CASE:004-5 玲香ちゃんを探して
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
5-1. 都市伝説
数週間前のあの夢の牢獄の記憶も、薄皮の下でかすかな疼きに変わっている──少なくとも、美優以外の面々にとっては。だが、美優の現在は痛みの真っ只中にあった。
「ダメだ! お前はまだ考えすぎている! 歩いている時に脚をどう動かすかいちいち考えるか! その境地になれ!」
轟雷蔵の太い怒号が、道場の隅々まで響き渡る。雷蔵の実家の修練場で、美優は汗まみれのジャージ姿、膝をつきながら息を荒げた。地方での別件から戻ってくるやいなや雷蔵は、美優の首根を掴んで修練場に連行した。
「いや、これ精神世界の話でしたよね!? なんで格闘訓練になってるんですか!」
美優の抗議はほぼ涙声だ。だが、雷蔵は腕組みしたままビクともしない。
「肉体の強さは心の強さに通じる! 鍛錬が足りんから怪異につけ込まれる! 次はスクワットだ!」
「そんな精神論、昭和か……」
床でゴロゴロと転がりながら、愚痴をこぼす美優。雷蔵は美優を無理矢理立たせ、スクワットのフォームを修正している。様子を見に来た蜘手が呆れたように吹き出し、透真はタブレットに「訓練日誌」を淡々と書き込んでいた。
──そんな日常の片隅で、世界は少しずつ変わっていた。
特対室がネットに流しはじめた「新しい噂」は、思った以上の速度で広がっていった。
最初は、どこかの匿名掲示板のひとつのスレッドだった。だが、「『玲香ちゃんを探して』には裏技があるらしい」「遅刻しちゃうって唱えれば、すぐ出られるって」──そんな書き込みが、幾つものまとめサイト、都市伝説系アカウント、動画投稿者の口を伝って、じわじわと拡散していく。
「これマジ? 試した人いる?」「マジで出れたんだけどwww」「遅刻しちゃうって唱えたら、夢からスッと抜けられた。すげー助かった」「裏技ってそういうことかよ……」
怪異は、もともと誰かの『語り』から生まれる。噂がひとつの仕様になれば、現実の一部として人々の記憶に根付く。恐怖も救いも、言葉によって形を変える。そして、いつしか『玲香ちゃんを探して』は、人を絡め取る力を失っていった。
かつては出口なき牢獄だった夢の空間が、今やちょっとした裏技で抜け出せる、都市伝説のひとコマに矮小化されたのだ。
SNSでは、誰かの体験談が新たなテンプレとして消費される。それが本当かどうかなど、誰も深く考えない。だが、確実に──「囚われる者」は、激減していった。
「……成功ね」
ある日、夕暮れのオフィス。灯里が微笑んだ。
「これで、もう誰も閉じ込められることはない」
灯里の声は、柔らかく、ほんの少しだけ寂しげだった。
「ま、しばらくは安心ってところかな」
蜘手が背伸びをしながら言う。腕の関節がポキリと鳴った。美優は床で体を伸ばしながら、息を整えた。
「──でも、ほんとにこんなので……怪異って消えるもんなんですね」
ぽつりと呟く。
「消えるんじゃない。形を変えるだけだ」
透真が淡々と答える。
「都市伝説ってのは、そう簡単に終わるもんじゃない」
蜘手も、机に肘をつきながら続ける。
「たとえば、今回みたいな裏技のせいで、また新しいバグみたいな怪異が生まれることだってありうる。人の噂と恐怖が混ざる限り、怪異はまた別の出口を探すのさ」
オフィスの中に、静かな余韻が落ちる。都市伝説は、息をする。消えたはずの怪異も、どこかで新しいルールと姿をまとい、誰かの耳元にささやく。誰かが新たな噂を信じ、恐れ、語り継ぐ限り。
だからこそ、特対室の仕事は終わらない。今日もまた、誰かの『ささやき』を追いかけて。
美優の筋肉痛と雷蔵の怒号、透真の淡々とした記録、灯里の静かな微笑み──そんな日々の向こうで、物語はまた、新しい出口を探し続けている。
5-2. エピローグ
──数日後。特対室。照明の薄暗い白さと秒針が時を刻む音がまじりあい、どこか現実と夢の境目が曖昧に感じられる静けさ。その中で、美優は一人、ソファに沈み込んでスマートフォンを眺めていた。
親指で画面をスクロールする手は、どこか浮ついていた。夢の牢獄の記憶──それは、今も時折、胸の奥をひやりと冷やす。なのに、ネットの向こう側ではその怪異がもう笑い話や都市伝説の一ネタとして消費されている。
「……あれ?」
ぽつりとした美優の声に、空気が小さく揺れた。デスクで書類をまとめていた透真が、そっと首を傾げる。
「どうした?」
美優はスマホを掲げて見せた。その顔は、どこか青ざめている。
「遅刻しちゃうって言えば出られるって話、もう広まってるけど……」
「うん?」
「もっと簡単に出られる方法ってのが追加されてるんですけど」
その一言で、透真もソファの隣に腰掛けた。二人で画面を覗き込む。
そこには、無数の書き込みが連なっていた。
「いってきますって言えば、一発で目が覚める」
「でも、いってらっしゃいって言っちゃダメらしい」
「いってらっしゃいって言ったらどうなるの?」
「知らない。でも、帰ってこなくなるって」
言葉は、ネットの海で生き物のように変化し続ける。最初は、救いのために作った裏技だったはずのルールが、今はもう、まったく違う物語になりかけている。
「……」
美優は、ごく小さく喉を鳴らす。いってきます──それは出口の合言葉。だが、いってらっしゃいは、別れ。
小さなルールの変化が、世界の深層に新しい裂け目を刻んでいく。誰かがそれを信じ、夜ごと囚われ、また新たな怪異が形を得る──都市伝説の怪異は、そうして際限なく増殖する。
透真が、そっと画面を閉じた。その所作には、どこか諦めと静かな決意が混じっていた。
「……やれやれ、次の案件が来たみたいだな」
わずかに苦い笑みとともに。オフィスの奥、机の向こうで蜘手が苦笑しながら肩をすくめる。
「だから言ったろ? これは終わりじゃないって」
何気ない一言だが、その中には、この仕事を長く続けてきた者だけが知る疲労と、覚悟があった。
「都市伝説は永遠に続くのね」
灯里が、窓のない壁のほうをぼんやりと見つめながら、静かに呟いた。
美優は、静かに息を飲む。ネットの画面越しに、無数の噂"新しい怪異の卵となって膨らみ続けている。その光景が、どこか夢の続きのようで、現実よりも不気味だった。
誰かのささやきが、誰かの恐怖に変わる。誰かの救いが、また次の危機を呼び寄せる。怪異は、そうやって生き続けるのだ。
数分後、特対室のオフィスには、いつもの空気が戻っていた。
美優はそっとスマートフォンを置く。透真は新たな案件リストを開き、蜘手は机の隅でコーヒーの入った紙コップを傾ける。灯里は窓のない空間に小さな祈りのような微笑を浮かべる。終わりは来ない。でも、だからこそ、彼らは今日もまた静かに立ち上がる。
新しい噂、新しい怪異──それに立ち向かう者たちの、小さな営みが、この都市の日常の裏側として続いていく。
天井の蛍光灯が、変わらぬ白さで世界を照らしていた。
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