CASE: EX 怪異よもやま小噺-1
東京怪異捜査録 − 警視庁特対室CASE:XXX -
1. 死闘!国道の決戦
深夜の国道に吹き荒れる突風。
その中心を貫くように、異様な影が駆け抜ける。
──100キロババア。
それはこの道を知る者の間で語られる怪異だった。
夜な夜な猛スピードで鉄の馬を駆る走り屋を煽り、追い抜くことを許さず、勝負を挑んだ者はカーブの先で悲鳴を上げる。
無謀な挑戦者たちは次々と事故に巻き込まれ、この道は「魔の国道」と呼ばれるようになった。煽り運転よくない。
走り屋達は誰もが噂する。
「この道を勝ち抜かねば、決して成仏しない亡者がいる」と──。
特対室、オフィス。
「……ねぇ、これ本当にいるなら放っておいたら、また事故起きますよね?」
南雲美優が呟く。
「こういう怪異って勝負に負けたら消えるのあるあるよねぇ」
久世灯里が気だるげに言う。
「じゃあ、俺が勝負してくる」
低く響く声。
一瞬、室内の空気が凍った。
視線が一斉に、轟雷蔵へと向かう。
「え? でも雷蔵さん、バイクとか持ってないですよね?」
美優の問いかけに、雷蔵は静かに首を横に振る。
「俺が走る」
「……は?」
美優が困惑し、蜘手創次郎が眉をひそめた。
意味がわからない。
いや、もしかすると理解はできるのかもしれない。だが、認めたくなかった。
深夜の東京郊外。
国道沿いに立つ雷蔵の足元を、冷たい夜風が撫でる。
闇の中、遠くからわずかに聞こえるエンジン音──いや、違う。これは……金属の軋む音だ。
「──来たぞ」
雷蔵の声が低く響く。
視線の先、夜の帳を裂くように疾走する異形の老婆。
白髪をなびかせ、額にはサングラス。
身に纏うのは昭和の特攻服──だが、それよりも異様だったのはその足元だった。
「……ローラースケート?」
美優が呆然と呟く。
バイクでも車でもなく、昭和のローラースケート。
それが国道を時速100キロで駆け抜けていた。
老婆は雷蔵たちを認めると足元に火花を散らせながら停まり、不敵に笑った。
「ほう……ワシに挑むつもりか?」
「おうよ」
雷蔵が拳を握る。
その瞳に宿るのは、揺るぎない決意。
老婆は雷蔵を一瞥し、嘲笑する。
「ふん……バイクも車もないおぬしが、どうやってワシに勝つつもりじゃ?」
雷蔵はただ一言、静かに答えた。
「俺が走る」
一瞬の沈黙。
老婆の表情が信じられないものを見るように凍りつく。
蜘手がわずかに目を細め、美優は絶句する。
夜風が吹き抜けた。
雷蔵が静かに告げる。
「この先の信号でUターンして、先に戻ってきた方の勝ちだ」
「……フフ、面白い! ならば、勝負じゃ!」
──決戦、開幕。
老婆が身を翻し、ローラースケートを軋ませながら加速する。
雷蔵は一度、深く息を吸った。
「──雷獄」
瞬間、雷鳴が轟く。
夜空に閃光が走る。
雷蔵の体を包むのは、青白い稲妻。
次の瞬間──彼の姿は掻き消え、老婆の横に並ぶ。
「!?」
老婆の表情が歪む。
常識を超えたスピード。
雷蔵の脚がアスファルトを蹴るたびに、閃光がほとばしり、火花が散る。
国道を駆ける雷狼──それが、轟雷蔵だった。
老婆は必死に加速する。
カーブを曲がるたびに、その足元はブレる。
「ワシは……負けん……!」
しかし老婆が最後の力を振り絞ったその瞬間──限界に達したローラースケートがバラバラに砕け散った。
その勢いでアスファルトを滑り倒れる老婆に、雷蔵が手を差し伸べる。怪異とはいえ全力で正々堂々とバトルした相手。雷蔵は敬意を以て最期を看取るつもりだ。
「──ワシの負けじゃ」
老婆の声が風に溶ける。
気がつけばその姿は徐々に薄れていく。
しかし、手を差し伸べた雷蔵の顔を老婆が見上げたその瞬間──老婆の頬はかすかに赤く染まる。
「アンタ、最高じゃ……♡」
(……は?)
