CASE:004-4 玲香ちゃんを探して
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
4-1. 分析
美優の救出から一夜が明けた。特対室のオフィスには、安堵と疲労が染みついた空気が漂っていた。蛍光灯の明かりは、いつもより柔らかく感じられる。蜘手、透真、灯里、そしてソファの端に小さく身体を丸めた美優──美優が居ると、その無邪気さに不思議なほど空間が満ちる。
蜘手が、にやりと口元を緩めた。
「いやぁ、美優くん。戻ってこれてよかったねぇ」
その言葉の裏には、幾重もの感情が潜んでいる。冗談めかした声音の奥に、ほっとした空気、仲間を失わなかった安堵、そして──わずかな自責。
「……ほんとですよ。二度と味わいたくないです」
美優は、どこか遠い目で窓のない壁を見つめた。肩をすくめる仕草には、まだ抜けきらない異界の寒さが残っていた。掌を握りしめる指先が、静かに震えているのを誰も指摘しなかった。
その静寂を破ったのは、透真だった。分厚い資料の山を前に、眼鏡の奥の瞳が、淡く光る。
「さて、本題ですが」
口調はあくまで静か。だが、集まる全員の注意が一点に集まる。
「分析した結果、『玲香ちゃんを探して』の怪異は退治できる類のものではないと判断しました」
「つまり?」
蜘手が、飄々とした調子のまま訊ねる。
「この怪異の性質は完全に噂そのものに根ざしている、情報存在です」
透真は資料を繰り、ページの端をゆっくりと撫でる。
「噂を聞いた者の精神を侵食し、聞いた者の精神エネルギーを糧として、それぞれの夢を独立した空間に変える。そんな仕組みの可能性が高い」
「なるほどねぇ」
蜘手は頷いたが、その声には慎重な響きが混じっていた。
「つまり、適正のあるやつ……霊感体質だったり、俺たちみたいなのだったり。空間を作れるだけの強い精神エネルギーを持った人間が、噂に接触して、それを信じることで形作られてしまうってことか」
「その通りです」
透真は、指先で机をトントンと叩きながら続ける。
「……実際に俺たちが夢の中で遭遇した時も、個々の精神世界が怪異に適した形に改変されていました。自身の精神エネルギーが空間に流れていることも、透視で観測できました」
「……ってことは、やっぱり『聞いた噂の内容』が影響を及ぼすってこと?」
美優が、ようやく顔を上げた。その瞳の奥には、微かな怖れと、しかし自分を乗り越えようとする強い光が宿っていた。
「そうだ」
透真は、真っ直ぐに美優の視線を受け止める。
「この怪異は、ルールに則る性質を持つ。しかし、そのルール自体も噂として広がった内容に左右される可能性が高い」
誰もが黙り込んだ。それはつまり、人の言葉が現実に干渉しうる、ということだ。
「……つまり」
灯里が、静かに言葉を継いだ。
その声はやわらかく、それでいて背筋が伸びるような響きがあった。
「噂を書き換えれば、怪異の特性も変わるってことね」
室内の空気が、ほんの少しだけざわついた。
四人の間に生まれた静寂は、やがて大きなうねりに変わっていく。
4-2. 対策
「ってことは、『玲香ちゃんを探して』のルールをこっちで変えちまえばいいってことだ」
蜘手がパチンと指を鳴らした。その音が妙に鮮やかに、朝の空気に響いた。
「そうね」
灯里が頷く。穏やかながらも、その目には慎重な光が宿る。
「今のルールは、間違えると二度と出られない……だったわね」
「ええ。でも、それを書き換えることで怪異の性質を変えることが可能です」
透真は資料を一枚一枚めくりながら、声を落ち着かせて続ける。その所作には、この怪異への真剣な向き合い方がにじんでいた。
「例えば……」
