CASE:005-1 ひとりかくれんぼ
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
1-1. 犠牲者
東京都某所・深夜2時。安アパートの一室に、低い笑い声と電子音が交錯する。四畳半ほどの狭い部屋。中心にはコンビニの弁当の残骸やエナジードリンクの空き缶が転がり、壁際の本棚には雑然としたオカルト本や怪談関連の雑誌が詰め込まれていた。
「いやさ、本当の『ひとりかくれんぼ』ってのはな……」
テーブルの向こう側で、眼鏡を押し上げながら得意げに話すのは三宅悠人。
大学のオカルト研究サークルの一員であり、根っからの都市伝説マニアだ。彼の前には同じサークルのメンバー、伊藤慎也、佐々木涼香、そして田村広樹がいた。皆、三宅の話に耳を傾けながらも、半信半疑といった様子だった。
「お前さあ……ひとりかくれんぼなんて、単なるネット怪談のネタだろ?」
伊藤が呆れたように言う。
「それが違うんだよ」
三宅の声がわずかに低くなる。彼はスマホを操作し、ノートパソコンの画面に手順を書き出す。
ひとりかくれんぼ──都市伝説として知られる降霊術の一種。
基本のやり方は難しいものではない。
「でもさ、今まで本当にヤバい目にあったって話、聞いたことないよな?」
佐々木が、やや面白がるように言う。
「だからこそ、俺が試してみるんだ」
三宅の目が異様な光を帯びる。
「都市伝説として広まってるひとりかくれんぼは、そもそも手順が間違ってる。本当に成立する儀式のやり方があるんだよ」
その言葉に、空気がわずかに変わる。
「まさか、お前……やるつもりか?」
田村が顔をしかめる。
「当然。つい最近、古い民俗資料を手に入れたんだ。それによると、あれは 鬼を召喚する儀式の変形だった」
「鬼……?」
伊藤が眉をひそめる。
「そう、本当のやり方なら……本物の鬼を呼べるんだよ」
三宅は自信たっぷりに言い放つ。
「水と名前──これが本来の儀式の秘密なんだ」
サークルの面々は押し黙った。
「……三宅、お前、マジでやるつもりか?」
田村が慎重に問いかける。
「当然だろ。お前らも見てろよ、本物の怪異を証明してやる」
三宅は笑った。だが、誰も気づいていなかった。この時すでに──何かが、始まっていたことに。
──数日後の朝。異変は、異様な静けさとともに訪れた。
三宅のアパートに訪れたのは、伊藤だった。ここ数日、三宅と連絡がつかない。心配になり、直接様子を見に来たのだ。
「おーい、三宅、いるか?」
ドアをノックしても返事はない。不審に思い、スマートフォンを取り出し、もう一度電話をかける。
──ツー、ツー、ツー……
着信音は響くが、応答はない。伊藤は悪い予感を抱きながら、アパートの管理人を呼び、合鍵で室内へ入った。そして──その光景に、息を呑んだ。
室内は、異様な湿気に満ちていた。カビ臭いような、生臭いような、嫌な匂いが漂っている。壁には奇妙な水跡が点々とし、床には乾きかけた水滴が広がっていた。
「おい、三宅……?」
伊藤が呟くと、部屋の奥、クローゼットの扉がわずかに開いていることに気づいた。妙な胸騒ぎがする。伊藤は一歩、また一歩と近づき、震える指でクローゼットの扉を引いた。
──そこにあったのは、想像だにしなかった光景だった。
三宅は、クローゼットの中で折りたたまれるように座り込んでいた。
だが、明らかにおかしい。彼の口には、赤い糸が幾重にも巻かれ、まるで『封じられている』ようだった。白く濁った瞳は、焦点を失い、何かを見たままのように凝視している。
その手には、一冊の手帳が握られていた。伊藤は、震える手でその手帳を開くと、そこには目がひとつの人のようなもののスケッチと、震える文字が残されていた。
──「鬼が見つけに来る」
伊藤は、凍りついた。次の瞬間、クローゼットの奥から何かが動いた気がした。ぬるり、と。
伊藤は悲鳴を上げ、後ずさる。そのとき、三宅の唇がわずかに開き、何かを呟いた気がした。
「……み、つけ……た……」
伊藤の意識は、そこで途切れた。
───
1-2. 変質
特異事案対策室、オフィス。蛍光灯がわずかに点滅し、静まり返った室内に蜘手創次郎の指が書類を滑らせる音だけが響いていた。
「──なるほどねぇ」
手元にある報告書に目を通しながら、蜘手は口元に軽い笑みを浮かべた。しかし、その笑みの裏には、確実に不快感が混ざっている。
「事件性なし、自殺として処理する方針」
