CASE:005-4 ひとりかくれんぼ
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
4-1. 終焉
暗闇に沈んだ廃校の奥、静寂を切り裂くようにネズミ式神が素早く駆け抜けた。その先に──いた。古びたロッカーの並ぶ奥、崩れかけた棚の影に、小さな影が縮こまるようにして座っていた。
片倉翔の霊だ。
透真の透視が捉える。三十年前、最初のかくれんぼを行い、見つかる前に命を落とした少年。彼の存在こそが、この異常な儀式を成立させ続けている核だった。ネズミ式神が慎重に近づき、そのまま静かにひげをピクピクとさせる。少年の霊は、それに気づいたようにかすかに顔を上げた。その目は虚ろで、どこか怯えている。
──しかし、その瞬間だった。
カタン、美優か透真が立てた物音に反応したのか、廊下の奥に『それ』が、現れる。
鬼が、見つけた。
まるで霧のように、影が揺らめく。鬼の一つ目がゆっくりと少年を捉えた瞬間、空気が重く沈む。「かくれんぼ」のルールが成立する。見つける者である鬼と、本来のかくれる者である片倉翔の霊が、ついに揃った。
透真の透視が、異常な『場』を捉えた。まるで歪んだ迷路のように、空間がねじれる。最初のかくれんぼが完全に成立し、ここがゲームの場として閉じ込められていることが明白になる。──そして、それの最も根源となる本質が、透真には見えていた。片倉翔の霊の存在が鬼を縛り付け、鬼の存在が片倉翔の霊を縛り付けるという皮肉な繋がりだ。
「南雲、今だ!」
透真は低く叫んだ。
「片倉翔と鬼の『繋がり』を分解しろ!!」
美優は唇を噛みしめ、一歩前に出た。鬼を消滅させるのではない。かくれんぼそのものを終わらせる。
「……場を壊せば、いいんだね。」
美優は深く息を吸い込み、透真の指し示す先に指先を伸ばした。──分解、発動。
しかし、繋がりは分解に抗った。それはまるで、何十年もかけて何重にも絡み合った巨大な鎖のようだった。美優の力が、それに食い込む。しかし、弾かれるような感触があった。何者かがそう意図して作り出したかのような、強固な理がそこにあった。
(……堅い……!)
分解の力が、まるで鉄の扉を押し開けるような抵抗にぶつかる。三十年という年月が、この理を固定化させてしまったのだ。分解は発動している。しかし、すぐには崩れない。その時、鬼がゆっくりと美優に『視線』を向けた。
「……ッ!」
透真が即座に動く。
「ネズミ!」
ネズミ式神が素早く跳び出し、美優の周囲に幻影を発生させる。──複数の美優が、周囲に揺らめいた。鬼の視線が一瞬、幻影の方へと流れる。透真は隙を逃さず、廊下の隅に落ちていた鏡の破片を掴み、投げる。
「……これでどうだ!!」
鏡の破片が鬼の邪視を反射する。瞬間、鬼の身体がびくりと揺らぎ、傾き、よろける。
──だが、それでも足りなかった。
鬼は、美優の目を『見た』。最悪の状況が、訪れる。
美優は目を閉じようとするが、不可視の力が瞼を押し開く。瞬間、頭の奥から引きずられるような感覚が襲いかかる。
──魂を奪われる。
視界がぶれる。脳がぐらりと揺れるように、立っているはずの床が遠ざかる。身体が引き裂かれるように、意識が削られていく。
(……まずい……)
美優の意識が途切れそうになった、その瞬間。
陽炎が、鬼の視線を散らした。
ネズミ式神が、美優の目の前に飛び込み、空間を歪ませたのだ。
「……っ、ありがとう」
その一瞬で、分解が完全に発動した。
繋がりが断たれ、片倉翔と鬼のかくれんぼの場が崩壊する。
世界が、軋むような音を立てた。高い耳鳴りのような音が響き廃校全体が揺れる。天井の板が軋み、壁に亀裂が走る。黒い靄のような霊的な場が、崩れていく。まるでガラスのドームが砕け散るように、目に見えない領域が歪み、裂け、降りそそぐ破片は床に落ちる前に、白く光る粒子となり消えていく。
鬼がゆっくりと少年に近づく。そのまま倒れこむように鬼の手が少年の肩にかかり、すり抜けるように落ちる。その黒い影が、崩壊するように霧散し、裂けていく。
「……終わるのか?」
