、ゆっくりと滲み始める。


 黄昏に染まった教室の景色が、溶けるように揺れた。壁も、机も、すべてが霞んでいく。少女は、ゆっくりと口元を綻ばせた。

「……美味しい」

 その一言が、静寂の教室に染み込む。頬を伝う、一筋の涙。彼女は、小さな声で呟いた。

「ずっと食べたかった……この味……。そっか……」

 私は、何も言えなかった。でも、それでよかったのかもしれない。言葉よりも、この焼きそばパンが、彼女にとって何よりの答えだったのだから。


 風が吹く。

 どこか遠くで、扉が閉まる音がした。

 机が霞む。

 壁の色が溶ける。

 景色が消えていく。

 世界が、静かに閉じていく。

 最後に聞こえたのは──


「ありがとう」

 その、かすかな声だった。



10. メッセージ


 それから、一ヶ月が過ぎた。呪いの焼きそばパンの噂は相変わらずあったが、きっとそれはもうただのイタズラなのだろう。 私は特対室の仕事を別にすれば、何事もなかったように学校生活を送っていた。そして、その日。


 購買の前を通りかかった時、不意に声をかけられた。

「ちょっと、あなた!」

 購買のおばちゃんだった。私は思わず足を止める。

「……え? 私?」

 おばちゃんは、棚から一つの焼きそばパンを取り上げると、私の前に差し出した。

「不思議ね。これ、なんだかあなたに渡さなきゃいけないような気がするのよねぇ」

 私は、無言でそれを受け取った。

「なんでだろうねぇ……不思議ねぇ」といまだ不思議そうに独りごちるおばちゃんを尻目に、ラップを開ける。中には、普通の焼きそばパン。そして、その奥に、小さく折りたたまれたメモが挟まれていた。シャープペンで書かれた、整った文字。──『元気になったら、一緒に焼きそばパン食べようね』


 心臓が、少しだけ跳ねた。最初に見つけた、歪んだ文字のメモとは違う。

 これはたぶん、彼女からの──メッセージ。私は、焼きそばパンのラップをそっと閉じ、メモを静かに財布の中にしまった。そして、もう一度、購買の棚を見つめる。


 そこに、もう『余分な一つ』はなかった。



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