CASE:005-3 ひとりかくれんぼ
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
3-1. かくれんぼ(前)
夕暮れ前、美優と透真はひっそりと廃校の門をくぐろうとしていた。そのとき、美優の肩に掛けた鞄が、不自然に小さく揺れた。
「……ん?」
足を止め、鞄の中を覗き込む。その瞬間、白い影が飛び出した。
「えっ……!?」
まさかもう怪異の影響が。美優がそう思う間もなく小さな影は、地面に着地すると器用に前足を伸ばし、丸く小さな背を伸ばす。それはきさらぎ駅調査の際、美優の命を救った──白いネズミの式神だった。
「豆大福……なんでいるの……!?」
美優は、ほぼ反射的に鞄を抱え直した。本来、ここにいるはずがない。特対室のオフィスを出る時にも、デスクの上に座っているのを見た。ネズミ式神は、美優をじっと見上げる。小さな前足を器用に動かし、「もちろん最初からここにいたよ」とでも言いたげな態度で、尻尾を振った。
「……いやいや、ダメでしょ、なんでついてきたの!?」
美優は、反射的に声をひそめつつ、ネズミ式神を指さした。ただでさえ、これから向かうのは厄介な案件に違いない場所だ。そこに、特対室の式神がわざわざ同行しているということは──
「……うわ、やな予感しかしない」
額を押さえ、唇を噛む。厄介な怪異ほど、式神は出てくる。それは、過去の経験から嫌というほど知っていた。
「……室長の意向か、それともそのネズミの意思か」
透真が、低く呟いた。美優が顔を上げると、彼はネズミ式神を一瞥しながら、思案するように眉を寄せていた。
「どちらにしろ……つまりは室長が必要だと判断した案件ってことだな」
「……最悪」
美優は、心底うんざりしたように息を吐いた。ネズミ式神は、そんな彼女の心情など気にする素振りもなく足元で座り、前足を揃えて大人しく待機している。
(いや、可愛いんだけど……そういう問題じゃないんだよ……!)
美優は、鞄に戻すべきか迷ったが式神の性格上、無理に入れてもすぐにまた出てくるだろう。鞄に戻りたかったら勝手に戻るだろう。諦めたように肩を落とす。
「……もう好きにして……でも、邪魔はしないでよね」
ネズミ式神は、コクンと頷いた。その仕草は、やけに人間臭かった。
──嫌な予感がする。美優は、自分の直感を振り払うように、歩を進める。その小さな影を連れて、静かに門の内側へ足を踏み入れた。金網フェンスの一部が切り裂かれ、そこから風が吹き抜けるたびにカラカラと音を立てる。体育館の窓ガラスはところどころ砕け、壁には黒ずんだ雨染みが浮かんでいた。
「……ここ、本当に学校だったの?」
美優が小声で呟く。かつて子供たちの笑い声が響いていたはずの場所は、今や時の止まった異界のように静まり返っていた。その瞬間、肌にまとわりつくような異様な感覚が襲いかかる。まるで水中に沈み込むような、ぬるりとした違和感。空気が重くなると同時に、視界がわずかに歪む。
──何かが、こちらを『視て』いる。透真は直感した。鬼が、自分たちを見つけようとしている。
(過度に干渉した俺たちも『参加者』になったのか……?)
