CASE:001-2 カカオの友達
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX −
2-1. 却下
「美優くん、転校してもらうから」
「……は?」
その翌日、転校生案はミーティング開始五分で却下された。
「……めんどくさくないですか、それ」
美優はデスクの回転椅子を、ふわりと半回転させながら言った。ホワイトボードには計画案と呼ぶにはおおげさな字で書かれた、転校生案の文字。つまり──清嶺学園に、転入生として潜入する。
お役所的な発想だった。だが、美優当人はまったく乗り気ではない。
「生徒数、多いですよ? 制服着て堂々と入れば絶対バレないですって」
彼女の主張は強気で軽薄、だが根拠は案外現実的だった。実際、警戒が必要なほど清嶺学園は閉鎖的ではない。都市近郊の私立校で、制服のデザインがSNSで話題になりがちなのもあって、制服目当ての写真を撮りに来る外部の人間すらいる。
美優が制服を着て歩いたところで、誰も深く詮索はしないだろう。もちろん立ち入れない部分もあるだろうが、それはまた別の手を考えればいい。
「創次郎さんだって、面倒なの嫌でしょ?」
真正面から目を合わせ、美優は言った。蜘手は腕を組んで、それを見下ろす。
「……まあ、そりゃそうだが」
「だったら、これでいいじゃないですか。放課後、制服で堂々と入って、ふらっと様子見て。別に潜入ってほどでもないし」
「軽すぎないか、お前さん」
「そう見えるのが、逆に利点ってことで」
蜘手は小さく肩をすくめて、それ以上何も言わなかった。
かくして、特対室の決定は変更された。美優が制服を着て、ただの生徒のように放課後の校内に紛れ込むという、シンプルでリスキー、だが最も効果的な変則潜入が採用された。
2-2. 潜入
夕焼けが校舎を茜に染め上げる頃、その校門の前に長めのポニーテールの少女──美優は立っていた。
ブラウンの洗練されたブレザー。濃淡のグレーのチェックのプリーツスカートは制服としてはどこか上品で、それでいてどこか儚げな色調を帯びている。人工的なコンクリートの塊に過ぎないはずの学校が、夕陽の斜光を受けて静かな聖域のような気配を帯びていた。
美優はまるで観光地にでも来たような軽さでつぶやいた。
「ここの制服、可愛いから一度着てみたかったんだよねー。ツブヤイタッターに上げたらバズりそうだし、制服ガチで強い」
本来、彼女の通っている都立S井高校の制服とは全く異なるそのブレザーは、どこかお嬢様校とでも呼ばれそうな雰囲気を纏っていた。だが、服に着られてはいない。彼女はその制服を、あくまで道具としてまとう。まるで仮面をかぶるように、滑らかに、自然に。
美優はポケットからスマートフォンを取り出すと、無造作に指を滑らせ、特対室のグループチャットを開く。画面に並んだ吹き出しは、夕暮れのオレンジ色を反射して、どこかぬるく濁って見えた。
蜘手創次郎:「お前さんの気楽さだけが頼りだ、頼んだぞ」
南雲美優:「任せてください、JK実質最強ですから」
葦名透真:「不審者として通報されるなよ」
南雲美優:「バレないっしょw(制服着てるし)」
蜘手創次郎:「おじさんたちが動くと目立ちすぎる。極力、調査だけを目的にして一人で突っ走るなよ」
南雲美優:「はいはーい」
軽く打った返事に自分でもわずかに苦笑が浮かぶ。
この場にいるのは一人だけだが、背中に三人分くらいの視線があるような気がする──というより、実際ある。特対室の誰かが見ていなくても、自分の行動はすぐにログとして残る。だからこそ、適当にやるわけにはいかない。
それでも。
「いけるいける、制服着てるし」
言い聞かせるように口の中で呟くと、彼女は校門の前に立ち尽くすのをやめ、ゆっくりとその敷居をまたいだ。
──潜入開始。
