CASE:005-2 ひとりかくれんぼ
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
2-1. 最初の鬼
「……やっぱり、そういうことか」
オフィスの片隅で資料をめくっていた透真は、ふと手を止めた。指先で紙の端を押さえながら、低く呟く。その隣では、蜘手が煙草をくわえたまま、気だるげに視線を上げる。
「何がだ?」
「過去に似たケースがありました。──ちょうど三十年前に、ひとりかくれんぼで鬼を呼び出したという報告があったんです」
透真の目は、目の前の資料に釘付けだった。薄れかけたインクで記されたその記録は、当時の鑑識課による報告書のコピーだ。
「……へぇ」
蜘手は興味深そうに煙を吐く。
「三十年前か……。それで、そのときの被害者は?」
「小学生の男児、片倉翔。肝試しの遊びの延長でひとりかくれんぼに似た儀式をしていたことが、後に友人たちの証言で判明しています」
透真は指で資料を弾く。その音が、静かなオフィスに乾いた響きを残した。
「しかし問題は──片倉翔が鬼に見つかる前にいなくなってしまったことです」
蜘手の目が僅かに細められる。
「いなくなった……って、まさか」
透真が過去の特待室の調査報告書を見せる。
『片倉翔──転落による脳挫傷。死因に怪異の関与なし』
「鬼は、見つけるべき相手を失いました」
透真は腕を組み、しばし考え込む。
「ひとりかくれんぼは一種の疑似低級降霊術のようなもので、大抵は精神的ストレスによる体調不良や幻覚程度で済む。仮に万が一、本当に何かを呼び寄せたとしても、あの程度の手順ではせいぜいちょっとした悪戯のできる低級霊の類を引き寄せるのが関の山です」
「だろうな。実際、今までひとりかくれんぼで死人が出たなんて話はねぇ」
蜘手は煙をくゆらせながら、どこか腑に落ちないような顔をした。
「でも、三宅の件は違う」
透真は机の上に広げたもう一枚の資料に目を落とす。
「──実際に命を落とした者が出たのは、今回が初めてだ」
蜘手が軽く舌打ちする。
「つまり、こういうことか。今のひとりかくれんぼは、本来の降霊術とは別物になってるってわけだ」
「可能性は高いですね」
透真は頷く。
「本来のひとりかくれんぼは、たとえ怪異が発生したとしても、ルールを守れば終わる儀式だった。けれど、三十年前の件では、終わらせる方法が存在しなかった」
「……つまり?」
「ひとりかくれんぼが本来の儀式ではなく、最初の鬼を喚び出す儀式に変わってしまった可能性があります」
その言葉に、蜘手は眉を上げた。
「どういうことだ?」
透真は静かに、資料の端を指でなぞる。
「ひとりかくれんぼの儀式は、正しく行えばもともと何かしらの霊的存在を一時的に憑依させるものだったはずです。でも、三十年前に片倉翔が行った儀式は、鬼が見つけるべき相手がいないまま、儀式も終わらないまま宙ぶらりんになった。鬼は、見つける相手を失ったまま、ずっと探し続けている」
「だから、終わらせるってルール自体がバグったってことか」
「そう考えるのが筋でしょう」
透真は視線を上げる。
「三十年前のひとりかくれんぼの影響で、鬼が存在し続ける状態が生まれた。そして今、新しくひとりかくれんぼを行う人間が現れるたびに、最初の鬼はその場に引き寄せられる……まるで、召喚の儀式のように」
「なるほどな」
蜘手は唇の端を歪めた。
「となると、問題はどうやって終わらせるかって話か」
「それを調べるためにも、最初の鬼の発生源である片倉翔を洗う必要があります」
透真は言いながら、オフィスの端に積み上げられた古い事件ファイルを取る。
「……どこで死んだんだ?」
「都内の廃校。取り壊し予定だったはずがそのまま手付かずになっています。片倉翔が最後に目撃された場所でもあります」
「ふぅん」
蜘手は顎をさすりながら、考え込むように視線を落とす。
「面白くなってきたじゃねぇか」
「それでは片──」
透真が口を開きかけた、その時だった。──蜘手のスマートフォンが鳴る。
───
2-2. 突然の別件
「……おっと、悪いな。俺、別件が入っちまった」
電話を取った瞬間、蜘手の声が僅かに低くなる。聞き慣れた気だるい口調のままだが、微妙な温度差があった。
「えっ」
透真は顔を上げ、蜘手の様子を窺う。
「また妙な案件ですか?」
「まぁな。急ぎのやつらしい」
蜘手は手慣れた動作で煙草をくわえ、ライターを弾く。ゆっくりと火をつける間に、一瞬だけ遠くを見るような目をした。
「どのくらい掛かるんですか?」
「それが分かってりゃ苦労しねぇよ」
煙を吐きながら、蜘手は短く笑う。透真は肩をすくめ、デスクの上にある資料の山に目を落とした。──三十年前の未解決事件と繋がる、ひとりかくれんぼ。問題の核心に近づいているはずなのに、突然のメンバー交代は手痛い。
「……この案件、あなたがメインで動いてたでしょう」
「そうだな。でもほら、俺には別件があるし」
「あのですね──」
「まぁまぁ、心配すんな」
蜘手は透真の肩を軽く叩くと、ふと視線を廊下へ向けた。
「いいタイミングじゃねぇか」
透真もつられて振り返る。開いたドアの向こうから、足音が近づいてきた。
「……あれ? なんでいるんですか?」
戸口に立っていたのは、南雲美優だった。
「ん?」
透真が眉を上げると、美優は少し不機嫌そうに腕を組む。
「ちょっと忘れ物を取りに来ただけなんですけど……まさか」
「そりゃ運がいいな」