全員が固まった。
「ワシの婿になれ! ワシをおぶって風になってくれ♡」
老婆が今にも抱きつかんばかりに両手を広げ、目をギラリと輝かせる。
「……絶対イヤだ!!!!」
雷蔵が叫んだ。
老婆の表情が曇る。
「そんな……」
しょんぼりと肩を落とした老婆は、ため息をつきながら、夜の闇へと溶けていった。
美優がぼそりと呟く。
「……成仏、したんですか?」
「まぁ、満足したんじゃないの?」
蜘手が適当に答える。
雷蔵は拳を握りしめ、静かに怒っていた。
「……なんで、俺がこんな目に……」
静寂が訪れる。
そして──
「もし、また未練で出てきたら、おぶって走ってあげればいいんじゃないですか?」
美優の無邪気な言葉に、雷蔵の表情がさらに曇ったのだった──。
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2. 三本足のリカちゃん人形
ある休日の午後──社畜の休息。
特対室のオフィス。
休日にもかかわらず、美優は特にやることもなく、スマートフォンを片手にフリマアプリ「モレカリ」を眺めていた。
掘り出し物を探すのも悪くない。
社畜女子高生は特対室の仕事でストレスが溜まることも多いので、たまにはネットショッピングでも楽しもうと思ったのだ。社畜なので資金は潤沢だ。
「……ん?」
スクロールしていた指が止まる。
画面には、どう見ても妙な商品が映っている。
「◆激レア!!◆足が3本あるエラー品のリカちゃん人形です!ボイス再生機能あり!」
価格は異様に高い。
説明文には、
「勝手に喋ることがありますが仕様です!」
「足が3本なのはエラー品なので超レア!」
「古いものなので傷など気にならない方のみ。ノークレーム・ノーリターン」
などと書かれている。
「……は?」
美優は画面を見つめたまま絶句した。
どう考えても怪異案件だ。
いや、それ以前にたくましすぎる。
「フリマアプリで怪異売るとか、倫理観ぶっ飛んでない?」
思わず呟くと、後ろから透真が覗き込んできた。
「……怪異を売る時代になったか」
「時代じゃなくて、出品者がヤバいだけでは?」
「まぁ、経済の原則としては、需要があれば供給が生まれる……」
「そんな冷静に分析しないでくださいよ!?」
美優は即座にツッコミを入れたが、透真は「確かに問題ではあるな」と呟く。
しばしの沈黙。
「……買うか?」
「え? いらない……」
「回収しておいた方がいいだろう」
透真の提案に、美優は逡巡した。
「……いや、でもこれ、経費で落ちるんですか?」
「一応、怪異案件だからな」
「経費で『リカちゃん人形(足3本)』って記録されたら、ヤバくないですか?」
「……確かに」
どちらも譲らず、しばらく押し問答を繰り返した末、最終的に「社会的リスクを考慮」という名目で経費申請が通った。
──数日後。
特対室の事務室に、小さなダンボール箱が届いた。
美優は傷をつけないよう慎重にカッターで開封し、中身を取り出す。
リカちゃん人形。
確かに、足が3本ある。
しかも、その追加された一本は妙に長く、関節の位置が不自然だった。
「……普通にキモいですね」
美優が眉をひそめる。
「いや、普通ではないだろ」
透真がぼそりと返す。
そのまま検品を行い、静かに結果を告げた。
「低級霊が取り憑いている。だが、影響はほぼなし」
「え、普通に飾っていいんですか?」
「気にしなければ問題ない。飽きたら「分解」すればいい」
(サラッと怖いこと言ったな)
そんなことを思いながら美優が透真を見ると、透真は何やらスマートフォンを触っている。
「迅速なご発送ありがとうございます、また機会がございましたらよろしくお願いいたします……これで、よし」
そうして、三本足のリカちゃん人形は美優のデスクに飾られることになった。
それからというもの、リカちゃん人形は定期的に喋った。
「私、リカちゃん。呪われてるの」
事務室に響く声。
「……へぇ」
蜘手が煙草の煙を吐きながら、見向きもしないで答える。
「私、リカちゃん。呪われてるの」
「ふーん」
雷蔵は全く興味がない。
全く怖がる素振りがない。
むしろ、業務の合間に適当に相槌を打たれる始末だった。
「私、リカちゃ──」
「知ってる」
透真が即答する。
「くそが!お前も呪われろ!」
リカちゃんはキレた。
──数日後。
「あれ? なんか最近、喋らなくなりました?」
美優がリカちゃん人形を見つめる。
以前は毎日のように「私、リカちゃん。呪われてるの」と独りで呟いていたのに、最近はさっぱりだ。
「低級霊でも、あまりに雑な扱いだとプライド傷つくのかねぇ」
蜘手が苦笑する。