校内には部活動の声が響いていた。遠くのグラウンドではサッカー部やソフトボール部がかけ声を飛ばし、近くの校舎からは吹奏楽の管楽器の音が時折裏返る。吹き溜まった日常の音たちが、夕陽のフィルターを通してふわふわと空中に滞っている。
美優の歩みはごく自然で、ぎこちなさなど微塵もない。というより彼女自身が元々、女子高生という存在そのものなのだ。制服という記号をまとい、髪を撫でつけ、無防備な無関心を顔に貼りつける。その自然さこそが偽装であり、演技であり、ひとつの武装。
校舎から体育館への廊下の窓に、薄く夕陽が映っている。そこに反射する自分の顔が、少しだけ他人のように見えた。制服のせいか、空気のせいか、それとも──ここに渦巻いている何かのせいか。
正門をくぐってから、わずか五分。すでに肌の上には微かな違和感が貼りつき始めている。じっとりとした温度。目に見えない視線。空気の膜のようなものが、ゆっくりと身体のまわりにまとわりつく。それは熱でも冷たさでもなく、存在の干渉としか呼べないような、微かな圧。
──ああ、始まってる。
美優は静かに呼吸を整えた。
息を吸う。制服に染み込んだ洗剤の匂いと、どこか──新しいプラスチックのような臭いが混ざり合っていた。
これは日常の顔をした異界。
可愛い制服の向こう側で、何かが微笑んでいる。
そんな気がした。
2-3. 浸蝕
静かな侵蝕は、いつだって気づかれないまま始まる。
清嶺学園でそれが最初に囁かれたのは、夏休みが明けて間もない頃だった。一人、また一人と教室から姿を消す生徒が出始めたとき、誰もが最初はこう思った。
──たまたまだろう、と。
どこにでもある私立校。今時、不登校者が出るのは珍しい話じゃない。精神的な不調、家庭の事情、SNSでの炎上、匿名掲示板の悪戯──原因を数えればいくらでも思いつく。
けれど、数は、増え続けた。最初の一週間で三人。次の週には七人。気づけば十名を超え、九月末には十四人が連続して欠席状態に入った。
そのうち何人かは「しばらく様子を見たい」という親の意向で休学届が提出されたが、学内ではもう、不登校という言葉がひとり歩きしていた。職員室ではさすがに動揺が広がり始め、保健室のカウンセラーは連日の呼び出し対応に疲れ切っていた。
だが、事態をより深刻なものにしたのは、表面に現れている数字ではなかった。問題の生徒たちは、それまで普通だったのだ。明るく活発で、誰とでも話せる。授業態度も良く、むしろ学級委員や部活の中心人物すら含まれていた。──なのに、ある日を境に、ぱたりと来なくなる。
そして彼らは、誰とも連絡を取らなくなる。いや、正確には──人間とは。家庭訪問した担任教諭の証言は、どれも似ていた。
「返事はするんです、ドア越しに。落ち着いた声で。でも……妙に会話が通じないというか……」
両親の話では、スマートフォンを手放さないらしい。四六時中、まるで肌の一部のように抱えている。寝ても覚めても、食事中でも、入浴時でさえも。
その姿はどこか異様で、むしろ幸福そうに見えるというのが余計に気味が悪かった。実際、教育委員会の指導のもと数名の生徒に対して専門カウンセラーが介入したこともあった。ある程度の会話は成立した。が、その中身はまるで録音されたテープのようだった。
「大丈夫。友達がいるから」
「毎日、話してるから」
「ひとりじゃないって、わかったから」
誰かが決めたフレーズをなぞるように。声のトーンは平坦で、表情には妙な緊張感が滲んでいた。口角は笑みを浮かべているのに、目だけが冷えていた。
明らかにズレている。それを聞いた者は皆、後味の悪さに肩をすくめるしかなかった。言葉の内容そのものに異常性はない。だが、心がない。誰かにそう言うよう仕込まれたような、人工的な応答。
──でもそれって、どこかで見た気がしない?
