CASE:006-2 赤マント
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
2-1.奇妙な死因
特対室の照明が、無機質な白色の光を放っていた。透真は、デスクの上に広げた調書をじっと見つめる。内容は彼の経験でも説明がつかないほど不可解なものだった。喉元の裂傷──通常なら刃物によるものと考えるだろう。しかし、この傷は明らかに「引き裂かれた」ものだった。縫合された部分を拡大した写真を見る限り、組織が不自然に伸び、まるで何かに掴まれたかのような痕跡がある。
「……刃物じゃない」
低く呟く。
「喉元の裂傷──普通なら、刃物で切られた傷ならば、刃の軌道や切断面の均一性が確認できる。しかし、これを見てください」
透真がホワイトボードに拡大写真を貼る。写真には、裂けた傷口の不規則な線が映っていた。
「通常の切創なら、皮膚の断面は鋭利に切れているはず。でもこの傷は、細胞レベルで引き裂かれている。組織が不自然に伸び、まるで何かに掴まれたかのような痕跡があるんです」
雷蔵が腕を組み、低く唸った。
「……人間の手じゃねぇな。何か、見えねぇ力が働いたのか?」
机の向こう側、蜘手が椅子を揺らしながら彼を見やる。
「そりゃまた、妙な話だな。となると、何だ? 何かしらの圧力で一気に裂けたとでも?」
透真は報告書をめくりながら首を振る。
「もっと不可解なのは関連が疑われる死亡者です。絞殺による窒息死とされていますが……」
別のファイルを開き、被害者の検死写真を指し示す。
「顔色を見てください。尋常じゃない青白さです」
蜘手がファイルを覗き込み、煙草の箱を軽く叩きながら目を細める。
「んん? 普通、首を絞められたらこうはならねぇな」
「ええ。本来なら頸部の鬱血によって顔は紫がかった色になるはず。しかし、この被害者はむしろ血の気が完全に引いている」
雷蔵が腕を組みながら唸った。
「まるで、何かに吸い取られたみてぇな顔色だな……」
「血液検査では、貧血や失血の兆候はなし。だが、組織内の酸素濃度が異常に低下していた──」
透真は表情を変えずに報告書を指で叩く。
「普通に考えれば、これは窒息による酸素欠乏状態と見なされます。しかし、何らかの理由で外部からの圧力なしに酸素が奪われた可能性があります」
「普通に考えれば、な」
蜘手が足を組み直し、薄く笑う。
「つまり普通じゃねぇって話だろ」
2-2. 共通点
しばしの沈黙の後、蜘手は新たな資料を机に放り出した。
「それでだ。俺のほうでも被害者の身辺を調べてみたんだが……ちょっと面白ぇことがわかった」
雷蔵と透真が視線を向ける。
「面白い?」
「被害者たちは、仕事も年齢もバラバラ。生活圏も重ならねぇし、共通の知人もいない……見な」
そう言って、蜘手は資料のあるページをめくる。そこには被害者たちの家族構成と出身地が記されていた。
「家系を追ってみると、全員の祖先が福井県出身だったんだよ」
透真の眉がわずかに動く。
「……なるほど」
雷蔵が顎を撫でながら呟いた。
「そっちの共通点か。偶然って線は?」
「あるかもしれねぇが、偶然にしちゃできすぎだろ」
蜘手は指を鳴らしながら続ける。