透真が静かに呟いた。鬼は、消えていく。消えゆく鬼の向こう側で、少年の霊は、かすかにまばたきをした。
「翔くん……もう、かくれんぼは終わったよ」
美優が、優しく語りかける。少年の霊が、美優を見つめた。
「帰りなよ」
静かに、美優が言う。少年の霊は、一瞬きょとんとしたような表情を浮かべたが、やがて笑った。そして、ゆっくりと薄れていく。
霊的な場の崩壊が、最高潮に達した。
音もなく、すべてが消滅する。
次の瞬間──
世界が元に戻った。
異常なかくれんぼは、ついに終わった。
───
4-2. エピローグ
事件は終わった。長く続いたかくれんぼは終焉を迎え、鬼は消え去った。そして少年の霊も、静かに消えていった。
──静寂。
それまで張り詰めていた異様な空気が消え去り、廃校の空間がただの朽ちた建物へと戻る。美優は、ひどく疲れたように大きく息を吐いた。
「……終わったんだよね?」
かすれた声が、夜の静けさに溶け込む。隣で透真が軽く頷いた。
「……ああ。もう何も痕跡は見えない」
霊的な場が消えたことで、透真の透視でも何の異常も感知できなくなっていた。まるで何事もなかったかのように、世界は元通りになったのだ。それでも、美優の体はまだ異変を感じていた。
(……だるい……)
全身が重い。まるで身体の中身だけを無理やり抜き取られたような、酷い脱力感が襲っていた。鬼の邪視を浴びた影響がまだ残っているのだろう。分解を発動し、三十年もの間続いた異常な理を破壊した負荷もある。
(……帰ったら、しばらく休みたい……)
そう思いながら、ふと、美優は自分の鞄の中を覗き込んだ。そこにちょこんと座っていたのは──ネズミの式神だった。美優は、ぼんやりとした意識のまま、それを優しく撫でる。
「……また助けてもらっちゃったね」
ネズミ式神は小さく鼻を鳴らした。しかし、美優が撫でる指先に、いつもとは違う違和感を感じる。
「あれ?」
まじまじと式神を見つめ、目を瞬く。
「……ちっちゃくなってる!?」
確かに、ここに訪れた時よりも一回り──いや、三回りほど小さくなっている。もともと小さなネズミの姿だったが、今は子ネズミほどに縮んでいた。
「豆大福もがんばったもんね……え、ていうかこれ大丈夫なの……?」
驚きながら問いかけると、ネズミ式神は「一旦戻れば治る」と言わんばかりに、ちょこんと前足を持ち上げてサムズアップのような仕草をした。
「いや、どっからそのポーズ覚えたの……」
美優が呆れたように眉を下げる。透真は、そんな二人のやり取りを見ながら、ふぅっと息を吐いた。
「……正直、危なかったな」
冷静な口調ではあったが、その声にはわずかに安堵が滲んでいた。
「ほんとですよ……」
美優も苦笑する。
「ていうか、マジで死ぬかと思いましたよ。魂が抜けるって、あんな感覚なんですね……」
「そうだな。実際、俺も魂が抜けかけている最中の人間は初めて見たが、思っていたより厄介だった」
「いやいや、あれより厄介なやつって他にそうそうあるんですか?」
美優がぐったりとした顔で透真を見ると、彼は軽く目を伏せて考え込むような仕草をした。
「……あるな」
「あるんだ……」
美優はげんなりした顔でため息をつく。
「そりゃそうですよね。特対室にいる時点で、日常的にヤバいのに関わってますもんね……」
透真は静かに頷くと、夜空を見上げた。
「……戻るか。また次の仕事がある」
怪異は尽きることなく、この街に潜んでいる。そして特対室の役目は、そういった異常を『なかったことにする』こと。今日終わった事件も、また次の事件への序章でしかないのかもしれない。
──それでも。
今は、一件落着。
美優は小さく苦笑しながら、ネズミの式神を撫でた。
「……とりあえず、帰って寝たい……」
疲労に耐えかねるように、式神を抱えながらぽつりと呟く。透真はそれを聞いて、珍しく少しだけ笑った。
「同感だな」
二人は静かに夜の廃校を後にする。
──異常なかくれんぼは終わった。だが、特対室にはまた新たな事件が待っている。今夜は静かでも、明日はどうなるかわからない。それでも、美優は小さく微笑んだ。『また』を覚悟しながら。