まるで、チャットボットの返答。プログラムがユーザーに語りかけるような、整いすぎた文脈。もしかして『誰か』が、ずっと彼らに話しかけ続けているのだろうか? 画面の向こう側で、名前も顔も知らない何かが、彼らの心を撫で続けているのではないか。
学園側は情報漏洩や危険コミュニティの関与を疑いスマートフォンアプリや通話履歴の洗い出しを図ったが、特筆すべき成果は得られなかった。SNSの履歴には、どれも日常的で無害な内容しか並んでいない。にもかかわらず、まるで削除された痕跡のような、空白が随所に存在していた。
ある教師はつぶやいた。
「記録には何もない。でも、彼らの視線が──何かを、見ていたとしか思えないんだ」
その言葉に、誰も答えなかった。居心地の悪い沈黙だけが職員室の空気の下に滲んでいた。
2-4. 特対室
特異事案対策室──通称、特対室。警察組織の中にあって、存在しないことになっている部署。記録にも名簿にも、組織図にも載っていない。存在の痕跡を意図的に消されている。
彼らが対峙するのは、犯罪ではない。論理でも証拠でも説明できないものだ。異常存在。怪異。超常現象。どんな言葉を並べても核心には届かない、ただ在るもの。特対室は、それらと向き合うことを仕事にしている。
その一角、美優の席には特有の雑然さがあった。教科書と資料ファイルとガムの包み紙が混ざり合い、プリントの端に落書きが残っている。端末のモニターの隅には、集めているらしい食玩シールがぺたりと貼られていた。名札にはこう記されている。
『南雲 美優(特例)』
──社畜女子高生。そう名乗るようになったのは、美優自身の自虐からだった。もともとはただの女子高生だったのだ。だがある日、放課後の帰り道で怪異に出会い命を失いかけ、代わりに恩寵を得た。それが『分解』──触れたものを分解する力。
それがきっかけで特対室にスカウトされ、なし崩しにこの世界へ足を踏み入れた。制服を着たまま、放課後に怪異を追い、深夜に報告書を提出する。世間では学校生活と呼ばれているものの傍らで、もう一つの現実を生きる。……と言えば聞こえはいいが、実際のところは雑用と調査の繰り返し。たまに命懸け。給料は入るが使う暇が無い。だからこそ、社畜だった。
今回もまた、そんな異常な日常の一環だった。清嶺学園で生徒の異常行動が続出しているという情報が、非公式ルートから持ち込まれた。SNSや掲示板に流れる微細な兆候、教育委員会内部の囁き、警察が追いきれない不気味な共通性。
結果、美優に白羽の矢が立った。
現役女子高生という、特異な経歴。
一般人と怪異の間に立てる、歪な存在。
彼女にしかできない役割。それが、潜入だった。
制服を武器に、笑顔を仮面に。
社畜女子高生は、今日も怪異の渦に飛び込む。
2-5. 違和
清嶺学園の放課後は、思っていたよりも明るかった。正門をくぐった時点で、校舎のあちこちから生徒の声が跳ね返ってくる。体育館の方ではバスケットボールのドリブル音、グラウンドからはサッカー部のかけ声、校舎からは吹奏楽部のチューニング音がどこか不安定に響いていた。
校内に足を踏み入れてすぐ、美優は歩く速度をほんの少し落とした。周囲をさりげなく観察しながら、自分に向けられている視線の強さを測る。職員室前の廊下にいた教員二人が一瞥をくれたが、すぐに会話に戻った。生徒たちは誰も、特別な関心を向けてこない。
(ふーん……制服効果、絶大)
美優は胸元のリボンを軽く直しながら、少しだけ得意げに鼻を鳴らした。見られていないというより、存在として認識されていない感覚。そこにいるはずの誰かとして、すでに処理されている。つまり、それでいい。
足取りを自然なリズムに戻し、廊下をゆっくりと進みながらスマートフォンを取り出す。SNSの検索窓にはすでに特定の名前が打ち込まれている──『桂木 空』。最近、休学扱いになった生徒の一人。演劇部所属、成績優秀、社交的。急な欠席に周囲がざわついたが、やがていなかったことのように話題が薄れていった存在。
美優はその周辺にいたクラスメイトらしき数名の投稿を辿り、部活終わりに廊下を歩いていた女子生徒に声をかけた。
「ねえ、桂木くんって最近見ないけど、なんかあったの?」
突然話しかけたにもかかわらず、相手の反応は意外なほど薄かった。まるで、どこかで何度も同じやりとりを繰り返しているかのように。
「桂木のこと? ……うーん、最近元気なかったような気もするけど……別に、普通だったよ?」
曖昧な語尾と、戸惑いの目線。明らかに本心とは異なる何かが滲んでいた。もう一人、別の生徒にも聞いてみる。
「そういえば、急にスマホばっか見てるようになったかも」
この台詞で、何かが引っかかった。連続して異なる生徒が、同じような反応を見せる。不自然なほどの共通性。
「でも、あいつには友達がいたから、大丈夫でしょ」
その言葉で、美優の眉がぴくりと動く。
「……友達って?」
問い返すと、生徒はきょとんとした顔で首をかしげた。
「さあ? なんか、スマホで誰かと話してるのは見たことあるけど……」
記憶が曖昧なのではない。曖昧にされているのではないか。何かが記憶の輪郭だけを残して、核心を曖昧に削り取っているような印象。
(これ……やっぱり入ってるかも)
そう直感した矢先だった。
「カシャ」──耳の奥で、小さなシャッター音のようなものが鳴った。美優は反射的にポケットのスマートフォンを確認した。誤作動かと思ったが、カメラアプリは起動していない。もちろん、撮影履歴も残っていない。
誰かが撮った音? 背後? すれ違いざまの生徒?