「ええぇ……」
美優の顔が一気に曇る。
「いや、今日はちゃんと休みですよ? ちゃんと予定の寝坊もこなして、これからちゃんとパンケーキ食べに行く予定だったんですけど? てか煙草くさ」
「悪いが、代打頼む」
蜘手は煙をくゆらせながら、さらりと言った。
「はぁ!? いやいやいや、なんで!? ただ忘れ物取りに来ただけでしょ!? 何で私、案件引き継がされてるんですか!?」
「まぁ、たまたま来ちゃったなら仕方ねぇな」
「いやいやいや、たまたまって、意味わかんないですから!」
「不思議な縁ってやつだよ。こういう仕事してると多いねぇ、不思議な縁。あ、透真、お前がしっかりフォローしろよ?」
「え、俺が?」
「当然」
蜘手は肩をすくめ、もう話は終わりだと言わんばかりに煙草を灰皿に押し付けた。
「じゃ、任せた」
「待っ──」
美優が何か言うより早く、蜘手はひらひらと手を振ってオフィスを後にする。
「……」
「……」
沈黙が落ちる。美優は大きく息を吸い込み──
「ちょっと、透真先輩!」
「……いや、俺に言われてもな」
「なんで私が? 私、休日ですよ? 休みたいんです!」
「俺だって休みたい」
「そんなわけないでしょ、仕事大好き人間じゃないですか!」
「……好きでやってるわけじゃないんだが」
美優は思いっきり透真を睨みつけるが、彼は軽く肩をすくめただけだった。
「まぁ、カフェ行くか」
「……は?」
「ちょうど腹も減ったしな。話はそこでしよう」
「ちょっと待ってください、納得してませんからね!? ぜっっったい許しませんからね!」
そんな抗議も虚しく、南雲美優の休日は、いつものように理不尽な形で終わりを告げた。そして彼女は、パンケーキの甘さにすがることになる。
休日の昼下がり。カフェのテラス席で、南雲美優がパンケーキを突きながら、恨めしそうに透真を睨んでいた。
「なんで休日なのに働かないといけないんですか? なんで? なんで?」
「……いや、そんなに言われても」
透真は困ったように肩をすくめる。
「蜘手さんの別件が急だったんだ」
「それにしたってなんで私が? 休みですよ? しかも学業もあるんですよ? 高校生の貴重な休日なんですよ? なんで?」
「……まあまあ」
透真は苦笑しながら、カフェのメニューに目を落とす。
「好きなもの、頼んでいいから」
「……パンケーキ三枚重ね」
「はいはい」
「それと、キャラメルラテ」
「追加もいいぞ」
「あと、アイスクリームも」
「好きにしてくれ」
美優は少し考え、透真を睨みつける。
「……許しませんからね」
「わかってる」
そうして、美優は甘いパンケーキを口に運びながら、透真の話を聞くことになった。
───
2-3. 室長からの手紙
「で、これが室長からの回答か」
透真は猫の式神がくわえてきた封筒の封を開け、中の紙を広げた。猫が手紙をくわえてきた───カフェのテラス席にいた客の中には写真を撮る者もいたが、大きな問題にはならないだろう。そこには和紙に室長特有の流麗な筆跡で、透真の問いに対して簡潔にこう書かれていた。
「召喚の儀式を構成する基本的な考え方」
透真は眉をひそめた。
「……これは、何かのヒントですか?」
美優も身を乗り出す。
「簡単に言えば、誰かがすでに使役している存在は別の者が召喚しても、それだけでは簡単には奪うことは出来ないってことだ──そういうことか」
透真の頭の中でバラバラだった情報が繋がり、推測が確信に変わり始める。
「最初の鬼は、三十年前の儀式に囚われている。つまり、ひとりかくれんぼを成立させたとしても、新たな鬼を生み出すことはできない」
美優が目を丸くする。
「じゃあ、三宅って人が喚び出した鬼って──」
「……最初の鬼そのものだった可能性が高い」
「どういうこと?」
美優は首を傾げた。
「ひとりかくれんぼという儀式自体が変質してしまっている。最初の鬼が存在し続けているせいで、それが最初の鬼を喚び出す儀式になってしまった。そして室長によると隠は名を得て、時を経て、名と役に見合った力を得つつあるはずだ、と」
「おぬ? それってなんですか?」
「鬼のルーツだ。古代では死者の世界から、何らかの原因で境界を超えて生者の世界に紛れ込んでしまったものを見えない者──隠と呼んだ。今でいう低級霊とかそういった類に近いが、明確に向こうから来たものだ。本来ならひとりかくれんぼはそういった中のある種特定のものを一時的に呼び寄せるだけの儀式だった」
「……それって、どうすれば終わるんです?」
美優の声がやや不安を帯びる。透真は少しの間黙り込んだあと、静かに答えた。
「最初のかくれんぼを終わらせるしかない」
「でも……それって、どうやったら?」
美優がさらに問いかけたとき、透真はふと手紙を見つめ、ある仮説を口にした。
「最初のかくれる者──つまり、三十年前の少年、片倉翔の霊がまだこの世に存在しているなら」
「……?」
「鬼が片倉翔を見つければ、すべてが終わるかもしれない」
美優の目が見開かれる。
「じゃあ……」
「片倉翔を探す」
透真は立ち上がり、カフェの勘定を済ませると、美優に向かって微笑んだ。
「行くぞ」
「……もしかしなくても、また怖いやつですよね?」
「そうなるな」
「……最後にパンケーキ、もっと食べればよかった」
そうぼやきながらも、美優は透真の後を追った。次の舞台は、三十年前の少年が最後に目撃された廃校。
──最初のかくれんぼが終わる、その日はくるのか。