「さらに調べを進めると、もっと面白いことがわかった。こいつらの祖先が、ある事件と関係してるんだ」
数枚のコピーを机に並べる。古い新聞記事のスクラップだった。
「青ゲットの殺人事件って知ってるか?」
透真が眉をひそめる。
「……確か、明治時代の未解決事件でしたね」
蜘手はニヤリと笑い、資料を広げた。
「そう、そこが妙なんだよ。まずはこれを読んでみろ」
蜘手がコピーの一枚を摘まみ上げる。
●三國の惨劇
福井縣坂井郡三國町に近来の怪事件あり同町字玉井の四十物商加賀村吉方一家に於ける惨劇にして前頭部に切傷ある同人妻ツヲの屍体は同町内元森田銀行裏の河中より発見され母親キクの屍体は同町より(略)──年頃三十五六の男頭に青毛布を冠りしまま急報に来り村吉と母キクと共に去り──(以下略)
「つい最近、某巨大匿名掲示板で『昔の都市伝説を考察するスレ』が立ったんだ。で、その中で、図書館の古いアーカイブを漁っていた大学生が偶然この青ゲットの殺人事件の新聞記事を見つけたって投稿してた」
「ふむ……」
透真は腕を組み、思案するように視線を落とす。
「スレではどうなりました?」
「案の定、赤マントの話と絡めて『こっちの方が元ネタじゃね?』って騒がれたらしい」
蜘手が苦笑しながら続ける。
「ただ、これが問題だ──その記事を見た奴がもう一度詳しく調べようって思って、数日後に図書館に行ったらしいんだがな」
一瞬、室内の空気が張り詰めた。
「その新聞記事が、消えてたんだとよ」
透真が僅かに目を伏せる。雷蔵は無言のまま、拳を握る。
「……情報そのものが消える、か」
透真の声には、わずかに苛立ちが滲んでいた。
「過去の特対室の記録にも同じことがある。赤マントに関連すると思われる案件は何度か調査されているが、ほとんどが途中で自然収束している。そして失踪した子どもたちは──親や自身が福井県出身だ」
「つまり、何者かがこの情報を隠そうとしている──あるいは」
蜘手は煙草を咥え、ライターを指で弾いた。
「赤マントは元々、『子どもを狙う怪異じゃなかった』んじゃねぇか?」
透真が考え込む。
「……つまり?」
蜘手が椅子を傾けながら、煙を吐く。
「都市伝説ってのは、基本的に受け手が都合よく解釈するもんだ。例えば、『青ゲットの殺人事件』が本当の元ネタだったとしよう。だけど、時間が経つにつれて青ゲットってのが赤マントに変わった可能性がある」
「なんでそんな変わり方を?」
美優が不機嫌そうにエナジードリンクをすする。
「単純な話だ。赤のほうが血を連想しやすく、怖い印象を与えるからな」
「……じゃあ、そもそも赤マントなんて都市伝説は、完全な創作だった?」
「いや、創作ってよりも、ある種の改変だろうな」
蜘手がニヤリと笑った。
「ただし、今回の事件では赤マントが実際に存在してる。問題は……本来はどういう存在だったのかってことだ」
蜘手は灰を落としながら、ボードに貼られた被害者の写真を指差した。
「この血筋の人間が被害に遭ってたのが、今まではたまたま子どもだっただけって可能性だよ」
沈黙が落ちる。赤マントという都市伝説が語り継がれた背景。それが本当に子どもを襲う怪異だったのか? それとも、ただの伝承の変容にすぎなかったのか?
