CASE:???-2 行きたくなる公衆電話
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
2-1.何も起こらないはずなのに
何度か訪れたが公衆電話は当然、公衆電話のままだった。住宅街の角にぽつんと佇む、どこにでもあるような緑色の屋根のボックス。ほんの少しだけガラスが曇っていて、日中は光を受けて淡く反射し、夜には街灯の光を受けてぼんやりと浮かび上がる。そこに何かがいるような気配はない。ただ、当たり前のようにそこにあり続けるだけ。
それでも、私は足を向けてしまう。何の理由もなく、ただ、通りかかったときに目を向けてしまう。いや、目を向けるだけでは足りなくて、扉を開けて中に入ってしまう。
密閉された空間に立つと、少しだけ異質な静けさを感じる。街の喧騒が遮られ、ほんのわずかに時間の流れが違うような気がする。
受話器を取る。耳を当てる。──無音。
それが当然なのに、妙に心臓が高鳴る。誰かがこの向こうにいるわけではないとわかっているのに、どこかで期待している自分がいる。
──何か、聞こえたりしないか。
受話器をそっと置く。再び静寂が戻る。
何も起こらない。
何も起こるはずがない。
……なのに、またここに来てしまう。
夜、特対室のデスクに座りながら、何気なくスマホでオカルト系の掲示板を眺めていた。公衆電話について何か書かれていないかと思ったのだ。そして、意外にも、それらしい話がいくつか見つかった。
『あの公衆電話、なんか行きたくなるんだよな』
『別に何かが起こるわけじゃないんだけど』
『気づいたら立ち寄ってしまう』
『行ったことないのに、どこにあるか知ってる気がする』
……私と同じ感覚の人が、他にもいる。さらに下へスクロールすると、こんな噂が並んでいた。
・昔、行方不明になった人が最後にここで目撃された。
・夜中に受話器を取ると呼吸音が聞こえる。
・ガラスに誰かの影が映る。
・時間帯によって電話帳の内容が変わる。
・行方不明者の名前が電話帳に載る。
眉をひそめる。そんなことがあるなら、過去の事件記録に何かしら残っているはずだ。私はすぐに特対室のデータベースを開き、件の公衆電話のある地点に関連する失踪事件を調べた。しかし、それらしい事件は何もない。
ただの噂話にすぎないのか。それとも、まだ記録には残っていないだけなのか。
──でも、何もないのに、私はなぜあそこへ行きたくなるのか。
「……何やってんだろ、私」
呟いて、自分でも苦笑した。誰も私にここへ行けと命じたわけじゃない。怪異の気配も、危険な兆候もない。それなのに──
気づけばまた、翌日も、あの電話ボックスへ向かっていた。
───
2-2.電話帳
ある日、いつものように電話ボックスに立ち寄ったときのことだった。ふと、電話帳が目に入る。薄汚れた透明カバーに覆われ、古びたページが折れ曲がっている。すでにほとんどの人が使わなくなったであろう、それでも電話ボックスには当然のように備え付けられているもの。なぜか、そのときの私は、無性にページをめくりたくなった。
古びた紙の感触。印刷された名前と電話番号がずらりと並ぶ。何気なく目を滑らせていると、ある違和感に気がついた。
──(現在使用されておりません)
そう書き加えられている番号が、異様に多い。どのページを開いても、名前の横には「現在使用されておりません」という文字が、手書きのような字体で書き加えられている。
それに、妙に気になることがあった。並んでいる名前に、どれひとつとして見覚えがない。公衆電話の電話帳には、一般的なタクシー会社や警察、公共施設の番号も載っているものだ。しかし、この電話帳にはそういった番号が見当たらず、ただ、個人名ばかりが羅列されていた。
(……こんなものだったっけ?)
いや、おかしい。まるで、『誰かのために』作られた電話帳みたいだ。ページをめくる手が止まる。
気になってしまった。そうして私は、硬貨を取り出し、適当にひとつの番号を押した。コインが落ちる音。指の下でボタンが沈む感触。耳を当てる。しかし──呼び出し音は鳴らなかった。
まるで誰かが受話器の向こうで待ち構えていたかのように、コール音が鳴る前にプツンと切れた。
異常だ。何かが、おかしい。
私は、受話器を持ったまま動けなかった。いまのは何だったのか。回線が不通になっただけなのか、それとも──。
そのときだった。
「……あ……」
耳元で、微かに聞こえた。小さく、掠れたような声。ほんの一瞬のことだった。気のせいかもしれない。けれど、確かに、聞こえた。思わず受話器を置く。静寂が戻る。
外に出ると、ひんやりした風が吹き抜けた。先ほどまでの空気が、どこか変わってしまったように思えた。
(……何だったんだ、いまの)
理由もなく、背筋が冷える。
何も起こらないはずなのに。
何もないはずなのに。
でも、これは何かの始まりなのかもしれない。
公衆電話のガラスに映った自分の顔が、微かに歪んで見えた──気がした。