透真が何か言いかけたのを遮り、蜘手が口角を上げる。
「そうだな、例えば噂が広まっている若者らしく……自室のドアの前に立ち、『遅刻しちゃう』と唱えれば、そのドアが出口になる。このルールを新たに作り、広めるってのはどうだい?」
美優は小さく吹き出した。
「裏技って感じで広まれば、試す価値ありって思うだろ?」
蜘手の冗談めいた提案に、オフィスの空気がやや和らいだ。
だが、その中にあるのは本気の対策だと、誰もが分かっていた。
「確かに」
灯里が理解し、小さく頷く。いまもどこかで『玲香ちゃんを探して』の噂が微かに広がり続けているはずだ。
「まぁ、これが広まれば……『玲香ちゃんを探して』も大分弱体化するだろうねぇ」
蜘手がニヤリとしながら言う。その横顔には、都市伝説という『生き物』と向き合い続けてきた者だけが持つ、諦観とも期待ともつかない色があった。
「都市伝説ってのは、形を変えながら続いていく。でも、こっちでそれを『調整』してやれば、被害は最小限にできる」
「……確かに」
美優も納得したように呟いた。目の奥に、あの迷宮を彷徨ったときの闇がちらりと浮かび、それでも今は、現実の光がその輪郭を照らしている。
「だったら今すぐ広めましょうよ」
美優が、すっと背筋を伸ばす。その声には、あの夢の牢獄を抜けてきた者だけが持つ、確かな意志と明るさがあった。
透真はノートを開き、対策用のメモを書き始める。蜘手はパソコンを起動し、匿名掲示板や都市伝説まとめサイト、SNS、特対室がカバーストーリー用に展開しているYouViewチャンネル「Tokyo Horror Hunter」など、怪異の噂が拡散しやすい媒体のリストを並べていく。
「『玲香ちゃんを探して』、裏技発見──『自室のドアの前で『遅刻しちゃう』と唱えると、必ず出口に出られる』。……こんなところかな」
蜘手がモニターを見つめて微笑む。
「裏技的な文脈で広めれば、逆に信憑性が増すかもしれないねぇ。都市伝説好きな子たちの間で、一気に広まるだろう」
「こういう時、現代は便利ですね」
透真が淡々と応じる。
「でも──」
灯里が、小さな不安を滲ませて言った。
「情報を信じてもらえるかどうかは、結局、人の心次第よ。噂は、いつだって好き勝手に姿を変える」
「それでも、やらないよりはましだよ」
蜘手がきっぱりと言う。その声は、どこか清々しかった。オフィスには、小さな緊張と、希望の気配が満ちる。
言葉が、人を救う。それは恐ろしくもあり、だからこそ、世界はまだ変えられる──そんな確信が、ほんのりと朝の空気に溶け込んでいく。
4-3. 被害者救出作戦
新しい噂がネットの海を滑るように拡散し続ける一方、蜘手、透真、灯里の三人は静かに次なる作戦に移っていた。
救いの手が届くのを待ち続ける者たち──夢の牢獄に囚われ、昏睡状態に陥った被害者は、美優だけではなかった。ニュースにもならない、小さな町の病室、都会の総合病院の個室……それぞれの場所で眠り続ける若者たちがいた。
三人はオフィスに戻る間もなく、全国に点在する被害者のもとへと車で、電車で、飛行機で飛び回った。家族や病院スタッフの目を盗み、わずかな隙を縫うようにして、彼らは静かに現場へ足を踏み入れる。
迅速、かつ痕跡を残さぬ仕事。家族や病院関係者の目が離れた隙、その数分の間に目に見えぬ死闘が繰り広げられていた。
ケース1:神崎翔太(17歳/神奈川県)
神奈川県の私立病院、曇りガラス越しに差し込む午後の陽射し。カーテンで仕切られた個室のなか、翔太は点滴の管に繋がれ、機械の規則的な音だけが静かに響いていた。
特対室の面々は、家族が外で主治医と話している間に侵入し、無言ですばやく作業を開始する。