蜘手は軽く笑い、煙を吐き出した。
「都市伝説ってのはな──都合よく変わるもんなんだよ」
2-3. 夜
特対室の会議室に、被害者の情報が並ぶ。透真は静かにデータを整理し、犯行時刻をプロットしたグラフをホワイトボードに貼り出す。
「こうして見ると、時間帯がはっきりしていますね」
それは、夜の時間帯に集中していた。
「全員、夜間の単独行動中に襲われている」
蜘手が椅子の背もたれに寄りかかり、指を組んだ。
「帰宅途中、散歩中、深夜のコンビニ帰り──と、状況はバラバラだが、共通点は夜間にひとりだったことか」
雷蔵が腕を組みながら低く唸る。
「単独行動時か……つまり、狙われるのは状況か?」
「可能性はあります」
透真がデータを見つめながら続ける。
「怪異の類は条件が整わなければ発生しないことが多い。今回の事件も、その可能性が高いですね。昼間や複数人での行動では発生しない……何らかのルールに基づいていると考えられます」
蜘手は口元に手を当て、思案するように呟く。
「夜間の単独行動が条件……それはいいとして、問題は『なぜ今になってまた、彼らの血筋を持つ者が狙われ始めたのか?』ってことだ」
「誰かが怪異を呼び起こした、か?」
雷蔵が眉をひそめる。
「あり得るな」
蜘手は煙草の箱を指先で弾きながら、どこか楽しげに口角を上げた。
「幽霊や怪異ってのは、単独で発生するもんじゃねぇ。何かしらのトリガーがあって動き出す……そして、今回のトリガーは、あの掲示板のスレってわけか?」
透真も頷いた。
「その可能性もあります。怪異は、忘れられれば消滅することもある。しかし、逆に思い出されることで再び顕在化する──ネットでの考察が、それを引き戻してしまったのかもしれません」
「んで、狙われるのは青ゲットの殺人事件と関連がある血筋を持つ奴らか……」
蜘手はボードに貼られた被害者の家系図を指でなぞる。
「このまま放っておけば、また新たな被害者が出るってことだな」
2-4. 次の被害者
特対室のメンバーは、次に狙われる可能性のある人物をリストアップした。
「こいつらが赤マントに狙われる確率が高い」
蜘手が指し示したのは、福井県にルーツを持つことが判明した数名の一般市民だった。
「この中でも特に、すでに怪異の影響が出始めている可能性がある者を優先すべきだな」
透真がパソコンを操作しながら、対象者の最近の行動履歴をチェックする。
「この人物──三原俊哉、三十歳、会社員。仕事の帰りが遅く、ほぼ毎晩深夜に徒歩で帰宅。防犯カメラの映像では、すでに一度、何かを感じて振り返っている様子が記録されています」
「ビンゴだな」
蜘手が笑い、指を鳴らす。
「怪異がすでに近づいている可能性がある。こいつをマークする」
「もう一人」
透真が別のファイルを取り上げる。
「大田瑞希、二十七歳、フリーランスのデザイナー。仕事の都合で夜遅くに帰宅することが多く、帰り道のコンビニに毎晩立ち寄る習慣がある」
「三原と大田……この二人に接触するなら、今夜がチャンスか」
雷蔵が腕を組み、短く言った。蜘手は頷き、椅子から立ち上がる。
「よし、二手に分かれるぞ」
2-5. 尾行
チーム分けは即決だった。単独行動に雷蔵。肉体的に最も頑健で、戦闘能力も高い。単独でも怪異と直接対峙できるため、一人で行動。監視対象は三原。
蜘手と透真。直接戦闘向きの能力ではないため、情報収集と分析を担当。監視対象は大田。
「俺は三原の方を張る。もし怪異が出ても、力で押し切れるからな」
雷蔵は迷いなく言い放ち、支度を始める。
「んじゃ、俺と透真で瑞希ちゃんの方だな」
蜘手がコートを羽織りながら言う。
「ま、世知辛い現代、みんなお疲れだからな。二人とも自宅に一直線だろうから尾行自体は難しいもんじゃねぇ。」
「厄介なのは、いつ怪異が接触してくるかだけですね」
透真は手早く必要な機材をチェックし、蜘手の方へ目を向けた。
「準備はいいですか?」
「おうよ。俺の恩寵は派手じゃあねぇが、こういう時には役に立つからな」
蜘手は悪戯めいた笑みを浮かべると、目に見えない霊糸を指先で操るような仕草をした。
「こっちは俺が索を張る。透真、お前は怪異が近づいたらすぐに探知してくれ」
「ええ。万が一のために、逃走経路も確保しておきます」
「轟、お前はバレないように特に気をつけろよ。お前みたいなのに尾けられてるなんて知った瞬間、通報案件だ」
「わかってるよ」
雷蔵は支度を終え、腕を鳴らした。
「じゃあ、動くぞ」
その一言を合図に、特対室の三人はそれぞれの監視対象に向かって夜の街へと消えていった。