「……まさか、怪異が自分の無力さに絶望するパターン?」
美優が恐る恐る問いかけると、透真が淡々と答えた。
「可能性はあるな。ある種の怪異は、人間に認知され続けることで力を維持する。無視されると、その存在意義が揺らぐ」
「……まじで?」
美優がリカちゃん人形をじっと見る。
特対室に飾られて以来、ただのインテリアと化してしまったリカちゃん。
呪いの人形とは何だったのか。
「……呪いって、もっとこう……ホラーな感じじゃないんですかね?」
「ホラーは相手の反応があって成立するもんだろ」
美優はぼんやりと人形を眺めた。
こうして、特対室に回収された呪いのリカちゃん人形は、ただの「普通の三本足のリカちゃん人形」になった──。
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3. 猫の怪
夜の帳が降りた静かな神社。
灯篭の灯りがゆらゆらと揺れ、古びた鳥居に朽ちた木々の影を落としていた。
夜の森は、まるで別世界。ざわりと風が吹き抜け、どこからか木の葉が落ちる微かな音がする。
この場所で、「人語を話す猫」が目撃されている──。
そんな噂を確かめるため灯里はひとり、静かに境内を歩いていた。
数日前に時は遡る。
「……また厄介な怪異が現れたな」
蜘手創次郎は、報告書を机の上に放り投げた。
「神社に棲みついてる猫が人間の言葉を話すんだとよ。まぁ、よくある噂のパターンだけど……」
「猫……」
灯里の目がキラリと光る。
「え?」
美優が思わず身を引く。
「あ、これダメな流れだわ」
蜘手が頭を抱える。
だが、時すでに遅かった。
灯里は真剣な表情で言い放つ。
「私が行く」
そして現在。
神社の境内は、昼間とは異なる気配を帯びていた。
静かすぎる。
虫の音すら途切れがちで、空気が重い。
灯里は足を止め、周囲を見渡す。
「……気配がある」
その瞬間──
「……人間よ。お主、妙な力を持っておるな? また厄介な奴が来おったわ」
暗闇から、低くしわがれた声が響いた。
灯里がゆっくりと振り向く。
そこにいたのは、一匹の漆黒の猫。
黄金色の瞳が月光を反射し、闇に揺らめく影の中から音もなく現れる。
長くしなやかな尻尾──それは二股に分かれていた。
「……猫又、ですね」
灯里は微笑む。
猫はゆっくりと前足を揃え、神社の石段の上から灯里を見下ろした。
「人間よ。この地は百年の時を生きたワシの縄張りぞ。立ち去るがよい……でなければ……」
猫又の周囲の影がざわめく。
不穏な気配が、静寂を侵すように広がる。
──だが。
「喋った!猫ちゃん!かわいい!!!」
「……ニャ?」
次の瞬間、語彙力の低下した灯里が駆け寄る。
猫又は慌てて逃げようとしたが、時すでに遅し──するりと腕の中に抱きかかえられた。
「わぁ、お目々きれい!」
「やめろ!ワシは恐ろしい妖怪……!」
「はいはい、よしよし」
「やめ……ゴロゴロゴロ……」
「ふふ、気持ちいいねぇ」
「ぐぬぬ……」
灯里が猫又を撫でるたび、その体が徐々に脱力していく。
気がつけば、ゴロゴロと喉を鳴らし、まるで普通の猫のように身を委ねていた。
──数日後。
美優は灯里の自宅に呼ばれていた。
何かと思えば、例の猫又を見せたいらしい。
「……本当に連れて帰ってきたんですね」
灯里の自宅のリビング。
ソファの上では、黒い猫又がのんびりと香箱座りをしていた。
「猫又って……ペットになるんですか?」
美優が恐る恐る尋ねる。
猫又は目を細め、美優を見上げた。
「ワシはもう……この家の猫として生きると決めたのじゃ……」
「悟ってる……何があったの!?」
美優が驚愕する中、灯里は満面の笑みで猫を撫で続ける。
「この子、おとなしくしてると可愛いのよ?」
「いや、そういう問題じゃ……」
「よしよし……」
灯里が優しく撫でると、猫又は再び喉を鳴らした。
「……もういい。ワシはここで生きる……」
「そのセリフ何回言うんですか!?」
美優が叫んだが、灯里は相変わらず幸せそうに猫を撫で続けていた。
その後。
猫又は完全に「普通の猫」として灯里の家に住み着いた。
特対室に連行されることもなく、今や完全に「灯里のペット」になっていた。
「いや、こんなに簡単に飼っちゃっていいんですか……?」
特対室の休憩時間、美優が呆れながら問いかける。
「問題はない」
透真が淡々と答える。
「久世さんの「境界」の結界を張った家の中にいれば、猫又の力は制限される。それに……」
透真は美優を見つめる。
「今のあれは、ただの猫だ」
結局、かつて「恐ろしい妖怪」として恐れられていた猫又は、今やただの灯里の愛猫になったのだ──。