「南雲、隠れろ!!!」
透真の低く抑えた声が鋭く響いた。美優が咄嗟に物陰に身を潜める。その瞬間、廊下の奥でぬるりと『それ』が動いた。
──鬼。
それは黒い靄のような人型だった。形はおぼろげで、輪郭はゆらめいている。それでも顔とおぼしき部分には、眼がひとつ──いや、眼球というより、視線そのものがぐるぐると回転しながら、空間を這うように漂っていた。
歩くたび、グズ……グズ……とぬめるような水音がする。その足跡が広がるたび、床がじっとりと濡れたように見えた。
「……くそ、こいつ……」
透真は息を呑んだ。見つかったら終わり。それが、かくれんぼのルールだ。だが、問題はそれだけではなかった。透真の透視が、鬼の視線に沿うように絡みつく霊的エネルギーを捉える。──邪視だ。以前対峙した別の怪異の邪視の特徴に酷似している。目が合ったら終わり。
(……南雲の『分解』は近づかないと使えない。直接攻撃の手段は、封じられた)
透真が観察していると鬼の動きはそれほど速くはない。ゆっくりと視線を移動させながら徘徊するように移動している。透真は息を潜めながら、美優をそっと促した。
「……足音を立てるな。感知されるかもしれない」
美優が無言で頷く。二人は静かに、壁沿いを這うように進んだ。廊下の先には曲がり角。その向こうに、鬼がいた。
──そのときだった。美優の足元で、小さな金属片がカラン、と鳴った。その音に、鬼が即座に反応する。
──瞬間、鬼が消えた。
「っ!!」
透真が咄嗟に美優の腕を引き、物陰に飛び込んだ。鬼の黒い影が、すぐ目の前にいた。透真は息を殺し、動きを止める。鬼の視線が、ゆっくりと回転しながら辺りを探る。
(……頼む、気づくな)
美優の手が震えているのが伝わる。鬼の眼が、こちらに向かい──
そのとき、美優の鞄が微かに揺れた。ネズミ式神が、動いたのだ。すっと鞄から飛び出すと、廊下の奥へ向かって素早く走る。
──カリカリッ……
わざと床を引っ掻き、音を立てる。鬼の視線がそちらを向く。瞬間、鬼の姿が消え、音の立った方に現れた。
「転移も出来るのか──今だ、動くぞ」
透真が美優の手を引いた。鬼が転移した隙を突き、二人は廊下を駆ける。
──ギシ……ッ
床が軋む。瞬間、背後に嫌な気配がした。
「……ッ!」
鬼が、もう目の前まで戻ってきていた。
「っ、こいつ、どんなスピードで……!」
鬼の反応速度が異常だ。音に反応して消え、次の瞬間には別の場所に現れる。その予測がつかないせいで、逃げ場がない。恐らく──鬼は『三十年探し続けた』ことで、知覚が発達している。
「南雲、伏せろ!」
透真が叫んだ。美優が身を屈めた瞬間、ネズミ式神が再び動く。
──次の瞬間、廊下の奥にもう一人の美優が立っていた。
ネズミ式神が発生させた幻影だ。鬼の視線がそちらを捉える。視線を向けた瞬間、鬼はゆっくりと歩き出した。
(……効いてる)
幻影を本物と誤認している。
「今のうちに移動するぞ」
透真が美優の腕を引く。二人は慎重に、物音を立てないように体育倉庫の方へ向かった。
───
3-2. かくれる者
透真は、慎重に鬼の動きを観察しながら考えを巡らせる。
(鬼が存在し続けている理由は、最初のかくれんぼが終わっていないからだ)
(つまり……鬼がかくれる者である片倉翔を見つければ、鬼の役目は終わる)
しかし、鬼の特性を考えれば、問題は単純ではない。鬼はネズミ式神にはあまり反応を示していない。単純に興味がないのか、いや恐らくは──三十年間片倉翔を探し続けたことにより、人間を探すことに特化してしまったのだ。既に霊的存在となっているかもしれない片倉翔が見つからずに居続けられるのもそれが原因だろう。
つまり、鬼を避けながら片倉翔の霊を見つけ、次は鬼をそこまで誘導してやらなければならない。
──そのとき、透真は鬼のものではない霊的痕跡を捉えた。
「……いた」
片倉翔の霊の痕跡だ。まだ、この廃校のどこかに残っている。透真は小声で美優に言った。
「南雲、あいつを避けながら片倉翔を探すぞ」
美優が固く頷く。ネズミ式神の撹乱、透真の透視、二人の息を殺した行動。──緊迫したかくれんぼが、続いていく。
(……これは、遊びじゃない。命を懸けたゲームだ)
鬼が徘徊する校舎の中で、二人はギリギリの選択を迫られていた。
(俺たちが見つかるか──それとも、見つけるか)
闇の中、かくれんぼは終わらない。
3-3. かくれんぼ(後)
──違和感は、小さな針のように脳裏に刺さっていた。透真は、暗がりに潜みながら、鬼の動きをじっと観察していた。『それ』は、依然として廃校の奥を彷徨っている。だが、奇妙だった。
ネズミ式神が発生させた美優や透真の幻影に対し、鬼は明らかに慎重な反応を示していた。近づきはするものの、執拗に追う様子はない。むしろ、どこか戸惑っているようにさえ見えた。