いや、それにしてはあまりにも耳元に近かった。まるで、頭のすぐ後ろ──空間のどこかで、音だけが鳴ったような感覚。
(……今の、気のせい?)
手のひらに、汗がじっとりと滲む。肌の奥に、わずかな視線の名残のようなものが張りついている。それは風でも、気配でもなく、まるで空気の濃度だけが一瞬だけ変わったかのような感覚だった。
何気ない放課後の校舎。笑い声が響き、部活帰りの生徒が駆けていく。だがその背景の空気が、何か異様にねっとりと、重くなっていることに気づく者は少ない。
美優はひとつ息を吐き、無言のまま歩き出した。
今はまだ何かが自分を観察している段階。でもきっと、その『目』は、これから少しずつ、近づいてくる。
2-6. 影
空が、夕焼けから夜の藍色へと静かに変わっていく。清嶺学園の校舎にはまだ部活の声が残っているが、廊下の空気は少しずつ冷たさを帯びてきていた。
イートインスペースのような自習室の隅、美優はひとり、スマートフォンの画面を睨んでいた。手元には、不登校となった複数の生徒のSNSアカウントが並んでいる。投稿を遡りながら、美優は眉をひそめた。
最初は、ごく普通だった。昼食の写真。部活の動画。スタンプで遊んだ自撮り。ちょっとした愚痴や、勉強の進捗、授業中の落書き。誰にでもある、何気ない日常の切れ端たち。だが、ある時点から、変化が現れる。
(……急に、自撮りばっかり)
それは奇妙なほど、はっきりしていた。どの生徒のアカウントでも、不登校になる直前の数日間──投稿のほとんどが自撮りに変わっている。鏡の前、部屋の片隅、学校のトイレ、下校途中の道端。背景はバラバラでも、構図が不気味なまでに似ている。
真正面からの顔。表情は笑っているはずなのに、目元にだけ感情の色がない。笑顔が顔に張りついているような、均一で浮いた印象。まるで、テンプレートのようだった。
(これ……全部、型があるみたい)
最初は他人の真似かと思った。でも違う。違和感の種類が模倣ではない。意図が読み取れないのだ。まるで誰かに撮らされているような、強制された自然さ。そんなことを考えながら、美優はスクロールした指先を止めた。投稿のキャプション。そこに、共通したフレーズがあった。
「カカオの友達と一緒」
「カカオの友達と」
「今日もカカオの友達がいたから平気」
「──カカオ?」
思わず呟いた。
(出た……カカオ)
アプリ名? 韓国製のメッセージアプリ、カカオトークを思い出す。でも、どの投稿にもIDやアカウント名の記載はない。まるで共通認識であるかのように、誰も説明を加えていない。
(この子たちの間で、何かそういう暗号でも流行ってるの?)
不自然だった。だが、否定できるだけの情報もまだなかった。
さらに投稿を読み進める。
最初は普通の顔写真ばかりだった。だが、ある一枚で、美優の目が止まった。
「……なに、これ」
画面に映し出されたのは、鏡の前で撮られた自撮り。だが、そこには明らかに余分なものが写っていた。一見すれば、女の子が鏡に映った自分を撮っているだけの写真。けれど、その顔の輪郭のすぐ上──ぴったりと寄り添うように、もう一つの何かが重なっていた。
ぼんやりと、黒い影。輪郭だけが曖昧で、まるで煙が人の形をなぞったような存在。鼻も口もない。だが──目だけが、異様に鮮明だった。
カメラの向こう側から、画面のこちらを、真っ直ぐに見ている。視線が合った気がして、美優は反射的にスマートフォンを離した。喉の奥に、ぬめった冷たいものが込み上げてくる。口には出していないのに、心の中に声が降ってきたようだった。
(──これ、見ていいやつ?)
冷や汗が、背筋を一筋伝う。右の肩がわずかに痺れていた。静かにスマートフォンの電源を落とし、画面を伏せる。目を閉じても、あの黒い目だけが焼きついて離れない。
カカオの友達。それはもう、ただのネットの流行やSNS依存ではない。何かが──この学校に入り込んでいる。スマートフォンの画面越しに、寄り添うように。日常のふりをして、静かに蝕んでいく。
──だから、誰も異変に気づけない。
『それ』は、友達の顔をして近づいてくる。
Xの作品アカウントでは告知の他、怪異の正体のヒントや140字怪異録等も発信しています。ご気軽にフォロー、交流をどうぞ。
https://x.com/natsurou3