警察の公式見解はそれで済むのかもしれない。だが、公安の一部関係者が「これはただの自殺じゃない」と判断し、特異事案対策室──特対室へと情報を流してきたのだ。
「三宅悠人、大学生、オカルト研究サークル所属。数日前、ネットに『これから真のひとりかくれんぼを始める』という書き込みを残して死亡。部屋のクローゼットで発見された時には、口に赤い糸を巻かれていた、と……」
蜘手は書類から目を離し、向かいの席の葦名透真に視線を向けた。
「透真、現場に行くぞ」
「了解です」
透真は淡々と頷いたが、その表情には微かに興味の色が浮かんでいた。
──東京都某所・三宅悠人のアパート。玄関のドアが開いた瞬間、湿気のこもった異様な空気が二人を迎えた。
「嫌な感じですね」
透真が鼻をわずかに歪める。室内にはすでに清掃が入っていたはずだが、どこか生臭さと水気を帯びた匂いが残っていた。
「まるで風呂場に放置された革靴みたいだ」
蜘手はそう呟くと、足元の床にこぼれた水滴の跡を指でなぞった。乾きかけてはいるが、まだ完全に消えたわけではない。
「透真、透視を頼むよ」
透真は無言で頷くと、部屋の中央に立ち、目を細めた。
視界が変わる。通常の視覚では見えない痕跡が、幽かな光として浮かび上がる。
「……霊的な残留物はありますが──何か古いですね。使い古された革製品を見る感覚に近い」
「古い?」
蜘手は眉をひそめる。
「普通、ひとりかくれんぼのような簡単な降霊術で呼び出せるのは、せいぜいその場の低級霊──こっくりさんや、それに毛が生えた程度です。それなのに、ここの痕跡は強すぎる」
透真が淡々と分析する。
「なるほどねぇ」
蜘手は指を鳴らし、自らの恩寵『操糸』を発動する。不可視の霊糸が伸び、透真が指し示した霊的残留物に残された断片を辿る。──瞬間、脳裏に別の場所の光景が浮かんだ。
薄暗い小学校の廊下。木造の床がギシギシと軋む音。夜の帳が落ちる中、遠くで何かが『見ている』。
「……小学校?」
蜘手は思わず呟いた。
「どうやら、ただの都市伝説ってわけじゃなさそうだな」
───
1-3. 行方
調査の結果、三宅のサークル仲間たちは次々に姿を消していた。だが、そのうちの一人、田村広樹の実家の寺にいることが突き止められた。
「俺たちも呪われるかもしれない……だから安全な場所に逃げたんだ……」
田村は顔を青ざめ、震えていた。
「お前ら、何を聞いた?」
蜘手の問いに、田村は唾を飲み込む。
「三宅が……言ってたんだ。『本当のひとりかくれんぼがある』って……。ただの遊びじゃなくて、本物の儀式だって……」
「本物、ねぇ」
蜘手が静かに呟く。
「……三宅は言ってた。名前を与え、役割を決定することで、呼び出した霊を固定できるって……」
***
──三宅悠人がひとりかくれんぼを行った夜。
水の音が響く。三宅は浴槽の前で、息を潜めながら手元のぬいぐるみを見つめていた。
「これが……本物の儀式」
古い民俗資料によると、単なる降霊術ではなく、「霊を固定する方法」があるという。まず彼は水道水ではなく、井戸の地下水を使った。水は生命の象徴──殺菌のされていない地下水なら霊的なエネルギーが含まれていると考えたのだ。
そして『水に浸す』のではなく『水を飲ませる』──それが、本来の手順だった。ぬいぐるみを水に浸し、ゆっくりと口元から押し込みながら、何度も水を吸わせる。やがて、ぬいぐるみはじわりと水を含み、まるで何かを受け入れたように見えた。
三宅は震える手で、そっと囁いた。
「お前の名前は……鬼だ」
──その瞬間、浴室の外で微かな物音がした。三宅の背筋が凍りつく。
「……っ!」
呼吸が詰まり、心臓が跳ねる。
カタ……カタ……。
廊下から、何かが動く音がする。三宅は必死に笑おうとしたが、喉がひゅっと鳴るだけだった。
そして──
ぬいぐるみの口が、わずかに動いた気がした。
***
──特対室、オフィス。
「……三宅の行ったひとりかくれんぼは、通常のものとは違っていた」
透真が静かに言った。
「水を飲ませる、正式に名付ける──これは、呼び出した霊に鬼という役割としての存在を与える儀式だったのかもしれません」
蜘手は煙草を口にくわえ、火をつけた。
「……だが、鬼にも色々ある。生まれたばかりのものが、そんなに強いわけがない」
「それは室長に確認するしかないですね」
透真が淡々と答え、蜘手は静かに天井を見上げた。
「……それにしても、鬼が見つけにくる、ねぇ」
その言葉が、不吉な予感を孕んでいた。何かが、まだ終わっていない。