(目的はやはり、片倉翔のように見える……)
鬼がこの場所に縛られている理由が、ますます明確になっていく。
「南雲、あいつは俺たちのことをどう考えていると思う?」
透真が、声を潜めながら尋ねた。美優は、息を殺しつつ、慎重に答えた。
「え? ……片倉翔を探していたら、割り込んできて邪魔だから殺しちゃおう、みたいなノリですか?」
透真は軽く首を振る。
「恐らくあいつは俺達のことを片倉翔だと勘違いしているだけだ。俺達は今のところこの場に侵入した異物にすぎない。でもな……」
透真は、廊下の奥で視線を巡らせている鬼を見つめた。
「かくれんぼのルールでは、鬼は全員を見つけるまで終わらないはずだ」
「……まさか」
美優が、嫌な予感がしたように囁いた。透真は慎重に言葉を続ける。
「三宅が儀式を行った時、メモの内容を見る限りは鬼は彼を積極的に探していた。つまり、三宅は正式な参加者として認識された可能性が高い」
それはつまり──
「かくれんぼのルールが派生したんだ」
美優は、じわりと額に汗を滲ませた。
「……ってことは、私たちが今ここにいるの、もしかして」
透真は、一瞬視線を鬼に向け、低く続けた。
「今のところ、あいつは俺たちを正式な参加者"としては見ていない。あいつの反応からして、俺たちはまだ邪魔者の範疇だ」
けれど。
「……問題は、鬼を縛っている片倉翔が見つかった時だ」
「……え?」
「片倉翔が『連れていかれた』瞬間、リストが更新される可能性がある」
つまり──
「あいつのその時の認識によっては次の参加者として、俺たちが認識される可能性があるってことだ」
美優の顔から、血の気が引いた。
「そ、それってつまり……片倉翔が見つかったら、次に探されるのは私たちってこと!?」
透真は、静かに頷いた。
「そして本来なら儀式の中には終わらせる手順も含まれているが、儀式自体がなくなっている以上、終わらせることも出来ない。……クソッ、深入りしすぎたな」
透真は小さく舌打ちした。本来ならば、鬼が自然に片倉翔を見つけるのを待ち、静かに事態が収束するのを見守るのが最良だったのかもしれない。しかし、鬼が片倉翔を見つけられる保証はない。むしろ鬼の特性を考えるとその可能性は低い。もしこのまま片倉翔が見つからなければ、三宅のような新たな犠牲者が増えていくだけだ。そしてそれを見過ごすことは、特対室の役目ではなかった。
暗闇のなかで、美優がぽつりと呟いた。
「……でもさ、それってもう詰みじゃないですか?」
透真は、薄く息を吐く
「──いや、違う」
美優は透真の表情を見つめる。
「……なにか、方法があるんですか?」
「今、鬼がいる理由を考えろ」
透真は、慎重に言葉を選びながら続ける。
「……鬼は、なぜここに存在している?」
美優は、一瞬思考を巡らせる。
「えっと……最初のかくれんぼが終わってないから……?」
「そうだ」
透真は、鋭く頷いた。
「なら最初のかくれんぼ自体が壊れればどうなる?」
「……かくれんぼが、続かなくなる……?」
「その通り」
透真は、指先で床を軽く叩きながら言った。
「鬼は、片倉翔を探し続けなければならないというルールに縛られている。つまり、片倉翔を探すという条件が消えれば、鬼の存在理由も消滅する」
それはつまり──
「鬼が片倉翔を探し続けるルールが崩れれば、条件が派生することなくすべて終わる」
美優は、ゆっくりと状況を飲み込んだ。
「……でも、どうやって……?」
「俺たちが正式な参加者にされる前に、君の『分解』でこのかくれんぼの『理』を根本から破壊する」
「分解……」
美優は自分の手を見つめた。
「でも、それって……どういうイメージでやればいいんだろ?」
透真は、一瞬黙り込んだあと、ふっと薄く笑った。
「……子供の遊びを、親が無理矢理終わらせるようなものだ。」
美優は、思わず呆気に取られた顔をした。
「……なんか、妙に現実的な例えですね」
「南雲、想像してみろ。」
透真は、静かに言った。
「君が子供の頃、夜遅くまで友達と遊んでいて、帰りたくなかったことはないか?」
「……まぁ、ありますけど?」
「でも、親に『もうご飯だから終わりにしなさい!』と言われたら、どうした?」
「……それは……」
遊びは、終わる。どれだけ続けたくても、大人の一言で、それは強制的に終わらせられる。
「分解を、その感覚で使えばいい」
美優は、一瞬考えたあと、静かに頷いた。
「……なるほどね。かくれんぼを、無理矢理終わらせるイメージで」
「そうだ」
透真は、ネズミ式神の姿を見やりながら言った。
「まずは、片倉翔の霊を見つける。そして、君の分解で、最初のかくれんぼの根幹を破壊する」
「……うん」
美優は、小さく息を吸い込んだ。
これで終わる。この異常なかくれんぼを、終わらせる。
廊下の奥では、鬼が静かに彷徨い続けていた。