「……透真、ポイントは?」
「ここです」
透真は『透視』を発動し、翔太の精神世界の異常な結節点を正確に指し示す。蜘手はその場所に意識を集中し、霊糸を丁寧に編み上げる。透明な糸が、現実の空間をすり抜けて異界へと伸びていく。
「俺が引っ張るから、灯里くん、頼んだよ」
「ええ」
灯里は、深く息を吸い込み境界を開く──病室の空気が、わずかに波打つ。
翔太の精神世界は、美優と同じく無限に続く自分の部屋。それは彼の「部活道具」や「卒業アルバム」が置かれた、高校生らしい部屋。壁には部活仲間と写った写真、ポスター。だが、ドアを開けても次の瞬間、同じ部屋が果てしなく続く。
何度も何度も、出口を探して歩き続けるうちに、翔太はすっかり希望を失いかけていた。部屋の空気は次第に重く、息を吸うたびに胸が圧迫される。
「……ここから出られない……」
誰にも届かない呟き。部屋の時計は、夜の三時のまま止まっている。
そのとき、天井から細い霊糸がゆっくりと降りてくる。糸は、淡く光を帯びていた。翔太が無意識に手を伸ばした、その先に灯里が現れる。
「もう大丈夫よ、翔太くん。あなたは一人じゃない」
翔太には灯里の姿ははっきりと確認できず、光の塊のように見える。しかしその優しい声が、沈み込んでいた心の底に、少しずつ波紋を広げる。
「……帰れるんですか?」
「ええ、私たちが迎えに来たの」
灯里は、霊糸を翔太の手にそっと結ぶ。その瞬間、部屋の壁が音もなく崩れていく。翔太の目から、涙が溢れる。
「……ありがとう……」
現実に戻れば、翔太の手がわずかに動き、閉じていたまぶたが小さく震える。
モニターの数字が一度だけ跳ね、彼の呼吸が深くなる。
「撤収」
蜘手の低い声に、全員が素早く動く。
家族が病室に戻った時には、何事もなかったかのように静けさが戻っていた。
ケース2:高宮夏希(20歳/東京都)
都内の総合病院、高層階の個室。窓際に置かれた鉢植え、点滴スタンドの下に落ちる午後の日差し。夏希は細い腕をベッドの上に投げ出し、長い睫毛の下に深い眠りの影を落としていた。
透真が異常な結節点を特定、蜘手が迷いなく霊糸を繋ぐ。灯里は静かに境界を撓ませ、精神世界への扉を開く。
夏希の夢の牢獄は、延々と続く大学の講義室。どのドアを開けても、黒板と机が並ぶ灰色の空間。窓の外は常に雨。周囲には誰もいない。講義室の時計は止まったまま。何度座り直しても、何度プリントを見返しても、外に出られる気配がない。
「……もう、無理……ずっとここにいる……」
疲弊した声が、冷たい机の上に落ちる。そのとき、ふわりと灯里の声が響く。
「夏希さん」
夏希は、驚いたように顔を上げる。その目は赤く潤み、心の壁が崩れる寸前だった。
「あなたはもう、出られるわよ」
「……嘘……」
「本当よ」
灯里がそっと微笑む。空間が静かに揺らぎ、雨が止む。窓の外に、一筋の光が差し込んだ。
「私がここにいるもの」
夏希は迷いながらも、灯里の手を取る。
「……助けて」
灯里は頷き、彼女の手をしっかり握る。教室の壁が音もなく崩れ、夏希は現実へと引き戻される。
現実世界。夏希のまぶたが震え、呼吸が深くなる。その指が、ベッドシーツをしっかりと掴んだ。蜘手が短く「完了」と呟く。三人は、物音一つ立てずに病室を後にした。
救出作業は続いた。どの病室にも、似たような静けさと祈りが漂っていた。現実の光と異界の闇、その隙間を三人は黙々と渡り歩いていく。いつか、誰もが夢の出口を間違えずに済むように──彼らの手は、確かに世界のどこかを繕い直していた。
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